ETV特集「隠されたトラウマ〜精神障害兵士8000人の記録〜」 での障害兵士に対する人権と責任はどこに・・・

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ETV特集「隠されたトラウマ〜精神障害兵士8000人の記録〜」 をみた。これがすさまじい内容(私がほとんど知らないだけなのだが)だ。以前、戦争での精神障害PTSD以外にも多様な精神症状を記録した、特に第一次大戦の兵士の記録、わずかながら日本兵の記録をみたが、ここまでまとめてみた膨大な資料(千葉、国府台病院で、8000ものカルテが軍から焼却を命じられ隠ぺいされかかったが、ドラム缶地中保存した。もし、これが明るみにならなければどうなったのか)とこの事実には驚愕する。


現在、第2次世界大戦の戦中、日本兵は様々な精神障害を起こし、敗戦後どうなったのか?、遺族・医師・近親者・研究者・現場ソーシャルワーカーの証言で綴り、戦中から敗戦後国家補償(兵士らの精神障害には恩給は除外され、なにもない)もなく、埋もれてきたもう一つの重要な戦争犯罪の一つを暴きだしている。たとえば、昨年の満蒙開拓団の女性方カミングアウトと同様の衝撃がある。日本軍侵攻のなか、中国での戦中発症が4283名と最も多い(ただ、多様な地域に少しずつだが広がっている。たとえばガダルカナル22名発症など)。このETVでも発言されている8000に及ぶカルテを調べてきた元埼玉大名誉教授・清水寛氏によれば、農村でまじめに仕事に取り組み、人柄も良い人間が、突然戦時・中国へ派兵させられ、上官から殺害命令が下る。すると子供まで銃殺か銃剣での殺戮を行うが、その子供への殺害がトラウマになり、夢や幻となり現れ発症する(帰還しても治らない)。


2016年、BuzzFeed News を以下のように引用すると(この記事には、コメント部分に右派素人のドーショもない非礼・無礼・愚のコメントがある)


精神疾患などで入院した元兵員、8千人分のカルテを分析した埼玉大名誉教授の清水寛さんはBuzzFeed Newsの取材にこう語る。

「戦地の加害経験などによって精神を病んだ人たちは、『戦争神経症』と呼ばれました」


清水さんによると、敗戦直後までに入退院した日本陸軍の兵士は約2万9200人。その半分にあたる約1万450人が、さまざまな精神疾患に苦しんだ。


軍部は、国府台陸軍病院(千葉県)を中心にその対応に当たった。1940〜45年にかけては、いまの東京都小平市など3カ所に療養所が設置されている。


それほど、兵士たちの精神疾患は重大な問題だったのだ。


子どもを殺した記憶


清水さんが分析した当時のカルテである「病床日誌」のうち、1372人が「戦争神経症」だった。カルテには、たとえばこんな記載がある。中国に派遣された30歳の男性だ。


精神分裂病 昭和十九年二月八日病名決定


「同僚に悪口を云われる様な気がし 誰か跡をつけられて人に会ふのが恐ろしくなり……目や鼻のない坊主の姿が見へて来た」


「女や男の泣声が聞こえたり、聖徳太子の声も聞こえる」


「まさにPTSDの症状だと言えます。私たちが戦争神経症と判断したうち、1割以上がこの症状でした」


なぜ、彼らは「戦争神経症」に悩まされたのか。清水さんは、6つの類型があると指摘する。

1.戦闘恐怖(戦闘行動での恐怖・不安によるもの)


2.戦闘消耗(行軍など、戦闘での疲労によるもの)


3.軍隊不適応(軍隊生活への不適応によるもの)


4.私的制裁(軍隊生活での私的制裁によるもの)


5.自責念(軍事行動に対する自責の念によるもの)


6.加害による罪責(加害行為に対する罪責感によるもの)


そうして、さまざまなトラウマに悩まされている兵士たちの姿が、カルテからは浮かび上がる。


「12歳くらいの子どもを突き殺した。かわいそうだと思ったことがいまでも頭にこびりついている」


「部落民を殺したのが脳裏に残っていて、悪夢にうなされる」


「子どもを殺したが、自分にも同じような子どもがあった」

「付近の住人を殺した。夢の中で殺した領民が恨めしそうに見てくる」


ただ、公的に残す資料であるカルテには、軍事機密としてそれらの言葉が載らない場合も多かった。日本軍が残虐行為をしたと、記録に残さないためだった。

「にもかかわらず、これほどの数が残されていた。ということは、それだけ多くの人たちがトラウマに悩まされていた証拠とも言えるのです」


思えば、私の祖父だって、そうだった。陸軍憲兵として満州の地を踏んだ人だったが、晩年、病床で朦朧とした意識のなか、こう叫んでいた姿は忘れられない。


「急げ、急げ!」「やめろ、放せ!」


ときおり軍歌を口ずさんだ祖父は、ずっとうなされていた。夢の中で戦争をしていたのだろう。


清水さんは言う。


「殺し、殺されるという場面を目撃した苦しみは想像を絶します。老いとともに症状が出てくることもあるのです」


「戦地に行った兵士は、二度苦しむことになるのです。1度は戦地で。そして2度目はトラウマによる苦しみです」


1人の自殺者の裏には


現代においても、戦闘行為とPTSDは深く結びついている。


米軍のアフガン、イラク派兵の現実を描いた「帰還兵はなぜ自殺するのか」によると、派兵された200万人のうち、実に50万人にPTSDの症状があるという。


以上はBuzzFeed ニュース記事引用だけれど、今回のETVでは清水さんの祖父の話、あるいは、上記の中国の子供殺害のトラウマから精神障害となった兵士の遺族・親族の証言もある。


また、2015年西日本新聞からは・・・


戦地から引き揚げた元兵士が入院していました。どっちを向いても格子があって、患者さんが出歩けるのは中庭だけ。個室には錠があって、あそこで一日過ごすのかと思うとねえ。元兵士は「未復」と呼ばれていました。


 〈平時に戻り、兵員が召集を解かれるのが復員。だが、精神疾患の元兵士たちは、戦後も周囲の目を気にする家族から帰宅を拒まれることが少なくなかった。家族が行方不明の人もいた。社会に出られず長期入院するしかなかった元兵士たちは、本当の意味で復員していない未復員だった。手塚さんも、「肥前」にいた「未復」者を思い出す〉


 奥さんが熱心に通ってきていました。でも退院できない。どうして家に連れて帰れないのか、聞けませんでした。家族が全然お見舞いに来ない方もいました。


 〈肥前療養所近くの西光寺には、長期入院の末に無縁仏になった人たちの納骨堂がある。先代住職の作田法観さん(故人)が土地を提供し、募金協力も得て作った。従軍経験があった作田さんは、「生き残った罪滅ぼしに」と元兵士の供養に特別の思いを抱いていた。その遺志は、息子の耕瑩さん(73)が継いでいる〉


 病院の霊安室でお経を上げ、看護師さんから「この方�

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