「タクシーには気をつけて!」広島タクシー運転手連続殺人事件とは
広島タクシー運転手連続殺人事件
広島タクシー運転手連続殺人事件(ひろしまタクシーうんてんしゅれんぞくさつじんじけん)とは1996年に広島県でタクシー運転手が売春婦4人を殺害した連続殺人事件。
犯人 日高広明について
1962年、宮崎県宮崎市で生まれる。農家の3人兄弟の末っ子だった。高校は地元の進学校に進み、将来の夢は教師だった。成績は優秀で、マラソン大会で優勝するなどスポーツも万能。友人は多く、ガールフレンドもいた。
高校3年になると、日高は担任の教師から、筑波大学への推薦入学をすすめられる。
「筑波大学なら、教師はもちろん、研究者として大学に残れるかも」
日高の夢は広がっていった。
しかし、結果は不合格。絶対確実、と踏んでいた福岡教育大学も失敗し、結局私立の福岡大学法学部へ進んだ。
「福岡大学ではたとえ教師になっても尊敬されない」
日高は自身も無名の私立大学出身の教師をバカにしたことがあった。この一件を境に日高は変わっていく。
大学に入ると、日高は授業もほとんど出席せず、酒とギャンブルにのめりこんだ。
「俺は筑波大学を推薦で受けたほどの人間だ。お前らとは違う」
日高は大学の同級生を見下していた。
大学4年時、留年が確実となった。あれだけバカにしていた同級生の中から、国家公務員や県の職員が次々と誕生してく。日高は大学を中退した。中退後、宮崎市の実家に戻った。周囲には「司法試験に失敗した」と話し、プライドを保った。そして市役所の臨時職員として働き始める。
しかし、酒と女に溺れていた日高はバイクの酒気帯び運転で逮捕され、遊ぶ金欲しさにひったくりを繰り返していた。
1986年、日高24歳の時、日高は会社役員宅に侵入し、夫人に包丁をつきつけて、預金通帳と現金2万円を奪った。まもなく、強盗容疑で逮捕され、二年の実刑判決を受けた。
1989年、出所した日高は宮崎を離れ、叔父を頼って広島市へ出た。そこで彼はタクシー運転手となった。大企業のエリート社員を乗せ、ハンドルを握りながら、その姿を見るたびに日高はコンプレックスを募らせた。ここでも遊び癖は治らず、手取りで30万あった給料の大半を酒と女に使い、それでも足りず、サラ金から借金を重ねた。
1992年、29歳となった日高は叔父の紹介で知り合った女性(当時30)と結婚している。この当時、日高は500万円もの借金があったが、結婚を機に、奇妙な方法で清算する。建売住宅を購入し、このローンを実際より400万上乗せして組み、妻の貯金100万円と加えて計500マンをつくり、この借金を綺麗に返済した。
家を手にして、新婚生活もうまくいき、93年に長女も生まれた。子供が生まれて、日高も人並みに幸せな生活に満足しつつあった。しかし、長女誕生からわずか二日後に、事態は暗転する。妻がブツブツと意味不明なことを呟き、時折奇声をあげるようになった。精神を病んだ妻は入院、子供は実家に預けることとなった。
「おれはどこまでもついとらん」
日高は再び、酒とギャンブルに溺れるようになった。借金を繰り返し、94年末には200万にまで膨れ上がった。日高は実家の兄に泣きつき、返済してもらった。妻の状態は一進一退を繰り返し、一時退院したものの、95年からは再び入院を強いられた。精神を病んだ妻の回復の兆しは見えず、日高はまた夜の女を買い、酒を浴びるように飲むという生活に陥った。実家に引き取られた娘とは疎遠になるばかり。
「筑波大学の推薦まで受けたほどの俺がまさかこんな・・・」
そうして借金に苦しむ日高は落ちるところまで落ちていった。
犯行
96年4月18日午後8時ごろ、西日本一の歓楽街と言われる薬研堀(やげんぼり)を流していた日高は、新天地公園に佇むひとりの少女に声をかけた。「遊ぶん?」
日高がそう言うと、少女・A子さん(16歳)はうなずいた。この新天地公園は援助交際のメッカとして知られていた。日高はそれまでもこうして遊んでいたことがあった。
日高とA子さんはラブホテルに入り、約束の二万円を渡した。そしてシャワーを浴び、コンビニで買ったビールで乾杯したあと、Aは涙ぐみ始めた。話によると、A子さんは父親の借金を返済するために大阪から働きに来たという。「手元に10万円あり、これから呉市まで返済に行く」と話すと、日高は「なんか、するのが悪いね」と言った。内心、日高は「やられた」と思いながらも、お人よしのタクシー運転手を装い、呉まで送っていくと約束した。
