学校内で起きた無差別殺傷事件まとめ
附属池田小事件
附属池田小事件(ふぞくいけだしょうじけん)とは、2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市で発生した小学生無差別殺傷事件である。実行犯は、大阪地方裁判所の2003年(平成15年)8月28日付け判決(判旨)を伝える新聞記事によれば、宅間守(たくま まもる、1963年11月23日 - 2004年9月14日、犯行当時37歳)による単独犯と認定されている。
平成13年6月8日午前10時過ぎころ、犯人は自動車で附属池田小学校南側正門前に至ったが、同所の門が閉まっていたことから、そのまま通り過ぎ、同所から離れた自動車専用門に至り、開いていた同小学校専用門の前に自動車を止め、出刃包丁及び文化包丁の入った緑色ビニール袋を持って、同専用門から同小学校敷地内に立ち入った。2年南組の担任教員は、体育館の横で、犯人とすれ違い軽く会釈をしたが、犯人は会釈を返さなかったので、保護者でもなく教職員でもないと思ったにもかかわらず、何らかの雰囲気を察して振り返るなど、犯人の行く先を確認せず、不審者という認識を抱けなかった。
犯人は、10時10分過ぎころ、2年南組テラス側出入口から担任教員不在の2年南組教室内に入り、出刃包丁で5名の児童を突き刺し死に至らしめた。
犯人は2年南組の教室テラス側出入口からテラスに出て東に隣接する2年西組の教室に向かい、10時15分ころテラス側出入口から同教室に入った。
当時2年西組では、児童全員前を向いて座り、担任教員は犯人の侵入方向に向いて教卓の席に着いていた。
犯人は教室に侵入する際大きな物音をたてたが、2年西組の担任教員は気付かなかった。 犯人は侵入したと同時に、3名の児童を次々と突き刺し、うち1名を死に至らしめた。
犯人に気付いた、2年西組の担任教員は、悲鳴をあげ、校内放送を用いて誰かに知らせようとしたが、利用を停止した。その後、同教員は、犯人が児童に向かって包丁を突き刺すのを見たが、児童の避難誘導をせず、警察へ通報するため廊下側前のドアから出て事務室に向かって廊下を走った。
途中、同教員は、廊下で倒れて苦しんでいる児童(この2年南組児童は他の教員がかかわるまで約6分間放置の状態であり、その後死亡した。)を見たが、そのまま事務室に飛び込み、10時18分(警察より確認済み)、110番に通報した。
同教員は、事務室にて110番に通報した際、警察に事件の詳細を聞かれ、対応に時間がかかった(約8分間)。そのため、警察からの救急車の依頼が遅くなり、警察が、救急車を要請したのは、通報を始めてから5分後であった。
同教員不在の間に、犯人は逃げる児童を追い回し、教室内、出入口付近、廊下で5名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名の児童を死に至らしめた。
次いで、犯人は、2年西組教室後方廊下側出入口から廊下に出て、東隣にある2年東組に向かい、10時15分過ぎころ、2年東組廊下側出入口から教室内に入り、児童2名を出刃包丁で突き刺し又は切り付けた。
犯人は、教室内で状況を見た2年東組の担任教員から椅子を持って追い掛けられたことから、テラス側出入口に向かって逃げたが、その途中で教室後方にいた児童1名と、さらに同出入口付近で別の児童1名を突き刺した。
犯人は、教室テラス側出入口からテラスに出たところ、通り掛かった1年南組の担任教員にタックルされ、取り押さえられそうになったことから、同教員を殺害しようと考え、出刃包丁で突き刺した。
その際、犯人は2年東組の担任教員から椅子を投げ付けられたものの、これを意に介さず、テラス上にいた児童を見付けて、その児童らを西方向に追い掛け、10時20分ころ、犯人は、1年南組教室内に児童の姿を認め、同教室テラス側出入口から同教室内に入った。
それまでの間、3名の教員が1年南組の横を通過したにもかかわらず、1年南組にいた児童に危険を知らせ、避難するように声かけできておらず、避難誘導が行われなかった。
犯人は、1年南組教室テラス側出入口から担任教員不在の1年南組教室内に入り、出刃包丁で3名の児童を突き刺し又は切り付け、うち1名を死に至らしめた。さらに、別の児童1名を同教室テラス側前方に追い詰め出刃包丁で突き刺した際、駆けつけた2年南組の担任教員に背後から出刃包丁を持っている右腕をつかまれたが、同教員目掛けて出刃包丁で切り付け、引き続き、出刃包丁を左手に持ち替え、倒れている同児童を突き刺した。
