核実験に反対する国際デーで国連事務総長、核軍縮交渉の前進を呼びかける。
8月29日は核実験の廃止と核兵器廃絶に向けての啓発活動を行う国際デー(International Day against Nuclear Tests)。
核実験に反対する国際デー(8月29日)に寄せる事務総長メッセージプレスリリース 16-075-J 2016年08月29日
事務総長に就任してから10年近くの間、私は世界で最悪の問題の多くを目にしてきました。同様に、こうした問題に対し、私たちが時には不可能と思えるようなやり方で集団的に対応する様子も目の当たりにしてきました。私たちの野心的な「持続可能な開発のための2030アジェンダ」と気候変動に関するパリ協定は、長く続いた行き詰まりの状態を打開できる政治的意志の力を実証しました。私は今年の「核実験に反対する国際デー」にあたり、全世界に対し、この問題に関する危険な膠着状態を緊急に打開する必要性に見合う連帯感を奮い立たせるよう呼びかけます。
きょうは、450回を超える核実験の爆心地となったカザフスタンのセミパラチンスク実験場の閉鎖から、ちょうど四半世紀にあたります。核実験の被害者はその周辺だけでなく、中央アジアや北アフリカ、北米、そして南太平洋にも散らばっています。
核実験すべてを禁止すれば、私たちが引き継いだこの有害な遺産に終止符が打たれることになります。さらに、多国間協力の可能性を実証することで、他の軍縮措置に弾みがつくだけでなく、核兵器その他いかなる大量破壊兵器もない中東非核地帯の確立を含め、他の地域的な安全保障措置に向けた信頼もでき上がることでしょう。
2010年にセミパラチンスクを訪れた私は、中毒性障害だけでなく、被害者や遺族の方々の決意も目の当たりにしました。私は、核兵器のない世界の実現に努めるその決意を共有しています。
国連総会が20年前に採択した「包括的核実験禁止条約(CTBT)」は、まだ発効に至っていません。核兵器が私たちの人間と環境の集団的安全保障、ひいては私たちの存在自体に壊滅的な影響を及ぼすリスクを考えれば、私たちはこの膠着状態を受け入れるわけにはいきません。
私は加盟国に対し、今すぐ行動するよう強く訴えます。条約発効に批准が必要な国々は、他の国々の批准を待つべきではありません。1国の批准でも、事態を打開できる可能性があります。署名と批准を行っていない国々はすべて、これを行うべきです。署名一つひとつが普遍性という規範を強化し、行動を怠っている国を一層際立たせることになるからです。
今年の国際デーにあたり、私はすべての国と民族に対し、私たちが核兵器のない世界に向けて前進できるよう、CTBTのできるだけ早い発効に努めることを呼びかけます。
出典:核実験に反対する国際デー(8月29日)に寄せる事務総長メッセージ 8月29日は「核実験に反対する国際デー」です。1945年以来、世界の60カ所以上で2,000回を超える核実験が実施されました。人類を滅亡させる究極の武器として核兵器が作られ、実験され、人類に恐怖と破壊をもたらしてきました。近代の人類史上これほど大きな影響を与えた発明はありません。 グリーンピースは、核実験への反対から生まれた環境団体です。創立以来、核実験反対は「グリーンピース・ストーリー」の一部です。私個人にとって、そして活動家としてのキャリアにおいても歩みの一部といえます。 核実験が人類と環境に与える悲惨な影響を初めて目にしたのは、私が24歳のときです。1985年、核実験に反対するキャンペーンのために太平洋に向かって航海するグリーンピースの船「虹の戦士号」に、私は甲板員として乗船していました。私たちの最初の使命は、北太平洋のマーシャル諸島の一つであるロンゲラップ島の住民約360人を、アメリカが行った核実験による放射能汚染から避難させることでした。 10日間にわたって、女性、男性、老人から子供までの避難を支援しました。多くの人が放射線による被ばくの影響で苦しんでいました。彼らは、先祖代々住み続けてきた土地を離れなければなりませんでした。