タクシーを走らせながら、日高はAの所持金10万円と自分の渡した2万円、計12万円を狙い始める。「借金の返済が賄える」と考えた。うまいことにAは「大阪に祖母がいるだけ」と話しており、身寄りのないよそ者であった。
前方に呉市の灯りが見える頃、日高は人気のない道で車を停めた。
「エンジンの調子が悪いけ、ちと足元のシートをめくってくれんかね。配線をチェックするけえ」
A子さんはそう言って、運転席を降りた。そして身をかがめていたAに後ろから近づき、手にしていた.ネクタイで首を絞め殺した。ところが、A子さんの所持していたのは5万円だけで、日高が目論んだ12万円などどこにもなかった。タクシーは死体を乗せたまま、25km離れた広島市内まで戻り、A子さんの死体を田圃脇水路の土管に遺棄した。
殺害から18日後の5月6日、A子さんの腐乱死体が見つかる。身元は呉市の定時制高校に通う一年生と判明した。
「大阪の女じゃなかったのか」
日高は震え、自分の身辺に捜査の手が迫ってる気がして、生きた心地がしなかった。
しかし、7月を過ぎても周囲に警察の動きはしなかった。
日高が狙うのは売春婦だけだった。2人目の犠牲者はスナック勤めをしていたB子さん(23歳)だった。A子さんと同じように新天地公園でタクシーに誘い、車中で3万円を渡して安心させてホテルに入った。
ホテルを出たのが午前0時50分、タクシーは何の前触れもなく山道で停まった。ここでBに車が故障した旨を伝え、足元のシートをめくるように頼んだ。そしてネクタイで首を絞めて殺し、Bの身体を改め52000円を奪った。死体は山林に捨てた。
Bの死体は8月下旬になっても発見されず、日高はますます自分の犯行に自信を深めた。
9月7日深夜、以前から顔見知りであったホステス・C子さん(45歳)をタクシーに乗せた。日高はC子さんに3万円を渡し、「車の中でしてもいいかね」と言うと、C子さんは了承した。性交の最中、日高は後ろからC子さんの首を絞めて殺した。そして所持金82000円を奪った。遺体は加計町の町道脇に捨てた。
9月13日午後10時、日高は以前に何度か遊んだことのあるD子さん(32歳)に声をかけた。しばらく車内で話した後、日高は缶ビールを買いに外に出た。しかし、戻ってみるとD子さんの姿はなかった。
翌日午前0時過ぎ、日高は一件のホテルの前で再びD子さんに出くわした。日高は料金として4万円を提示し、D子さんも承諾した。タクシーを発進させると、2人は郊外にあるホテルにむかった。
午前2時、静まりかえった田舎道で車を停めた。そしていつもと同じように、後部座席のD子さんに足元のシートをめくるように頼んだ。D子さんが屈みこんでシートを剥がそうとするのを見ながら、日高はネクタイをほどいていた。突然,、D子さんが顔を上げ「なんか怖い。ひとりで帰る」と言い出し、車から出ていった。
早足で歩くD子さんを日高は車で追いかけた。するとD子さんは4枚の1万円札を日高に対して投げつけた。日高は「やさしゅう言うとけば、つけあがりやがって」と怒り、D子さんの首元にナイフをつきつけ、車内に戻るように脅した。後部座席にD子さんを連れこむと、顔面を十発ほど殴り失神させ、首を絞めてとどめをさした。その後、ネクタイの両端を天井部の手すりに結び、首吊りの格好で固定させた。そのままタクシーを移動させ、湯来町の山林の斜面に遺体を投げ捨てた。この時、D子さんの所持金56000円も奪っている。
逮捕
死刑
9月21日に容疑者は逮捕され、その供述から残る二人の遺体も発見された。強盗殺人でもあるが被害金額は全部で24万円で、さらにそのうちの半分は自分が売春の為に渡したもので、公判の供述から快楽殺人と報道された。ただし、容疑者は高校時代は優等生でありながら、挫折しやすく楽な方に流れていきやすい性格が災いしその後は滑り落ちるような人生で、取調べ中も「どうせ、おれなんか」と投げやりで、明らかに自暴自棄な態度だった。2000年2月9日に広島地裁(戸倉三郎裁判長)で死刑判決を受け控訴せず確定した。2006年12月25日に広島拘置所において死刑は執行された。44歳だった。
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