<未解決事件>悪魔の詩訳者殺人事件とは
悪魔の詩訳者殺人事件
悪魔の詩訳者殺人事件(あくまのうたやくしゃさつじんじけん)とは1991年7月11日に発生した殺人事件。
悪魔の詩訳者殺人事件概要
1991年7月11日。夏休みのキャンパス内で殺害された筑波大学の五十嵐一助教授(当時44歳)は、熱心なイスラム研究家として知られていた。第一発見者は早朝出勤したばかりの清掃員の女性である。五十嵐助教授は7階のエレベータホールで首を切断寸前までかき切られ、あたり一面を血の海にして倒れていた。所持していた鞄にもいくつか傷痕があった。事件が日本だけに限らず世界にも衝撃を与えたのは五十嵐助教授がイスラム社会から禁書とされていた小説「悪魔の詩」の翻訳者だったからである。悪魔の詩はインド系イギリス人の作家サルマン・ラシュディによって1989年1月に発売されたものだが、その内容にイスラム教を冒涜するものがあるとしてイスラム圏では焚書が相次いだ。問題となったのは主人公が見る夢の中で預言者ムハマンドが神の言葉を記したコーランに悪魔の言葉が混じっていたということ。この言葉が悪魔の詩というわけである。そしてムハマンドの12人の妻の名前と同じ12人の売春婦が登場するなど、全体的にイスラム教を揶揄するような内容が含まれていたからである。
発売から1ッか月後、イランの最高指揮者ホメニイ師は著書のラシュディ氏と出版に関わった者に対し死刑を宣告した。イスラムでは宗教指導者による布告をファトワといい、法律と同様に扱われる。ホメイニ師の出したファトワによって、作者処刑の実行者には、280万ドル当時のレートで約3億6000万円もの賞金があたえられることとなった。しかも同年の6月にホメイニ師が死去したため、布告した本人にしか取り消せないファトワは撤回することができなくなっていた。
悪魔の詩・日本語版は90年に出版された。同時に訳者となった五十嵐助教授は著作「イスラーム・ラディカリズム 私はなぜ悪魔の詩を訳したか」の中で、悪魔の詩は優れた文学作品で、イスラムを冒涜するものではないとして翻訳に踏み切ったことを記している。自分自身が処刑の対象になっていることを自覚しながら「ホメイニ師の死刑宣言は勇み足であった」「イスラムこそ元来もっと大きくて健康的な宗教ではなかったのか」とファトワを批判している。そして作者のラシュディ氏が警察の保護下で潜伏生活を強いられたのに対し五十嵐教授は周囲を警戒することなく平穏な日々をすごしていた。自分は翻訳したにすぎず、遠い日本にまで処刑の手は及ばないだろうという気の緩みがあったのかもしれない。一方でそれは長年イスラム文化と親しんできた助教授なりのイスラム教への信頼であったのだと言える。ところがイスラム系の新聞は、五十嵐助教授殺害のニュースをイスラム教徒にとっての朗報と伝えている。また、イランの反体制派組織「ムジャヒディン・ハルク」が犯行声明を発表。イスラムを愛した日本人の死が歓迎されたのである。
五十嵐 一(いがらし ひとし、1947年(昭和22年)6月10日 - 1991年(平成3年)7月11日)は中東・イスラーム研究の学者。東洋思想の大御所井筒俊彦の愛弟子。新潟県新潟市出身。妻は比較文学の学者である五十嵐雅子。
悪魔の詩
『悪魔の詩』(あくまのし、あくまのうた、訳書にルビはない。原題:The Satanic Verses)は、1988年に発表された、イギリスの作家サルマン・ラシュディがムハンマドの生涯を題材に書いた小説である。日本では、筑波大学助教授五十嵐一(いがらし ひとし)によって邦訳(『悪魔の詩(上・下)』、新泉社、1990年)がなされた。イギリスでは1988年ブッカー賞最終候補となり、また同年のホワイトブレッド賞小説部門を受賞するなど高い評価を得る一方、現代の出来事や人物に強く関連付けられた内容がムスリム社会では冒涜的であると受けとられ、激しい反発を招いた。この結果、一連の焚書騒動、イラン最高指導者ホメイニによるラシュディの死刑宣告に続き各国の翻訳者・出版関係者を標的とした暗殺事件が発生した。
イスラーム批判
