これが実話とは思えない…日本の凶悪事件(戦後)

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日本で起きた凶悪事件をご紹介します。

すべて戦後の事件です。

もうこれが現実とは到底思えない事件ばかりです。

正直言って、読んでいると頭痛がしてきますし、目を背けたくもなります。

人によっては著しくご気分を害してしまうかもしれません。

それくらい惨い内容を含みます。

このページを読まれる場合は、覚悟をされたうえでお読みください。


※ 以下、閲覧注意

江東マンション神隠し殺人事件

2008年4月18日(金曜)の夜、会社員の女性(当時23歳、以降被害者女性)が東京都江東区潮見二丁目の自宅マンションから忽然と消え、親族から捜索願いが出される。最上階の自室の玄関に少量の血痕が残った状態であったことに加え、マンションに設置された監視カメラの記録に、被害者女性がマンション建物から外出した形跡がないことから、「神隠し事件」として、マスメディア各社がトップニュースで報じた。また、同マンションは当時3分の1近くが空室であり、被害者女性宅の両隣は空室であった。

警視庁は、マンション住民全員から事情聴取、任意での指紋採取、家宅捜索を行った。事件発生から約1ヶ月後の同年5月25日、被害者女性宅の2つ隣の部屋に住む派遣社員の男(当時33歳、以降加害者男)を住居侵入容疑で逮捕した。その後の捜査で、加害者男は死体損壊、遺棄の疑いで再逮捕(同年6月13日)、殺人容疑で再逮捕(同年6月25日)されている。

逮捕後、加害者男からの供述により事件の全貌が明らかとなった。

出典:江東マンション神隠し殺人事件 - Wikipedia

	
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女子高生コンクリート詰め殺人事件

出典:smilevideo

			
女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。

この事件は、加害者が全て少年(未成年者)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。

出典:

	
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闇サイト殺人事件

闇サイト殺人事件(やみサイトさつじんじけん)とは、2007年(平成19年)8月24日に愛知県名古屋市千種区内で発生した強盗殺人事件。闇サイトが犯行グループ結成に利用されたことが注目され、殺害された被害者が1人でありながら第一審では実行犯3人のうち2人に死刑判決が言い渡され、そのうちの1人は控訴を取り下げ確定し、死刑執行された(もう一人は控訴審で無期懲役に減刑されたが、刑確定後前科があることが判明、改めて死刑判決を受け上告中)。愛知女性拉致殺害事件(あいちじょせいらちさつがいじけん)とも呼ばれる。


2007年8月24日午後10時頃、名古屋市千種区自由ヶ丘の路上を歩いていた31歳女性(同区在住)を、男3人は道を尋ねる振りをして、強盗目的で拉致した。犯行グループ3人は日常生活で面識はなく、知り合って犯行を行うきっかけとなったのが、携帯電話サイト「闇の職業安定所」という犯罪者を募集する闇サイトである。

この闇サイトで無職の男A(犯行当時40歳、本籍愛知県津島市)が投稿し、朝日新聞の新聞拡張員だった男K(同36歳、同県豊明市在住)と、(過去に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件など2つの強盗殺人・同未遂事件を起こし逃亡中であった)無職の男C(同32歳、名古屋市東区在住)の2人の男が参加し犯行を決め、女性を殺害して現金を奪うことにし、8月24日に決行。被害者の女性は偶然見かけただけという通り魔的犯行であった。

出典:闇サイト殺人事件 - Wikipedia

	
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名古屋アベック殺人事件

名古屋アベック殺人事件(なごやアベックさつじんじけん)とは、1988年2月23日から25日にかけ愛知県名古屋市緑区において理容師と理容師見習いの男女2名が犠牲となった強盗殺人・集団強姦事件。被害者2名が襲撃された場所の名前から「大高緑地公園アベック殺人事件」(おおだかりょくちこうえんアベックさつじんじけん)とも呼ばれる。非人道的で残忍な手口と身勝手な犯行動機で、日本中を震撼させた。犯人グループ計6名の大半が未成年であったことから、少年法改正に多大な影響を与えた事件である。

出典:名古屋アベック殺人事件 - Wikipedia

	
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北九州監禁殺人事件

人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶつけさせることにより相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と被告人男女を厳しく非難した。2011年12月、最高裁判所によって主犯Xの死刑と共犯Yの無期懲役が確定した。

非常な残虐性・悪質性にもかかわらず、事件に報道規制がかけられたとされ、事件の知名度は高くない。当初は地元の報道機関を中心に報道をしていたが、途中から報道機関が自主規制して報道量が少なくなり、全国の報道機関での集中報道に結びつかなかったといわれている。報道量が少なくなった理由としては「あまりにも残酷な事件内容のため表現方法が極めて難しいこと」「家族同士が殺しあった事件の性格から被害者遺族がメディアに積極露出をして被害を訴えづらいこと」があるとされている。

出典:北九州監禁殺人事件 - Wikipedia

	
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首都圏連続不審死事件

2009年(平成21年)8月6日、埼玉県富士見市の月極駐車場内にあった車内において会社員男性C(当時41歳)の遺体が発見された。死因は練炭による一酸化炭素中毒であったが、自殺にしては不審点が多かったことから、埼玉県警察の捜査が始まった。

その結果、Cは被疑者の住所不定・無職の女性、木嶋 佳苗(きじま かなえ、1974年(昭和49年)11月27日生まれ、当時34歳)と交際していたことがわかり、捜査していくにつれて、木嶋には他にも多数の愛人がおり、その愛人の何人かも不審死を遂げていることが分かった。埼玉県警は木嶋が結婚を装った詐欺をおこなっていたと断定し、9月25日に木嶋を詐欺罪の容疑で逮捕した。また、逮捕時に同居していた千葉県出身の40代男性から450万円を受け取っていた[2]。

