【死刑判決】横浜中華街店主銃殺事件の「熊谷徳久」とは
横浜中華街店主銃殺事件
2004年(平成16年)6月23日、東京都渋谷区の渋谷駅構内で朝のラッシュアワーの時間帯にそれは発生したのでした。時間は午前8時45分。
東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線渋谷駅での事でした。
当日、東京メトロに勤務していた渋谷駅員・西岡茂雄さん(当時32歳)が宿直勤務(夜勤)で駅員室に向かっていた最中に何者かにいきなり銃撃されるという発砲事件が発生したのでした。
そして被害者は、手荷物を奪い取られたのでした。
しかし、その手荷物の中身には金銭などはなく、宿直勤務で使っていた洗面道具一式だったといわれています。
西岡さんは銃撃により重傷を負ってしまいました。
警察は事件発生の一報と同時に捜査を開始。時間が朝のラッシュ時という事で目撃者への聞き込みも即座に開始されました。
警視庁の捜査員の聞き込みで、犯人の風体が明らかにされました。
「年齢は50歳くらい。
身長は160センチ前後。
頭は白髪混じり。」
捜査員らは目撃証言に一致する人物を追います。
しかし、当日夕方、事件は一転。
「渋谷駅での発砲事件は俺がやった。」
として、東京都の警視庁本部に証拠の拳銃と共に自首して来た熊谷徳久容疑者(当時)が出現しました。
熊谷徳久容疑者は白いレンタカーに乗り、警視庁の玄関前に乗り付けたのでした。
そして、熊谷徳久容疑者は近付いて来た警ら中の警察官に対して
「渋谷駅での発砲事件は俺がやった。」
と自ら口を割ったのでした。
熊谷徳久容疑者は当時64歳で無職・住所不定という人物像でした。
熊谷徳久容疑者が所持していた拳銃は5連発式の拳銃で、その弾倉には4発の実弾が装填されていたのでした。
被害者から奪った洗面用具一式の入った手荷物は
「途中で捨てた」
と自供。
事件の動機は、
「金に困っていた」
と自供をしたのです。
それを裏付けるかのように熊谷徳久容疑者の財布には、金は殆ど入って無かったのでした。
熊谷徳久容疑者の財布には免許証が入っていました。
それは自動車の免許証でした。
取調べで熊谷徳久容疑者は、捜査員に対して、
「ここ2ヶ月ほどは、レンタカーの車中泊を繰り替えていた。」
と自供。
こうして、渋谷駅駅員銃撃事件は大きく展開を変えたのでした。
取調べの中で熊谷徳久容疑者は次のように自供もしています。
「俺は駅の売上金を狙っていたのだ。
そして待ち伏せをしていた処に被害者が通りかかった。」
と言います。
自供内容では、被害者の西岡さんが売上金運搬役だと勘違いして、それを奪うために銃撃したとしました。
そして、後に検察は熊谷徳久容疑者を強盗殺人・強盗殺人未遂・銃刀法違反・放火未遂・建造物侵入などで起訴します。
しかし、熊谷徳久容疑者は渋谷駅駅員銃撃事件以外にも数々の犯罪を犯していたのでした。
それによると、渋谷駅駅員銃撃事件より1ヶ月ほど前の同年5月6日には東京駅で放火騒ぎを起こしていました。
東京駅の地下3階に設置された機械室に忍び込み、其処に灯油を撒き散らし放火しようとしていたのでした。
また、渋谷駅駅員銃撃事件の25日前の5月29日の事です。
熊谷徳久容疑者は横浜中華街でも殺人事件を起こしていたのでした。
横浜中華街にて中華料理店「白楽天」を営む清水文男さん(77)が、横浜市中区の自宅前で何者かにより銃撃されたのでした。
被害者の清水さんはその銃撃により射殺されたのです。
警察は現場検証で数々の証拠物件を押収。
すると、白楽天の周囲には証拠となるゴミが落ちていたのでした。
そのゴミから熊谷徳久容疑者の指紋が複数検出されていました。
また、神奈川県警の鑑識課は殺害現場付近からも熊谷徳久容疑者の指紋が検出されたと発表。
それにより、熊谷徳久容疑者は犯行前に念入りな下見をしていたという可能性が高まったのでした。
出典:Home 罪状 強盗殺人、強盗殺人未遂、強盗未遂、銃刀法※違反、現住建造物等放火未遂、建造物侵入 死刑執行 2012年9月12日
犯行日時 2004年5月29日/6月23日
裁判焦点
一審、論告で検察側は論告で、「事業資金を得るという私欲のための極悪非道な犯行。わずかな期間に凶悪な事件を連続して引き起こし、自責の念も認められず、更生も期待できない」と述べ、死刑を求刑した。論告は「被告の犯罪傾向は根深く、反省のかけらも認められない。遺族や被害者も極刑を望み、社会に与えた影響も大きい」「反省の念は皆無で極刑をもって臨むしかない」と指摘した。弁護側は最終弁論で事実関係を認めた上で、「反省して自首しており、更生する可能性もある」と述べた。また、不遇な成育歴(出生後、間もなく母親が去り、父親とも2歳で死別。身を寄せた伯父の家は空襲で被災し、その後はたまたま知り合った人の家を転々とする生活だった)を強調し情状酌量を求めた。
熊谷被告は被告人質問で、「自分は死刑に等しい人間。(被害者には)申し訳ないと思っている」と語っている。
