少年ライフル魔事件-渋谷銃撃戦-18才、片桐操と銃
現在の渋谷からは考えられない事件が49年前に起きていた。それも犯人18才の少年であった。その渋谷銃撃戦が行われた少年ライフル魔事件を追う。
49年前に起きた18歳による渋谷銃撃戦の始まり
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今から49年前の7月29日。
神奈川県の大和署に1本の通報が入った。
それは、「林の中で子供が空気銃を撃って遊んでいる。危ないから止めさせて欲しい。」というもの。通報で伝えられた林に警官が到着。そこにいたのは、背の高い男だった。警官が話しかけるやいなや、男は新聞紙で包んでいたライフル銃を発砲された。弾丸は警官の胸を打ち抜いた。
出典:奇跡体験!アンビリバボー:渋谷で銃撃戦★カメラが捉えた戦慄の8時間 - フジテレビ
さらに男は、抵抗する警官を何度も殴り、拳銃を奪ったのである。警官の所持する拳銃を手に入れることが男の目的で、そのために自ら通報し、警官を林へとおびき寄せたのだ。
出典:奇跡体験!アンビリバボー:渋谷で銃撃戦★カメラが捉えた戦慄の8時間 - フジテレビ
さらに、瀕死の状態だった警官から制服を奪い、逃走を図ろうとしたその時に偶然、近くをパトロール中だった警官が2人、現場の様子を見にやって来たのだ。焦った男は、とっさにそのうちの1人を銃撃し、逃走。もう1人が 緊急事態としてすぐに大和署に連絡。それを受け、神奈川県警が緊急捜査本部を設置した。
出典:奇跡体験!アンビリバボー:渋谷で銃撃戦★カメラが捉えた戦慄の8時間 - フジテレビ
少年ライフル魔事件(しょうねんライフルまじけん)とは
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1965年(昭和40年)7月29日に発生した、事件当時18歳の少年によるライフル乱射事件。少年と警官隊との間で西部劇さながらの銃撃戦が繰り広げられ、異常な展開を見せた。最終的に警視庁警察官が逮捕。1名の死亡者をだす異例の事件であった。
場所 神奈川県高座郡座間町
標的 一般市民、警官隊
日付 1965年(昭和40年)7月29日
概要 殺人、人質、銃乱射事件
攻撃手段 発砲
武器 ライフル銃、小銃
死亡者 1名
負傷者 約10名
犯人 少年(事件当時18歳)
(注:「小林裕介」は本事件を取り上げた番組で使用された仮名で、本名は異なる)
対処 警視庁が犯人逮捕。最高裁判所が上告を棄却し、死刑確定
少年ライフル魔事件の巻末
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1965年(昭和40年)7月29日、当時18歳の少年は神奈川県高座郡座間町(現在の座間市)の山林で空気銃でスズメを撃っていた(「警官をおびき出して拳銃を奪う目的で、少年が嘘の110番通報をした」とも)。そこへ通りかかった警察官が少年を訊問したところ、少年はこの警察官をライフル銃で銃撃し殺害した。さらに、応援に来たもう1人の警察官にも怪我を負わせた。
その後少年は通りかかった車に乗り込み、運転手をだます、奪ったピストルを使って脅すなどしつつ乗用車4台を乗り継いで逃走し、午後6時過ぎに東京都渋谷区北谷町(現在の神南一丁目)の「ロイヤル銃砲火薬店」に到着した。この銃砲店から武器弾薬を強奪し、従業員3人を人質にとって立てこもり、警官隊との間で銃撃戦が行われた。流れ弾を避けるため付近を通る日本国有鉄道山手線は全線運休し、5000人もの野次馬が集まり、付近は騒然とした。
少年は警官隊および通行人に向けて合計110発のライフル弾を発射。警察官、通行人、報道関係者等16人を負傷させた。これに対し、警官隊は催涙弾で応戦した。午後7時20分、少年が催涙弾に耐えかねて、2人の女性を盾に路上に出たところを、警察官が少年の隙を見て体当たり、その後少年の隙を見て体当たりした警察官が被弾。逃走しようとした少年に別の警察官が取り押さえて逮捕し、事件は解決した。
18才の凶悪犯に死刑が言い渡され執行された
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少年の動機は、「『野獣死すべし』(愛読していたバイオレンス小説)のような事を実際にしてみたかった」というものであった。1967年4月13日、一審の横浜地裁は被告人に無期懲役を言い渡した。
1968年、東京高裁(控訴審)では矯正の余地なしとして被告人に死刑を宣告し、1969年10月2日、最高裁も二審判決を支持、上告を棄却して被告人の死刑が確定した。
