女子高生コンクリート詰め殺人事件の全貌まとめ
閲覧注意史上最悪の殺人事件ともいわれる女子高生コンクリート詰め殺人事件(通称:コンクリート事件)の全貌をまとめています。
実話とは思えないくらいに、とても残酷性の高い事件です。
これを読まれると、気分を害してしまう可能性がありますので以下をお読みになる場合は充分にご注意ください。
昭和63年11月25日夜、埼玉県内で少年Aが帰宅中の女子生徒=当時(17)=を脅して連れ去り、少年B、C、Dと共謀して東京都足立区綾瀬の少年Cの部屋に40日間にわたって監禁した。少年らは女子高生に繰り返し乱暴したほか、64年1月4日、素手や鉄棒で殴る、ける、またオイルをかけて火をつけるなどの暴行を加え、外傷性ショックで死亡させた。翌5日、遺体をコンクリート詰めにして若洲に捨てた。
出典:産経ニュース
この事件は、加害者が全て少年(未成年者)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。
コンクリート事件の概要
本事件の刑事裁判で犯行への関与が認定されたのはいずれも犯行当時少年のA(犯行当時18歳)、B(犯行当時17歳)、C(犯行当時15 - 16歳)、D(犯行当時16 - 17歳)の4名である。以下、判決が認定してきた事実に基づき記載する。
事件の背景2階の部屋は鍵が掛かっており、不良少年らは近くの電柱を登って出入りしていたという。それを見かねた電力会社は登はん用のフックを外すほどであった。
拉致・監禁と強姦・暴行
1988年11月25日夕方、AはCとともに通行人からのひったくりか、若い女性を狙って強姦しようとして、それぞれ原付バイクに乗って埼玉県三郷市内を徘徊していた。その中で自転車でアルバイト先から帰宅途中の女子高生を見つけ、CはAから「あの女を蹴飛ばしてこい」と指示を受けたため、女子高生もろとも自転車を蹴倒して側溝に転倒させた。Cがその場を離れた後、Aは何食わぬ顔で少女に近づいて言葉巧みに「今、蹴飛ばしたの(C)は気違いだ。俺もさっきナイフで脅かされた。危ないから送ってやる」などと申し向けて少女を信用させて近くの倉庫内へ連れ込み、一転して「自分はさっきのやつの仲間で、お前を狙っているヤクザだ。俺は幹部だから俺の言うことを聞けば命だけは助けてやる。セックスをさせろ」「声を上げたら殺すぞ」などと少女を脅迫して関係を迫り、同日午後9時50分ころ、タクシーで少女をホテルへ連れ込み強姦した。Aは同日午後11時頃、ホテルからかねて自分たちのたまり場になっていたCの家へ電話し、Bに「狙っていた女を捕まえてセックスした」などと話したが、BがAに対し「女を帰さないでください」などと言ったことからBと待ち合わせることとした。AはBやC(Aとはぐれて帰宅していた)、BのところにいたDの3人が、連れ立って約束の待合わせ場所へ赴き、少女を連れたA、B両名と合流した。AはBらに対し「(少女を)ヤクザの話で脅かしているから、話を合わせろ」などと言い含め、4人は少女を連れて翌26日午前零時半頃公園に移動した。そこでAはジュースを買いに行くという名目で、C、D及び少女のいる所からやや離れた自動販売機の置かれた場所付近にBと共に行き、Bに「あの女どうする」と尋ねると「さらっちゃいましょうよ」などと返されたことから少女を猥褻目的で略取、監禁することとした。
4人は少女を拉致しつつ、その公園からCの自宅近くの別の公園に移動する間、CはA、B両名らの意を受けて少女を自室に監禁することを了承、Dもそれまでの成り行きからAらの意図を了解し、4人は少女を猥褻目的で略取、監禁することについて共謀した。Aが少女に対し「お前はヤクザに狙われている。仲間がお前の家の前をうろうろしているから匿ってやる」などと嘘を申し向けて脅迫し、4人で少女をCの自宅の2回の部屋(6畳)へ拉致し、同日からこの日から少女を殺害するまでの間監禁した。
少女をCの自室に連れ込んだ後、4人は少女を交替で監視することとしたが、同月28日頃の深夜、4人に加えて不良仲間の2人の少年(E、F)がCの居室にたむろしていた。その際、Aは仲間たちに少女を輪姦させようと企て、Bら3人や、E、Fらと共に代わる代わる覚醒剤を飲んで半狂乱になったように装って少女に襲いかかり、必死に抵抗する少女の口や手足を押さえ付けて馬乗りになるなどの暴行を加え、少女の着衣をはぎ取り、AがBら3人やE、Fにも裸になれと命じ、これを受けてA、B両名以外の4人は着衣を脱ぎ捨て、E、F、Dの順に少女を強姦した。その際、Aは剃刀を持ち出して少女の陰毛を剃り、更にその陰部にマッチの軸木を挿入して火をつけるなどの凌辱に及び、少女が熱がるのを見て仲間らで面白がるなどした。
