奈良小1女児殺害事件「小林薫」とは

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奈良小1女児殺害事件 概要

奈良小1女児殺害事件(ならしょういちじょじさつがいじけん)は、奈良県奈良市で2004年11月17日、帰宅途中の小学校1年生の女子児童が誘拐の後に殺害・遺棄された、誘拐殺人事件である。

出典:奈良小1女児殺害事件 - Wikipedia

	

奈良小1女児殺害事件

奈良県警は20日までに、誘拐殺人事件被害者の女児のイラストなどをホームページ(HP)に掲載し、情報提供を呼び掛けた。

イラストは女児が最後に学校を出た時の服装。赤のトレーナーにデニムのジャンパーとスカート、ベージュのズック靴をはいていたが、ジャンパーと靴は遺体発見時に身に着けていなかった。

奈良小1女児殺害事件

2004年11月17日午後6時45分、奈良市学園大和町の会社員・(当時30歳)の妻・E子さん(当時28歳)が、「長女で同立富雄北小1年・K子ちゃん(7歳)が、学校から帰宅していない』と警察に通報した。

 その後、K子ちゃんの持っていた携帯電話から、母親(当時28歳)の携帯電話に「娘はもらった」というメールが、K子ちゃんの画像が添付されて送信されてきた。奈良県警はすぐさま、誘拐事件として捜査を開始した。携帯電話の発信場所は奈良県平群、三郷、王寺町付近だった。


 翌18日午前0時過ぎ、K子ちゃんの遺体が平群町菊美台の宅地造成地の道路側溝で見つかった。遺体には別人の毛髪や体毛が付着し、女児と異なるB型の血液が検出された。


 K子ちゃんが連れ去られるところを目撃した同じ小学校の児童2人は「女児が自分から車に乗りこんだ」と証言。当初は顔見知りの犯行とみられた。

 前述の小学校の児童2人は当初、車の色について「黒か紺」、「白」と証言しており、車種は日産「マーチ」とされた。ところが別の通行人の男性が現場を行ったり来たりしていた不審な車両を目撃。それはハッチバック式で緑色の「カローラ2」。この車両は、現場近くに設置された防犯カメラに複数回映っていた。


 12月14日午前1時過ぎ、女児の携帯電話から、父親の携帯電話に「今度は妹をもらう」というメールが送りつけられた。この2度目の発信地域は河合、上牧町付近であった。

出典:奈良・小1女児殺害事件

	

犯人から送られてきた添付画像の謎の文字

当初MOと言われた文字の謎

添付画像にはこのようなものが写っており、ホームセンター、インテリアショップなどに聞き込みを行った

左:当初「MO」と言われていた文字 右:分析の結果、薄いビルのような建物群がある?ような模様がついている。文字は「TOWN」と読めるようだ。

			

遺体発見

広島市安芸区で女児が段ボールに入れられた姿で発見されたのは、22日15時ごろと発表されている。消防によると、発見当時、女児には体温が確認されたが、死亡時間は13時から14時の間だと推定されている。身体のどこにどのようなものなのかは発表されてないので想像するしかないのだが、遺体の一部に損傷があり出血していたことも判明したと報じられている。

出典:広島小1女児殺害事件

遺体を入れた段ボール箱は、広島県東広島市の量販店で販売したガスこんろの箱だった可能性が高いと判明、捜査本部は同日までに、店に捜査協力を要請した。

店は遺体発見場所の北東約20キロ。箱は一時的に空き地へ置き、後で自宅などへ移すつもりだった疑いも浮上し、捜査本部は周辺に土地勘がある人物とみて犯人像の絞り込みを進めている。

調べによると、遺体の傷は生前に付けたとみられるが、刃物で切ったりはしていないという。

出典:広島小1女児殺害事件

周辺地図

女児は17日午後2時前、自宅近くの市道で、車に乗った男と窓越しに二言三言の言葉を交わした後、自分から助手席に乗り込んだ。これを目撃した児童の一人は「白っぽい色の車」とし、別の児童は「黒か紺色で、後ろが丸い形」と証言。男の特徴も一致しない点が多い。捜査の基本となる目撃証言が食い違うことから、犯行に使用された車を特定する捜査は難航。現場近くのマンションに設置された防犯カメラには紺色のハッチバック車が写っていたことが判明している。

犯人は白昼、車のナンバーを覚えられる可能性があったにもかかわらず、女児を連れ去った。言葉巧みに女児を誘った行きずりの犯行か、または犯人と女児が顔見知りだったのか、いずれも不確定。

出典:奈良県少女誘拐殺人事件のまとめ

	

周辺地図

			

周辺地図

			

次は妹を狙う、メール

犯人と思われる人物から両親や親族の携帯に、「次は妹を狙う」と被害者の女児が持っていた携帯電話からメールが送られた。 このメールにも被害者の画像が添付(1枚は11月17日のものと同じ)されていた。

