【死刑判決】雅樹ちゃん誘拐殺人事件の「本山茂久」とは
雅樹ちゃん誘拐殺人事件
雅樹ちゃん誘拐殺人事件(まさきちゃんゆうかいさつじんじけん)とは、1960年5月16日、東京都世田谷区で起きた男児誘拐殺人事件。
都民農園へ行け
1960年5月16日朝、東京世田谷区玉川等々力町のカバン製造会社社長の長男で、慶応義塾幼稚舎2年・尾関雅樹ちゃん(6歳)は制服制帽姿にレインコートを着て登校した。自宅から200m離れたバス停「等々力二丁目」でお手伝い・A子さん(当時21歳)に見送られ、目黒行きバスに乗車した。いつもと変わらない朝だった。ところが午前11時10分頃、雅樹ちゃんの家に男の声で電話が入った。
「メモを用意してください。お宅の息子さんを預かっています。お金を持って来てください。女中さんに200万円を包んだ風呂敷包みだけを持たせて、午後3時頃信濃町駅に来させ、神宮外苑を一周し、千駄ヶ谷駅に出て、タクシーで池袋に出て、それから西武線に乗って大泉学園駅で降り、都民農園行きのバスに乗って終点で下車し、バス通りを川越鉄道まで出てから、都民農園まであともどりさせてください。
女中さんの顔は写真で知っていますからね。わかっているでしょうが、警察に届けないこと。約束さえ守れれば、金を受け取って1時間以内に子どもを返します。200万円は新しい札ではだめです」
突然の脅迫電話に雅樹ちゃんが学校へ行っているものだとばかり思っていた母親は慌てふためく。念の為に学校へ確認してみると、やはり雅樹ちゃんは登校していなかった。
午後0時30~50分頃、学校側と父親がそれぞれ警察署に届け出。捜査は渋谷警察署が行なうことになり、秘密裏に開始された。
午後2時30分頃、男から2度目の電話。
「お金は用意できましたか。子どもさんは大丈夫ですよ。なにもひどいことはしていないし、女の人がそばにいるから大丈夫。約束さえ守れば、今日中に子どもさんを返します。子どもさんは今眠っています。睡眠剤を飲ませましたから」
午後3時頃、捜査員が張りこむなか、A子さんが現金に見せた新聞紙入りの風呂敷包みを持ち、信濃町駅に向かった。そして、犯人の指示通りに練馬区大泉学園町の都民農園までやって来たが、犯人は現れなかった。その夜も犯人からの連絡はなかった。
翌朝、幼稚舎に勤務している栄養士から、「目黒駅前のバス停付近で、雅樹ちゃんが1人の男に連れられて、学校とは反対方向に歩いていくのを見た」という目撃証言が得られた。
雅樹ちゃんは普段、渋谷区恵比寿の慶應幼稚舎にはバスで目黒駅まで行き、そこから地下鉄に乗って広尾駅で降りるのだが、この乗りかえたあたりで(午前7時45分頃)に男に連れさられたと見られた。
「三百万円持チ午後一時ヨリ新宿地球座デ連絡マテ。約束ヲ守ラヌト取引キヲ打チ切ル」
犯人からの電報が届いたのは同日午前11時30分頃だった。
早速、捜査員が発信局である新宿電報局を調べ、頼信紙を差し押さえると、発信人は新宿区柏木3の201の「太田芳男」という男で、9時57分に発信されていたことがわかった。
午後1時ごろ、電報の通りに、A子さんが現金入りの風呂敷包みを持って、歌舞伎町の映画館「地球座」で待ってみたが、今度も犯人は姿を見せなかった。
午後7時ごろ、3度目の電話。
「約束を破った。警察官がついていた。今度は絶対に約束を守ってください。午後8時30分、大泉学園からバスに乗り、大泉風致地区で下車し、左に折れ、突き当たったら、戻って下さい。そこで取引をする。子どもは家から金を持って出てから1時間以内に帰します」
A子さんはやはり風呂敷包みを持って、指定された場所に行ってみた。警察は今度も尾行、張りこみを続けた。結局、午後11時ごろになっても、男が現れなかった。
午後11時20分頃、男から4回目の電話が入る。
「尾行させていた。今度、金を取引する場所、時間はあとで連絡する」
しかし、犯人からの連絡はなかった。雅樹ちゃんと犯人の居所は依然つかめないままだった。
出典:雅樹ちゃん誘拐殺人事件
工員・山田正五の正体
