「新橋ストーカー殺人事件(耳かき店員殺害事件)」林貢二被告とは
耳かき店員殺害事件の真相(新橋ストーカー殺人事件)
新橋ストーカー殺人事件(しんばしストーカーさつじんじけん)とは、2009年8月に発生した殺人事件。被害者の職業から「耳かき店員殺害事件」とも称されている。
新橋ストーカー殺人事件【耳かき店員殺害事件】概要
2009年8月3日午前8時50分頃、東京都港区西新橋の民家で、耳かき専門店の江尻さん江尻美保さん(当時21歳)とその鈴木芳江さん(当時78歳)が襲われる事件が発生。2人は顔や首などを刃物で刺され、鈴木さんはその場で死亡、江尻さんは意識不明の状態で病院に搬送されたが1ヶ月後の9月7日に死亡した。事件発生当時に現場にいた会社員の男(当時41歳)が逮捕された。江尻さんは東京都秋葉原の耳かき専門店で働く、いわゆる耳かき嬢であった。勤務していた店舗でナンバー1の人気嬢であり、多い時は1ヶ月に65万円の収入を得ていた。一方、被疑者の男は2008年2月からこの耳かき専門店に通い始め、この江尻さんを指名し続けて店に通う頻度が上がり、最終的に同店で少なくとも200万円以上を費やした。2009年4月5日、被疑者は江尻さんに店外で会うことを要求したとして店を出入禁止となり、その後、江尻さんにストーカー行為をするようになった。江尻さんが拒否を続けることで、被疑者の江尻さんに対する愛情が憎悪に変わり、8月3日、被疑者は、果物ナイフ、包丁、ハンマーを準備して江尻さんの自宅を訪れ、応対した鈴木さんを1階の玄関先で刺した後、2階にいた江尻さんを刺した。
8月24日、被疑者は殺人および殺人未遂の疑いで東京地検によって起訴された。その後、江尻さんが死亡したことにより、起訴内容は2人の殺人容疑に変更された。
耳かき専門店(みみかきせんもんてん)とは、耳垢を除去する行為「耳かき」を主体とするエステやリラクゼーションのサービスを行う店舗のことである。「耳かき店」、「耳かき屋」、「耳かきエステ」、「耳エステ」、「イヤーエステ」などさまざまな呼び方がある。おもに都会で癒しを求める人々に人気を得ていることが多い。耳かきを専門とする職業はアジア諸国にもみられるが、ここでは現代日本のものを扱う。また、耳かきの道具を販売する専門店も「耳かき専門店」と呼ばれることがあるが、ここでは扱わない。
凶行
林貢二は、江尻美保さんの祖母の鈴木芳江さんにも執拗な凶行を加えています。何度もハンマーで殴ったうえ、果物ナイフで頭・顔・首を20回以上メッタ刺しにしています。ナイフは折れ曲がっていたそうです。林貢二の目的は江尻美保さんであり、鈴木芳江さんは単なる障害物であったはずです。邪魔な鈴木芳江さんは排除できれば、それで良かったはずなのに執拗にナイフで刺しています。
林貢二は、興奮状態にあったとも考えられますが、鈴木芳江さんの殺害後には冷静に階段を登り、音をたてないようにふすまを開け、ぺティナイフで江尻美保さんの殺害に及んでいます。
鈴木芳江さんへの執拗な攻撃には別の理由も考えられます。林貢二は意識してないかもしれませんが、自身の母親への恨みです。自分の母親と似たような年齢の女性だったので、自分の母親とイメージがダブったのではないでしょうか。
山本耳かき店
07年12月、19歳の江尻美保さんは山本耳かき店の面接を受け「まりな」という源氏名で勤め始めます。そして、林貢二は「よしかわ」という偽名で「まりな」の元に通い始めます。この耳かき店は、腰板と天井から下げられた布またはすだれで仕切られた3~4畳ほど部屋で耳かき、耳の産毛掃除、手のひらマッサージ、ヘッドマッサージ、肩のマッサージのサービスを行っていました。耳かきのサービスを行う時は、客の顔に折り畳んだ手拭いが掛けられ、手がじかに客の顔に触れないようにしていたそうです。もちろん性的なサービスはありません。
基本料金は30分で2700円、1時間で4800円。延長は30分ごとに2700円、指名料は30分ごとに500円です。この耳かき店の従業員は、小町と呼ばれていたそうです。
林貢二
林貢二は、電気関係の専門学校を卒業後に設計関係の会社に就職。事件当時もそこで働いていました。肩書は設計主任です。上司は、「黙々と仕事をこなし、人の嫌がる現場でも進んで仕事をしてくれる、まじめな人という印象」と証言しています。
酒が飲めないため、飲み会などではウーロン茶などを静かに飲んでいる人だったようです。(やはりストーカーは酒を飲まないようです。)