同年12月上旬頃、少女が逃走しようとした上に警察への通報を図ったことに腹を立て、A、B、Cの3人が少女の顔面を拳で多数回にわたって殴り、Aが少女の足首にライターの火を押し付けて火傷を負わせるなどした。Aらはその後も、時に別の不良仲間を加えるなどして、少女を全裸にしてディスコの曲に合わせて裸踊りさせたり、自慰行為を強要したり、少女の顔にマジックペンで髭を描いて興じたり、少女の陰部に鉄筋を挿入して何回も出し入れしたり、肛門にガラス瓶を挿入するなどの異物挿入をしたり、少女にシンナーを吸引させてウイスキー、焼酎などの酒を一気飲みするよう強要し、寒気の厳しい夜中、少女を半裸でベランダに出して牛乳や水などを多量に飲ませ、たばこを2本一度にくわえさせて吸わせるなど度重なる暴行、凌辱を繰り返した。同月中旬から下旬頃、Aが少女が失禁した尿を踏んだということを口実に、BやCが少女の顔などを拳で何度も殴りつけ、少女の顔面が腫れ上がり変形したのを見て「でけえ顔になった」などと言って笑った。その暴行の場にはAはいなかったが、翌日Cが「あんまり面白いからAにも見てもらおう」などと言い、自慢気にAにEの顔を見せた。Aはその変わりように驚いたものの、これに触発されたように自らも少女を多数回殴打し、少女の太もも、手などに揮発性の油を注ぎライターで点火し、火が消えると更に同じような行為を繰り返して火傷を負わせた。この頃、少女は度重なる暴行に耐えかねて「もう殺して」などと哀願することもあった。Aらは同月中旬頃から、主にCの兄Gに少女の監視役をさせるようになったが、その頃から少女は少量の食物しか与えられず、年末頃には牛乳をわずかに与えられる程度になり、栄養失調とAらの度重なる暴行により心身ともに極度の衰弱状態に陥り、食欲は減退して顔面は腫れ上がり、手足などの火傷は膿みただれて異臭を放つなどし、階下のトイレへ行くことも困難で、終日監禁場所であるCの部屋で横たわっていた
少女の叫びが外に届かなかった理由
〈「ライターや刃物を使って脅され、わかっているだけでも7人の少年がそれぞれ暴行していたといいます。反抗したりすると、キックボクシング用のスタンドに縛りつけ、サンドバッグ代わりに殴る、蹴る。その際、ステレオのボリュームを目いっぱい上げていたため、J子さんの悲鳴は外にはもれなかったようです」(社会部記者)〉
出典:アサ芸プラス
殺害・死体遺棄
1989年(昭和64年)1月4日、Aは前日夜から早朝にかけて行った賭け麻雀に大敗した後、Dの家に赴いたところ、B、C両名らがDと共に居合わせていた。4人はそこでファミリーコンピュータなどで遊んだが、麻雀に負けた鬱憤を少女へのいじめによって晴らそうと考えたAは「久し振りに、少女をいじめに行くか」などと言い出し、まずCとDを先にC宅へ行かせ、若干遅れてBと共に自らもC宅へ赴いた。このように4人は相前後して監禁場所のC宅に集まったが、少女はAらの暴行などにより、前述のように顔が変形するほどに腫れ上がり、手足などの一部は焼け爛れて化膿し、栄養失調に陥り、極度の衰弱状態で横たわっていた。A、B、Cの3人は午前8時頃からCの部屋において、少女にBの羊羹を与えて「これは何だ」と問い、少女が「B羊羹」と答えると「なんでBを呼び捨てにするんだ」などと因縁をつけて再び同様の質問をし、「B羊羮さん」と答えると「なんで羊羮にさんをつけるんだ」などと詰め寄って少女へのリンチを開始した。3人で少女の顔などを多数回拳で殴り、背を足で蹴るなどの暴行を加え、AとBが蝋燭(Aがいじめの小道具に買い求めていた)に点火して少女の顔面に溶けた蝋を垂らして顔一面を蝋で覆い尽くし、両瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てるなどして面白がったが、これに対して少女はほとんど反応を示さず、されるがままになっていた。その暴行が始まった直後、DはGと共に隣室にいたが、この頃Aの指示を受けたCに呼ばれて、部屋へ入りAら3人と合流した。Aは、衰弱して自力で階下のトイレへ行くこともできない少女が飲料パックに排泄した尿についてわざと「やばいよ、そんなものを飲んじゃあ」などと言い、BやCらに対し、暗に少女にその尿を飲ませるよう示唆した。これを受けてBやCらは、少女に「(尿を)飲め」と強く言い、パック内の尿をストローで飲ませた。次いでBとCが少女の顔面を回し蹴りし、少女が倒れると無理やり引き起こして、さらに蹴りつけるなどしたところ、少女は何ら身を守ろうとせず、不意に転倒して室内のステレオにぶつかり痙攣を起こすなどした。Aらは遅くともこの頃までには、このまま暴行を加え続ければ少女が死亡するかも知れないことを認識したが、その後もその危険を認識しながら、BとCが転倒した少女に殴る蹴るなどの暴行を加えたのを始めとして、更に少女に対して後述のような激しい暴行を加え続け、そのために少女は鼻血を出し、崩れた火傷の傷から血膿が出て血が室内に飛び散るなど凄惨な状況となった。