「5月16日の午後3時半頃、近所の本山さんのお宅に伺ったところ、玄関のドアに鍵が差しっぱなしになっているので、不用心だと思い、裏手の家主さんの奥さんに連絡し、2人で本山さんの家に入ってみました。すると、玄関に子ども用のレインコート、白襟のついた上衣や紺色のフェルト帽が放りっぱなしになっており、奥の四畳半に7歳くらいの男の子が寝ていたので、どうしたのと尋ねると、『病院のおじちゃんときた。目黒から来た』などと言っておりました。今日の朝刊を見ると、児童が誘拐されたという記事が出ているので、ひょっとすると誘拐されたのは、その男の子かもしれない」杉並区上荻窪に住む女性が近くの派出所にやって来て、そう証言したのは5月18日の朝のことだった。この重要な証言を受けて、捜査員は早速、杉並区の本山方を監視してみた。
同日夜、本山方に乗用車ルノーが停まっているのが認められた。家を離れていた本山が帰ってきたと見られたが、午後8時30分頃になって、ルノーは猛スピードで発進、捜査員が乗用車で追跡したが見失ってしまう。
翌日朝、杉並区上高井戸の路上にルノーが放置されているのを近くの主婦が見つけた。後部座席には米俵のようなものが置かれていたが、死体らしきものが入っているように見えたので、彼女は警察に届けた。
遺体は高井戸警察署に移され、お手伝いのA子さんが確認に出向いたところ、雅樹ちゃんということがわかった。事件は最悪な結果を迎えた。
指名手配されたから2ヶ月近くが経った7月13日、大阪府布施市内の住みこみで働く工員・Hさんが、「同居する男が指名手配されている本山に似ている」と最寄の交番に届け出た。
Hさんにハンドバッグの口金製造業者に勤めていたが、「山田正五」と名乗る工員が彼にそっくりだというのである。
本山には盲腸の手術痕があり、本署の刑事課長はHさんに山田にもそれがあるか確認してほしいと依頼した。
14日、Hさんは山田を誘って浴場へ行ったが、手術痕の有無は確認できなかった。
17日、Hさんは今度は山田の所持品を調べてみることにした。彼のジャンパーのポケットをさぐると手帳があり、それをめくってみると、「誘拐事件に荷担した」というようなことが書かれてあった。山田こと、元歯科医・本山茂久(当時32歳)が逮捕されたのはその日の夕方だった。
出典:雅樹ちゃん誘拐殺人事件
本山茂久
本山茂久は、1928年4月3日に新潟県大島村で生まれた。実家は広大な土地を所有する地主であり、祖父は村長までつとめたことがある。彼はそんな家の長男として生まれ、下へも置かぬ扱いをされて育った。小さい頃から無口でおとなしく、成績も優秀だった。小・中学校は地元新潟の学校に通ったが、陸軍兵器学校に合格して神奈川県へ移住。敗戦を機に帰郷し、ふたたび地元の学校に入るが、敗戦後の農地改革は彼の実家に大きな打撃を与えた。
その後、東京歯科大学予科入学。
上京し、大学生活をはじめる。とくに親しい友人はなく、どこか秘密主義のところがあったという。人付き合いが悪いわけではなく、仲間に誘われれば飲みにもついて行くし、スキーもやる。だがそんな生活のかたわら、彼は学友の誰にも内緒でダンス教室の助教師と深い仲になっていた。彼女はじきに妊娠し、本山は責任をとらざるを得なくなった。 実家の父と祖父は、大学卒業を目前に跡取り息子がダンサーと結婚すると聞き、激怒した。そうこうしているうちに子供が生まれてしまい、結局結婚を認めるよりほかなくなったのだが、正式に婚姻届が出されたのは卒業から4年以上も経った1958年12月26日だった。
1954年4月から、本山はインターンとして台東区の歯科医院に勤務をはじめる。同年5月、歯科医師試験に合格。
だが同年7月には、彼は前の勤務先には無断で、台東区の歯科医院に勤め先を移る。そしてさらに8ヶ月後には、杉並区の歯科医院へ雇われ院長の待遇で移動するのである。
本山はなかなか腕も良く、ビジネスライクに患者の回転を優先させたので見る間に繁盛した。本山は妻子を引き連れ、医院に近いところへ一軒家を借りた。翌年には次男が生まれ、順風満帆といった態であった。
