看護婦八人を殺害した「リチャード・スペック」とは
リチャード・スペック
アメリカ各地で強盗、殺人、レイプなどの犯罪を重ねた連続殺人犯。最悪の家庭環境に育ち、負傷による脳障害を持ち、アルコール・麻薬依存症にもかかっていた。
1966年7月13日、イリノイ州シカゴで看護婦寮に侵入、強盗を働いた上に女性八人を殺害。
生存者の証言により逮捕、400年から1200年の禁固刑という判決を受けた。
1991年に刑務所内で死亡。
スペックは1941年12月6日、真珠湾攻撃によって第二次世界大戦が勃発するその前日に産声をあげた。その誕生が象徴するように、彼はまるで、「不吉」を体現するかのような存在に育った。中流家庭で両親の溺愛を受けて育った少年は、まるで不運を背負っているかのように次々と重大な事故にあった(「脳障害」参照)。大量・連続殺人犯の多くが頭部に重篤な怪我を負っていることは有名な話だが、スペックはその中でも特にひどい一例であったと言える。彼は15歳になるまでに少なくとも4回、脳に障害を残したであろう事故を経験した。
スペックが6歳になったとき、父が亡くなった。母は再婚したが、この大酒飲みの義父はとうていスペックの気に入らないものだった。それまでも決して素行良好とは言いがたかったこの少年は、義父と母への反抗から、さらに歪んだ方向へ向かっていくことになる。
彼は知能が高いほうではなかった。字は漫画が読める程度で、教科書の半分以上は理解不能だったらしい。溺愛されて育ったせいか自律心がうすく、うわのそらで、つねに憤怒にかられているかのごとく不機嫌だった(憤怒の発作は、脳障害から来るものだったと推定される)。
さらに彼は12歳ごろから酒の味を覚えた。15歳になったときにはもう立派な飲んだくれであった。彼は浴びるように飲み、酒場で喧嘩をしてまた頭部を負傷し、あるときには警官に警棒でこめかみを強打されて昏倒した。スペックは激しい頭痛にさいなまれるようになり、痛みから逃れるため、ますます酒にのめりこんだ。彼は16歳で学校を退学した。
学校をはなれた彼は着実に前科をふやした。家宅侵入し、ナイフをちらつかせ、野良猫の皮をたわむれにナイフで剥いだ。アミタールを飲んで喧嘩し、卑猥な言葉を吐き散らし、母親を殴り倒した。
どうやらこの頃からスペックに女性憎悪の影が見えはじめる。おそらくは父を忘れてすぐに再婚した母への怒りが根なのだろうか? 彼は顔見知りの女をドライブに連れ出して、右も左もわからない場所でわざと女を置き去りにして帰り、
「女なんてものは泣きをみて当然。あいつらは隙を見せるとすぐ男をだましやがる。連中はこずるい売女ばかりだ」
とうそぶいた。
スペックは体に刺青をいれ、職を転々とし、泥酔して喧嘩し、窃盗をはたらき、21歳までに警察の厄介になった回数は36回を数えた。
それでも彼が真人間になろうと誓ったときもあったのだ。それはシャーリイという15歳の少女に出会った瞬間だった。ふたりは結婚し、娘をもうけた。しかしスペックの素行はやはり改まらず、彼は酒を飲み、一定の職につかず、妻が不倫していると思い込んだ。彼は女が不貞をはたらかないことなど有り得ないと思っていたふしがある。そうして妄想を抱いては、さらに女性不信をつのらせるのだ。悪循環であった。
4年後、妻は彼のもとを去った。
この時期、スペックが感じていたのは「社会からの疎外感」である。アンルーは社会に対する妄想的憎悪を抱いたが、スペックの場合はそこにさらに残酷な要素がからんだ。ただしサディズムではない。スペックは犠牲者たちを責めさいなむことではなく、恐怖で支配することに喜悦を感じた。
1966年7月12日、スペックはシカゴの看護学生寮に忍びこんだ。そこには看護婦の卵たちが9人寝起きしていた。
スペックはキッチンを抜け、階段をあがり、閉まったドアを発見してノックした。細くドアがひらいたのを見て、彼は中に押し入った。
看護学生たちは、アルコールの匂いをぷんぷんさせながら銃を持って入ってきた男を見た。彼は銃口を彼女たちに向けた。女たちの表情が恐怖にひきつるのを見て彼は満足し、その9つの顔の中に、ブルネットの美しい顔を認めた瞬間、彼は得心したような笑顔を浮かべた。だがなぜそのとき笑ったのかは、彼自身にもまだわかってはいなかった。
スペックは彼女たちを縛りあげた。看護学生たちは蛇に睨まれた蛙そのままに、身動きすらできなかった。だがこの時点では彼女らは、男は金を奪ったらすぐ出ていくのだろうと思っていた。
