ドン・キホーテ放火事件の「渡辺ノリ子」とは

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ドン・キホーテ放火事件


ドン・キホーテ放火事件(ドン・キホーテほうかじけん)は、2004年12月13日と12月15日にディスカウントストア、ドン・キホーテの埼玉県さいたま市内の店舗で相次いで発生した、一連の放火事件(2店舗で3回)。浦和花月店では、店員3人が焼死、8名が負傷する惨事(放火殺人)となり、マスコミ報道では、特に同店の放火火災について取り上げられた。

なお、容疑者の逮捕後に、「同市内の総合スーパーへの放火(合計4件)も同一犯である」とされた。

出典:ドン・キホーテ放火事件 - Wikipedia

	

事件の流れ


(いずれも04年)

【11月18日】


(1)午前4時半ごろ、ドン・キホーテ大宮大和田店(さいたま市見沼区)の入り口ドアを金づちで割って侵入し、ボストンバッグなど(約6万円相当)を盗む。



【12月13日】


(2)午後6時40分ごろ、北浦和サティ(同市浦和区)1階女子トイレで、ジャンパーに火をつけ仕切り板などを焦がす。


(3)午後7時10分ごろ、北浦和サティ2階女子トイレで油を染み込ませた紙に火をつけ、仕切り板を焦がす。


(4)午後8時15分ごろ、ドン・キホーテ浦和花月店(同市緑区)寝具売り場で布団などに火をつけて全焼させる。


(5)午後8時16分ごろ、ドン・キホーテ浦和花月店で火災に乗じてCDラジカセなど(約1万2000円相当)を盗む。


(6)午後10時34分ごろ、ドン・キホーテ大宮大和田店のアパレル売り場で、灯油を染み込ませたトイレットペーパーに火をつけ衣料品約218点を燃やす。



【同15日】

(7)午後3時5分ごろ、ドン・キホーテ大宮大和田店の寝具売り場で、ガソリンを染み込ませたタオルに火をつけ毛布など57点を燃やす。


(8)午後3時8分ごろ、ドン・キホーテ大宮大和田店で、火災に乗じて腕時計など(約53万円相当)を盗む。


(9)午後5時40分ごろ、イトーヨーカドー大宮店(同市大宮区)1階女子トイレで、紙に火をつけ仕切り板などを焦がす。


(10)午後6時ごろ、イトーヨーカドー大宮店で、火災に乗じて毛布1枚(4900円相当)を盗む。


(11)午後6時50分ごろ、北浦和サティ1階の女子トイレで、ガソリンを染み込ませたティッシュペーパーに火をつけ、仕切り板を焦がす。

出典:ドン・キホーテ放火:無期判決 「悔悟の感情ない」 被告を...

	

出典:いもBlog

ドン・キホーテ放火事件

			

鎮火後のドン・キホーテ

			
浦和花月店(12月13日)


2004年12月13日20時50分頃、埼玉県さいたま市緑区にあるドン・キホーテ浦和花月店の寝具売場で放火が発生。犯人は着火を確認後、即ちに逃走した、とされる。着火地点が入口から遠ざかった場所であり、避難経路の策定など防火体制の不備や、ドン・キホーテの特徴である「圧縮陳列」での商品への燃え移り(延焼)が災いし、浦和花月店は全焼した。

一度は店内から脱出したものの、「来店客が逃げ遅れていないか」の確認のため、再突入を行った3人のアルバイト店員が、店内から再脱出できず焼死。3人とも同じ場所で、炭化した状態で発見された。ドン・キホーテの社長は被害者の立場ではあったものの、「なぜ店員に再突入を行わせて、被害を拡大させたのか」、「圧縮陳列に問題は無かったのか」等の経営責任や、同店の営業再開に含みを持たせた曖昧な対応について、マスコミ各社から追及を受けることとなった(詳細はドン・キホーテ (企業)を参照)。

なお、同店は、国道463号(本線)と埼玉県道1号さいたま川口線(支線)が交差する花月交差点の傍にあった(2件目の大宮大和田店との経路に関係している)。

大宮大和田店(12月13日)


同日23時頃、見沼区のドン・キホーテ大宮大和田店で衣料品に放火が発生。店員の発見が早期であったため小火に留まったが、犯人は逃走。

なお、浦和花月店からは、縦貫する埼玉県道1号支線を経て、埼玉県道1号本線である第二産業道路区間を北上し、大和田交差点で左折した埼玉県道2号さいたま春日部線(旧国道16号)沿い、距離にして約10km以内に位置する。

大宮大和田店(12月15日)


