加古川・ニ家族7人殺害事件の犯人「藤城康孝」とは

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兵庫県加古川市西神吉町大国で二家族が親類にあたる無職・藤城康孝(当時47歳)の襲撃を受け、7人が死亡するという事件が起こった。 

加古川・ニ家族7人殺害事件


04年8月2日午前3時半、兵庫県加古川市西神吉町大国で二家族が親類にあたる無職・藤城康孝(当時47歳)の襲撃を受け、7人が死亡するという事件が起こった。男は自宅にも火をつけ、逃走。自殺を図ろうとしたところを発見され逮捕された。

出典:加古川・ニ家族7人殺害事件

	

藤城康孝について

1956年生まれ。父親は大手製鋼会社に勤めていた。

 地元の小中学校を卒業後、厳しい指導で知られる三重県の全寮制高校に入学。これは中学時代、日常的に暴力沙汰を起こしていたことで、両親の「矯正したい」という思いからのものだった。

 卒業後自宅に戻り、飲食店などで働くが長続きせず、職を転々とした。20代の頃には母親の工面した金で料理の勉強のため海外に渡るが、1ヶ月たらずで帰国。


 事件の4年前、自宅横のプレハブ小屋でパン製造を始め、できたパンは母親の勤務先の工場などで販売していた。しかし藤城は1年足らずでパン職人の夢を挫折、その後凶暴になっていった。


 父親は製鉄会社を退職後「このままでは息子に殺される」と言い残して、家を出ていったらしい。


 現場周辺の住民は3年前、藤城の暴力的な言動に関し、警察だけでなく、加古川保健所(同市)にも訪れ「言い掛かりをつけ石を投げる。受診や入院を(同居している)母親に勧めてほしい」と要請していた。しかし仕返しを恐れ、直後に要請を取り下げたという。加古川署には、近隣住民からの相談が4件あったという。また藤城は数年前からガソリンを少しずつ購入し、アルミ缶で保管していた。このガソリンは後に放火に使われた。

 

 靴下工場でアルバイトをして生計をたてていた藤城の母親は、息子が何か問題を起こすたびに「堪忍してな、堪忍してな」と頭を下げた。

 藤城が以前に人命救助で表彰された時には「あの子にもええとこあるねん」とうれしそうに話していた。

出典:加古川・ニ家族7人殺害事件

	

親族7人殺害 家族構成と関係は?


家族と親戚の8人。そして康孝容疑者は、近所で暮らしていました。

殺害されたとし子さんは、次男の義久さんと暮らし、隣には長男の勝則さんと妻の明美さんが暮らしていました。とし子さんが長男の勝則さんに「助けて」と電話をし、駆け付けた勝則さんが110番通報しました。警察官がとし子さんの家に着いた時、3人は死亡しており、長男の妻も重傷でした。


また、60メートル離れた家に住む利彦さん一家4人も殺害されていました。容疑者は、とし子さんの夫の弟の息子で、義理の甥でした。容疑者もまた、とし子さんの家の近くに住み、自宅に火を付けて逃走していました。

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親族7人殺害 容疑者の近所での評判


静かな住宅地で7人が殺害されたこの事件。近所の住民は、以前から、康孝容疑者に恐怖を抱いていたようです。

藤城とし子さんら4人は、自宅で血まみれで倒れているのが見つかりました。そして、西に数軒離れたすぐ近くの家で一家4人が刺されました。2軒の間にあるもう焼け落ちてしまった康孝容疑者の家からは、その時、炎が上がっていました。身柄を拘束された康孝容疑者は、日頃から近所の人とのトラブルが絶えず、近くに住む人たちは、康孝容疑者に対して恐怖心を抱き、避けるように生活していたということです。


住民たちは「普通にしていたけど、目つきがやはかった。『どっか行かな切るぞ』と言われた。ノコギリ持って・・・」「玄関で話をしていたら、『自分の悪口を言っている』と言い、だーっと家から飛び出てきて、胸ぐらをつかまれた人もいた」「主人が一緒にいたが、こんな家にいたらこの息子に殺されてしまうと(言っていた)」「とし子さんの土地に住んでいたけど、税金を払ってくれないので、私(とし子さん)が払っているんやということを聞いた。要求したことはあるけど、全然払ってくれないので、払っていると聞いた」「畑仕事をする時に『うるさい』と言って、刃物か何かを持って表に出てきたとか言っていた。亡くなった利彦さんが『何しよんや』と言って怒った。そんな恨みというかそんなんでやったんちゃいますか」と話しています。