毛利裁判長は判決で、「刑務所出所後わずか1ヶ月半余りの間に立て続けに犯行に及んでおり、金に対する執着と、人の命を奪うことすら構わない危険な考えがみてとれる」と熊谷被告を断罪。「起訴事実を認めているが、金に執着して人命を奪うことも構わない危険な考え方が見られる。不遇な成育環境に対する恨みや性格の偏りがあり、更生意欲もない。被害者が死刑を望むのももっともだ」と指摘。「更生の可能性は低く、同様の犯行に及ぶことが大いに懸念される」と述べた。
その一方、殺害された被害者が一人だったことや、殺人など重大事件の前科がない、自首をした、被害者の家族らに謝罪の手紙を送っていることなどを考慮し、「死刑はいささか躊躇を感じざるを得ない」と判断した。ただ、「仮出獄については、犯行に照らして慎重な運用がなされるべきだ」と付言した。
検察側が死刑を求めて控訴した。
弁護側は「死亡した被害者が1人の事件では死刑ではなく、無期懲役とするのが近時の裁判例の傾向」と主張した。
判決で高橋裁判長は「拳銃が使用されて一般市民が標的になり、国民を恐怖に陥れた。他の凶器による犯行以上に危険かつ悪質で社会的な非難は強い」と指摘。「被害者の遺族らの憤激や悲嘆の念は計り知れない。また右ほおに拳銃を押し付けて発射した態様などから、死亡被害者一人だからといって死刑を回避するケースではない。一審は量刑判断を誤っており、破棄を免れない。10回懲役刑に処され、度重なる矯正教育にもかかわらず犯罪性向は深刻化しており、被害者が1人でも死刑をもって臨むほかない」と判決理由を述べた。また判決では、一部の事件について自首の成立を認めた。しかし、「事案の重大性にかんがみ、有利な事情を酌む程度には限度がある」と判断した。
2011年2月1日の最高裁弁論で弁護側は、「殺人の被害者は1人で、計画性もないずさんな事件。判例基準からみても、死刑は重過ぎる」と死刑回避を主張した。検察側は「動機や態様、被害者の処罰感情を考慮すれば、極刑に処するしかない」と上告棄却を求めた。
判決で田原睦夫裁判長は、料理店主殺害と地下鉄渋谷駅での駅員銃撃事件について、「至近距離から発砲するなど、いずれも確定的殺意に基づいており冷酷で残忍」と非難。弁護側の「殺人の被害者は1人で死刑は重過ぎる」という主張については、「撃たれた駅員は右足が完全にまひするなど後遺障害に一生苦しむことになり、結果は重大」と退けた。そして「事業を起こすために大金を得るという身勝手な動機で1人を殺害し、1人に重傷を負わせた人命軽視の態度は強い非難に値し、死刑を是認せざるを得ない」と述べた。
出典:kumagait"
裁判の流れ2005年一審、東京地裁にて無期懲役判決。
2007年控訴審、東京高裁にて一審破棄、死刑判決
2011年上告審、最高裁にて上告棄却、死刑確定
熊谷死刑囚 確定後「脱走企て武器作った」市民団体調査に
熊谷徳久(くまがいとくひさ)死刑囚(73)は2011年6月、前社民党党首の福島瑞穂参院議員と死刑廃止を求める市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が全国の死刑囚を対象に行ったアンケート調査に回答を寄せ、拘置所内での様子をつづっていた。熊谷死刑囚は「自分は平成23年3月8日に脱走を企てて、武器を作り、牢番(ろうばん)を傷つけている人間」などと最高裁判決後に、拘置所からの脱走を図ったことがあると記載。同月下旬には、「運動所」で自殺を図って「懲罰」を受けたとも記していた。
また、「寝る時は布団はなしで、毛布が3枚と、黒色の上下の、下が5ミリと上が1センチの黒色の布」と寝具について記し、1人で入っているとみられる「鎮静房」にいるとした上で、「自分がどうしてと言うと、お前は特別な人間であるから」と拘置所の職員に言われたとしていた。
死刑執行
平成16年に横浜市で料理店の経営者をけん銃で射殺したほか、東京の地下鉄渋谷駅で駅員に発砲して大けがをさせたとして強盗殺人などの罪で死刑が確定した73歳の男の死刑が、12日午前、執行されました。安倍政権で死刑が執行されたのは、ことし4月以来3回目です。死刑が執行されたのは、平成16年5月に横浜市で中国料理店を経営していた当時77歳の男性をけん銃で射殺し、店の売上金40万円余りを奪ったほか、翌月の平成16年6月に東京の地下鉄渋谷駅で駅員をけん銃で撃ち、大けがをさせたとして、強盗殺人などの罪で死刑が確定した熊谷徳久死刑囚(73)です。安倍政権で死刑が執行されたのは、ことし4月以来3回目で、合わせて6人になりました。
また、今回の死刑執行で刑が執行されていない死刑囚は132人となりました。谷垣法務大臣は会見で「誠に身勝手な理由で尊い人命を奪った極めて残忍な事案であり、被害者や遺族にとって無念このうえない事件だ。裁判所で十分な審理を経たうえで最終的に死刑が確定した事実を踏まえ、慎重な検討を加えたうえで死刑の執行を命令した」と述べました。
遺族側の感情
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