1956年11月、本山は妻の実家から資金を借り、開業を決意する。場所はいまの勤務先である医院の、目と鼻の先を選んだ。いままでの患者がそっくり自分の医院についてくるであろうことを計算してである。このやり口は雇い主を激怒させたが、本山は平気な顔で開業を果たしてしまった。
しかし本山歯科医院はそんな背景に関係なく繁盛した。1日の患者数は60人を下らなかったというから、なかなかのものだった。
しかし家庭の幸福は長くつづかない。
本山は料亭の女中と関係し、アパートを借りてやって入りびたった。それを知った妻は実家へ帰り、本山は妻の両親に難詰され、ガス自殺まではかる有様だった。開業の際借りた金の返済もほとんどせず、愛人に貢ぐばかりの本山に激昂し、妻は離婚を求める。しかし本山はそれを拒否。2人が家裁でごたごたしているうちに、愛人は本山の子を産んでしまった。
愛人との生活で借金がかさみ、妻からは離婚と慰謝料を請求される。いままで金に困ったことのない本山にとってそれは初めての経験だった。実家は素封家とはいえ、農地改革でもはや頼れるほどの財産はない。
1960年5月16日、本山は目黒駅に立っていた。慶応幼稚舎のバスが目の前に止まり、慶応舎のマークをランドセルに箔押しした児童たちが、わらわらと降りてくる。本山はそのうちの1人の子に近づき、「きみを迎えに行ってくれと、おかあさんに頼まれたんだよ」と言って車に乗せた。
子供の名は雅樹ちゃんといい、銀座天地堂の社長令息であった。歳はまだ7つ。本山は雅樹ちゃんを自宅に連れ帰り、家の情報を引き出せるだけ引き出すと、睡眠薬を与えて眠らせた。
そして雅樹ちゃん宅へ電話をかけ、「200万円を指定の場所に持って来い、警察に知らせたら子供の命はない」と言った。
しかし警察への連絡は早々になされ、現場には札束の大きさに切り揃えられた新聞紙が持ち込まれただけだった。翌日、今度は電報で
「ゴゴ1ジ 300モッテ シンジュクデレンラクヲマテ」
と打つ。しかしこのときも、本山は身代金の受け取りに失敗。さらに指定場所を変えて連絡するが、結果は同じであった。
むしゃくしゃして自宅に帰った本山は、まだ眠っていた雅樹ちゃんを殺すことを決心。部屋を密閉し、ガス栓をひねると、一酸化炭素中毒で殺した。
死体は米俵に詰め込み、石を重しにして沈めるつもりで車を出したものの、すでに警察の手が迫っていることを知り、死体を後部座席に放置したまま車を捨てて逃げ出した。
じつは本山が身代金の受け渡しに頭を絞っている間、鍵のあいた本山宅にあがりこんだ近所の主婦が、「見たことのない子供」が布団に寝かされているのを目撃していたのである。
それから2ヶ月間にわたって本山は逃走の旅をつづけるが、大阪で偽名を名乗り、加工業職に就いているところを発見され、逮捕された。
裁判には妻と愛人の双方が出廷したが、妻は「こんな男は厳罰に処すべきです」と証言し、愛人は「私の愛で彼を見守りたい」と証言した。
しかし本山歯科医院はそんな背景に関係なく繁盛した。1日の患者数は60人を下らなかったというから、なかなかのものだった。しかし家庭の幸福は長くつづかない。
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しかし警察への連絡は早々になされ、現場には札束の大きさに切り揃えられた新聞紙が持ち込まれただけだった。翌日、今度は電報で
「ゴゴ1ジ 300モッテ シンジュクデレンラクヲマテ」
と打つ。しかしこのときも、本山は身代金の受け取りに失敗。さらに指定場所を変えて連絡するが、結果は同じであった。
むしゃくしゃして自宅に帰った本山は、まだ眠っていた雅樹ちゃんを殺すことを決心。部屋を密閉し、ガス栓をひねると、一酸化炭素中毒で殺した。
死体は米俵に詰め込み、石を重しにして沈めるつもりで車を出したものの、すでに警察の手が迫っていることを知り、死体を後部座席に放置したまま車を捨てて逃げ出した。
じつは本山が身代金の受け渡しに頭を絞っている間、鍵のあいた本山宅にあがりこんだ近所の主婦が、「見たことのない子供」が布団に寝かされているのを目撃していたのである。