28歳から千葉市で一人暮らしをしています。結婚歴はなく独身です。女性との交際は乏しく、女性と付き合ったことはなかったようです。
26歳のころ膠原病を発症しており、再発の恐れがあるため、結婚は考えなくなったと証言しています。
林貢二は、事件当時は一千万円ほどの預金がありました。収入のほとんどを耳かき店につぎ込んでいましたので、生活費は預金を切り崩していたようです。
精神鑑定の結果、抑鬱反応は見られたが、精神状態に問題は認められませんでした。
膠原病
膠原病 (こうげんびょう、英: connective tissue disease [disorder]) とは、全身の複数の臓器に炎症が起こり、臓器の機能障害をもたらす一連の疾患群の総称。 この名称は1942年にクレンペラーが提唱した名称である。クレンペラーは全身性エリテマトーデス、全身性硬化症の研究から、病態の主座は結合組織と血管にあると考え、collagen-vascular disease と命名した。これが膠原病と翻訳された。類似疾患概念に、自己免疫疾患、リウマチ性疾患、結合組織疾患があるが、膠原病はこの3つが重なった位置にあるとされる。
林容疑者が勤務する千葉県鎌ケ谷市の配電関係会社によると、林容疑者は勤続20年で、配電の設計を担当。本年度に入って平日は休むことはなかったが、7月31日、上司に事件当日の8月3日の休暇を申請した。同社幹部は「耳かき店に通っていたとは知らなかった。勤務態度はまじめで驚いている」と話した。
第一審の検察側の論告要旨
裁判官、裁判員には、林貢二被告の情状を総合的に考慮し、罪と罰の均衡や犯罪予防の見地から、極刑がやむを得ない場合かどうか判断してもらうことになる。被告は相手が意に沿わなくなったから殺害した。恨まれ、今回のように殺害されてしまう事件は誰の身にも起こりうる。このような事件に司法がどのような態度で臨むか。それはわれわれがどのような社会を望むかということと密接に関係する。この犯罪の性質は、一方的に恋愛感情を抱いた相手に受け入れられなかったという身勝手極まりない理不尽な動機から、付きまとい行為をした上、全く落ち度のない2人の女性を連続して殺害したというものだ。
自分に問題があって耳かき店への出入りを拒否されたのに、自分を省みず一方的に江尻美保さんを憎んで殺意を抱き、邪魔と考えた祖母の鈴木芳江さんも殺害した。動機は極めて身勝手かつ自己中心的。
被告は、高齢の鈴木さんの頭部をハンマーで殴打し、首や顔を果物ナイフでめった刺しにし、ベッドで寝ている江尻さんに襲いかかってペティナイフで首を突き刺した。犯行態様は極めて執拗、残虐で、殺意も強固。計画性も認められる。
被告は、落ち度のない2人の命を奪った。遺族感情は峻烈で、そろって極刑を望んでいる。社会的影響も大きかった。
犯行の罪質、動機、犯行態様、結果、遺族の被害感情、社会的影響のどれを見ても、刑事責任は著しく重大だ。
身勝手な動機で執拗かつ残虐に2人の尊い命を奪った者は、懲役刑では済まされないことを社会に示し、同じような理不尽な殺人が誰の手によっても起こらないようにしなければならない。
被告に有利な事情では、前科がなく、これまで会社員として問題のない社会生活を送ってきたことが挙げられる。犯行後は自白して反省の弁を述べている。しかし、被告は自分自身や事件自体と正面から向き合って内省を深めているわけではない。反省の弁は、遺族にとって何の救いにもなっていない。
被告には真摯な反省態度が見られず、身勝手で偏った人格態度は根深い。抽象的な改善更生が認められても、極刑を回避する理由にはならない。
死刑は人の生命を奪う究極の刑罰で、真にやむを得ない場合にのみ選択が許される。その判断は慎重にしなければならないが、被告に有利な事情を最大限に考慮しても責任は極めて重大だ。
人の命が尊ばれ、人の命を奪う身勝手さが絶対に許されない社会を実現するためには、被告には極刑をもって臨むほかなく、それが健全な正義であると考える。
第一審の判決要旨
主文林貢二被告を無期懲役に処する。押収してあるハンマー1本、果物ナイフ1本、ペティナイフ1本を没収する。
理由
林被告は、客として通っていた耳かき店の従業員、江尻美保さんを殺害する目的で、平成21年8月3日午前8時52分ごろ、東京都港区西新橋の江尻美保さん方に無施錠の玄関から侵入した。1階8畳和室にいた江尻さんの祖母、鈴木芳江さんに見つかり、江尻さん殺害の目的を遂げるため、とっさに鈴木さんも殺害しようと決意し、その頭部などを用意していたハンマーで数回殴打。頸部(けいぶ)などを果物ナイフで多数回突き刺すなどし、鈴木さんを失血によって死亡させた。