悲しいことに、彼らが愛してきた土地は島民に生きる糧を与えてはくれず、むしろ病気をもたらしていました。島民が負わされた悲劇と苦痛は彼らのせいではありません。誰が苦しむことになるのか、ほとんど考えもしなかった人々によってこのような悲惨な目に合わされたのです。 実際、島民は「人類のため、世界のすべての戦争を終わらせるため」に核兵器は必要だと言われていました。大量破壊兵器が安全と平和への手段であるという考えの裏にある愚かさは、権力者のあいだに今も残っています。太平洋での核実験はあまり知られていませんでしたが、ロンゲラップ島民の避難に関わった私たち全員は大きな影響を受けました。しかし、明らかに、核実験を行った当事者は、地球への暴力は人間への暴力であることを、まったく問題にしていなかったのです。 ロンゲラップ島での救出行動の後、私たちはニュージーランドに向かいました。「虹の戦士号」はフランス領ポリネシア、ムルロア環礁の東を航海し、フランス政府の核実験に抗議する小型船団を組んで指揮を取ることになっていたのです。しかし、私たちの計画は誰も予想できなかった形で変更を余儀なくされました。1985年7月10日、フランスの情報機関がフランス政府の命令を受けて、「虹の戦士号」に2発の爆弾を仕掛けたのです。爆発が起こって数分で「虹の戦士号」は沈みました。私たちの友人で同僚のフェルナンド・ぺレイラ(写真家)は、この爆発で死亡しました。 (中略)
グリーンピース・インターナショナル(本部)事務局長 バニー・マクダーミッド
核実験の悲惨な歴史にまつわる詳細は、多くが隠されたままです。しかし、真実が現れつつもあります。フランス国防省の機密文書は、1960年代から1970年代に南太平洋で行われた核実験は、それまで認められていたよりもはるかに有害であったことを示しています。フランス領ポリネシアの全体にプルトニウムが降り注ぎました。最も人口が多いタヒチ島は、最大許容量の500倍の放射能にさらされました。核実験の犠牲者が手にすることのできた正義は、耐え難いほど遅く、不完全でした。1990年代の初め、アメリカはようやくロンゲラップ島の人々に与えた被害を認め、長い法廷闘争の後にやっと補償金をいくらか支払うことに同意しました。核実験によって被害を受けた元軍人や市民に対して、フランス政府が補償する可能性を認めたのも(それも複雑なプロセスで、かつ限られた地域に対してのみ)、2010年になってからでした。核実験の犠牲者の多くはいまだに認定されずに苦しんでいます。
彼らの心に負ったトラウマと同じように、核実験による影響は消し去ることはできません。放射能による汚染は、今その地域に住んでいる人々に影響するばかりでなく、将来の世代にも影響します。放射能を効果的に除染できる技術はありません。ロンゲラップ島の人々の多くは、30年近く経っても、いまだに故郷に帰ることができません。
しかし日々の暮らしが取り返しのつかないほど大きな被害を受けても、自らの悲劇を「核廃絶のためのたたかい」に変えて生きている人々に、私は大きな感銘を受けています。ビキニ核実験で被害を受けたロンゲラップ環礁のあるマーシャル諸島共和国は、9つの核保有国を相手取り、「核軍縮の義務を果たしていない」と国際司法裁判所に訴え出ました。日本では、広島と長崎の被爆者の方々が『ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名』を開始しています。私たちは、彼らを孤立させてはいけません。
世界中の核保有国は、複雑で急速に変化する世界の安全保障であるとして、核兵器の保有、開発、近代化を続けています。しかし、それは大きな間違いです。一方、核兵器反対の声を上げる国が増えています。昨年国連では核兵器禁止条約の確立を目指し、核軍縮作業部会を開催する決議案を賛成多数で採択しました。これは簡単な道のりではありませんが、一歩を踏み出したといえます。
大量破壊兵器を、小さな地球に住む私たちの安全保障にしてはいけません。安全保障たりうるのは、核兵器と核実験の廃絶です。そのシナリオを書けるのは、何百万もの人々の惜しみない勇気と貢献です。