「80人が集団自殺」ブランチ・ダビディアン事件とは
ブランチ・ダビディアン
ブランチ・ダヴィディアンはアメリカを拠点とする新興宗教団体であり、「ダビデ派セブンスデー・アドベンチスト教会」から1955年に分裂して立ち上げられたプロテスタント系のセクトである。当初はヨハネ黙示録による終末思想を思想体系とした小さな宗教団体にすぎなかったが1990年にバーノン・ハウエルが教祖に就任したのをきっかけに急速に選民思想が説かれ、ブランチ・デヴィディアンの信者だけが
最終戦争後に生き残ることを神に認められていると主張して教祖のカリスマ的な魅力もあり多数の信者を獲得する。
教祖バーノン・ハウエルはこの後デビット・コレシュと改名した。これはユダヤの英雄の名にちなんだものである。
教団はオウム真理教よろしく最終戦争への準備として武装化を推し進め大量の銃器を不正に取得。ついに司法当局やマスメディアの注目を浴びることになる。
教祖デビット・コレシュは1959年8月17日にテキサス州ヒューストンに生まれた。
母親はわずか15歳でデビットを出産し父は誰とも知れなかった。デビットはのちに籠城中にTV局の取材を受け子供のころは孤独だったと語っている。
失読症を患ったデビットは高校を卒業出来ずに中退。しかしこのときから音楽と聖書への熱意は抜きんでていた。
12歳でほぼ聖書を暗記するまでになり17歳で自分がキリストであるという妄想を抱くようになる。
ロックスターに憧れハリウッドに出てはみたもの芽が出ずに挫折仕事に就くも聖書の話ばかりしてしまうので首なることが続いたという。
しかしブランチ・デヴィディアンに入信するやそのカリスマ性と聖書の知識でたちまち頭角を表していった。
その後教団指導者のルイス・ローデンが死去するとその息子との間で教団の主導権を巡って対立、ついには銃撃戦が発生するまでになるが信者の支持で多数派となったデビットは1990年正式に教団のトップに就任した。
このとき分裂したルイス・ローデンの息子はいまでもブランチ・デビディアンを名乗り布教を続けている。
教団代表に就任したデビットは資金集めに奔走し大金を手にした。その一方で巡礼と称してイスラエルに観光に行くなど金使いは荒かったという。
また信者の少女にわいせつな行為を行っていたとも言われる。
教団は児童虐待の容疑をかけられ、武器不法所持の疑いも強まり時の司法長官ジャネット・リンはATFに強制捜査の命令を下した。
そして1993年2月28日テキサス州ウェイコの教団本部についに捜査官が突入する。
その数は100人に及ぶ精鋭であったが、対戦車ライフルまで装備していた教団の反撃によって捜査官4名という犠牲を払って敗北した。このとき教団側の信者6名も死亡している。
教団が準備した武装は自動小銃を中心にアンチマテリアルライフルや手榴弾まで含む膨大なもので、その火力はちょっとした軍隊に相当した。
さらにはATFから情報が漏えいしていたためにマスコミのカメラが突入を生中継しておりその生々しい銃撃戦は全世界に配信されることとなった。
この武装衝突を受けて捜査権限はATFからFBIの手に移った。
籠城の中でデビットはCNNのインタビューにこたえ自分は7つの封印を解くことのできる神の子羊であり、この戦いは最終戦争の前哨戦であるとうそぶいた。
3月2日には全身に手榴弾をまいて「自殺してやる」というパフォーマンスも見せている。
その後地元ラジオ局に自分の声明を放送すれば教団の子供を解放すると持ちかけ実際に4人の子供が解放された。
現場から2kmほど離れたところにはマスコミ村ができ、屋台が立ち並んで望遠鏡を片手に教団施設を覗きこむ観光客まで出現した。
FBIはたびたびデビットとの交渉に臨んだが、何一つ成果を得ることはできなかった。
ブランチ・ダビディアンの教団旗
教祖:デビッド・コレシュ
(本名バーノン・ハウエルVernon Wayne Howell)1959年8/17日テキサス州ヒューストン生
ブランチ・ダビディアンが所持していた武器
出典:ブランチダビディアン事件 - MEDIAGUN DATABASE
