【大量毒殺事件】名張毒ぶどう酒事件とは
世にいう「名張毒ぶどう酒事件」を知っているだろうか。一九六一年三月二八日に発生した、凄惨な大量毒殺事件である。日本の犯罪史上、帝銀事件や和歌山カレー事件とともに三大毒殺事件の一つとも言われている。
名張毒ぶどう酒事件
名張毒ぶどう酒事件(なばりどくぶどうしゅじけん)とは、1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で起きた毒物混入事件。5人が死亡し、「第二の帝銀事件」として世間から騒がれた。逮捕・起訴され、容疑者の奥西勝(おくにし まさる)は死刑判決が確定している。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。
出典:たむたむ
当時の村人にとって、懇親会というのは数少ない楽しみの一つでした。そこで男たちには清酒が、女たちにはぶどう酒が振舞われました。突然、女たちがもがき苦しみだしたのです。あわてて医者が呼ばれましたが、その甲斐もなく5人が死亡、12人が中毒症状を起こしていました。
女たちが飲んだぶどう酒に農薬「テップ剤」が混入されていたことが検査の結果明らかになりました。
昭和36年3月28日、三重県・名張市葛尾の村落で生活改善を目的としたサークル「三奈の会」の総会があり、公民館に男女32人が集まった。午後8時過ぎ、総会を終えて懇親会に移った。男達は清酒、女達はぶどう酒を各々注ぐと和やかに祝杯を挙げた。その直後、女達が苦しみだした。緊急連絡で駆けつけた医者の介抱もむなしく5人が死亡、12人が中毒症状を起こした。現場に急行した警察は、早速捜査を開始する。まず、男達が飲んだ清酒では中毒症状が無いことから、女達が飲んだ「ぶどう酒」に原因があるとして調べる。その結果、ぶどう酒に「農薬(ニッカリンT)」が混入されていることが判明した。そこで、警察はぶどう酒の購入・搬入に誰が関与したのかを調べる。すると、3人の男性が重要参考人として捜査線上に浮かんできた。
取調べで3人は犯行を否認するが、その内の一人、奥西勝(当時35歳)は、死亡した5人の女性の中に妻と愛人がいたため「三角関係の清算」のための犯行ではないかと嫌疑をかけられた。
4月2日、警察の厳しい取り調べで(警察は、奥西の家に泊まり込みで取り調べを続けた)、奥西は「公民館でひとりきりになった時に自宅から持参した農薬(ニッカリンT)を、ぶどう酒の王冠を口で開けて混入した」と犯行を自供する。
その後の公判で奥西は、自供は厳しい取り調べで強要されたものであり、犯行はしていないと全面否認する。昭和39年一審の津地裁で「無罪」になるが、昭和44年二審の名古屋高裁では「死刑」という正反対の判決がでた。昭和47年6月の最高裁で二審を支持。奥西の死刑が確定した。平成14年4月8日、第7次再審請求を名古屋高裁に申立て中である。
ニッカリンTニッカリンTの致死量は0.06~0.15グラム。青酸カリが0.15~0.3グラムであるからいかに劇毒であるがか分かる。有機リン系の毒ガスや農薬は、人など脊椎動物が筋肉などを動かす際の命令を伝達する物質であるアセチルコリンを分解する酵素、コリンエステラーゼと結びつく。その結果、コリンエステラーゼの活動がブロックされる。そのため、アセチルコリンは情報を伝える仕事を終えるとただちにコリンエステラーゼによって分解されるのだが、そのまま残ってしまう。そのため筋肉は運動するようにという刺激を与えられたままになり、そのため痙攣を起こし、呼吸筋も動かなくなり死に至る。
確定判決