現場近くに住む人の中には、康孝容疑者とのトラブルを相談した時に、警察が早めに手を打ってくれていればと話している人もいました。

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殺害


04年8月2日午前3時半、藤城は自宅の隣にある伯母宅に侵入、藤城とし子さん(80歳)、従兄弟にあたる勝則さん(55歳)、義久さん(46歳)の3人を包丁で刺し殺し、勝則さんの妻・明美さん(当時50歳)にも重傷を負わせた。最初の通報は勝則さんによる「母が頭から血を流している」と言うものだった。

 続いて、自宅の斜め向かいにある遠縁の藤城利彦さん(64歳)宅も襲撃、利彦さん、妻の澄子さん(64歳)、長男・伸一さん(27歳)、長女の緑さん(26歳)の一家全員を殺した。7人を殺害した藤城はその後自宅に戻り、母屋にガソリンを撒いて火をつけた。同居していた母親(当時73歳)はすぐに警察に駆け込み難を逃れていた。


 藤城は車を出し、実弟の家に行き「母親のことを頼む。わしは死ぬ」と言った。妹宅にも電話で同じことを伝えている。藤城はその後、加古川バイパス西インター付近で灯油缶を積んだ車を信号柱にぶつけ自殺を図るが、炎上したところを発見されて事情を聞いた捜査員に「あれは俺がやった」と話し、身柄をおさえられた。藤城は右腕に火傷を負っていた。

 藤城はその後、やけどの治療のため神戸市内の病院に入院、回復を待って、8月31日、退院と同時に逮捕された。

出典:加古川・ニ家族7人殺害事件

	

動機

殺された伯母のとし子さん宅は本家にあたり、康孝の家は分家にあたる。康孝は、とし子さんの亡夫(康孝の父親の兄)と父親との間の相続で恨みを抱いていた。土地や資産など本家と分家との差を執拗に恨み犯行に至ったとされる。また、定職も就かず狭い社会の中で、康孝は「近所の者は、自分を馬鹿にしている。邪魔者扱いしている」と邪推。被害妄想を膨らませた末の犯行とも言えた。その点で、戦前に起きた「津山30人殺し事件」の都井睦雄をイメージさせる。


現在、弁護側は、「犯行時、心神喪失か心神耗弱だった可能性がある」として精神鑑定を請求。神戸地裁は、これを認めて鑑定を実施することを決定。このため、現在公判は停止状態にある(平成20年4月末現在)。


その後、公判は再開され、平成21年5月29日神戸地裁は、「冷酷、残忍で犯罪史上まれにみる凶悪な犯行。刑事責任はあまりに重く、極刑に処するしかない」として求刑通り死刑を言い渡した。弁護側は控訴した。

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兵庫・加古川の7人殺害事件の裁判

兵庫県加古川市で2004年、親族ら7人を殺害、1人に重傷を負わせたとして、殺人と殺人未遂、現住建造物等放火の罪に問われた無職藤城康孝被告(56)の控訴審判決が26日、大阪高裁であった。米山正明裁判長は求刑通り死刑とした一審・神戸地裁判決を支持し、控訴を棄却した。

藤城被告は親類や近隣住民から見下されていると思い込み、04年8月2日未明に近所のおばやいとこら8人を包丁などで殺傷。自宅に放火したとして起訴された。

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藤城康孝被告に死刑判決

平成16年に親類ら7人を刺殺した殺人事件で、無職、藤城康孝被告(52)の判決公判が29日、神戸地裁で開かれ被告に死刑判決が言い渡されたそうです。被告の弁護側は犯行当時の心神喪失を主張して責任能力を否定したそうですが、裁判長は責任能力ありと判断して極刑を決断したそうです。弁護側はただちに控訴する方針だそうです。

兵庫県加古川市で平成16年、親類ら7人を刺殺したとして、殺人などの罪に問われた無職、藤城康孝被告(52)の判決公判が29日、神戸地裁で開かれたそうです。


岡田信裁判長は「冷酷、残忍で犯罪史上まれにみる凶悪な犯行。刑事責任はあまりに重く、極刑に処するしかない」として求刑通り死刑を言い渡したそうです。弁護側は控訴する方針だそうです。


弁護側は事件当時、被告は心神喪失か心神耗弱状態だったと主張したそうです。


4年半にわたった公判では、妄想を伴う精神障害を認め完全責任能力を否定した鑑定と、人格の偏りはあるものの精神障害はなかったとした鑑定の、どちらが信用できるかが争点となったそうです。


岡田裁判長は判決理由で「犯行までの経緯と被告の性格などから、殺意を抱いたことは妄想とはいえず、攻撃的な人格障害の特徴を持っているに過ぎない」と指摘したそうです。


被告には完全責任能力があったと認定、弁護側の主張を退けたそうです。

出典:加古川7人刺殺事件で藤城康孝被告に死刑判決! : ざっくばら...

	

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