2010年(平成22年)1月までに、木嶋は7度におよぶ詐欺などの容疑で再逮捕されている。警察は詐欺と不審死の関連について慎重に捜査を継続。2月22日に木嶋はAに対する殺人罪で起訴された。窃盗罪や詐欺罪などですでに起訴されており、併せて6度目の起訴となる。10月29日には、東京都青梅市の当時53歳の男性を自殺に見せかけて殺害したとして、警視庁に再逮捕された。ただし、被害者男性の遺体は、当時は「自殺」と断定されて解剖されていない例もあり、死因に関する資料が乏しい中での、極めて異例の殺人罪の立件となった。

出典:首都圏連続不審死事件 - Wikipedia

	
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上申書殺人事件

死刑判決を受けて上訴中だった元暴力団組員の被告人が自分が関与した複数事件(殺人2件と死体遺棄1件)の上申書を提出。元暴力団組員が「先生」と慕っていた不動産ブローカーが3件の殺人事件の首謀者として告発された。元暴力団組員に取材を続けていた雑誌『新潮45』が2005年に報じたことによって、世間から大きく注目されるようになり、「先生」が関与した1つの殺人事件について刑事事件化した。

元暴力団組員が上申書で告発したきっかけは、「先生」が首謀した殺人事件の報酬を受け取る約束が、直前に別の刑事事件で逮捕・長期勾留されたことで「先生」に反故にされたこと、世話を頼んだ舎弟が自殺した際に舎弟の財産が「先生」の手により処分されたことであった。

出典:上申書殺人事件 - Wikipedia

	
ちなみに、映画「凶悪」(山田孝之さん主演)のモデルになった事件です。

事件について、詳しくは以下のリンクをどうぞ。

秋葉原通り魔事件

2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員の加藤智大(かとう ともひろ、1982年9月28日 - 、犯行当時25歳)の運転する2トントラック(いすゞ・エルフ)が西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。

このトラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていたが、トラックを運転していた加藤は車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら17人を、所持していた両刃のサバイバルナイフ(ダガーナイフ)で立て続けに殺傷した。

さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口を加藤に対して向け、ダガーを捨てるよう警告し、応じなければ拳銃を発砲することを通告した。それに応じナイフを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店(現・クラブセガ秋葉原新館)脇の路地で現行犯逮捕にて身柄を拘束した[7][8]。これらはおよそ5 - 10分間ほどの間の出来事だった。

事件当日は日曜日で中央通りは歩行者天国となっている区域だった。この日も多くの買い物客や観光客でごった返しているなかの凶行であり、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また、負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇であった。加藤はナイフは他にも5本所持していたことが明らかになった。

出典:秋葉原通り魔事件 - Wikipedia

	
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尼崎事件

出典:seesaawiki

			
この事件の主犯格とされる女(以下、主犯女X)は、少なくとも25年以上もの間、兵庫県尼崎市南東部で、血縁関係にない人物を多く集め、疑似家族を築きながら共同生活を営んでいた。そして、主犯女Xの周辺では、1987年頃に当時、主犯女Xと同居していた女性(A家母)が失踪したことを発端に、複数の不審死や失踪事件が相次いで発生していたが、長年にわたり、事件が表に出ることはなかった。

しかし、2011年11月に主犯女Xらに監禁されていた40代女性(F家長女)が監禁状態から抜け出し警察に駆け込んだことで、主犯女XがF家長女に対する傷害容疑で逮捕され、次いで、その女性の母親(F家母)の死亡事件が発覚する。さらに、この事件を端緒に捜査は進められ、2012年10月に別件(C家長男・C家母年金窃盗事件)で逮捕されていた従犯者が全面自供したことにより、ようやく一連の事件が明るみに出ることになった。

ところが、主犯女Xは、事件について多くを語らないまま、2012年12月12日に兵庫県警本部の留置所で自殺し、事件の真相解明は極めて困難な状況になってしまう。

従犯者の供述をもとに、事件の捜査を続けてきた兵庫、香川、沖縄の各県警による合同捜査本部は、2014年3月に解散し、捜査は事実上終結しており、確認された8名の死亡者のうち6名について、殺人や傷害致死の罪などで、主犯女Xやその親族など11名が起訴され裁判前に自殺した主犯女Xを除き、10名に裁判員裁判が開かれた。また、現在も主犯女Xの周辺で3名の行方が判明しておらず、1名は主犯女Xによって死亡したとされるが遺体が発見されておらず、他2名については主犯女Xから逃れているため後に行方不明となっており公開手配されている。

数ある大量殺人事件の中でも逮捕、書類送検者の数が17名と多く、その中には被害者の子や姉妹といった親族も含まれていることが、この事件の大きな特徴の一つである。また、死亡事件以外に特筆すべき事柄として、些細な弱みにつけこんで威圧的に家族を支配する、いわば家族乗っ取り事件を主犯女Xが複数回起こしていたことも明らかになった。そこでは、多くの人々が、親族間同士での暴力を強要されたり、飲食や睡眠を制限されるなど虐待され、さらには、財産を奪われたり、家庭崩壊に追い込まれるといった被害を受けていたことも判明している。逮捕、書類送検者には、そういった事情により、主犯女Xに取り込まれ、疑似家族の一員となったり、否応なく、事件に関与せざるをえなくなったと思われる人物も多く含まれている。

出典:尼崎事件 - Wikipedia

	
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Sharetube