1964年12月23日、一審の津地方裁判所(小川潤裁判長)は自白の任意性を否定しなかったが、目撃証言から導き出される犯行時刻や、証拠とされるぶどう酒の王冠の状況などと奥西の自白との間に矛盾を認め、無罪を言い渡す。検察側は判決を不服として名古屋高等裁判所に控訴した。1969年9月10日、二審の名古屋高等裁判所は一審の判決を覆して奥西に死刑判決。目撃証言の変遷もあって犯行可能な時間の有無が争われたが、名古屋高裁は時間はあったと判断、王冠に残った歯形の鑑定結果も充分に信頼できるとした(ただし、王冠に残った痕跡から犯人の歯型を確定するのは不可能である、とした法医学者も居た)。奥西は判決を不服として最高裁判所に上告した。
1972年6月15日、最高裁判所は上告を棄却した。
再審請求
1974年、1975年、1976年、1977年、1988年と5次にわたる再審請求はすべて棄却される。1980年9月、請求審で初の現場検証、1986年6月、請求審で初の証人尋問。1988年12月、名古屋高裁が再審請求を棄却。1993年に名古屋高裁が異議申立の棄却、4月に弁護団が最高裁に特別抗告。1997年に最高裁が特別抗告の棄却、同年に第5次再審請求の棄却、1998年10月に名古屋高裁が第6次再審請求を棄却、弁護団が異議申し立て、1999年9月に名古屋高裁が異議申立の棄却、弁護団が最高裁に特別抗告、2002年4月に最高裁が特別抗告の棄却、同年に第7次再審請求。
2005年2月、毒の特定で弁護側鑑定人を証人尋問、4月5日、名古屋高裁(第1刑事部・小出錞一裁判長)が再審開始を決定する。同時に死刑執行停止の仮処分が命じられた。王冠を傷つけずに開栓する方法がみつかったこと、自白で白ワインに混入したとされる農薬(ニッカリンT、有機リン系の殺虫剤、TEPP(テップ)剤の一種)が赤い液体だと判明したこと、残ったワインの成分からしても農薬の種類が自白と矛盾すること、前回の歯形の鑑定にミスがみつかったことなどが新規性のある証拠だと認めた。
しかし、同年4月8日、検察側は、ニッカリンTは昔出されていた白い液体の物が回収されずに、事件当時は白い液体と赤い液体と混合して流通していたことなどの異議申立を行い、2006年9月に毒の特定につき弁護側鑑定人を証人尋問したが、12月26日に名古屋高裁(第2刑事部・門野博裁判長)が再審開始決定を取り消す決定を下した(死刑執行停止も取り消し)。
これに対し、弁護側が、2007年1月4日、最高裁に特別抗告したところ、最高裁は2010年4月5日付決定で、犯行に用いられた毒物に関し「科学的知見に基づき検討したとはいえず、推論過程に誤りがある疑いがある。事実解明されていない」と指摘し、再審開始決定を取り消した名古屋高裁決定を審理不尽として破棄し、審理を名古屋高裁に差し戻した(類似の事件はここ)。田原睦夫裁判官は、同最高裁決定で補足意見として、「事件から50年近くが過ぎ、7次請求の申し立てからも8年を経過していることを考えると、差し戻し審の証拠調べは必要最小限の範囲に限定し、効率よくなされるべき」と述べている。翌日に弁護団は「第7次再審請求最高裁決定についての弁護団声明」を、また同じ日に日本弁護士連合会(会長・宇都宮健児)は「名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求最高裁決定についての会長声明」で、「既に重大な疑いが存在することは明らか」であるから原決定を取り消したうえで最高裁の判断で再審開始決定すべきだったと述べ、差し戻ししたことを「遺憾である」と批判した。また、日本国民救援会(会長・鈴木亜英)も、2010年4月7日付の会長声明「名張毒ぶどう酒事件第7次再審最高裁決定について」で、「『再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りる』という1975年の白鳥決定の見地からすれば、差戻しによってさらに審理を継続させることなく、自判して、再審開始決定を確定させるべきであった」と述べている。
2010年3月上旬、名古屋拘置所で面会した特別面会人によれば、再審開始決定された布川事件や、再審無罪が確実視されていた足利事件などに触れた際、奥西は、「布川や足利はよかった。私も最高裁決定に非常に期待している」と述べたという。