引き続き、2階6畳和室で、江尻さんに対し殺意をもって、その頸部などを用意していたペティナイフで数回突き刺すなどして同年9月7日、出血性ショックに基づく低酸素脳症により死亡させた。
何の落ち度もない被害者2人を身勝手な動機から連続して惨殺した林被告の刑事責任は極めて重大であり、有期懲役刑を選択する余地はなく、「死刑」か「無期懲役刑」かの選択が問われている。
(裁判官と裁判員で構成される)当合議体は、いわゆる永山事件に関する最高裁判決に基づき、本件を具体的かつ総合的に検討した上で、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合に当たるかどうかを議論した。
犯行態様の残虐性、結果の重大性はいうまでもなく、林被告が鈴木さんを殺害した後、思いとどまることもせずに、2階に上がり、各部屋を確認し、最終的に江尻さん殺害行為に及んでいることについては、林被告の冷酷な人格が現れていて許しがたいものがある。
被害者2人が受けた苦しみや恐怖はどれほどだっただろうか。いまだ21歳と若く、充実した人生を送る権利を突如として奪われた江尻さんの悔しさはどれほどだっただろうか。全く無関係の林被告に訳も分からないままむごたらしい殺され方をした鈴木さんの驚愕(きょうがく)や無念さはどれほどだっただろうか-。こうした被害者の気持ちについて、思いをめぐらせた。
鈴木さんの娘であり、江尻さんの母親が、母と娘を同時に亡くし、現場に居合わせたことなどによる精神的ショックで、事件から1年以上が経過した現在でも、家の外に出ることすら困難な状態であることや、林被告が犯行場所として江尻さん宅を選んだことから、遺族が思い出の詰まった自宅に住むことができなくなってしまったことなどについても検討した。
意見陳述をした遺族らが林被告に対する極刑を望んでいるのは、このような極めて重大な結果に照らせば全く当然であり、当合議体もその思いには深く動かされた。その上で、本件で死刑を選択する余地がないのか徹底的に議論したが、結局、本件が、極刑がやむを得ないと認められる場合に当たるとの結論には至らなかった。
まず犯行に至る経過及び動機についてである。
関係証拠によれば、林被告は、平成20年春ごろ、江尻さんの勤務する耳かき店に初めて赴き、サービスを受けて気に入り、指名して通うようになった。6月ごろには、毎週土曜日と日曜日に、数時間ほども通い詰めるようになった。
7月、江尻さんを駅で待ち伏せしていたと疑われたことから、1週間ほど店に通うのをやめたことがあったが、江尻さんがブログに「元気かなぁピヨ吉(江尻さんと林被告しか知らない人形の名前)」と書き込んだのを見て、再び店に通うようになった。その後金曜日の夜にも定期的に通うなど日数や時間がさらに増え、長いときには1日に7、8時間店で過ごすようになった。
11月には江尻さんから系列店でもヘルプとして働くことを伝えられ、その時間のすべてを林被告が独占するような関係になった。
このようなことから、林被告は江尻さんから上客として扱われ、さらにメールアドレスも教えてもらったり、プライベートな話をされたりしたことなどから、自らが特別な客と思われているように感じた。理性では客と従業員との関係と分かりつつも、好意を募らせ、恋愛に近い感情を抱くようになっていった。
その一方で、江尻さんは、林被告を上客として扱っていたものの、それ以上の特別な感情はなかった。平成21年4月初旬、林被告から店外での食事に誘われたことなどを契機として、対応を考えるようになり、4月5日には、店長と相談して、林被告を出入り禁止にすることにした。
この日、林被告は、店で江尻さんから具合が悪いので食事には行けないと伝えられ、楽しみにしていた食事に行けなくなったことと、具合が悪いなら早退して帰るべきだと話したのに、これに応じない態度にもいらだち、自分の足や壁を拳でたたき、最終的には「もういいよ。来ないよ」と捨てぜりふを残して店を出た。
林被告は、それまでは喧嘩(けんか)をしてもすぐに仲直りをしていたため、このときも、謝罪をすれば、再度店に通えるものと思い、数日してメールを送ったところ、江尻さんから「もう無理です。もう店に来ないと言ったじゃないですか」との返信を受け、来店を拒否された理由を理解できずに困惑した。