それから2ヶ月間にわたって本山は逃走の旅をつづけるが、大阪で偽名を名乗り、加工業職に就いているところを発見され、逮捕された。
裁判には妻と愛人の双方が出廷したが、妻は「こんな男は厳罰に処すべきです」と証言し、愛人は「私の愛で彼を見守りたい」と証言した。
救えた命
この事件、早期解決できる要因はいくつかあった。しかし、警察は解決の糸口を自ら無視し、雅樹ちゃんを死なせるという最悪の結果を招くこととなった。まず第1。
17日に本山宅のお手伝いが「雅樹ちゃんらしい子どもがテレビを見ている」と通報があったが、捜査陣は不確実な情報として、これを相手にはしなかった。
子どもを誘拐して身代金を要求するという犯罪は、金に困っている人間のすることで、とてもルノーを乗りまわしている歯科医によるものとは思えなかったのである。
3度目の電話で、犯人が「約束を破った。警察がついていた」と言ったため、家族は「警察は手をひいてくれ」と懇願していたが、警察はそれでも尾行と張りこみを続けた。
もちろん事件解決のために「張りこみするな」とは言わないが、簡単に察知されるような張りこみ方をするべきではなかった。
また、その時雅樹ちゃんはすでに殺害されていたとは言え、杉並区の本山方を監視した時に、なぜ事件は解決することはできなかったのか。
本山が逮捕されて1ヶ月後の8月17日、捜査本部280人は地元のデパートの食堂で打ち上げ式を行ない、非難を浴びている。
「雅樹ちゃん事件」の失策は、いずれも慎重過ぎた点だった。
誘拐事件での警察の不手際はこの後も続く。
1963年3月の「吉展ちゃん事件」の失策へとつながり、同年5月の「狭山事件」で功を焦る別件逮捕につながってゆく。
事件を起こそうとしたきっかけ
本山茂久は、1960年4月、フランスで起きた自動車王のプジョーの孫・エリック誘拐事件(エリックは無傷であった)の記事を見て、金に困っていたことから身代金を目当てにした誘拐事件をしようと企てる。「狙うなら金を払いそうな金持ちの家の子供がいい」と思い付き、慶応幼稚舎の園児を狙うこと、さらに多くの児童が乗り換える国鉄(現JR東日本)目黒駅周辺で連れ去るということも計画に挙げていた。
そして事件当日、本山茂久は雅樹に対し目黒駅で「お母さんに頼まれたので病院に行こう」と声を掛けて誘拐を図る。
雅樹は睡眠薬で眠らせたと言い、雅樹宅にお手伝いの女性に対し場所を指定してあるので、そこに行くように指示を出した。都民農園付近は事件を起こす前日までに入念な下見を行い、逃げやすそうな場所に車を停め、お手伝いの女性がバスでやってくると、逆の方向からバスから女性と犯人を追尾する警官を見つけたため、この日の受け取りを取りやめる。
事件2日目、指定した場所で女性を待ち合わせていると、本山茂久は足を滑らせて肥溜めに落ちてしまい、ズボンとサンダルには糞が付いてしまったため家路に着く。
そして3日目、本山茂久を特定しようと事件の詳細に至るまで加熱した報道を繰り返したメディアによって精神的に追い詰められた本山茂久は麻酔薬で衰弱状態となっていた雅樹を殺害しようと決断。雅樹の口にゴムホースを使ってガスを入れ、その上で首を絞めて雅樹を殺害、自宅を監視されていることを知って、あわてた本山茂久は死体となった雅樹を乗せて逃走するが、パトカーとすれ違い、杉並区内で車を乗り捨てると、横浜市から大阪市へと逃亡。最後は布施市で住み込み工員として仕事をしていたという。
この事件は誘拐事件において加熱した報道を繰り返したメディアに深い反省を与え、報道協定が制度化するきっかけにもなった。
判決
逮捕された本山茂久は1961年3月31日、東京地方裁判所で死刑判決を受ける。本山茂久は死刑を逃れようと精神異常者のふりをし、精神鑑定でも「犯行時は心神耗弱」という結果が出たため、一度公判が中断されるが、5年後の1966年8月26日、東京高等裁判所が控訴を棄却。
翌1967年5月25日、最高裁判所も第一審(原審)を支持して本山茂久の死刑判決が確定。1971年、死刑が執行された。享年43歳。
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