彼はゆっくりと煙草を吸い、彼女らの目の前でナイフをもてあそび、彼女らの脂汗にまみれた恐怖を愉しんだ。そして1人の足首の縛めを解くと、部屋の外へ連れ出した。ややあって「うう」という呻き声がし、バスルームから水の流れる音がした。
部屋に戻ってきたのは男だけだった。男はまた1人連れ出し、呻き声と、水の流れる音。また戻ってくる。1人連れ出される。呻き声。水音。
まだ縛られたままの6人の娘たちは、部屋の向こうで何が起こっているのかを理解した。彼女たちは身をくねらせ、ベッドの下へ隠れようともがいた。だがその前に男が戻ってきた。
さらに4人が連れ出され、水音が聞こえた。アムラオというフィリピン留学生がその間にベッドの下にもぐりこむことに成功した。スペックはそれに気づかず、目の前にいる最後の犠牲者――ブルネットの美人をつかまえた。
その美人――グロリア・デイヴィーは他の犠牲者たちとは唯一違った死をむかえた。彼女はベッドに押し倒され、ジーンズを脱がされた。スペックがその上にのしかかり、ベッドの下に隠れたアムラオは否が応にもそのベッドのスプリングがきしむ音を聞かなければならなかった。
その後、静寂がやってきた。人の気配がなくなった。そかしそれでもアムラオはベッドの下から出ようとはしなかった。
どれほどの時がたったのか、目覚まし時計が鳴るのが聞こえた。午前5時にセットしたアラームだ。その音を聞いてしばらくしてから、アムラオは床から這い出た。
ベッドの上には全裸のグロリアがいた。彼女は凌辱された上、肛門姦されて絞殺されていた。ほかの7人は、ナイフで滅多突きにされたあとで絞殺され、あちこちに死体を転がしてあった。
アムラオは窓をあけ、声を限りに助けを呼んだ。そして思い出した。犯人の左腕に刺青があったこと。その文句は「Born to raise hell――御意見無用――」。
犠牲者たちの縛めが「水夫結び」であったことから、このとき船員をしていたスペックの名は捜査線上にすぐ浮上した。16日、スペックはラジオで「大量殺人の容疑者」として自分の名が発表されたのを聞き、ホテルで手首を切って自殺をはかったが、収容先で逮捕された。決め手はアムラオの証言と、左腕の刺青だった。
逮捕・裁判
彼は逮捕後、生まれてはじめて精神科医にかかり、その歪んだ精神の鑑定を受けた。数々の事故による脳損傷。弱視だが眼鏡を拒んだため目に負担がかかり頭痛が悪化したこと。酒とドラッグによる脳の二次損傷。ときおり意識をなくし、記憶がなくなるというブラックアウト現象。際限なく甘やかされた幼少時代。また、母親に対するアンビバレンツ(彼は母親をとても愛していた。かつての妻に「おかあさんより私を多く愛して」と請われ、「無理だ」と一言で終わらせている)から生じた、女性憎悪。ことに、IQ検査の結果はスペックを打ちのめしたようだ。彼は「10歳の児童並みの知能」と弁護団に発表され、
「バカだってことは知ってたし、別にそれでもいいんだけどよ、……さすがに10歳のガキ程度ってのはつらいな」
と苦笑したという。
さらに彼は、唯一凌辱して殺したグロリアの写真を手渡され、はっとして顔をそむけた。他の被害者たちの写真に対しては見られなかった反応だった。精神科医は静かに言った。
「わかるかい。彼女はきみの前の奥さんに、とても似ている」。
精神科医の仮説によると、スペックはあの夜、当初はただの押し込み強盗でしかなかった。それがあれほど無残な結果になったのは元妻に生きうつしのグロリアの顔を見たからだ。元妻に対するたぎりたつ憎悪が彼の少ない自制心を吹っ飛ばしたのだ、そう彼はスペックに説明し、
「わたしの話に、思いあたるふしはあるかね?」と訊いた。
「いいや」
スペックは首をふった。彼には自分の行動を理解する洞察力はなかったし、動機を覚えていることすらできなかった。だがそれでも、グロリアの写真を持った彼の手は大きく震えていた。
リチャード・スペックの最後
有罪となったスペックは死刑を宣告されたが、直後に最高裁により死刑の執行が停止されたために1件につき50年から150年の禁固刑×8=400年から1200年の禁固刑という米国史上最長の刑期に変更されて、1991年12月5日、心臓発作により死亡した。
マリリン・マンソンの元メンバー「ザ・ザ・スペック」の名前の由来
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