出典:奈良市・小1女児・誘拐・強制わいせつ・殺人・死体遺棄・小林薫・事件/犯罪考現学/おたくな趣味/群馬ライフ

	

奈良女児誘拐殺人:ネットに手口掲載 事件を誘発か

2004年11月22日 3時00分奈良市学園大和町、同市立富雄北小1年、有山楓(かえで)ちゃん(7)が誘拐、殺害された事件で、インターネットの匿名情報掲示板に、▽カメラ付き携帯電話で子どもを撮影する▽GPS(全地球測位システム)に注意する--という手口を紹介する書き込みがあり、犯人がこれに触発されて事件を起こした可能性もあることが21日、分かった。今月初めにはこの掲示板に、犯行を予告するような書き込みもあり、事件との関連は不明だが、奈良県警捜査本部も関心を寄せている。この掲示板は「2ちゃんねる」の利用者が00年に立ち上げたもので、芸能界や性的な話題などについて、よりマニアックな内容がつづられている。今年8月上旬、この掲示板上に、子どもにわいせつ行為をした経験を紹介したり、方法を話し合うなどの話題を扱うスレッド(テーマ別の書き込み場所)が誕生。同月末から、同一ハンドルネーム(ネット上の仮の名前)の利用者が、警察に捕まらずに犯行をする手口を繰り返し紹介し始めた。実際に同一人物かは不明だが、これまでに「前日女児にわいせつ行為をした」などの書き込みがあった。さらに、「携帯電話で撮影して被害者を口止めをすればいい」「GPS付きランドセルが発売されているから注意」と犯行に及ぶ場合の手口を紹介。「車に連れ込むのも良い」などとしていた。今月2日には「犯行の準備ができた」「近日中に実行します」と書き込まれていた。その後、今回の事件があった17日の午後5時半ごろには、「翌週月曜か水曜に決行します」としていた。ネット犯罪に詳しい甲南大法科大学院の園田寿(ひさし)教授(刑法・情報法)は、「過去にはネットでの犯罪の呼びかけに応えて、実際に婦女暴行事件を起こした例もある。インターネットは既に社会に組み込まれた存在だが、有益な情報をもたらす一方で、規制を排除する構造がつくられ、制御できなくなっている面がある」と話している。

出典:小林薫 奈良小1女児誘拐殺害事件 - オタクが嫌い、気持ち悪いまとめwiki

	

容疑者・小林薫 (毎日新聞販売店店員) 逮捕

12月30日、奈良県警察本部は、毎日新聞販売店店員だった36歳の男性の自宅を家宅捜索し、女児の携帯電話とランドセル、ジャンパー(ジャンバー)などを発見し、誘拐を認めたため逮捕した。その後2005年1月19日に殺人と死体遺棄容疑で再逮捕された。

逮捕のきっかけは、女児の携帯電話から被疑者の携帯電話にメール発信がされたことにより、その通信記録から被疑者が割り出された。被疑者は行きつけのスナックで被害者の画像を店員や客に見せていた。被疑者の自宅からは幼児ポルノのビデオや雑誌それに盗んだものと見られる女児の下着が押収されており、幼児性愛者と考えられる。 女児が犯人の車に自分から乗るところを目撃されており、顔見知りによる犯行も取り沙汰されたが、実際には行きずりの犯行で、被疑者は「女児とは面識がなく女の子なら誰でも良かった」と自供した。

当該被告人には過去に幼児へのいたずらの前科があり、性犯罪者の再犯率が高いことから米国のミーガン法(性犯罪者の情報をインターネットで公開している)などにならった前歴者への監視を強めることの必要性が議論された。


またこの事件に関連して、毎日新聞は同人が勤務していた(逮捕された12月30日で懲戒解雇)奈良県河合町と大阪市東住吉区の販売店との契約を、2005年1月31日を以って取り消すことを明らかにした。これは、東住吉区の販売店長が新聞の購読料など23万円を同人に持ち逃げされた件で警察に被害届を出した後、河合町の販売店で働いていることを把握したにもかかわらず、着服した金を月割りで返済させることを条件に警察に知らせていなかったことが発覚したためである。

出典:奈良市・小1女児・誘拐・強制わいせつ・殺人・死体遺棄・小林薫・事件/犯罪考現学/おたくな趣味/群馬ライフ

	

小林薫

小林薫

			
小林薫は大阪市住吉区の燃料店を経営する両親の長男として生まれた。

 小林が10歳の時、母親が難産のため亡くなる。この時生まれた弟も障害が残った。このため父親や祖母は弟に付きっきりになり、小林はあまり構ってもらえなかったという。 またそりの合わない父親からは暴力をふるわれたが、守ってくれていたのが母親だった。小学校の卒業文集には母親の死に触れて、「僕は5時間以上泣いた」「いつか、お母さんのいる天国へ。お母さんとこんどあうときは人をいじめないようになってあおうと思う」と書いた。