イスラームの聖典クルアーン中には神の預言として、メッカの多神教の神々を認めるかのような記述がなされている章句がある。後に預言者ムハンマドは、その章句を神の預言によるものではなく悪魔によるものだとしたが、ラシュディはこれを揶揄したとされる。具体的に言うと、原題の The Satanic Versesはクルアーンそのものを暗示しているとも見られる。この他にも、ムハンマドの12人の妻たちと同じ名前を持つ12人の売春婦が登場するなどイスラームに対する揶揄が多くちりばめられておりイスラームに対する挑発でもあったとされる。
事件への解釈
CIAの元職員ケネス・ポラックは、イラン軍部『イスラム革命防衛隊』による犯行を示唆している(『ザ・パージァン・パズル』小学館、2006年)。目撃されやすいエレベーターホールで襲撃した事実も見せしめ犯行のためと判断した。また、『週刊文春』1998年4月30日号は「『悪魔の詩』五十嵐助教授殺人に『容疑者』浮上」との記事を掲載。同誌が入手した「治安当局が『容疑者』を特定していた極秘報告書」によると、事件当時、東京入国管理局は筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人学生を容疑者としてマークしていたという。この学生は五十嵐の遺体発見当日の昼過ぎに成田からバングラデシュに帰国しているが、イスラーム国家との関係悪化を恐れる日本政府の意向により捜査は打ち切られたと記事は述べている(麻生幾「「悪魔の詩」殺人 国家が封印した暗殺犯」『文藝春秋』2010年10月号)。
だが、日本警察は、なぜ目撃されやすいエレベーターホールで襲撃したのか、なぜ目撃されにくい研究室で襲撃しなかったのかなど疑問点が挙げられ、個人的な怨恨による大学関係者の犯行の線も否定できないので、犯人像をイスラーム教徒に絞り込むことはできないとしている。
捜査中、学内の五十嵐の机の引き出しから、殺害前数週間以内と思われる時期に五十嵐が書いたメモが発見された。これには壇ノ浦の戦いに関する四行詩が日本語およびフランス語で書かれていたが、4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の段落に対し、フランス語で「階段の裏で殺される」と表現されていた。
五十嵐助教授を刺殺した犯人は?
犯人はわかってはいないが、シーア派イスラム教徒のイラン人という説が有力である。理由としてこの事件の少し前にイタリアのミラノで、『悪魔の詩』のイラリア語の翻訳者がイラン人と名乗る男に襲われて重傷を負ったこと、またこの事件のすぐあとにイランの日刊紙『サラーム』が「全世界のイスラム教徒にとって朗報である」とこの事件を賞賛していたことが理由として挙げられる。五十嵐助教授はホメイニの死刑宣言のあとも、地元警察署からの護衛の申し出を断り、「ホメイニ宣言はもう時効だ」などと言って、無警戒の生活を送っていたという。もし、警察に保護されていたら、五十嵐助教授は殺されなかったのかもしれない。2006年7月11日、五十嵐教授殺害から15年経ち、公訴時効が成立し、真相は闇に葬られたままになってしまった。
暗殺団による犯行
マスコミは一斉に大騒ぎとなった。事件の約1週刊前に、イタリアのミラノでこの殺人を予測するかのような事件が起きていた。
「悪魔の詩」のイタリア語翻訳者が何者かに全身をナイフで刺され、重症を
負っていた。
2年後の1993年、トルコ語翻訳者の集会が襲撃され、37人が死亡した。
五十嵐一氏の事件の三日後、イランのバグダッドに本拠地を置いていたイラン
の反政府組織が、ある通信社に、(日本での)事件は、暗殺団による犯行だ
とする声明を送ってきた。その声明によれば、数人からなるいくつかの暗殺団
が組織され、「悪魔の詩」の著者を処刑するためイギリスに送り込まれたほ
か、日本やイタリア、スイス、フランスなど多数の国へも派遣されたという。
厳重な箝口令
「悪魔の詩」殺人に関しては、犯行翌日の12日に出国した一人の男を、犯人の可能性が高いと見ていた。男の出身国は、イスラム文化圏の国。五十嵐氏
と同じ留学生だった。しかし、この事実は、茨城県警特別捜査のごくわずかな
幹部だけに伝えられ、厳重な箝口令が敷かれた。
しかも、警察庁は、各国に情報収集を求める「ブルーノティス(青色手配)」を
国際刑事警察機構へ依頼することさえしまかった。また男の逃げた先や根拠
地の国の照会もしなかった。警察庁がなぜこの情報を封殺したのか?
