戸塚ヨットスクール事件の「戸塚宏」とは
戸塚ヨットスクール事件
戸塚ヨットスクール事件(とつかヨットスクールじけん)は、1983年までに愛知県知多郡美浜町のヨットスクール「戸塚ヨットスクール」内で発生、発覚して社会問題に発展した一連の事件。戸塚宏による戸塚ヨットスクールは、当初航海技術を教える学校だった。その後情緒障害等に戸塚の指導は効果があるとマスコミでブームがおこり、戸塚も指導をヨットから生活指導等へきりかえ、親元からスクールに預けられる生徒が増加した。教育界のカリスマとしてマスコミは好意的にとりあげていたが、後に事件が発覚した。
戸塚ヨットスクール
戸塚ヨットスクール(とつかヨットスクール)は、日本のヨットスクールである。愛知県知多郡美浜町に所在する。校名は創始者であり校長の戸塚宏の名字に由来するもので、地名(横浜市戸塚区、戸塚宿)との関連性はない。
1976年:戸塚宏によって開設。1980~82年:訓練中に訓練生2人が死亡、2人が行方不明。その後、この事件について戸塚は傷害致死罪で懲役6年の実刑判決を受けた。
2006年:戸塚が刑期を終え出所(4月)。その約半年後、訓練生が死亡(自殺の可能性あり)
2007年:戸塚によると、「訓練生が屋上から飛び降りた」とのこと。その生死は不明。
2009年10月:3日前に入所したばかりの訓練生が屋上から飛び降り自殺。
2011年12月:訓練生が屋上から飛び降りて重傷を負った。
2012年1月:訓練生が屋上から飛び降り自殺。
時代背景
当時は70年代の「スパルタ教育」に対する否定的な声がある程度一般化しており、そんな中であえてタブー視されている「愛の鞭」が、むしろ尊しという声も少なからずあったため、行政より咎められるほどの批判には至らなかった。特に団塊の世代にとっては「古きよき時代」の言葉に代表される懐古趣味を暴力行為の是認とオーバーラップさせる傾向が強く、これは現在も変わっていない。
戸塚ヨットスクールのスケジュール
スケジュールはだいたいこんな感じです6a 起床-ランニング トレ ~30 ヨガ
7a 朝食 休憩 ~30 勉強
8a オカリナ ~30 瞑想 座禅
9a 午前の訓練
0a ~
1a ~
2p ~30 昼食
===================================
1p 午後の訓練
2p ~
3p ~
4p ~
5p ~
6p 夕食 ~30 休憩
7p ~30オカリナ
8p 勉強
9p ヨガ ~30
0p 消灯
概要
一般児童・青少年向けのヨットスクール・戸塚ヨットスクールにおいて訓練生の死亡・傷害致死・行方不明といった事件が1980年代を通じてマスコミに取り上げられ、スクールの方針が教育的な体罰というより過酷な暴行だったことが明らかになった。●1979年から1982年にかけて、訓練中に訓練生の死亡・行方不明事件が複数発生。
●1982年に起きた少年の死亡に関し、警察は当初は過ぎた体罰による事故と見ていたが、遺体から無数の打撲・内出血の痕跡・歯2本の損壊などが確認されたことから、1983年に傷害致死の疑いでスクール内を捜査。その後、指導員が舵棒と呼ばれるヨットの部材(舵取りのための道具。一部では「角材」と報道された)で少年の全身を殴打し、その後ヨットでの訓練を続けていたことがわかり、組織ぐるみの犯行として校長を含む関係者が逮捕され、他の死亡事件についても起訴された。
●1992年7月7日、名古屋地裁は戸塚宏、コーチらに対して傷害致死罪を認定。戸塚宏に懲役3年、執行猶予3年(検察側の求刑は懲役10年)、コーチらに懲役1年6ヶ月から2年6ヶ月、執行猶予2年から3年を言い渡した。これに対して、検察側と戸塚、コーチら6人が双方で控訴。
●1997年3月12日、名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。戸塚らは即日上告。
●2002年2月25日、最高裁は二審判決を支持して戸塚宏の上告を棄却。これで戸塚宏の懲役6年とコーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定した。
●2006年4月29日 - 満期で戸塚が出所。今後もヨットスクールを続ける意向を語った。
訓練中に発生した死亡・行方不明事件
1982年12月 少年(当時13歳)が死亡。入校一週間で暴行を受け、戸塚宏とコーチらはヨットから何度も海に落とし、死亡。この間、一切治療は行われなかった。
傷害致死で起訴された。
当時13歳だった少年の母親は週刊現代(2006年11月18日号)の実名インタビューで「出所後も焼香や謝罪は無かった。再犯が懸念される」という旨のコメントをしている。また、1982年にフェリーから海に飛び込んだとされて行方不明となっている少年の父親は同じく実名で「息子が本当に船から海に飛び込んだのかどうか未だにわかっていない。本当は突き落とされたのではないか」とコメントしている。一連の事件は、日本において体罰の是非を問う討論等でたびたび参考として出され、また個人の教育論の展開(講演会や商業書籍の執筆など)のために、引き合いに出されている。
公判
裁判の争点は《体罰は教育の一環なのか、単に暴力なのか》が争われた。平成4年7月27日名古屋地裁は、戸塚校長、コーチに対して傷害致死罪を認定するが、訓練には教育・治療の目的があったとした。よって、戸塚校長に懲役3年、執行猶予3年(検察側の求刑は懲役10年)、コーチらに懲役1年6ヶ月から2年6ヶ月、執行猶予2年から3年を言い渡した。これに対して、検察側と戸塚校長、コーチら6人が双方で判決を不服として控訴した。平成9年3月12日名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚校長に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。これを不服として戸塚校長は即日上告した。