 中学時代、左目の視力が低いことなどから不良グループからいじめに遭う。いじめは幼稚園時代からあったという。


 府内の私立高校入学。2年時の夏、クラブの合宿で鳥取県に行った時、宿泊していた旅館近くのマンション踊り場で見かけた小学3年くらいの女児2人にいたずら。


 1987年3月、高校を卒業。大阪市の飲食店に就職したが、長続きせず退職。小学生時代にもやっていた新聞配達の仕事を始め、奈良や滋賀の販売店を転々とした。中には新聞契約をねつ造するなど、勤務態度の悪さから解雇されたことや、現金を持ち逃げしたこともあった。またある時は、販売店を辞めた後出た部屋の中から幼女の裸の本が残されていたこともあった。


 1989年12月、小林20歳の時、5歳の女の子2人に服を脱がせてわいせつ行為。懲役2年、執行猶予4年、猶予期間中の保護観察処分。


 さらに1991年10月にも、やはり団地で5歳の女の子にわいせつ行為をしようとして、幼女の首を絞めたとして、殺人未遂容疑で逮捕されていた。

 この事件では懲役3年の実刑判決。初めての刑務所生活を送る。本人は反省などはせず、傍目には真面目に過ごし、仮釈放を得ることだけを考えていたという。所内でも指導や教育は行なわれなかった。

 1995年11月9日、仮出獄。1996年7月23日には仮釈放期間が満了。


 2004年初めから大阪市東住吉区の毎日新聞湯里販売所に勤務していたが、4月に集金した新聞代を持ち逃げ。この店に勤務していたあいだ、小林は人目につきにくい朝刊を配達する未明の時間帯に民家の物干しなどから女の子の体操着や下着類を物色し、盗んでいたという

 7月になってK子ちゃんが連れ去られた現場に近い、奈良市西部地区を担当する河合町の毎日新聞西大和ニュータウン販売所で働き始めた。小林は新聞配達と集金を担当。


 9月、集金を持ち逃げされた湯里販売所長が小林の居場所を知り、本人から毎月3万円の返済を受けた。だが完済されず。


 9月26日、北葛城郡内で当時6歳の小学1年生女児に声をかけ、体を触るなどわいせつな行為をした。強制わいせつ罪で起訴


 事件当日、仕事が休みだった小林は知人から滋賀ナンバーのカローラ2を借りた。

 供述によると、大阪府八尾市周辺へ赴き、連れ去る女の子を探したが見つからず、奈良市へ移動。当日の午後1時50分頃、同市学園中5丁目の路上を1人で歩いていた下校途中のK子ちゃんを見かけ、「家まで送ってあげる」と声をかけて車に乗せた。K子ちゃんを狙った理由については「1人で歩いている女の子なら、だれでも良かった」と供述。

 3時20分頃、約11km離れた自宅に連れこみ、しばらく宿題などを手伝ったのち、風呂場でいたずらしようとしたが手をかまれカッとなり、浴槽にはった水に3分間顔をつけて、動かなくなったのを見てさらに全身を2分間沈めて水死させた。

 携帯電話で撮影したことについては、「殺したことを親に知らせたかった」と供述。携帯電話のメールは、送信元と受信先双方の情報が携帯電話会社の通信記録に残るため、県警は女児の携帯電話の通信記録を分析。画像が添付されたメールの受信先になっていた携帯電話は、小林の知人名義だったことが判明した。


 小林は11月下旬から販売店近くのスナックに頻繁に通うようになった。いつも1人で来店し、カラオケを歌っていた。12月下旬、店の女性従業員に「これ写真なんや。本人やで」とK子ちゃんの遺体とみられる写真を見せていた。入手先について「インターネット上で、どこからともなく送られてきたんや」と話していた。逮捕前日も来て、午前0時ごろまで飲んでいた。


 また別の居酒屋では「B型でメガネ。同僚には疑われてるので、すごく腹が立つ」と話していた。他にも「事件の話を聞くと吐き気がする」と言ったり、「ほんまかわいそうや。早く捕まればいい」と顔をくもらせることもあった

 小林は周囲には「別れた妻との間に娘がいる。娘はK子ちゃんと同い年」とも話していた。内縁の女性との間には「高校生になる娘がいる」とも打ち明けていた

出典:奈良・小1女児殺害事件

	

