<閲覧注意>史上最も残虐非道な女性ランキング
残虐非道な女性ランキング
【10位】メアリー1世 (イングランド女王)
メアリー1世 (イングランド女王)
出典:メアリー1世 (イングランド女王) - Wikipedia
メアリー1世(Mary I, Mary Tudor, 1516年2月18日 - 1558年11月17日)は、イングランドとアイルランドの女王(在位:1553年7月19日 - 1558年11月17日)。ヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴン(カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の娘)との娘として、グリニッジ宮殿で生まれた。後述するようにイングランド国教会に連なるプロテスタントに対する過酷な迫害から、ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれた。
熱心なカトリック信者であるメアリー1世は、父ヘンリー8世以来の宗教改革を覆し、イングランドはローマ教皇を中心とするカトリックに復帰した[2]。メアリーはプロテスタントを迫害し、女性や子供を含む約300人を処刑したため、「ブラッディ・メアリー」と呼ばれた。処刑された者の中には、トマス・クランマー、ヒュー・ラティマー、ニコラス・リドリーらがいる。
【9位】マイラ・ヒンドレー
マイラ・ヒンドレー
出典:イアン・ブレイディ&マイラ・ヒンドレー ( 事件 ) - 殺人鬼資料館 - Yahoo!ブログ
1963年から65年にかけて、少なくとも5人の少年少女をレイプや拷問の末に殺害した通称「ムーア殺人事件」の犯人。
【8位】イサベル1世 (カスティーリャ女王)
イサベル1世 (カスティーリャ女王)
出典:イサベル1世 (カスティーリャ女王) - Wikipedia
イサベル1世(Isabel I de Castilla, Isabel la Católica, 1451年4月22日 - 1504年11月26日)は、トラスタマラ朝のカスティーリャ女王(在位:1474年 - 1504年)。夫フェルナンド2世と共にカトリック両王と称される。
【7位】ビヴァリー・アリット
ビヴァリー・アリット
「ミュンヒハウゼン症候群(Munchhausen Syndrome)」と呼ばれる病気がある。1972年には、そのバリエーションとして「代理ミュンヒハウゼン症候群(Munchhausen Syndrome by Proxy)」なるものが存在することが指摘された。「代理」とはつまり他人のからだを使うのだ。自分に近しい者を傷つけたり、病気にしたりして、周囲の関心を惹くのである。
本件の主人公、ビヴァリー・アリットもこの病気を患っていた。そして、彼女の職業は、なんと看護婦だった。
【6位】ベル・ガネス
【5位】メアリー・アン・コットン
【4位】イルゼ・コッホ
【3位】イルマ・グレーゼ
イルマ・グレーゼ
イルマ・グレーゼ(Irma Grese,1923年10月7日 - 1945年12月3日)はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(以下「アウシュビッツ強制収容所」と称する)ならびにベルゲン・ベルゼン強制収容所の女性看守。
アウシュビッツ強制収容所の囚人女医ジゼラ・ペルルによると、風貌は美しい天使の如き無垢な顔の少女であったが、女性看守の中では最も残酷な看守であり、ユダヤ人女性の乳房に鞭を振るって大ケガをさせ、それに心的快感を得ると言うサディスティックな側面を持っていたと言う。また、ヨーゼフ・メンゲレらとの醜聞の噂も絶えず、堕胎手術を頼んだ事もあったとされる。
さらに、ガス室行きが決定された囚人に犬をけしかけて噛み付かせたりする行為等、収容所を説明する数々の文献には悪名高き者として取り上げられる事も多く、ベルゲン・ベルゼン強制収容所の元収容者、バリー・スパンヤードは解放後にイルマの悪事の数々を自著に綴った上で「石の心を持つ女」と激越に批判している。弱冠22歳で死刑
【2位】キャサリン・ナイト
2000年オーストラリアの猟奇殺人犯。食肉処理会社勤務。普段はおとなしい主婦であるが、些細なことで突然気性を荒げるキャサリンは、ある日いつものように逆上し、夫を刺し殺した。殺されたジョンは、出かけるたびに浮気を疑い豹変するキャサリンの気性の荒さに幾度となく悩まされていた。たまらず前夫のデイヴィッドに相談すると、前夫もキャサリンのヒステリーや暴力に悩まされ別れたという。アイロンで殴られたり、子供を線路に置き去りにしたり、知り合いの女性に襲い掛かったりと・・。
ジョンは意を決し、キャサリンに別れを告げると、ハサミで胸を刺された。その時は怪我ですんだものの、別れの夜についに食肉処理用のナイフで滅多切り(37箇所)にされてしまう。さらに夫の肉を調理して子供たちに食べさせたのだった
【1位】バートリ・エルジェーベト
バートリ・エルジェーベト
バートリ・エルジェーベト/エリーザベト・バートリ(マジャル語:Ecsedi Báthory Erzsébet、ドイツ語:Elisabeth Báthory von Ecsed、スロバキア語:Alžbeta Bátoriová-Nádašdy 、1560年8月7日-1614年8月21日)は、ハンガリー王国の貴族。史上名高い連続殺人者とされ、吸血鬼伝説のモデルともなった。「血の伯爵夫人」という異名を持つ。
夫と死別後に残虐趣味はエスカレートしたようである。当初は領内の農奴の娘を誘拐したりして惨殺していたが、やがて下級貴族の娘を「礼儀作法を習わせる」と誘い出し、残虐行為は貴族の娘にも及ぶようになった。残虐行為は惨く、歳若い娘を「鉄の処女(拷問器具)」で殺し、その血を浴びたり、拷問器具で指を切断し苦痛な表情を見て笑ったり、使用人に命じ娘の皮膚を切り裂いたり、性器や膣を取り出し、それを見て興奮しだすなど、性癖異常者だったという。裁判の証言によると、残虐行為には棒で叩く、鞭打つ等の通常の折檻の他、娘達の皮膚をナイフや針で切り裂いたり、性器や指を切断すると言った行為が行われ、エルジェーベトの寝台の回りには、流れ落ちた血を吸い込ませるために灰が撒かれていたという。また、内側に鋭い棘を生やした球形の狭い檻の中に娘達を入れて天井から吊るし、娘達が身動きするたびに傷付くのを見て楽しむこともあった。さらに身体の具合が悪いときには、娘達の腕や乳房や顔に噛み付き、その肉を食べたともいう。同性愛、多淫、黒魔術を行ったなどの証言もあった。
被害者の数は、エルジェーベト本人の記録では650人だという。