犯人は、10時20分ころ、2年南組の担任教員及び副校長によって殺人未遂の現行犯人として逮捕され、間もなく、現場に到着した警察官に引き渡された。
犯人を取り押さえてから犯人確保までの間、学校全体としての状況把握と組織的な対処行動ができなかった。死亡した8名の児童は即死ではなく、救命活動の遅れが死因に直結する失血死である。児童に対する組織的な避難誘導、救命活動、搬送処置が行えず、被害を最小限にくい止めることができなかった。
負傷児童の氏名、場所、人数、負傷の程度の確認など、学校全体としての状況把握ができず、救急車に付き添うよう申し出た教員もいたが、管理職や教務主任は、混乱の中で事件の全容をつかめず、20分前後も放置され既に致死的な状態になっている負傷児童の搬送に、ほとんどの教員が付き添うことができず、また、保護者への児童の搬送先病院の連絡が大きく遅れてしまった。
そのため、事件直後、ある死亡児童の保護者は早い段階で来校したにもかかわらず、学校内で負傷していた児童に会うことができず、自力で探し回った病院で既に死亡した我が子と対面することとなった。また、事件後において、学校からの説明や弔問が遅れ、教員の心ない表現、発言、行動が遺族の心を大きく傷つけた。
大阪・寝屋川中央小3人殺傷事件
2005年2月14日午後3時10分頃、大阪府寝屋川市の市立中央小学校に侵入した少年が教師や栄養士3人を殺傷する事件が発生。まもなく駆けつけた警官らによって少年を逮捕した。少年は同校の卒業生で無職・A(当時17歳)だった。
2005年2月14日午後3時10分頃、寝屋川市初町の寝屋川市立中央小学校の南門から若い男が侵入した。校舎内の1階廊下で男の姿に気づいて、「どちら様ですか」と男性教諭(52)が声をかけたという。男は来客を装って「職員室はどこですか」と逆に男性教諭に問いかけた。男性教諭は男を不審者と判断し、職員室に案内するふりをして校舎外に男を連れ出そうとしたとみられる。職員室とは違う方向に案内されていることに気づき、「不審者と認識されている」と感じた男は、男性教諭を背後から刺身包丁で刺した。男性教諭は刺されたあと、1階の技能職員室へ駆け込み「不法侵入や」とほかの職員に知らせ、そのまま倒れたという。男は男性教諭を刺した後、2階の職員室に向かい、職員室に居合わせた女性教諭(57)と女性栄養士(45)を刺身包丁で刺した。職員室で被害にあった教職員は校内の警報ベルを押し、校内に異変を知らせた。警報ベルの音に気づいた教職員らは、保健室付近で倒れていた女性教諭と女性栄養士を発見した。女性教諭と栄養士は、刺されたけがの手当てのために保健室に逃げ込もうとしたとみられる。
犯人は職員室で、養護学級在籍児童送迎用バスの運転手と約5メートル離れたところでにらみ合っていた。運転手は、男性教諭が刺されて倒れているのを発見し、事態を知らせるために職員室に駆け込もうとして、犯人とかち合った。 犯人はその際、職員室内にあったハンドマイクを使い、何かを話していたという。犯人が話した内容は聞き取れなかったということだが、犯行を誇示しようとしたとみられる。
学校はすぐに警察と救急に通報した。教職員は校内を回って「不審者が侵入した」と知らせ(校内放送の装置が犯人のいた職員室にあったために、校内放送が使えなかった)、児童らに教室の外に出ないように呼びかけた。事件発生当時、この学校では高学年の授業がおこなわれていた。低学年は放課後だった。
午後3時20分頃、駆けつけた大阪府警寝屋川署員が犯人を取り押さえ、殺人未遂容疑で犯人を現行犯逮捕した。犯人は警察官が到着するまでの間、さすまたを持った複数の教職員に遠巻きに取り囲まれながら、職員室の中にいた。警察官が到着した際、犯人は職員室の窓際で包丁を持ちながらたばこを吸っていたという。警察官が包丁を捨てるようにいうと、犯人はおとなしくしたがい、逮捕の際も特に抵抗しなかったという。
被害にあった教職員は病院に搬送されたが、午後4時過ぎに男性教諭が死亡した。女性教諭と女性栄養士は重傷を負った。児童らは容疑者が逮捕された後、運動場に避難誘導され、教職員や保護者の付き添いで集団下校した。児童への被害はなかった。
