藤原竜也で有名な『身毒丸(しんとくまる)』って何なのか?の基本まとめ
藤原竜也のデビュー作だったりで有名な『身毒丸(しんとくまる)』というのはいったい何なのか?という今更きけないことをまとめます
『身毒丸』の大元は「俊徳丸(しゅんとくまる)伝説」(高安長者伝説)で語られる物語が原典です。
長者の息子が、継母の呪いによって失明しするが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒えた、という伝説。
この題材をもとに謡曲『弱法師(よろぼし)』説教節『しんとく丸』人形浄瑠璃・歌舞伎『攝州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』が生まれました。
その他、謡曲『弱法師』をもとにして落語の『弱法師』、近代では三島由紀夫によって戯曲作品「近代能楽集『弱法師』」がつくられました。
その『俊徳丸』伝説を、大正6年、折口信夫が仏教的・教義的な要素を取り払って小説『身毒丸』を発表しました。
折口 信夫(おりぐち しのぶ)
1887年(明治20年)2月11日 ~ 1953年(昭和28年)9月3日)民俗学者、国文学者、国語学者。
釈迢空(しゃく ちょうくう)と号し詩人・歌人としても活動した。
【舞台版『身毒丸』の発展】
1977年6月、寺山修司率いる劇団「演劇実験室◎天井桟敷」の座付き音楽家・俳優であるJ・A・シーザーが、虎の門ニッショーホールのコンサートで説教オペラ『しんとく丸』を上演しました。
説教節『しんとく丸』から「呪いの藁人形」「まま子いじめ」などのテーマを抽出し、作曲、オペラ化しました。
1978年、前年コンサートで発表された短編説教オペラ『しんとく丸』を元にして「説教節の主題による見世物オペラ『身毒丸』」が、寺山修司の演劇実験室◎天井桟敷にて上演されました。
『身毒丸』1978年 紀伊国屋ホールにて初演
J・A・シーザー 身毒丸 -PERFECT BOX- (限定盤) 予告編2017年に天井桟敷版に近い形で蘇演されたもののCDBOX宣伝映像
ロックバンド音楽での生演奏オペラは、日本で初めての試みであり、現在でもなかなかこれだけ大がかりにバンドを率いての生演奏オペラはおこなわれていない
その後1995年に、劇書房(現・メジャーリーグ)の笹部博司氏が企画で『身毒丸』を上演する事になった
演出は蜷川幸雄氏。主演は、テレビ等で活躍の武田真治。そして強烈な演技力で評判の白石加代子が抜擢された。
J・A・シーザーは音楽で参加しなかったので、宮川彬良氏が音楽を担当。天井桟敷版の音楽を主体にしたオペラ劇とは全く違う、ストレートプレイを主体とした作品となった。
天井桟敷版をベースにしているので、時代は近代に置き換わっている。お気に入り詳細を見る
脚本は岸田理生による若干の改変が行われていて、天井桟敷版に比べて継母と継子身毒による情愛などがクローズアップされいる。圧倒的で激しい音楽劇の天井桟敷版に比べて、抒情的な作品になっている。
1995年に読売演劇大賞作品賞、演出家賞(蜷川幸雄・最優秀演出賞)、 主演女優賞(白石加代子)、スタッフ賞(音楽:宮川彬良)を受賞した。
1997年『身毒丸』の主役オーディションが開催。舞台・俳優活動未経験の藤原竜也が抜擢される。
ロンドンバービカン・センターでの公演にて「15歳で初舞台とは思えぬ存在感で天才新人現る」と大絶賛された。
翌年から日本で凱旋公演。
SHINTOKUMARU (Shuji Tarayama)
その後、好評により再演を繰り返し 『「身毒丸」ファイナル』と題した再々演で藤原、白石主演による最終公演となった。
しかし、2008年、ジョン・F・ケネディ・センター主催の「JAPAN! culture+hyperculture」への招聘を受け、再び藤原、白石の主演で上演した。
その後、再度『身毒丸』の主役オーディションが行われる。
そして、主役オーディションで選出されたのが、矢野聖人
相手役(継母)も、白石加代子から大竹しのぶに変更された。
終盤の台本の変更、新しい楽曲の追加など、様々な変更が行われ、装いも新たに上演された。
身毒丸PV
その他さまざまな劇団で『身毒丸』は上演されている
2015年 初演天井桟敷の音楽・共同演出のJ・A・シーザー率いる万有引力にて再演
好評につき2017年3月再演した。
演劇実験室◎天井棧敷~万有引力創立50周年記念公演 『身毒丸』
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