小林薫

・36歳 

・毎日新聞西大和ニュータウン販売所販売店員

・勤務先 奈良県河合町

・元トラック運転手

・自宅には大量のポルノコミック

・犯行当日休み

・自宅から携帯&ランドセル見っかる


【犯罪履歴】

1989年 (20歳) 大阪・箕面 幼女強制わいせつ容疑で送検

1991年 (22歳) 大阪・住吉 幼女の首を絞め殺人未遂容疑で逮捕

2004年 (36歳) 奈良 幼女誘拐殺人・死体損壊・死体遺棄・脅迫で逮捕

奈良小1女児殺害事件の裁判

小林薫

			
小林は殺人、強制わいせつ致死、脅迫など8件の罪で起訴された。これには県内での別の女児への強制わいせつ(04年9月)、滋賀県内での子ども用を含む女性用衣類の窃盗罪も含まれる。

 2005年4月、奈良地裁での初公判。検察側は女児の両親の供述調書を提出。母親は「どうやってあの子の側にいこうかと思った」と自殺を考えたこともあったという。


 2006年2月14日、小林の情状鑑定書が奈良地裁に提出された。鑑定は前年10~12月月に東京医科歯科大の山上皓教授(犯罪精神医学)らが面接などを通じて行ない、犯罪などを繰り返す「反社会性人格障害」と診断。


 3月27日、第6回公判。小林は「(情状鑑定で)どう答えれば悪い印象を与えられるかを考えた。元から死刑を望んでいるので、減刑は望んでいない」と述べた。


 5月25日、第8回公判。K子ちゃんの両親は意見陳述で「極刑になっても許せない。できることなら娘を返してほしい」などと述べた。


 6月5日、論告求刑公判。検察側は「自己の性欲、支配欲、自己顕示欲を満たすための計画的な犯行で卑劣かつ極悪、残虐極まりない。被害児童の両親の処罰感情も峻烈。被告人は真しな反省や謝罪の態度を示していない上、更生意欲が欠如しており、矯正はもはや不可能」と指摘し、小林被告に死刑を求刑した。


 6月26日、弁護側の最終弁論。

 弁護側は「(小林は)幼少の頃から父親から暴力を受け、また幼稚園から中学時代までいじめの標的にされてきた。小学生時代には母も亡くしている。こうした経験から社会を憎悪する性質を持つようになった。また殺害についても計画的ではなく、女児が風呂場で『おっちゃんエッチ』と言って、風呂から出ようとした言動に驚き、とっさに殺意が生じて、殺害に及んだ。女児の母親にメールを送ったことについても、パニック状態に陥ったり、絶望や開き直りによるものである」などとし、さらに旧西ドイツの元大統領ワイツゼッカーの「問題は過去を克服することではない。過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」という連邦議会での演説さえ持ち出した。


 9月26日、奈良地裁・奥田哲也裁判長は「生命をもって罪を償わせるほかない」と求刑通り死刑を言い渡した。

 言い渡しのあと、自席に戻りながら、小林は傍聴席に視線を向け、着席するとにやりと笑って、小さくガッツポーズ。そして目を閉じて何度かうなずいた。


 そして10月10日、小林は控訴を取り下げ、死刑が確定した。


 10月30日、小林は遺族に宛てた書いた、便箋2枚の手紙を弁護士に託す。

「人として最低な行為で大切なお嬢さんの命を奪ってしまいました」

「(両親の)意見陳述を聞いて涙が出ていたが、公判中に謝罪の気持ちを表したくてもできなかった」

「お嬢さんが生き返るはずもなく、私への怒りは収まらないでしょうが、刑の執行をもって罪を償うしかない」

 手紙は弁護士から県警の担当者を通じて遺族に渡してもらおうとしたが、遺族側は受け取りを拒否した。


 2013年2月21日、大阪拘置所で死刑執行。享年44。

出典:奈良・小1女児殺害事件

	

小林被告が「後悔」はしていても「反省」はしていないとFNNスーパーニュースが報道

			

小林薫被告から届いた手紙

小林薫被告から届いた手紙

			

米国のメーガン法(性犯罪者の情報開示する法律)の導入運動のきっかけになった

性犯罪で有罪になった者が刑期を終えた後もその情報を登録し、一般に公開する制度を規定している。

内容は各州によって差があるが、出所(仮釈放)時や転入・転出に際して、住居周辺の住民への告知が行われる。住居に性犯罪歴があることを示すしるしを掲げるよう求めている州や、累犯者に対してホルモン療法を強制する州もある。

犯罪者の社会復帰を妨げているとの批判もあるが、ミーガン法の存在によって再犯が促されるというような事実はない。その一方でミーガン法が性犯罪の抑止や再犯防止に役立っているという事実もない。憎悪から住民が出所者に危害を加えうるのではないかという指摘があり、実際に性犯罪の前科を持つ者が暴行を受けたりしている被害については、世論として自己責任の範囲内であり犯罪抑止力であるととらえられている。

出典:ミーガン法 - Wikipedia

	

関連書籍

死刑はこうして執行される