「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪」ノーベル平和賞・ヒロシマ被爆者サーロー節子さんのスピーチに震える
昨年12月10日に行われたノーベル平和賞授賞式でのサーロー節子さんの力強い演説を見返してみて、涙が止まらなくなったので今さらではありますが紹介します!
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サーロー節子さん広島県生まれ 13歳のときに学徒動員で暗号解読の助手として出向いた爆心地から約1.8キロメートルの場所にあった陸軍第二総軍司令部で被爆。
九死に一生を得た節子さんは戦後、留学を経て結婚、カナダへ移住し、平和活動に積極的に参加。ノーベル平和賞を受賞した国際NGO・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の「顔」として、これまで長年にわたって核兵器の恐ろしさを伝える活動をつづけてきた。
出典:ICAN 以下、ハイライトとなる部分を抜粋しますが、ぜひフルでスピーチを見られることをオススメします!どのセンテンスもハイライトと言っても過言でない位の名演説だったので。
出典:8月6日午前8時15分 出典:東京新聞
体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。 物・雑貨 > その他の写真 静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」
諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ
出典:東京新聞:ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文:国際(TO...
どこからか聞こえたきた声に導かれて瓦礫からはい出てみると、建物にいたクラスメイトのほとんどは生きたまま焼かれ、死んでしまっていました。
人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。体の一部を失っていました。
出典:東京新聞:ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文:国際(TO...
肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。
被爆当時の広島には約35万人の市民や軍人がいたと推定されています。原爆によって死亡した人の数については、現在も正確にはつかめていないのだそうです。爆心地から1.2キロメートルの範囲内では、その日のうちにほぼ50%が死亡。それよりも爆心地に近い地域では80~100%が死亡。即死をまぬがれた人も、被爆して傷害の重い人ほど、その後の死亡率が高かったといいます。放射線による急性障害がおさまった1945年12月末までの死者は約14万人と推計されていますが、その後も数年間にわたって、放射線の後遺症により不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。
最初に目に浮かぶのは四歳だった私のおい、英治の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。
今この瞬間も、核兵器の脅威は続いている
2016年5月現在、世界に核兵器を持つ国は9カ国。7,000発の核兵器を持つロシアとアメリカを筆頭に、核兵器の誕生してから70年以上が経ち、冷戦も終わった現在でも世界には約15,350発の核兵器が存在しています。サーローさんは「地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています」として、こうした国々を強く批判しています。
核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。
核兵器の終わりが始まった日
昨年の七月七日、核兵器の使用・保有を法的に禁ずる核兵器禁止条約が採択されました。この交渉会議には国連に加盟する193カ国中124カ国が出席、大部分の122カ国が賛成しています。
条約の前文には「ヒバクシャにもたらされた苦痛」との一節も入れられ、広島・長崎から72年の時を経てようやく人道的な見地から核兵器の存在を否定する条約が成立したのです。
責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。
出典:東京新聞:ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文:国際(TO...
残念な話ですが、日本政府は3月の交渉会議の時点で「北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」と表明して、アメリカなど核保有国5ヶ国と歩調を合わせてボイコットしています。さらにサーローさんはこのような態度を示す母国・日本を念頭に置いてこう続けます。
核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。
あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。
諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ
13歳の時、その声を聞いてくすぶるがれきの中の下から這い上がり、声を上げ続けたサーローさん達ヒバクシャが掴んだ光、それが核禁止条約。スピーチの最後、サーローさんはノーベル平和賞の会場にいる全員に向けてこの言葉を繰り返します。この演説の内容はテキストで東京新聞のサイトにも掲載されています。ぜひ読んでみてくださいね。
東京新聞:ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文:国際(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201712/CK2017121102000059.html
十日オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが行った演説は次の通り。
ローマ法王、「焼き場に立つ少年」の写真の配布を指示
米海兵隊の従軍カメラマンによって撮影された、長崎の原爆投下によって死亡した弟を背負いながら火葬場で順番を待つ1人の少年の姿をとらえた写真。
ローマ法王フランシスコは、この写真をカードに印刷して配布するよう指示を出したのだそうです。カードの裏には「戦争が生み出したもの」という言葉も記されているとのこと。正月早々、北朝鮮の金正恩は「核のボタンが机の上にいつも置かれている」と豪語し、対するアメリカのトランプ大統領はスーツケースの中には核攻撃を命じる暗号コードが入っていると発言。
核兵器の脅威を誇示する彼らを正気に戻したい・・・。それがローマ教皇の目的なのかもしれません。
天皇陛下も緊迫が続く北朝鮮情勢を意識して、このように述べられていますね。「本年が少しでも多くの人にとり、穏やかで心豊かな年となるよう願っています。年の初めにあたり、我が国と世界の人々の幸せを祈ります。」
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