米国裁判史上最大の冤罪事件、サッコ・ヴァンゼッティ事件とは

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サッコ・ヴァンゼッティ事件とは


サッコ・ヴァンゼッティ事件(サッコ・ヴァンゼッティじけん、The Trial of Sacco and Vanzetti)は、1920年代にアメリカで問題となった事件。偏見による冤罪ではないか、という疑惑があり、これが事実なら米国裁判史上に残る最大の冤罪事件と言われる。司法側は冤罪だったとは認めていないが、行政側が冤罪とみなす宣言を行ったりしている。

ニコラ・サッコ(右)とバルトロメオ・ヴァンゼッティ(左)

			
最も有名な冤罪事件である。『死刑台のメロディ』をはじめとして数多くの創作の題材になっているので御存知の方も多かろう。たしかに、2人が疑わしいことは否定できない。しかし、裁判自体は明らかに不当なものだった。検事や判事の態度は偏見に充ちてた。

 1920年4月15日、マサチューセッツ州サウス・ブレイントリーの製靴工場が2人の暴漢に襲われて、給料1万6千ドルが奪われた。その際に会計主任のフレデリック・バーメンターと警備員アレッサンドロ・ベラルデッリが射殺されたのだが、その手口が極めて残虐だ。初めに撃たれたベラルデッリは、犯人たちが立ち去る際に至近距離から再び撃たれてとどめを刺されている。また、バーメンターは既に金庫を手放して逃げているのに後ろから撃たれた。まるでプロの殺し屋のような冷酷さだった。

 この事件の4ケ月前、1919年12月24日に近くのブリッジウォーターでやはり製靴工場を標的にした未遂事件があった。黒いワゴン車に乗った4人組に銃撃されたのだ。今回も2人の暴漢は別の男が運転する黒いワゴンで走り去った。同一犯である可能性が高い。


 目撃者は50人以上いたが、その証言はまちまちで「イタリア人」ということ以外に共通点は見られなかった。とりあえずその線で捜査は進められ、フェルーチオ・コアッチとマイク・ボダの名が浮上した。共にアナーキストの活動家で、国外追放処分の決定を下された人物だった。

 4月17日、犯人が逃走に使ったと思われるビュイックの黒いワゴンが、現場から25kmの林の中で見つかった。そのワゴン車はブリッジウォーターの事件の直前に盗まれたものだったことから、2件が同一犯である可能性が濃厚になった。また、乗り捨てられていたのはコアッチの家から3kmの場所だった。彼の容疑もまた濃厚になった。

 更に、同じ日にボダが所有する車が修理に出されていることが判明した。警察は誰かが引き取りに来た時は必ず通報するようにと修理工場の主人に云い渡した。


 5月5日、4人の男が車を引き取りにやって来た。ボダとその連れはオートバイで、残りの2人は徒歩だった。1人はダービーハットを被り、もう1人は長い口髭を生やしている。この2人がニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティだった。

 車は修理は終わっていたが、ライセンス・プレートがまだだったために4人はそのまま帰って行った。そして、電話で連絡を受けた警察が徒歩の2人組を追跡し、市電に乗り込んだところで身柄を押さえた。サッコは32口径のコルト・オートマティックと実弾23発、ヴァンゼッティは38口径のリボルバーを所持していた。共にアナーキストの活動家だった。


2人は己れの素性やその日の行動を偽ったため、疑惑の眼を向けられた。一方、ボダはイタリアに逃亡し、コアッチは逮捕されたが、怪しい物を何も所持していなかったために国外追放となった。かくして、当初の容疑者は退場し、おまけで登場したサッコとヴァンゼッティが容疑者として浮上した。奇妙なはなしだが、それもこれも2人が銃を不法所持していたのがまずかったのだ。銃を持っていなければ、2人が起訴されることはなかっただろう。


 まずはヴァンゼッティだけがブリッジウォーターの強盗未遂事件で起訴された。サッコには水も漏らさぬアリバイがあったからだ。ヴァンゼッティもアリバイを主張したが、証人全員がイタリア人だった。検事はあからさまに彼らを蔑み、

