赤毛布(青ゲット)の男殺人事件
青ゲット(赤毛布)の男殺人事件
明治39(1906)年2月12日の早朝5時頃、福井県の九頭竜川河口付近の三国町と新保村(現福井県坂井市)との間に架かる新保橋(当時は木製)を、大工の男が昨晩降り積もった新雪を踏みしめながら、仕事場へと急いでいた。
500メートルあまりある橋の中央付近に差し掛かった時、大工の目に異様な光景が飛び込んできた。
積もった雪が真っ赤に染まり、おびただしい量の血痕があたり一面に拡がっていたのである。
そして、付近の欄干の一部が斧で切り落とされたように無くなっていた。
大工はあわてて警察へ駆け込んで、新保橋の異常な事態を警官に知らせた。
通報を受けた三国警察署は殺人事件と判断して、捜査員を派遣して捜査を開始する。
捜査の結果、下記の事実が判明した。
2月11日夜の21時頃、吹雪が吹きすさぶ中、三国町上西にある廻船問屋・橋本利助商店に男が現れた。
その男は見た目35歳ぐらい。手ぬぐいをほおかむりして、さらにその上から青っぽい毛布(ゲット)をかぶるという、
異様ないでたちだった。男は番頭の加賀村吉(30)に取り次ぎを願い出た。
村吉が出てみると男は「私は、新保村の加賀さんの親戚から使いとして来たものですが、
『親戚のおばあさんが急病で倒れたので、すぐ来て欲しい』とのことなので、迎えにきました」
と告げ、村吉を連れ出していった。
それから2時間あまりたった頃、三国町玉井にある村吉の自宅にも、青ゲットをかぶった男が現れた。
男は同じように「私は使いの者ですが、新保村の親戚のおばあさんが重い病気にかかり、
『是非とも三国のおっかさんに会いたい』といっているため、『すぐ呼んで欲しい』
と頼まれたので、迎えにきました」と言い、今度は村吉の母・キク(50)を外へ連れて行った。
それから1時間程過ぎると再び男が現れて、同じ方法で村吉の妻・ツオ(25)を連れ出した。
さらに40分程経つと三度男が現れて、村吉の二女(2)までをも連れ出そうとしたが、
その時応対した隣家の女性(ツオに留守番と子守を頼まれて村吉家に在宅していた)が、
男に不審を抱いて娘を渡すことを拒んだため、危うく難を逃れることが出来た。
(村吉には長女もいたが、その日は子守として他の家に出向いていたので無事だった)
青ゲットの男に連れ出された3人は、その後いつまでたっても戻らず、
調べると新保村の親戚には誰も病人などなく、使いの者を頼んだ事実もないことが分かった。
三国警察署に置かれた捜査本部は、九頭竜川一体の大掛かりな捜索を行い、
村吉家裏手の竹田川に係留してあった小船の船べりに、血痕が付着していているのを発見した。
そして小船から少し下流の川底から、妻ツオの遺体が沈んでいるのが見つかった。
さらに翌日には母キクの遺体が、九頭竜川の河口付近に沈んているのを発見し、引き上げた。
しかし、村吉の遺体はその後の捜索でもついに発見することは出来なかった。
村吉の遺体が発見されなかったことから、村吉主犯説が捜査本部の中でも取りざたされたが、
新保橋の血痕が1人分にしては多すぎることなどから、やはり村吉も殺害され遺棄されたという判断に。
状況や証言から捜査本部が見立てた事件の経過は、
まず青ゲットの男は店から村吉を連れ出して、新保橋に差し掛かったところで殺害して川へ落とす。
次に自宅に訪れ母キクを連れ出し、同じく新保橋で殺害して川に落とした。
続いて妻ツオを「舟で対岸の新保村へ渡す」とでも言って船べりに誘い出し、殺害して川へ棄てる。
その後、娘も連れ出そうとしたが隣家の女に拒まれて失敗した、というもの。
捜査本部は男が一家を次々に連れ出して、残忍に殺害していることから、
村吉に強い恨みを抱いた者が犯人の可能性があると推理したが、
真面目で酒も飲まず良く働き、若くして番頭に取り立てられた村吉は評判が大変良く、
恨んでいる者を見つけることが出来ないまま、捜査は暗礁に乗り上げた。
そのまま進展することなく、大正10年にはついに時効を迎え、迷宮入りとなってしまった…
ところが、事件から20年過ぎた大正15(1926)年12月12日、
京都府警に窃盗の罪で逮捕されていた谷本仁三郎(49)なる男が、
自分がこの事件の真犯人であると告白したのである。
20年ぶりの真犯人判明と報道されたが(福井新聞:大正15.12.13)、
しかし、窃盗の前科が多数ある窃盗(おそらく空き巣)犯の谷本が犯したにしては不自然な点が多い。
まず窃盗目的だとして、このような手のかかる事をわざわざするだろうか。
強盗するにしても普通に押し入れば良く、複数回に分け連れ出して殺害する意味が無い。