2012年5月25日、名古屋高裁(下山保男裁判長)は『捜査段階での被告人の自白に信用性が高い』と看做し、検察側の異議申立てを認めて本件の再審開始の取り消しを決定。これに対して被告人弁護側は5月30日、最高裁判所へ特別抗告を行った。
2013年10月16日、最高裁判所第1小法廷(桜井龍子裁判長)は名古屋高等裁判所の再審取り消し決定を支持し、第7次再審請求にかかる特別抗告について棄却する決定を下した。これにより再審の道はまたしても閉ざされる結果となった。。
2013年11月5日、弁護団が名古屋高裁へ第8次再審請求を申立。
2014年現在、八王子医療刑務所で治療を行っている。
地域の事情
事件当時の葛尾は娯楽に乏しく、総会に際して行われる宴会は数少ない楽しみの一つだった。その最中に起こった惨劇は地域社会に疑心暗鬼を生んだ。奥西が逮捕された当初は、「犯人が特定された」という安堵により、むしろ奥西の家族にも愛の手をさしのべようという呼び掛けが行われた。しかし、奥西が否認に転じたことを知ると、家族への迫害が始まった。家族には一切口をきかず、家には投石された。果ては夕食中の被告宅に被害者遺族が押しかけ「土下座して謝れ」と詰め寄る事もあったという。こうした村八分の結果、家族が葛尾を去ると、何者かによって共同墓地にあった奥西の家の墓が暴かれ、墓地の外にうち捨てられた。葛尾は、事件当時、人口100人程度の集落であった。奥西が無罪であった場合、葛尾の中に真犯人がいる可能性が高いと思われたため、地域の「和」に再び波風を立てる結果になることを恐れたのである。一方、小さな集落が全国区で話題になったことへの反発もあった。その結果、奥西の無罪の可能性について公言することは憚られる状況になっているという。
2001年奥西さんから全国現地調査参加者宛へメッセージ
2001年奥西さんから全国現地調査参加者宛へメッセージ
川村さん新世紀全国現地調査に参加して下さった皆さんに次の言を伝言願います。
私が無実だ、えん罪だと叫びを信じて下さって再審開始へと必死の
支援、弁護活動を続けてくださる皆さん元気の生命届けてくれてありがとう。
又1月28日全国ネットワーク総会開催、そうして全国ネットワークの現調開催に遠い
所沢山の方々参加くださって本当にありがとうございます。
私は度々のこうした「百万円満力」を届けていただいて、年齢を忘れて
元気と精を出して一日一日を頑張っています。こうした支援、弁護して下さる
ので、えん罪を晴らして頂けると信じて、命の限り力いっぱい頑張りますので
これからも救援、弁護団と一体一丸となって力をかして下さい。
又2度とこのようなえん罪が起らんように、政界司法改革にと厳しい
監視と提言を続けてください。本日はありがとうございました。
平成13年3月 奥西 勝
日本の司法制度の問題点
奥西死刑囚は死刑確定から40年以上たつ、世界でも最高齢の死刑囚の1人だ。弁護側は8回目の再審請求を申し立てる方針を明らかにしているが、このプロセスには数年を要する。つまり今回の最高裁の決定は、老齢か死刑執行により、同死刑囚が刑務所で死ぬことを意味する。日本の司法制度は自白に大きく依存しており、しばしば拷問や虐待を伴う。また、尋問の長さに明確な制限はなく、弁護士の同席は認められていない。さらに死刑囚は独房に収容され、執行のわずか数時間前に告知を受ける。
日本には現在130人以上の死刑囚がおり、安倍首相が2012年に就任して以来、6人が死刑を執行されていると、アムネスティ・インターナショナルは指摘している。同団体は、例外なくすべてのケースにおける死刑に反対しており、日本政府に対し、まず死刑執行を一時停止するよう要請している。
スペシャル・ブロードキャスティング・サービスは、先進民主国家で死刑を執行するのは米国と日本だけで、欧州政府や人権団体が繰り返し抗議していると報じた。