12月15日15時頃、ドン・キホーテ大宮大和田店(前回の事件を受け、警備体制を強化していた)で、同一犯が再び放火。40歳代の女が、避難騒動に乗じて買い物かご単体(800円相当)を店外に持ち出し、店員の制止を振り切りマイカーで逃走、自宅に持ち帰った。この女が放火の重要参考人・容疑者として浮上し、同日22時過ぎに逮捕された。

渡辺ノリ子

さいたま市の大型量販店「ドン・キホーテ」で昨年十二月に起きた連続放火事件で、埼玉県警は二十三日、従業員三人が焼死した浦和花月店への放火容疑と、大宮大和田店への放火未遂容疑で、同市中央区大戸、無職、渡辺ノリ子被告(47)=別の現住建造物等放火未遂罪などで公判中=を再逮捕した。渡辺容疑者は二件とも容疑を認め、死亡した三人について「まさか死ぬとは思っていなかった。申し訳ない」と供述しているという。殺人容疑については、殺意を立証するだけの証拠が得られなかったことから今回は立件を見送った。これまで渡辺容疑者は放火を否認していたが、今月二十一日になって、「裁判でうそをつきたくない。事件と正面から向き合おうと思った」と犯行を認める供述を始めたという。調べによると、渡辺容疑者は昨年十二月十三日午後八時十五分ごろ、同市緑区のドン・キホーテ浦和花月店の寝具売り場付近に火を放ち、同店約二千二百九十平方メートルを全焼させた。また、同日午後十時三十五分ごろ、約七キロ離れた同市見沼区の大宮大和田店の衣料品売り場で洋服に火をつけ、婦人服など約二百二十着(二十二万円相当)を焼失させた疑い。浦和花月店は出火当時営業中で、客の避難誘導などを行っていた緑区三室、大島守雄さん=当時(39)=と同区東浦和、関口舞子さん=同(19)、同区中尾、小石舞さん=同(20)=が死亡した。さいたま市内では、昨年十二月十三日と十五日に量販店で計六件のぼやが連続発生しており、渡辺容疑者は、同月十五日に起きた大宮大和田店への放火未遂罪など計四件で起訴され、現在さいたま地裁で公判中。渡辺容疑者は昨年八月まで市内の整形外科で看護助手として勤務。同医院を辞めた後も万引や器物損壊容疑で逮捕されるなど、トラブルを繰り返していた。一連の放火事件後の家宅捜索では、万引されたとみられる商品が多数押収されている。

出典:ドンキ連続放火犯人、犯行をみとめる。渡辺ノリ子画像。 : ハ...

	

渡辺ノリ子

ドン・キホーテ放火事件

模倣犯

容疑者逮捕後の2004年12月中に、模倣犯と思われる以下の放火事件が発生。これらの容疑者逮捕についての報道は2011年6月時点でも無く、未解決のままと思われる。現住建造物等放火罪容疑で捜査が行われている場合の公訴時効は、25年である。

12月16日に、旧・大宮ロフト(旧:西武百貨店大宮店・2013年4月24日閉店)で、女子トイレのゴミ箱の中身が燃える小火が発生。


12月下旬に、ドン・キホーテ環八世田谷店で放火未遂事件が発生。防犯カメラの記録により、男の犯行と断定される。

出典:ドン・キホーテ放火事件 - Wikipedia

	

ドン・キホーテ放火:無期判決 「悔悟の感情ない」 被告を非難

「人の生命を尊重し、自らの犯行を悔悟するという感情が失われてしまっていたと言わざるを得ない」――。3人が焼死した大型量販店「ドン・キホーテ浦和花月店」の火災など、04年にさいたま市で起きた7件の放火と4件の窃盗事件で、現住建造物等放火、同未遂など13の罪に問われた同市中央区大戸、無職、渡辺ノリ子被告(49)に対し、さいたま地裁は23日、求刑通り無期懲役を言い渡した。物証に乏しく、弁護側が「自白調書の任意性に疑問がある」などと無罪を主張する中、飯田喜信裁判長は検察側の主張を全面的に認め、渡辺被告を強く非難した。渡辺被告は即日控訴した。【弘田恭子】

 判決によると、渡辺被告は男性との交際が破たんしたうっぷんを晴らし、騒ぎに乗じて商品を盗み出そうと、04年12月13日午後8時15分ごろ、浦和花月店(緑区)の寝具売り場の布団に火をつけるなど同13~15日に大型量販店4店の計7カ所に放火。浦和花月店は全焼し、従業員の大島守雄さん(当時39歳)、関口舞子さん(同19歳)、小石舞さん(同20歳)が焼死した。

 渡辺被告は捜査段階で放火を認めたが、05年3月の初公判以来、「火をつけたことはない」などと一貫して起訴事実を否認。弁護側は、壁に被害者3人の写真を張った部屋で取り調べるなど県警が違法な手段で得た自白だったとして、証拠採用された調書を排除するよう求めていた。