この学校には校門に監視カメラがあったが、監視担当の校長・教頭とも事件当時は校外に出張していたため、監視カメラのモニターをチェックする体制が手薄だったという。また、低学年児童の下校時にあたることもあり、3カ所ある校門のうち南門は開いていた。
この学校でも、大阪教育大学附属池田小学校事件(池田市・2001年6月)や、宇治小学校事件(京都府宇治市・2003年12月)などの事件を受けて不審者対策をとっていたが、結果的に想定を超えた事件が発生した形になった。
山口・光高校爆発事件
2005年6月、山口県光市の県立光高校校舎2階の3年1組教室に、何者かが爆弾のようなものを投げ入れ爆発させる。まもなく3年2組のA(当時18歳)が取り押さえられた。犯行の動機は「いじめの仕返し」だったという。
出典:山口・光高校爆発事件
その日の朝、山口県立光高校で、それまで無遅刻無欠席だった3年生の生徒が初めて授業前のホームルームに遅刻した。生徒はそのまま1時間目に授業に出たが、2時間目の英語を欠席。教諭は気になったが、授業があるので捜しに行くことは出来なかった。その時、生徒はトイレに行き、「何か」をバッグから取り出していたのだ。2005年6月10日午前10時頃、校舎2階の3年1組の教室では数学の授業が行なわれていたが、この時何者かが廊下側のドアからガラス瓶を投げ入れた。
ガラス瓶は教壇側中央の机に当たった後、ベランダ側に転がって2秒ほどして突然爆発した。窓ガラスは割れ、生徒らは負傷し、ショックのなか逃げ惑った。
投擲の直後、数学の女性教師がある生徒の名を挙げ、「待ちなさい」と追いかけている。生徒は隣りの2組のA(当時18歳)という男子生徒だった。Aは2階の渡り廊下から1階に飛び降り、校庭に逃げたところを養護教諭に取り押さえられた。傍にはモデルガンが置かれ、爆弾がうまく爆発しなかった場合、これを使用するつもりだったのかもしれない。
結局、この爆発事件で、1組や隣りのクラスの生徒を含む58人が病院に搬送され、男子生徒1人が重傷、他の生徒は軽傷を負った。
「1組の生徒に恨みがあった。爆発物は自分で作った」
逮捕直後、Aはそう語った。「いじめ」の存在を匂わせたが、担任教諭は「いじめはなかった」としていた。
【A】
家族は両親と大学生の姉、高校1年の弟がいる。
小学校2年のとき、衛生検査で「歯をみがきましたか」「頭を洗いましたか」というような質問がされたが、Aはこのときに「毎日、頭洗うてない」と答え、友人から不潔をからわかれ「A菌」と呼ばれるようになった。
また「Aから蚊取り線香の匂いがする」とある1人言い出して、商品名から「チョ―ル」というあだ名がつけられた。
中学時代は友人と6人でサバイバルゲームに明け暮れた。
また学業の方では理科と数学ができ、成績は中の上。第1志望校である地元の進学校、県立光高校に進学した。
Aが変わったのは高校入学からだった。それまでは友人がいたが、高校では友達ができないようで、教師やクラスメイトが話しかけても、なぜかろくに返事もしなかった。そのうちにこういった態度にイライラしたクラスメイトからは無視され始める。悪循環で、「暗い、暗い」と言われて余計に塞ぎこむことになったのだろう。中学時代の友人にAは「高校では友人づくりに失敗した」と漏らしている。
2年時になると、「(Aを)笑わせようじゃないか隊」が結成される。休み時間に机に座ってぼんやりしているAのまわりを囲んで、無意味に名前を連呼したり、顔をのぞきこむ、小学校時代のあだ名「チョ―ル」と呼ぶ、またある時はAの頭に香水をふりかけるなどした。こういったいじめに対してAは睨みつけたり、カッターナイフを取り出すなど怒りの感情を見せたという。
「仕返しをしてやる」
犯行の1週間前、Aは中学の友人にそう話している。相手はもちろん、いじめの首謀者であった3年1組のX君であった。
Aはインターネットや書籍から爆弾の作り方を学んだ。花火から火薬を取り出して、威力を高めるために鉛の粒や釘と一緒にジュースのガラス瓶に詰めた。事件直前には自宅近くの海岸で爆発実験をしたという。予想以上の威力だったが、Aの決意は変わらなかった。
6月10日、1時間目終了後、Aはバッグを持ち教室を出る。その足でトイレに行き爆弾を取り出して1組へ爆弾投擲。ターゲットだったX君の方にはいかず、彼は尻に擦り傷を負った程度だった。
出典:山口・光高校爆発事件
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