Dは、素手では血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、ガムテープでこれを留めた上、拳で少女の腹部や肩などを力任せに数十回殴りつけ、Aらもこれに倣って拳をビニール袋で包み、次々に少女の顔、腹部、太ももなどを拳で殴りつけて足蹴りするなどし、更に、Aが鉄球を含む総重量約1.74kgのキックボクシング練習器の鉄製脚部を持ち出し、その鉄球部分でゴルフスイングの要領で少女の太もも等を力任せに多数回にわたり殴りつけ、Bらもこれに倣って代わる代わる少女の太ももなどをその鉄球で数十回殴打し、Dは肩の高さから鉄球を少女の腹部めがけて2、3回落下させた。Aは繰り返し揮発性油を少女の太ももなどに注ぎ、ライターで火を点けるなどしたが、少女は最初は手で火を消そうとする仕草をしたものの、やがてほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横たわったままになった。
これらの一連の暴行を当日の午前8時頃から10時頃まで、約2時間にわたって休みなく続けた結果、少女は重篤な傷害により、同日午後10時ころまでの間に死亡した。
A、B、Cは翌5日、自分たちが出入りしていた暴力団関係者の経営する花屋にいた際、Gから「少女の様子がおかしい」と電話で連絡を受けてCの居室へ赴き、少女が死亡したことを知ったが、犯行の発覚を恐れて同日午後6時頃、Gと共謀して、少女の遺体を遺棄しようと企てた。遺体を毛布で包み、大型の旅行かばんに入れてガムテープを巻きつけ、Aがかつての仕事先からトラックを借り出したり、セメントを貰い受けて近くの建材店から砂やブロックを盗み出し、トラックで遺体と、付近で取ってきたごみ入れ用のドラム缶をC宅前に運び、そこでコンクリートを練り上げて遺体の入ったかばんをドラム缶に入れ、コンクリートをドラム缶に流し込み、更にブロックや煉瓦を入れて固定し、ドラム缶に黒色ビニール製ごみ袋を被せてガムテープで密閉した。その後A、B、Cの3人が同日午後8時頃、トラックでドラム缶を運び、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。
女子高生を監禁していた家の両親は、女子高生の存在を認知しており、一度1階で一緒に食事を摂ったりした。その折、女子高生に「早く帰りなさい」と促し、一時は家を出たのだが、加害者の少年の一人が連れ戻したので、結局監禁は続いて行われた。
同年(平成元年)3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の加害者の供述により被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。
少女が受けた拷問
この事件は、当時17歳の八潮南高校の女子高生が数十日間にわたって監禁し、集団強姦を行う、サンドバッグ代わりにし殴る蹴るなどの激しい暴行を加える、鉄アレイで体中の骨を叩き折る、油をかけてライターで着火し大火傷を負わせるなどの行為を執拗に繰り返した末に殺害しコンクリート詰めにして捨てるという、下記のような極めて悪質かつ残虐なものであった。◆アルバイト帰りの女子高生を誘拐し、脅迫した上で不良仲間の家に連れ込む。
◆不良仲間の家に監禁し、暴走族仲間十数人で輪姦、左記を知る関係者は100人に及ぶ。
◆陰毛を剃り、陰部にロケット花火の軸木を挿入して発射させる。
◆全裸にしてディスコの曲に合わせて踊らせ、自慰行為を強要される。
◆ゴキブリを食べさせられる。
◆性器や肛門に鉄棒、ビンなどを挿入される。
◆性器や肛門に入れたビンに釘を打ち肛門内、性器内で割られた。
◆両鼓膜が激しく傷ついており、最後のほうはほとんど音が聞こえていなかった。
◆小指の生爪を剥がされた。
◆度重なる暴行に耐えかねて、「もう殺して」と哀願することもあった。
◆左乳首はペンチのようなもので潰された。