林被告は、その理由を尋ねるために店の外で江尻さんに声をかけた際にも「もう無理です」と言われて逃げられるなどしたため、「何でだろう」と思い悩むようになり、6月ごろ、抑うつ状態に陥っていった。そのような状況で、林被告は7月19日にも、江尻さんの自宅周辺で待ち伏せし、声をかけたが、林被告のことをストーカーであると感じ、恐れるようになっていた江尻さんに逃げられ、翌日、メールを送っても届かなかったことから、初めて拒絶されていることを理解した。
林被告は、もう店に行って、江尻さんとの楽しい時間を過ごすことはできないと絶望し、自分を拒絶する理由が分からず、ただ、自分を拒絶する江尻さんに対して、殺してやりたいと思うほど怒りや憎しみを感じるようになり、ついに犯行におよんだ。
本件は誠に身勝手で短絡的な動機に基づく犯行といわなければならないが、他方、当時の林被告は、江尻さんに対して恋愛に近い強い好意の感情を抱いていたからこそ、来店を拒絶されたことに困惑し、抑うつ状態に陥るほど真剣に思い悩み、もう江尻さんに会えないとの思いから絶望感を抱いた。抑うつ状態をさらに悪化させ、結局、強い愛情が怒りや憎しみに変化してしまったことから殺害を決意するに至ったと認められる。
このような林被告の心理状態の形成には、約1年間にわたって店に通い詰めていた当時の林被告と江尻さんとの表面上良好な関係が、少なからず影響していることも否定できない。これらのことからすると、林被告が犯行に至った経緯や江尻さん殺害に関する動機は、極刑に値するほど悪質なものとまではいえない。
検察官は鈴木芳江さんの殺害が計画的なものではないことは認めつつ、江尻美保さんが家族と同居していることを知っていた林被告が、平日の朝に3つもの凶器を持参していることから、「障害を排除してでも江尻さんを殺害する意図を有していたことは合理的に推認でき、鈴木さんの殺害は計画に伴う必然的な結果だ」と主張している。
林被告がペティナイフ、果物ナイフやハンマーを持参したことは、江尻さんに対する殺意がそれだけ強固であり、障害が生じた場合、これを排除するつもりだったことをうかがわせるものといえる。だが、林被告が、具体的な障害として、江尻さんの家族のことを考えたことをうかがわせる証拠はない。
林被告は「江尻さんにもう会えない」との絶望感から、抑鬱状態を悪化させて憎しみを募らせ、ついには殺意を抱くに至ったと認められる。犯行のころは、その思いにとらわれ、家族のことまで具体的に想定していなかったとしても不自然とは思われない。
林被告が鈴木さんを殺害したのは、江尻さん殺害の目的を遂げるためであったとしか考えられない。林被告は、鈴木さんの頸部(けいぶ)などを少なくとも16回突き刺すなどしている。黙らせるために、これほどの回数突き刺す必要がなかったことは明らかである。
それにもかかわらず、林被告が何の恨みもない鈴木さんに、これほど執拗(しつよう)かつ残虐な攻撃を加えたのは、林被告が、江尻さんに対する殺意にとらわれている心理状態で、鈴木さんに遭遇するという想定外の出来事によって激しく動揺した結果である。
鈴木さん殺害後、そこで犯行を思いとどまることなく、江尻さんの殺害を実行しているのも、それほど江尻さんの殺害にとらわれていたからと考えられる。
林被告が、鈴木さん殺害後、江尻さんの殺害を実行する一方、江尻さんの母親や兄に攻撃を加えていないことはこれを裏付けるものである。
そうすると、鈴木さんの殺害は計画性が認められず、林被告にとっても想定外の出来事だったというべきである。鈴木さんの殺害が、「計画に伴う必然的な結果」とする検察官の主張は採用できない。
さらに、林被告は罪を認めるとともに、事件直後から事件を起こしたことを後悔し、反省の態度を示している。
もっとも、林被告が、正面から事実と向き合って本当の意味で反省を深めているとは認められない。
証拠によると、江尻さんは林被告のことを上客として大切にしていたものの、林被告が江尻さんに対して持っていたような思いを持っていなかったことは明らかである。林被告は、江尻さんに対する思いを募らせ、会えないことを悩むうちに抑鬱状態に陥り、最終的には強い殺意を抱くほど、江尻さんに対する強い愛情を有していたことは明らかである。
