ミャンマー、イスラム少数民族ロヒンギャへの虐待・暴力・差別・虐殺・難民。スー・チーはどうするのか

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暴行しているミャンマー側警官撮影による。
2015年時点での報道。非常に難しい。
民主化ミャンマーでのスー・チーの対応が問われてる(2015年には、ロヒンギャ難民問題では無能とも言われてる)。もともと仏教徒の多いミャンマー(ロヒンギャ以外、他のイスラム教徒もいる)では、少数派イスラム教徒ロヒンギャをもともと地域に住む国民と認めず、不法移民もしくは難民扱いにしている。抑圧はなぜ起こるのか。ロヒンギャ自体はもともとこの地域に住むものと主張する。ミャンマー軍事政権下では、過酷な強制労働をさせられたロヒンギャに人々は、スー・チーに変わった民主化ミャンマーの動きから権利を認めれると思ったが、2012年イスラム教徒による仏教徒女性殺害事件で、抗争・弾圧へと発展。ロヒンギャとみなす人々は、キャンプと言われる場、町の郊外に押し込められた。かつてあったモスクを壊され、教育・労働の自由も脅かされ、ミャンマー発行のパスポートも奪われる。ミャンマー仏教徒は、原因はロヒンギャにあり、村でおぞましい殺害を行ったと主張、彼等はミャンマー人ではなく、もともとはバングラデシュ人で、排斥されるべきとも言う(多数派仏教徒は、ロヒンギャは歴史的にイギリス植民地時代、仏教徒と対立するイギリス支持のバングラデシュ人としてミャンマーに大量の人々が流れつき、、亀裂のあるロヒンギャは排斥さえれるべきという見方が多い。さらにロヒンギャは民族として認めれることを主張している。スー・チ-もロヒンギャ問題には沈黙している)。

この対立にミャンマー政府は、ミャンマー仏教徒とイスラム教徒ロヒンギャの対立・抗争を防ぐための両者を隔離すること、その流れから、特に少数派ロヒンギャを、ある一定の地域に押し込む事で争いを避ける唯一の手段として、現在まで行っているという。

昨年末、バングラデシュにロヒンギャが、ミャンマー政府軍等による虐待・抑圧(虐殺を恐れ)から難民として当初2万人、そしてさらに5万人が移動・避難した事を受け、国連がスー・チー、ミャンマー政府側によるロヒンギャの虐待に関する調査を要請した。そして本年初頭のミャンマー警官によりロヒンギャに対する暴力映像は、その背景を物語っている。

国連はスーチンにロヒンギャ問題を視察するよう促し、昨年12月19日、スー・チ-は以下のような声明を出している。AFP記事・引用・・・

「東南アジア諸国連合(ASEAN)は19日、ミャンマーの最大都市ヤンゴンで非公式外相会議を開き、西部ラカイン州で治安部隊による人権侵害疑惑が取り沙汰されているイスラム系少数民族ロヒンギャの問題について協議した。外交筋によると、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相は「ミャンマーには時間が必要だ」と述べ、各国に理解を求めた。」

 外交筋によれば、スー・チー氏はロヒンギャ問題について「極めてデリケートな問題」と強調。問題の根源は宗教ではなく、土地の所有権に関するものだなどと状況を説明した。

 治安部隊による人権侵害疑惑にも言及。事実関係を調査中とする一方、ロヒンギャの村で発生した放火に関し、住民が自ら火を付けたケースと、軍が武装集団を追跡するために放火したケースの両方あると述べ、軍の関与を初めて認めたという。」


上記されているように、ミャンマー政府が初めて、ロヒンギャ弾圧・虐殺にミャンマー軍が関与している事を認めたが、氷山の一角の可能性が高い。このことは、バングラデシュに逃れるロヒンギャの難民側が幾度となく西側メディアへのミャンマー軍による虐待・抑圧証言として報道されているが、その一部が、スー・チー自信も認めざるを得なくなっている現状があることだ。ミャンマー内の多数派仏教は、ロヒンギャのみに対する内的憎悪がとてつもなく大きい。その後押しを得ているミャンマー軍をコントロールしてミャンマー政治を・民主的に機能・させていくことは、スー・チーの現在置かれた立場として極めて難しい判断と思う。他方、国際社会は、スー・チーにロヒンギャ問題解決を速やかに行ってほしいと要請・促すが、「ミャンマーには時間が必要だ」という返答は、現状では精一杯であり、それしかないのだろう。2015年には沈黙したスー・チー。もはや沈黙は赦されない状況となり、解決できるのは、おそらくスー・チーでしかなく、彼女の政治手腕にかかっている。

AFP

アンタラ通信

産経新聞から