一審、二審とも、少年は「銃への魅力は今なお尽きない。再び多くの人に迷惑をかけないように死刑にしてほしい」と述べたという。
1972年7月21日、元少年の死刑が執行された。享年25。
片桐操 ―銃に魅せられた少年―
片桐は1947年に東京世田谷区に4人兄弟の末っ子として生まれた。
小学生の時から銃や兵器に興味があり、ミリタリー雑誌「丸」を愛読していた。成績は芳しくなかったが、体格は良く、腕相撲ではクラスの1、2番を誇っていた。
小学校4年の時に母親が他界し、その1年後に父親は後妻をとるが継母ともうまくやっていた。
中学3年の時、父親は4500円もする玩具の銃を買い与えている。父親も戦時中は陸軍上等兵であり、息子の銃の趣味に無理解ではなかった。それでも「いつか本物の銃を買う」という息子に、「10万円くらいの銃ならいつでも買ってやる。しかし、間違っても銃で人を殺すな。そんなことがあったら殺すよりまず自分が死ね」と言い聞かせていた。
7歳上の長姉が、中学卒業祝いを兼ねて、3万5000円のライフル銃と4000円の照準器を贈った。このライフル銃は22口径の5連銃で「マスターライフルNO3」というものだった。所持許可は18歳未満では認められないため、長姉が自分名義にしておいた。
中学卒業を前に、家族は進学を勧めるが、金がかかるという理由で遠慮。自衛隊に志願するも試験で落ちた。この結果にひどく落胆しているようだったという。
それで自動車修理工見習いとなるがしばらくして辞め、64年11月から国内航路のタンカーのコック見習いとなった。給料は2万円ほどだったが、帰宅できるのは月に1日だった。
64年4月15日、この日は片桐の18歳の誕生日だったが、40日間の有給休暇をとった。自宅に戻った片桐はライフル銃を自分名義に替え、さらにこつこつと貯めていたお金でロイヤル鉄砲店へ行き、4万円の「水平2連式散弾銃12番」と、2万円ほどのスチール製の銃ケースを購入した。
銃の扱いは病的なほど丁寧だった。4、5時間かけて油雑巾で磨いて手入れし、「指紋がつく」ということで家族の誰にも触れさせなかった。集に1回は横浜か八王子の射撃場に出かけていた。父や兄が酒を勧めても、「酒や煙草は体の成長を止めるから嫌だ」と拒否した。
やがて休暇の40日が過ぎたが、片桐は出勤しようとはしなかった。実は有給期限の過ぎた5月22日に家族に内緒で退職していた。
出典:少年ライフル魔事件
当時、やじうまに石原慎太郎さんもいた
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当時、やじうまの中には、当時32歳であった石原慎太郎さんもいました。
出典:渋谷ライフル銃撃戦|片桐操少年vs約600名!石原慎太郎氏もその場に!
石原さんは、銃撃戦がはじまったと聞き、渋谷まで見物に行き、やじうまの男性が撃たれたのを目撃しています。また、死刑が確定した最高裁の判決にも立ち会っています。
出典:渋谷ライフル銃撃戦|片桐操少年vs約600名!石原慎太郎氏もその場に!
石原さんはこの事件を『嫌悪の狙撃者』で記しています。現在は、『石原愼太郎の文学 第五巻』で『嫌悪の狙撃者』が読めるようです。
出典:渋谷ライフル銃撃戦|片桐操少年vs約600名!石原慎太郎氏もその場に!
少年1人対警察官600人の戦いで陸上自衛隊は動かなかったのか?
Q:本日のアンビリバボーで渋谷銃撃戦を放送してます。
少年1人対警察官600人の戦いになってますが このような事態では警察だけではなく陸上自衛隊は動かないんですか?
出典:本日のアンビリバボーで渋谷銃撃戦を放送してます。 少年1人対警察官600... - Yahoo!知恵袋
A:日本国内の事だから自衛隊は絶対動きません、海外からの攻撃なら自衛隊は動きます。
出典:本日のアンビリバボーで渋谷銃撃戦を放送してます。 少年1人対警察官600... - Yahoo!知恵袋
犯人が立て籠ったライフル店の場所には現在は何がありますか?
Q:アンビリバボーで、渋谷の銃撃戦について放送してましたけど、犯人が立て籠ったライフル店の場所には現在は何がありますか?
出典:アンビリバボーで、渋谷の銃撃戦について放送してましたけど、犯人が立... - Yahoo!知恵袋
A:不明ですが、
渋谷電力館並びの渋谷消防署の真向かいが現場です。
通称 ファイヤー通りです。
出典:アンビリバボーで、渋谷の銃撃戦について放送してましたけど、犯人が立... - Yahoo!知恵袋