歴史上悲惨だった事故まとめ

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日航機墜落事故

日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日18時56分に、日本航空(JAL、正式名はJAPAN AIRLINES)123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した事故である。

飛行中の旅客機の尾翼が落ち、油圧系統が全滅して墜落した事故

時速500kmで墜落したために犠牲者の多くが原型を留めないという

出典:日本航空123便墜落事故 - Wikipedia

	

日航機墜落事故

時速500kmで墜落したために犠牲者の多くが原型を留めないという

全日空機雫石衝突事故

全日空機雫石衝突事故(ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ)は、1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。

岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985年8月12日に「日航ジャンボ機墜落事故」が発生するまで、最大の犠牲者数を出した国内の航空事故であった。

出典:全日空機雫石衝突事故 - Wikipedia

ばらばらになった死体が山に降り注ぎ 

周辺住民まで狩り出されて死体集め

小学校にそのばらばらの肉塊をを集めるとか

いろいろ大変だったお気に入り詳細を見る

ボーイング727-281型の同型機

乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲

ウルグアイ空軍機571便遭難事故

ウルグアイ空軍機571便遭難事故(ウルグアイくうぐんき571びんそうなんじこ、英語: Uruguayan Air Force Flight 571)とは、1972年10月13日に飛び立ったウルグアイ空軍571便がアンデス山脈に墜落した航空事故である。乗員乗客45名中29名が死亡した。

出典:ウルグアイ空軍機571便遭難事故 - Google 検索

(人肉食について)以下wikiより抜粋

――配給管理された食糧が尽き、自然植生植物も動物も雪で覆われている山には存在しなかった。

機体内で議論が行われ、ロベルト・カネッサは仲間の遺体を人肉食して生存を続けることを主張した。

何人もの生存者が食べることを拒否したが、ロベルト・カネッサが主導権を握った。

この決定は人肉食する相手のほとんどが彼らの親友・級友であったので軽い決定ではなかった。

事故を起こしたウルグアイ空軍のフェアチャイルドFH-227D(1972年夏撮影)

乗員乗客45名中29名が死亡

オーストリアケーブルカー火災事故

オーストリアケーブルカー火災事故(オーストリアケーブルカーかさいじこ)は2000年11月11日、オーストリアのカプルン(英語版)にあるケーブルカー「Gletscherbahn 2」のトンネル内でおきた列車火災事故である。

この災害により日本人10人含む155人が死亡、12人が生還した。キッツシュタインホルン(英語版)のスキー場に行く途中の事故であった。

出典:オーストリアケーブルカー火災事故 - Wikipedia

	

オーストリアケーブルカー火災事故

日本人10人含む155人が死亡、12人が生還

飛騨川バス転落事故

飛騨川バス転落事故(ひだがわバスてんらくじこ)とは1968年(昭和43年)8月18日、岐阜県加茂郡白川町の国道41号において、乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち、岡崎観光自動車所有の2台のバスが、集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて増水していた飛騨川に転落し、乗員・乗客107名のうち104名が死亡した事故である。日本のバス事故史上における最悪の事故となった。

出典:

	

飛騨川バス転落事故

乗員・乗客107名のうち104名が死亡

八高線衝突事故

今(2005年)からちょうど60年前の終戦の年(昭和20年)8月24日朝7時40分に単線である八高線の多摩川鉄橋上で上りと下りの列車が正面衝突しました。

 終戦が8月15日ですからそれからわずか9日しかたっていない時のことで戦後まもなくのため、米軍機による空襲だと思ってしまった人もいるほどでした。

 列車には疎開先から帰る人や、復員軍人の方々が多く乗車していました。戦争を生き延びた方々が戦後すぐの事故で亡くなるとはさぞかし無念だったと思います。

出典:八高線多摩川鉄橋衝突事故(1945年8月24日)について

	

八高線衝突事故

八高線の多摩川鉄橋上で上りと下りの列車が正面衝突

ボストン糖蜜災害

ボストン糖蜜災害(ボストンとうみつさいがい、Boston molasses disaster、またの名を糖蜜大洪水、Great Molasses Flood)は、マサチューセッツ州ボストンの港湾部ノースエンドで1919年1月15日に発生した事故である。ピュリティー蒸留会社の敷地にあった糖蜜を詰めた巨大な貯槽が破裂し、糖蜜の波が推定時速60キロメートルで街路を襲い、21名が死亡、150名以上が負傷した。この事故は現地の伝説となり、ボストンの住民は今でも糖蜜の匂いがすると主張している。

出典:ボストン糖蜜災害 - Wikipedia

	

ボストン糖蜜災害

21名が死亡、150名以上が負傷

リヴィウ航空ショー墜落事故

リヴィウ航空ショー墜落事故とは、2002年7月27日、ウクライナのリヴィウにあるスクヌィーリウ空軍基地(リヴィウ国際空港)で行われていたウクライナ空軍の航空ショーで発生した墜落事故である。死者85人、負傷者100名以上を記録し、航空ショーによる事故としては1988年にドイツのラムシュタイン基地で発生したフレッチェ・トリコローリの空中衝突事故(死者75名)を上回る世界最悪の大惨事となった。

出典:リヴィウ航空ショー墜落事故 - Wikipedia

	
	

広島新交通システム橋桁落下事故

広島新交通システム橋桁落下事故(ひろしましんこうつうシステムはしげたらっかじこ)とは、当時建設中であった広島高速交通広島新交通1号線(愛称アストラムライン)の工事現場で、橋桁が落下し、一般人と作業員23人が死傷した事故である。

出典:

	

水飴のタンクに落ちて窒息死と溺死

2011.1.16 10:45 

15日午後11時35分ごろ、愛知県美浜町河和、加藤化学本社工場の水あめを製造するタンク内で、同社作業員の山本茂男さん(37)=同県武豊町=がうつぶせで倒れているのを同僚が発見、119番で駆け付けた救急隊が死亡を確認した。


半田署は山本さんがタンク内に誤って転落したとみて、詳しい死因を調べている。


同署によると、タンクは直径2・6メートル、高さ約9メートル、転落防止用の器具は付いていなかった。山本さんはタンク上部からあめの材料を入れる作業を1人でしていた。午後11時の勤務終了時間になっても事務所に戻らす、同僚が捜していた。

出典:

	

東海村JCO臨界事故

東海村JCO臨界事故(とうかいむらジェー・シー・オーりんかいじこ)は、1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)である。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した。

放射性物質の取り扱いを誤り、作業員が被爆

生きたまま細胞が破壊されていくという想像できない死に方をした。

出典:東海村JCO臨界事故 - Wikipedia

	

東海村JCO臨界事故

日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出した

関連書籍

新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便