平成14年2月25日最高裁は二審判決を支持して戸塚校長の上告を棄却。これで戸塚校長の懲役6年とコーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定した。
否定派と肯定派の声
しかしながら死者を出したほどの厳しい教育も必要悪だという声も依然として残存しており、また同スクールを卒業した生徒の保護者にとっては宗教の教祖に近い信仰もあって、むしろ逮捕されたことで一部では人間としての株を上げたというのが実情である。我が子の非行に手を焼き、途方にくれる保護者の最後の駆け込み寺として貴重な存在だとする声がある一方、末期のガン患者のわらにもすがる思いに至る心理に付け込んだ、悪質なビジネスと同じだという辛らつな声も存在する。
末期のガンが現代医学で治らない状況の中で、薬事法違反の健康食品を売りつけるというビジネスが許されていないのと同様、健康食品(集団暴行教育)で病状(非行少年)が治った(更生した)と言っても学術的な根拠は実際のところ未知数である。
「形を変えたロボトミー手術」という指摘もあり、戸塚流教育が一定の効果がある・無いにかかわらず、戸塚ヨットスクールにそれを実施する権利があるかどうかは議論の余地が残される。
かつて宗教的教義に基づいて地下鉄にサリンを撒いた団体が存在したことと同様、法律や現代科学を逸した身勝手な救済的行為は子供のみならず、「世の中こそ非行、世の中を体罰することが必要」という発想に結びつく危険性もある。
同校長はパナウェーブ研究所も関与する「電磁界等を考えるシンポジウム京都会議」に、発起人の一人として名を連ねていた経緯があり、また現在も自己のホームページなどにおいて「脳幹論」と称し、喘息・アトピー・花粉症・マザコン・出社拒否などの状況もすべて脳幹を鍛えることによって克服できるという独特の持論を展開しており、今後の素行が注目される。「癌を克服できる、と書くと医者から怒られるからアトピーと書いておく」という皮膚科医を冒涜する趣旨の発言も行っている。( 参考:http://totsuka-yacht.com/tuji.htm )
ネットワークコミュニティにおいても
「ニートがあふれる昨今、戸塚のような鉄拳制裁が必要だ」
「いかなる理由があっても暴力はいけない」
「体罰と体罰による痛ましい事故は状況によりよりけりだが、許せるし、必要だと思うが戸塚ヨットスクールの場合は体罰ということばを免罪符にしたサディズムなので、名物のヤンキー先生や熱血教師と同列に語るのは彼らに失礼だ」
「夜回り先生のやり方では生ぬるい、ドキュン(不良少年)は徹底的に痛めつけても構わないし、殺しても誰も困らない。戸塚ヨットスクールは必要悪」
「趣旨には賛同できるがPTSDや外傷治療の専門家を置かずして鉄拳制裁をビジネスにするとは言語道断」
「殺してしまっても構わない。親も世の中も迷惑するだけだ。そんな子供なら生死のかかったギャンブルに賭けたって良いはずだ。更生したら儲けもの」
といった声が数多く見受けられる。
スクールのこれから・校長出所後
校長たちの受刑期間中も変わらぬ信念のもと、スクールは継続運営され校長は2006年4月29日に静岡刑務所を出所。出所後の記者会見では笑顔を見せ、被害者と遺族置いてきぼりの自己の教育論を展開した。
「体罰は教育」という主張は変わっておらず、体罰に依存しない静岡刑務所の矯正プログラムが通用しなかったという皮肉な実態が露見された。
殺害された訓練生に対する現在の心境を訊かれ、「悼む気持ちは散々言っている」と言い放つと同時に検察庁や裁判所・マスコミ批判を繰り返し、再審請求をも検討していると明言した。
こうしたことから今後は「社会的使命を背負った慈愛の鬼」という路線で活動を再開すると見られ、逮捕前の所業の正当化を図るのではと一部では懸念されている。
同スクールに対しては、石原慎太郎(東京都知事)らが熱烈な支援を行う「戸塚ヨットスクールを支援する会」がこれの維持を図り、今後ますますの発展が期待されつつ現在に至っている。
こうした既卒者やその保護者を含む支援者の強力なコンセンサス故に、現役訓練生(および保護者)が教育方針や実務に対して苦言を呈することはタブー視される危険性があり、公正な第三者を置いていないことから再犯が懸念され、これからの戸塚ヨットスクールの課題と言える。
オススメのまとめ
http://sharetube.jp/article/13107/
NEVADA事件(佐世保小6女児同級生殺害事件) 佐世保小6女児同級生殺害事件(させぼしょうろくじょじどうきゅうせいさつがいじけん)とは、2004年6月1日午後、長崎県佐世保市の市...
http://sharetube.jp/article/13092/
香川・坂出3人殺害事件 香川・坂出3人殺害事件(かがわ・さかいでさんにんさつがいじけん)とは、香川県坂出市で50代の女性とその孫の幼児姉妹2人の計3人が2007年11月16日未明に...
http://sharetube.jp/article/13108/
宇都宮実弟殺人事件 宇都宮実弟殺害事件(うつのみやじっていさつがいじけん)とは、2005年(平成17年)5月8日に栃木県宇都宮市で発生した実兄が知人に依頼して実弟を殺させた事...