◆顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てられた。
◆衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲まされた。
◆鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、室内に飛び散るなど凄惨な状況となった。
◆素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打。
◆1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打。
◆揮発性の高いジッポオイルなどを太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける。
◆固まった血で鼻が詰まり、口呼吸しかできなかった。
◆最初は手で火を消そうとするしぐさをしたものの、 やがてほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横臥したままになった。
◆あまりの地獄に、脳が自ら活動を停止する「自死」という状態だった。
◆臨死状態の被害者をこんなの仮病とばかりに容赦ない殴打を浴びせた挙句に、ダンベルを1メートル以上の高さから腹部に向けて落とす。
◆再現動画や映画と違って逮捕された四人以外からも殴打を受けており、死後も殴られている。
◆実際に被害者が亡くなったとわかったのは上記の後であり、証拠隠滅としてコンクリート詰めにして放置。
◆遺体の乳房には数本の裁縫針が入っていた。
◆監禁中の被害者の様子が撮影された家庭用ビデオテープが被害者がコンクリート詰めにされたドラム缶の中から発見された。
◆監禁された部屋に被害者の遺品となった下着が残っていた。
◆腸壁にも傷があった。
◆受精していた。
◆歯茎にまともに付いている歯は一本もなかった。
◆あまりのストレスに生前頭髪が抜け落ちていた。
◆遺体の性器には、オロナミンCの瓶が2本突き刺さっていた。
◆性器と肛門、顔面は完全に破壊され原型をとどめていなかった。
◆腕や足は、重度の火傷で体液が漏れ出していた。
◆解剖してみると、脳が萎縮して小さくなっていた。
ちなみに本人が被害に遭っていなければ1月18日に18歳の誕生日を迎える事になっていた。
裁判と、少年たちのその後
加害者4名が刑事処分相当として東京家庭裁判所から検察庁へ送致(逆送)され、刑事裁判にかけられた。1990年(平成2年)7月20日に開かれた東京地裁刑事四部の判決は、主犯格のAは懲役17年(求刑無期懲役)とした。他の少年3人には準主犯格と見られるBに懲役5年以上10年以下(求刑懲役13年)、監禁場所に自室を提供したCに懲役4年以上6年以下(求刑懲役5年以上10年以下)、最も関与が薄いと見られたDに懲役3年以上4年以下(求刑懲役5年以上10年以下)の不定期刑を言い渡した。
本件では殺意の有無について争われたが松本光雄裁判長は判決で「未必の故意」を認めて殺意を認定した。一方で検察側の求刑より軽い理由として少年らが家庭内暴力を受けていたこと、犯行が計画的でなかったこと、Aの両親が遺族に5000万円を支払っていること、少年らが裁判中に人間性に目覚めていることなど情状酌量の事情を取り入れた。なお、D以外は殺人の他に婦女暴行、窃盗、傷害なども有罪と認定された。検察側はA、B、C、Dに関する量刑不当を、Bの弁護人は量刑不当を、Cの弁護人は同少年の殺意の有無に関する事実誤認及び量刑不当を主張し、それぞれ控訴した。
1991年(平成3年)7月12日、東京高等裁判所(柳瀬隆次裁判長)は、少年A、C、Dに関する検察側の主張を認め一審判決を破棄、主犯格の少年Aに懲役20年、少年Cに懲役5年以上9年以下、少年Dに懲役5年以上7年以下をそれぞれ言い渡した。一方で少年Bに関しては懲役5年以上10年以下とした一審判決を支持、双方の控訴を棄却した。その他3人の少年が少年院に送致された。
少年たちのその後少年Dは少年院を退院後、自宅に引きこもるようになったという。また少年Bは、仮出所後、保護観察関係者の女性と養子縁組を結び姓を変えていたが、2004年(平成16年)5月19日に再び同じ足立区や三郷市で男性に言いがかりをつけ監禁致傷事件を起こし、しかも当事件を脅し文句に使うなど更生した様子を見せず、6月4日に逮捕され、懲役4年が確定した。当時服役中だった少年Aは模範囚だったことから仮釈放の予定だったが、この事件の影響で取消になったという。主犯格少年A以外の少年たちは、出所あるいは退院後、それぞれマスコミのインタビューを受けている。
