震災後の遺族を癒す現代の「遠野物語」。未だに続く「震災怪談」は・怪談・ではなく、人々の心に温かく寄り添う

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未見の方は是非。震災後と「遠野物語」との関連も分かります。
	
3.11東北大震災後に東北、みちのくで次々と目撃され語られる不思議な体験談。目撃者のほとんどが、後で亡くなられた方だという事に気付く。しかも、その目撃談には、消えゆく人との触れ合い、会話があり、「ありがとう」と礼を言うという。あまりに多いこの現象から、震災後のニュースや、大学の卒論にまでなり、体験談も出版化している。しかし、例えば阪神大震災ではこのような例がないという。どういうことか?全く怖さを要求するのではなく、涙を誘う温かさがある。ここに、東北特有の霊・神と寄り添う生活があるのではないか。


産経新聞より・・・ 「《帰ろうと下駄箱のカギを外して中からブーツを取り出し、脚を入れた瞬間。白い花弁が一房、靴の中にあった。(中略)二週間後、木棺に入れられて、父が帰ってきた。胸の上に、白い花が添えられていた。靴の中に入っていた、あの白い花と同じものだった》


 震災で父の勉さん=当時(53)=を亡くした須藤文音(あやね)さん(28)は体験した出来事を怪談「白い花弁」としてつづった。勉さんは宮城県気仙沼市で津波に巻き込まれ、2週間後に遺体で見つかった。その2週間、文音さんの身近で不思議な出来事があった。


 「父の亡くなった状況は今でも分からない。でも書いているうちに、成仏してほしいという思いとともに、父の最期が痛くなかったらいいな、苦しくなかったらいいな、と思えるようになった」


 文音さんは書くことや話すことで徐々に勉さんの死を受け入れられるようになったといい、「怪談は父と私をつなぐツール。生きている人と亡くなっている人をつないでいる」と語る。


 文芸評論家の東雅夫さんによると、関東大震災(大正12年)後もこうした実話を基にした震災怪談が作品になったといい、「怪談は死者の話を生きている人が書いて生きている人が読む。亡くなった人の物語を生者が言葉にし、語り、共有することで鎮魂や供養になっている」と解説する。


 一方、平成7年の阪神大震災後にこうした動きがなかったのは、津波と火災による被害の違いや、「遠野物語」の舞台でもある東北地方ならではの文化に由来するのではないかとも分析する。


 《知り合った人から“某所に出る子供の幽霊”の話を聞いた。絶句した。なぜならその子供を知っていたからだ。目撃されたのは、確かにその子の家の跡地。語られた背格好も、その子と一致する》


 被災地出身で怪談作家の小田イ輔さんは知人や顔見知りの人の死を体験した。「自分の身内が流されて5年たって落ち着いたとはいえない。津波で亡くなった、新聞に名前が載った、で終わりじゃない。その人が生きていた証しを拾い上げて残す。誰にも訪れる『死』を突き詰めたのが怪談だ」と話している。」


ここに、柳田国男の遠野伝承をまとめた「遠野物語」に見られ共通する特有の東北みちのく精神文化がある。東北の人々が過去から伝承し語り継ぐ取組が、それぞれ地域に根差した物語として人々に伝わる。それが現在ともシンクロしながら悲劇とも重なり合い、生と死の媒介にある霊・幽霊は、震災後のご遺族の方々・人々にとって、眼に見えない裏側・背景を可視化する現象として、悲劇をも癒す意味で必然的な出来事なのかもしれない。NHKが柳田「遠野物語」をまとめた映像がある。未見の方は是非。