突撃銃コルト AR15:123挺
USSR AK47:44挺
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自動小銃
スプリングフィールド M1:26挺
スプリングフィールド M14:不明
-
小銃
銃種不明:11挺
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拳銃
銃種不明:60挺
-
短機関銃
AAI M10:不明
MAC M11:不明
-
散弾銃
銃種不明:2挺
-
重機関銃
銃種不明:不明
-
対物火器ベレッタ50口径ライフル:2挺
-
擲弾発射器
M76手投げ弾発射機:1挺
FBIとのにらみ合い
全米が見守る中で教団とFBIのにらみ合いは51日にまで及ぶ。ブランチ・デヴィディアンは武器弾薬だけでなく1年分の食糧まで備蓄していたため早急な解決は望めない。
事態の長期化を憂慮した司法長官は4月19日、強行突入を決断する。
教団施設は堅固な要塞と化していることを考慮して、突入には19台もの戦車や装甲車、武装ヘリまで動員して突入すると堅固であった教団施設の壁はあっさりと崩壊し突入は成功したかに見えた。
ところがFBIの予想に反し、内部に突入されても信者は抵抗することを止めず銃撃戦のなか出火した炎のなかでデビットは信者80名を道連れに焼死したのである。
信者のほとんどは銃撃戦ではなく、この火によって焼死したと考えられる。
非情に凄惨な事件であったがむしろ問題はその後に発生した。
当初信者の一人が聖なる火で戦車を燃やそうとしたために出火したと考えれていたが、FBIの催涙ガスが可燃性であったために銃撃の火花で引火したのではないかという疑惑が浮上した。
生中継されていたTVの映像でも、自動小銃が発砲された瞬間爆発的に炎上する様子が映し出されている。
しかも突入したATFの逮捕状の請求や武器の使用に違反があったことも判明。
極めつけは突入前の4月14日にデビットが降伏を表明する文書をFBIに手渡しているにもかかわらずFBIは司法長官にこの文書を報告することを怠っていた。
故意か過失かは不明とされているが、さすがに過失の可能性は少ないだろうと考えざるを得ない。
FBI長官であったセッションズはこの事件の不手際に加えて汚職事件を引き起こし、マスコミのバッシングを浴びて辞任した。
この事件に対する政府の対応に不満を抱いた青年がいた。
その青年の名はティモシー・マクベイ。
彼はその復讐として巨大なトラック爆弾を製造しオクラハマシティ連邦政府合同庁舎で爆破事件を引き起こす。
実に167名という前代未聞の犠牲者を出したオクラホマ・ボマーはカルト宗教団体の壊滅を産声として誕生したのである。
逮捕にあたっての問題点
FBIと銃撃戦の末、コレシュは80人の信者を道連れに自殺。信者のほとんどは焼死と見られるが、出火原因が問題になっている。出火は「聖なる火」で戦車を破壊しようとしたという説が言われていたが、突入した装甲車がランタンやプロパンガスのボンベを破裂させた説や、現在は可燃性の催涙ガスにFBI側の銃火が飛んで引火したという説も有力である(自動小銃らしき発砲の直後に発火した映像が残っている)。
FBIは一発も実弾は発射していないと主張しているが、マスコミが赤外線カメラでヘリコプターから撮影した映像には銃弾の発射の模様が映っている。また信者が脱出しようとしていたところに少なくとも2回の実弾攻撃を加えたという証言がある。
逮捕状の請求や武器の使用に法律違反があった。信者の一人は昼食を食べていたところを、壁を貫通した砲弾にあたって死亡している。
また、FBIは4月14日にコレシュが送ってきた降伏の手紙を司法長官に渡さなかった。内容は「刑務所で信者たちに布教ができるように計らえば投降する」というもの。
一連の教団施設攻撃は、適正手続き(due process)という点から政府の対処に問題ありとして批判を浴びている。
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