2013年(平成25年)1月に、元少年Aは振り込め詐欺で逮捕された。Aは池袋の銀行で金をおろす「受け子(出し子)」をしていたが、完全黙秘を貫いたため、詐欺グループの解明が出来ないまま、1月31日に不起訴で釈放された。その後のAの足取りは不明だという。
事件は映像化されている
・無名時代の北川悠仁が加害者役に!まだ事件の余韻が残る1995年、以前このコラムでも紹介した少年大殺戮映画『オールナイトロング』の松村克弥監督(※「過激シーン10分は削れ」映倫の要請を断固拒否! 伝説の大殺戮映画!!)が、90年代に全国でフランチャイズ展開をしていた「ビデオ安売王」に、廉価版ビデオ作品として『女子高生コンクリート詰め殺人事件 壊れたセブンティーンたち』を発表する。
販売元の日本ビデオ販売会の会長・佐藤太治が事件に憤慨していたと言われ、加害者少年のひとりを無名時代の北川悠仁(ゆず)が演じていたのには驚かされる。また、その母親役が退廃的なエロスを表現したら右に出る者のいない芹明香(せり・めいか。日活ロマンポルノ女優だが、一般作品でも強烈な個性を発揮した伝説的女優)というのに対し、「松村さん、すごい親子を組んだね」と手放しで感心していた。しかし、事件を忠実に描いたために遺族が難色を示し、ビデオは各店舗から回収されてしまった。作品は現在も封印状態となっている。
・最近DVD化された作品
その後1997年、日活ロマンポルノ出身のAV監督・川崎軍二による『少年の犯罪 普通の家庭の普通の少年が起こした凶悪な犯罪録』(普通の少年って!)がVシネマ(R-18指定)で制作された。これはあまり話題にならなかったことが幸いしてか、最近になってDVD化している。
・高岡蒼佑と三船美佳の共演
そして2004年、少年犯罪の低年齢化が衰えない現状の中、『コンクリート』(監督・中村拓、現・中村拓武)が劇場公開作品として制作される。民家に監禁した女子高生を殺害してコンクリート詰めにするところは概ね再現されているが、松村監督作品とは異なりストーリーに脚色が入る。主犯格の少年には同棲相手がいて、結婚を催促される。不良少年らを束ねて暴力団の下部組織「龍神会」と結成するという件だ。
出典:エキサイトニュース
こちらは古い作品です。
こちらは新しい作品です。
この事件を知ると、少年法とは何かを考えてしまいます。
少年法が存在する意味
2つの理念をもって少年法は定められています。1つは、「生みの親が、親として果たすべきことを果たさない場合に、国家は、その親に代わって子供に対してなすべきことを行う。」という英米法を起源とする福祉的な理念です。
もう1つは、生育途上にある少年は可塑性、つまり変化する可能性があるため、その非行に対しては成人と同様に刑罰を加えるよりも、教育的方法によって処遇することが安心して暮らせる社会に繋がるという刑事政策的な理念です。
難しく感じるかもしれませんが、つまり、これからまだ変わることができる可能性がある少年には、罰を与えるよりも教育をすることによって更生してもらおうということです。
選挙権が18歳になった今、少年法は改正しなくてよいのでしょうか?
選挙権が「18歳以上」とする公職選挙法改正に伴い、少年法の適応年齢も取り沙汰されているが、明確な方針が示されるのはまだ先になりそうだ。少年たちは40代になったが、女子生徒は17歳のまま眠っている。長い時間がたったが、現場の空気といくつもの課題は26年前から変わらない。
出典:産経ニュース
ちなみに、元文春編集長である花田紀凱氏は「野獣に人権はない」と言って、加害者の少年たちの実名を出して報道したようです。
花田紀凱(以下、花)「僕が『週刊文春』編集長の時に、東京の足立区で『女子高生コンクリート詰め殺人事件』があったの(1989年)。高校生たちがね、女子高生を監禁した後、殺害したという。その時に、殺された少女の写真は報道で出るわけ。でも、加害者の少年たちは少年法で守られて、なんにも出ないっていうので、僕は“おかしいじゃないか”って思って『週刊文春』で実名を出したの。その時ある新聞社にインタビューされて“野獣に人権はない”って言って問題になったんですけどね。要するに“一方的に被害者だけ晒されるのはおかしい”ということでやりました」
出典:ニコニコニュース
加害者が守られて、被害者が守られない現実は残酷ですね。
Twitter(一般の方)の声