まして店にいた村吉を連れ出す理由は、金品目的なら皆無だ。
事実、犯人は金品を盗ることが出来ないままに終わっている(手持ちの金を盗れたかもしれないが)。
また、逮捕された谷本が証言した他の事件においても、「でたらめを述べている節が二、三ある」と
警察が疑問を呈していることからも、谷本の証言は怪しく、真犯人とは考えにくい。
しかし、すでに時効を迎え捜査資料も散逸していたことから、真相は解明されないままに終わった。。
事件当日の青ゲットの行動
当時の新聞記事明治39年2月14日付 北國新聞
●三国の惨劇福井県坂井郡三国町に近来の怪事件あり同町字玉井の四十物商
加賀村吉方一家に於ける惨劇にして前頭部に切傷ある
同人妻ツヲ(二十五)の屍体は同町中元森田銀行裏の
河中より発見され母親キク(五十九)の屍体は同町より
新保に架しある新保橋上にて殺害されしものの如く
橋下の川岸に漂着し在しを発見されしより其筋にては
容易ならぬ事件として探偵に着手し先づ同人宅に就いて
取り調べたるに家には子守の荒谷マス(十三)及び村吉長男宅(7さい)
長女ヨシ(3さい)のみにて戸主の村吉も所在不明なるが取調の結果
去る十日夜の十時頃新保村なる叔母が病気危篤なりとて
年頃三五六の男頭より青毛布(あをげつと)を冠りしまま急報に来たり
村吉と母キクと共に去り十一時頃更に村吉妻ツオをも携え行きしなりとの
事なれば村吉も多分殺害されたるものなるべく今に行方不明なりと
而して其の原因は窃盗の所為とも思われねば意趣斬りならんとの事にて
目下厳重に犯人捜査中とぞ何にしても近頃稀なる怪事件というべし
都市伝説 版「赤毛布の男」
事件の犯人がかぶっていたのは青いゲット(毛布)であるが、ネット上の都市伝説版では赤毛布とされていることが多い
都市伝説 版「赤毛布の男」福井のある村で、ある小売商の家に夜半10時頃、訪問者があった。
本家からの使いです、といって表戸を叩くので、主人が起きて出てみると、赤毛布を頭からすっぽりかぶって、本家の提灯を持った男が軒先に立っている。本家で急病人が出たから、呼びにきたという。
彼は急いでその男とともに家を出ていった。
2、3時間後、また戸を叩く音がした。
出ていくとまた赤毛布の男である。彼は「病人はとても朝までもたなそうだから、女房も呼んでくれと言われ、迎えに来た」と言った。
女房は子供を親しい近隣の家にあずけて男と一緒に出ていった。
すると1,2時間たって、今度は子供を頼んだ隣家の戸を叩く者がいる。また赤毛布の男。
「両親が、子供も連れてきてくれというので迎えに来た」
と男は言った。
しかし、こんな夜中に子供に風邪をひかせては大変だし、もうぐっすり眠っているから明日にしておくれ、と言った。
男は再度頼んだが、彼女は頑として応じなかったので、帰っていった。
ところが数日後、この夫婦が惨殺されて河に投げこまれているのが発見されたのである。
犯人があの赤毛布であることは明らかである。
手口は、ひとりひとり誘い出すなど、念が入りすぎていることや、子供まで誘い出して殺そうとするなどから、恨みの深さがうかがえる。
なお、この事件は迷宮入りであり、犯人はわかっていない。
松本清張の「家紋」のモデルとなった事件
最近、松本清張の作で「家紋」という短編を読んだのだが、この話とほとんど同じものだった。というか、この都市伝説は、この短編をさらに短く改変したもので、細かい部分がいろいろと違うだけだということが分かった。
ということで、松本清張の作が現実の殺人事件を基にしたものでない限り、この事件は実際のものでないばかりか、フィクションの二次創作ということだ。
ちなみに、「赤毛布」ではなく、原作では「頭巾を被った釣鐘マント」ということになっている。
都市伝説の方が不自然に思えるのがこの部分で、赤い毛布なんて被ってたら、気持ち悪くて警戒されるはずなのだ。
また原作では、男が2度来るのに対し、都市伝説では3度来ている。
このあたり、改変というよりは、うろ覚えで書いているので、いろいろ変なことになっているような気がする。
この作品は1990年にスペシャルTVドラマとして「火曜サスペンス劇場」で放送されたのだが、いろいろ問題があって(詳しく言うと内容のネタバレになってしまう)、再放送やソフト化ができなくなってしまった、いわくつきの作品であるらしい。
松本清張の原作では、このエピソードの後日談が描かれる。
そして、後半に犯人の驚くべき影が、少しずつ明らかになってくるのだ。
非常に不気味で美しく、しかも推理小説としても面白く出来上がっているのでおすすめ。