 一方、検察側は▽渡辺被告が、拘置中、同房者に「3人死ぬとは思わなかった」と語った▽渡辺被告に酷似した女性が防犯カメラに映っている――などと主張、「被告が犯人であることは明らか」としていた。

 飯田裁判長は判決で、「不当な誘導や供述の強要はなく、信用できる」として自白調書の任意性を認定。同房者との話も「自らが放火したことを前提に発言したとみるのが自然」とし、防犯カメラの映像や目撃証言などから「被告人が各放火の犯人であることを合理的に推認させる」と結論づけた。また、全焼したため物証のない浦和花月店については、弁護側は「従業員ら3人が出火前後に目撃した女性には髪形に食い違いがある」と主張。目撃証言の信用性が争われたが、飯田裁判長は「髪形は整合しないが、(渡辺被告が)黒い帽子をかぶっていたことから見まちがえた可能性もある」として、弁護側の主張を退けた。

 飯田裁判長は判決後、小石さんの母肇子さん(45)が、意見陳述で「生きて罪を償ってほしい」と話したことを挙げ、「裁判所としても同じ気持ち。余生を刑務所で過ごすことになるが、よく反省して亡くなった3名に思いをいたしてほしい」と説諭した。

 一方、渡辺被告は退廷時、一度だけ傍聴席を振り返ったが、表情を変えることはなかった。担当した村木一郎弁護士によると、公判後「火をつけていないのに納得できない」と話したという。

 ◇防火体制、不備も指摘

 判決で、飯田裁判長は床から天井まで商品を積み上げていた浦和花月店の陳列方法について「圧縮陳列などと呼ばれる特殊なもの。防火扉が閉まらないなど、防火設備の不備で十分な消火活動をできなかったとうかがわれる。同店でも体制を整えておくべきだった」と同店の防火体制についても言及した。火災後の消防などの立ち入り検査では、同店を除く県内の系列7店舗すべて(当時)で商品による通路幅の不足など、防火管理上の不備が指摘された。

 同社は判決を受け、「事件後、消防訓練の義務化や防災グッズの配備など防火体制には万全を期している。二度と悲惨な事故が発生しないよう今後も取り組んでいきたい」とコメントした。

出典:

	

店舗のその後


さいたま市緑区のドン・キホーテ浦和花月店の放火事件で焼死した店員3人のうち大島守雄さん(39)と小石舞さん(20)の合同葬が19日、同市大宮区で営まれ、遺族や同社の安田隆夫社長、社員ら約800人が参列した。  同社によると、安田社長は「放火犯は憎んでも憎みきれない。3人は客を避難誘導した後、さらなる安全確認のため燃えさかる店に再突入した。二度とこんな事故を招かぬよう防災強化に臨む」と弔辞を述べた。  会場は大勢の警備員が取り囲み物々しい雰囲気。浦和花月店の女性店長は「悪いのは責任者の私で、会社全体がどうという報道には憤りを感じる」と話した。

出典:47NEWS(よんななニュース):47都道府県52参加新聞社と共同...

	
【浦和花月店】

放火後、「焼け焦げて一部半壊した建物に、ブルーシートを被された状態」が続いていたが、捜査の進捗で警察官や警備員の警備が解けると、侵入防止用の警報装置が装備され無人となった。

事件直後は「営業休止扱い」とし、営業再開に含みを持たせていたが、2005年10月に解体されて更地となった。

その後、跡地に、当地からほど近い場所で営業していたサンドラッグ浦和花月店が新築移転し、2006年2月から営業している。


なお、元々はスーパーマーケットのマルエツ中尾店で、1990年代に火災で建物が損傷し営業を断念。修繕後にサミットとして営業されたのち、1999年4月1日にドン・キホーテ浦和花月店として開業した。テレビ朝日などでは開店当時の取材映像を保有しており、事件時に報道ステーションなど報道番組でその素材を交えながら放送していた。


2010年5月1日に、ドン・キホーテグループの長崎屋浦和店を転換(改装のみ)する形で、ドン・キホーテ浦和原山店として新規開店した(店舗の移転による事実上の再建)。

長崎屋浦和店は、同じ国道463号沿いで、400メートル程西(浦和駅方向)に離れた所で、1984年から営業していた。


2010年5月19日に、浦和原山店の駐車場入り口に、事件の慰霊碑が建てられた(殉職した3人の店員の遺族の希望)。

【大宮大和田店】


営業を継続したが、2010年にドン・キホーテグループのドイトによるDIY用品・ホームセンターのタウンドイトへ転換され、タウンドイト 大宮大和田店として営業したが、2012年8月12日で閉店。

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