今となっては、江尻さんへの強い愛情を持っていたがゆえに、犯行を引き起こしてしまったことを直視し、江尻さんの気持ちを誤解して、一方的に感情を募らせて犯行に至ったことについて、反省を深めるべきである。
しかし、林被告は恋愛感情という言葉の定義にこだわり、「江尻さんに対して恋愛感情は持っていなかった」「どうして来店を拒絶されたのか、その理由が分からなくて悩むようになった」などと述べるにとどまっている。そのようなことにこだわるのでは、事件を真剣に振り返り、本当の意味での反省をしていることにはならない。
林被告が遺族にあてて書いた手紙を読んでも、林被告なりに誠意を伝えようとしていることはうかがわれるものの、相手にどのように伝わるかという配慮が決定的に不足している。
犯行に至った最も大きな原因は、相手の立場に立って物事を見ようとしない林被告の人格や考え方にある。それなのに、公判の最後になってもなお、そのことに気付かない、あるいは気付こうとしない林被告の言動には許し難いものがある。遺族が林被告の言動に強い怒りを覚えるのも当然である。
しかしながら、林被告の言動や態度は、人格の未熟さ、プライドの高さなどに起因するものである。ことさら江尻さんの名誉を傷つけたり、遺族を傷つけたりしようとする意図があったとまでは認められない。
また、今現在、林被告が置かれた立場からすると、林被告が必要以上に防御的になるのは理解できないことではない。「死刑を選択すべきか」という観点でみれば、林被告が事件直後から後悔し、林被告なりに反省の態度を示していることは、相応に考慮すべきである。
林被告には前科がなく、20年以上勤続した会社で対人的に大きなトラブルを起こすことなく、まじめに働いていた。これらのことも、「死刑を選択すべきかどうか」という観点でみれば、酌むべき要素である。
死刑は、それ自体が人の生命を奪う究極の刑罰である。すでに述べたような事情、とりわけ、本件は、林被告の反社会的で残虐な人格ゆえに起きた犯行ではなく、未熟な人格の林被告が、江尻さんの気持ちを理解することができず、一方的に思いを募らせた結果、抑鬱状態に陥り、思い悩んだ末に起こしてしまった事件である。
林被告には、この裁判を契機に、江尻さんと鈴木さんの無念さや遺族の思いを真剣に受け止め、人生の最後の瞬間まで、なぜ事件を起こしてしまったのか、自分の考え方や行動のどこに問題があったのかについて、常にそれを意識し続け、苦しみながら考え抜いて、内省を深めていくことを期待すべきではないかとの結論に至った。
判決:無期懲役
身勝手で短絡的な動機ではあるが、他方、約1年間に渡る被告と被害者の表面上良好な関係も影響している。会うことを拒否されて抑鬱状態が悪化した末の犯行である。不十分ではあるが、被告なりの反省が見受けられる。前科が無く、20年以上に渡り大きなトラブルなく働いていたことは斟酌すべき要素である。
悲痛な遺族の言葉
事件の最大の被害者は、言うまでもなく、殺害された美保さんと芳江さん。それと同じくらいに、取り去りようのない痛みに苛まれているのが、親族の方々。
当然ながら、親族の悲痛は、察するに余りある。
とりわけ、美保さんの母親の心痛は、いかばかりだろうか。
実の娘と実の母親を一度に、しかも、到底納得し難い、理不尽な事件で失うことになったのだ。ショックのあまり、事件当日から家を出ることはおろか、二人の通夜や告別式にすら、足を運ぶことができなかったという。
一人では生活できない母親を助けるため、長男は職を辞して自宅に戻ることになった。
その自宅は、惨劇の舞台となった犯行現場。
通常の生活を送るには、様々な意味で苦痛を伴い、転居を余儀なくされることに。
精神的苦痛と経済的苦痛。まさに、林被告の悪逆非道な行いで、一つの家族の明るい未来が、木っ端微塵に打ち砕かれたのだ。
これで、被告が
「いかなる裁きも、甘んじてお受けします」
と神妙に構えるのであれば、遺族の受け止め方も違うだろう。
だが、被告の口から出てくるのは、不自然な客観的発言、被害者・美保さんにも非があるかのような状況説明、そして心の感じられない謝罪。
被告は公判の中で、次のような言葉を残している。
私のしてしまったことは、自分の命で償うしかないと思っています。しかし、それでは逃げることになるのではないかと、自分のしてしまったことと向き合って、問い続けていかなければならないのではないかといろいろな思いが心の中を駆けめぐっています
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