当時、警察庁の内部において、大激論が起きていたという。
我が国始まって以来の、明らかなテロ攻撃であり、国家捜査の場に事件を
持ち出すべきだという積極派。
もう一方は、公表することで、イスラム文化全体を敵に回しかねず、それによ
る影響は図りしれないとする国益重視派だった。
海外の反応
イランの日刊紙サラームは、その死を「全世界のイスラム教徒にとって朗報」と歓迎した。
時効と同時期の2006年に出版された『ザ・パージァン・パズル』でCIAの元職員ケネス・ポラックは、イスラム教徒の犯行であることを示唆している。
時効
「悪魔の詩」翻訳者・五十嵐一筑波大助教授惨殺から15年91年7月、筑波大助教授の五十嵐一さん(当時44)が、大学構内で殺害された。五十嵐さんはイスラム教を侮辱した内容だと物議をかもしたイギリスの小説「悪魔の詩」の翻訳者だったため、外国人の犯行説が出たものの、事件発生が深夜で目撃者もおらず捜査は進まなかった。それから15年。来月11日午前0時で「時効」を迎える。
「もう15年かという思いですね……」
遺体の第1発見者で、五十嵐助教授とは大学の同僚だった元最高検検事の土本武司さん(現在は筑波大学名誉教授、白鴎大学法科大学院教授)が事件をこう振り返る。
「12日午前8時10分、大学に行き、エレベーターの扉が開いたら五十嵐さんが血まみれで倒れていました。血液がこげ茶色で凝固状態だったから死んでいることはすぐにわかりました。消防に連絡して、所轄のつくば中央署に電話したら“お早うございます、プロフェッサー”なんて悠長なことを言っているから“おい、仕事だぞ”と言った覚えがあります」
土本さんは検事時代から数多くの変死体を検視してきたが、五十嵐助教授の遺体は異様に映ったという。
「五十嵐さんは小太りで胸板が厚かったのですが、遺体には両刃の刃物で正面から背中に突き出る傷が数カ所あった。しかもその後、倒れこんだ五十嵐さんの首を落とさんばかりに切り裂いている。直接の死因は頸部損傷による出血多量でしたが、確実に絶命させるという強い意志が感じられましたね」
ところで、最近になって五十嵐さんの遺族に、犯人の特定に結びつく重要な情報が寄せられている。
米シンクタンク研究員で中東情報の権威ケネス・ポラック氏の著作の中に「『悪魔の詩』の日本語翻訳者はイスラム革命防衛隊に暗殺された」という記述があることが判明したのだ。
現在も捜査本部がある茨城県警では「まだコメントできる段階ではない」(広報担当者)というが、犯人が国外逃亡していれば時効が停止するから、遺族も警察に期待を寄せている。
土本さんもこう言う。
「国立大学でアカデミックな仕事をしていた罪のない人物が殺されるなんて言語道断。警察は犯人が海外にいたとしてもあきらめないことです。事件を風化させてはいけません」
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