「そのつたない英語は信用性に乏しい」

 と断じた。陪審員もこれに同調し、ヴァンゼッティには15年の刑が云い渡された。


 続く強盗殺人の裁判は更に予断と偏見に基づくものだった。ほとんどの目撃者が2人を犯人と断定できなかったにも拘わらず、検事は強引に2人を起訴した。被告が懲兵を免れるためにメキシコに逃げていたことを指摘すると、

「あなたはこの国を愛していますか?」

 などと質問した。こうなるともう刑事事件の裁判ではない。アナーキスト狩りの政治裁判だ。弁護士も間抜けで、事件を争うことなく理念の擁護に終始した(社会主義者だったらしい)。2人にはハナから勝ち目はなかった。これは魔女狩りだったのだ。


 2人に死刑判決が下ると、アメリカは疎か欧州を中心とした世界各地から抗議の声が上がった。にも拘わらずマサチューセッツ州知事は特赦を与えず、27年8月23日、サッコとヴァンゼッティは電気椅子により処刑された。


 後の弾道検査により、サッコが所持していた銃が凶器だった可能性が高いことが判明している。しかし、そうだとしても裁判が著しく不公正だったことは間違いない。1977年7月19日、マサチューセッツ州知事は2人の無罪を正式に表明した。当然のことと云えよう。

出典:殺人博物館〜サッコとヴァンゼッティ

	

サッコ・ヴァンゼッティの再審を求めるデモ

			

死刑執行後の経過


死刑執行の50年後にあたる1977年7月19日、マサチューセッツ州知事のマイケル・デュカキスは、この裁判は偏見と敵意に基づいた誤りであるとして二人の無実を公表、処刑日にあたる8月23日を「サッコとヴァンゼッティの日」と宣言した。

出典:サッコ・ヴァンゼッティ事件 - Wikipedia

	

アメリカの画家ベン・シャーンによる「サッコとバンゼッティ」(左バルトロメオ・バンゼッティと右ニコラ・サッコ)と右「サッコとバンゼッティの受難」(ふたりの棺の前に立っているのは、左から、当時の最高裁判事、審議委員会議長、裁判所判事。背景は裁判所です。)

映画化

米国司法の大汚点・冤罪の代名詞として長く名を残しているこの事件は、

1971年に伊・仏・米の合作映画で「死刑台のメロディ」(Sacco and Vanzetti)として映画化された

その主題歌、「Here"s To You」はサッコとヴァンゼッティへの追悼と、その生涯と最期への敬意、

そして二度と同様の事が起きない為の誓いの歌である


たった四行の詩を力強く繰り返す、不当への怒りと、それに抗った二人への畏敬に満ちたこの歌は、

今も広く様々な場面で歌われている


(訳詩は、ネットに流布している物から、心情を表している物を選んだ)

出典:

	

死刑台のメロディ

アメリカで実際に起きた事件を映画化。二人の青年が身に覚えのない強盗殺人の犯人として死刑を受けるまでを描く。音楽はエンニオ・モリコーネ。

Here"s To You

Here"s To You

作詞・歌唱: ジョーン・バエズ 作曲: エンニオ・モリコーネ


Here’s to you, Nicola and Bart           ニコラとバートに捧げよう

Rest forever here in our hearts          永遠に、私たちの胸の中に生き続ける

The last and final moment is yours        最後の最期の瞬間はあなたたちのもの

That agony is your triumph             苦悩さえも、君たちの勝利だ!

ゲーム METAL GEAR SOLID(メタルギアソリッド)でも使用


メタルギアシリーズ(METAL GEAR series)は、コナミデジタルエンタテインメント(旧・コナミ)が販売しているステルスゲーム『メタルギア』およびシリーズ作品の総称である。コナミを代表する作品として紹介されることが多い。
『MGS V』は従来作になかった多くの新規要素を搭載しているが、その内の1つはゲームシーンとデモシーンの移り変わりがシームレスに行われること。小島監督いわく、9割がワンショット・ワンカメラで演出されるという。

 OPで流れる楽曲は、1971年のイタリア&フランス合作映画『死刑台のメロディ』の主題歌である、『Here’s To You』。『メタルギア ソリッド 4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』ではハリー・グレッグソン氏によって編曲されたものがEDに使われていたが、『MGS V』では原曲がOPに使用されている。なお、『Here’s To You』の歌詞を読み解くと、“人種と報復”に基づく『MGS V』のテーマが見えてくるらしい。

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Sharetube