岩手17歳女性殺害事件とは
岩手17歳女性殺害事件
岩手17歳女性殺害事件(いわてじゅうななさいじょせいさつがいじけん)とは2008年に発生した殺人事件。
この事件は表向きは佐藤梢Bさんを小原勝幸が殺害したとされ、現在指名手配となっている。しかし、元警視庁の警察官でジャーナリストの黒木昭雄氏が矛盾を追及しヤクザであろう三陸沿岸部(F村)に住むH(K. H)[*他S.M、T.Oらも疑われるが敢てHとする]が、佐藤梢Bさん殺害事件と小原勝幸失踪事件に関係している仮説を立てて、岩手県警の不正を明らかにしようとした矢先、この黒木昭雄氏もまた2010年11月2日 千葉県市原市で、駐車した車の中で死亡しているのが発見され、2011年4月3日、テレビ朝日系『ザ・スクープSP ジャーナリスト黒木昭雄さん死の真相』にて、その不審死について疑問を投げかける番組が放送された。
岩手県警が発表した事件の概要
2008年7月1日午後4時過ぎ、岩手県川井村の松草沢で宮城県若柳出身の無職、佐藤梢Bさん(当時17歳)の遺体が発見された。犯人は、梢Bさんの知人で岩手県下閉伊郡田野畑村出身の小原勝幸(当時28歳)。小原は、6月28日深夜梢Bさんを誘い出し、田野畑村に戻る途中の車内で梢Bさんの首を絞めて殺害、遺体を松草沢に捨てた。また小原は、遺体が発見された7月1日午後9時頃、田野畑村の県道で自損事故を起こし、翌朝、鵜の巣断崖に所持品を遺留、投身自殺を偽装して逃走。岩手県警宮古署捜査本部は7月29日、梢さん殺害容疑で逮捕状を取る一方、小原勝幸を全国に指名手配。更に同年10月30日、警察庁は小原勝幸を警察庁指定特別重要指名手配被疑者に指定、翌11月1日、小原勝幸の検挙に結びつく情報の提供者に対して、上限100万円の捜査特別報奨金を支払うことを公告した。梢Bさんの遺体でわかるヤクザの仕業
遺体を隠すことなく見せつけるように橋から放り投げるやり方は、見せしめでやるヤクザのやり方。いくら素行が悪い人間でも女性に対しこのようなやり方はしない。見せしめる相手は小原である。次「殺す」との警告であり予告である。ところが岩手県警は小原を犯人として全国指名手配しているのである。小原は既にHらに消されたとみられる。岩手県警の悪人は、「死人に口無し」、これを利用した。
ジャーナリスト黒木昭雄氏(元警察)による事件の概要
2006年10月頃、小原勝幸は三陸沿岸部F村に住むH(30代男)の紹介で埼玉県内のある人物の手下として型枠大工の仕事に就いた。ところが小原は、数日で仕事場から逃げ出し、Hから逃れるように各地を転々としてた。2007年2月、小原は、同郷の友人下山ヒトシ(仮名)と二人連れの女子高生をナンパ。女子高生は、同姓同名の佐藤梢(当時17歳)だった。梢Aと意気投合した小原は梢Aを連れまわすようになり、ほどなくして梢Aは高校を退学。二人は下山のアパートに転がり込むなどしたあと、車上生活をしながら転々と暮らした。一方、梢Bは下山とは2~3度会っただけで親密な交際にはならなかった。
2007年5月1日、仕事先を郷里に求めた小原は、「もう怒ってない」と電話で答えるHの言葉を信じ、末弟を伴ってHの自宅に詫びに行った。この時梢AはHの家の前に止めた車の中で待機。そして事件が起こる。小原が手土産の日本酒を差し出すと、豹変したHが、隠し持っていた日本刀の切っ先を小原に咥えさせて言った。「迷惑料として120万円出せ」。そして、「指を置いていけ」と脅し、実際に、左の小指の上に包丁を当てさせると、Hはクリスタル製の灰皿を包丁の背の上にコツンコツンと落とし出血した。そして、「保証人を立てろ」と迫ると、小原は外で待つ佐藤梢Aの名前を勝手に書いてその場から解放された。だが小原は、それでも金を支払うことなく梢Aと逃亡生活を続けHの怒りはより膨らんだ。
Hの追跡は執拗だった
Hは、ウォンテッドなる携帯サイトに「この男、金を払わずに逃げている。見つけたら連絡下さい」などと、「yakuza」のidで書き込み、顔写真まで掲載した。そして、片っ端から小原情報を集める一方、「見つけたら必ず殺してやる。家に火をつける」などと言って回った。※H曰く「要求金額は10万円。頭をたたいただけ。書き込みは認めるが自分で消した」
恐喝事件から1年後の2008年5月のある日、携帯サイトでHの追跡を知った小原は6月3日、梢Aと二人で岩手県警久慈署を訪ね、Hを被疑者とする恐喝の被害届けを提出。梢Aも刑事に事情を聴かれた。その後、事件現場に居合わせた弟も久慈署に呼び出され状況を聞かれ、当時の様子を図面にして提出。久慈署の捜査はこうして開始された。
そして、梢Bが小原に連れ出された2008年6月28日当日、日常的な小原の暴力に耐えかねた梢Aは、この日昼前頃、盛岡競馬場近くから宮城県の自宅に逃げ帰った。更に昼過ぎ、「被害届けを取り下げるから戻ってきてくれ」とする連絡が梢Aの携帯に着信するも梢Aは無視した。しかし執拗な連絡に耐えかねた梢Aは、帰宅次第、家電から小原の携帯にワンギリすると約束。梢Aは帰宅直後の午後9時過ぎにワンギリを実行した。
10時頃、梢Aの携帯に見知らぬ番号から着信。無視すると、今度は自宅の電話が鳴った。相手は梢Bだった。このとき携帯メアドを交換した二人は、他愛のない話をメールでやり取りし、午前0時半ごろ梢Bからのメールは途絶えた。
一方小原は、6月29日午前7時頃、梢Aの携帯に右手の負傷を見せるかのような写真を送り付け、午前9時頃、田野畑村の村営住宅に暮らす次男宅に一人で現れた。小原の車の中に梢Bの姿はなかった。
この日の午後7時過ぎ、次男夫婦に付き添われた小原は、岩泉町の病院で右手の怪我について診察を受けた。医師は、「握ることも開くこともできない機能障害だった」と言う。
小原は6月30日と7月1日の二日間の日中を旧友の山田(仮名)宅で過ごし、30日の午後9時過ぎ、被害届け取り下げの相談を受けた小原の父が、久慈署の千葉警部補に被害届けの取り下げを求めた。だが、「あと2~3日で犯人を逮捕する。家族の安全は守る」と押し切られ被害届けの取り下げを断念。
img_327607_9355896_07月1日午後4時過ぎ、梢Bの遺体が田野畑村から片道約2時間の川井村で発見された。遺体は橋の上から放り投げられた状態で、橋から見える位置にあった。死因は首を絞められたことによる窒息死だったが、首にひもの痕はなかく、手によって絞められたとみられれている。被害者の死亡推定日時は、この6月30日から翌日の7月1だった。
7月1日午後9時過ぎ、自損事故を起こした小原は、その日の夜、両親に匿われるように実家の居間で横になった。ところが、翌朝、すきを見て自宅から逃げ出した小原は、親戚に頼み鵜の巣断崖の手前約1.5キロのところまで送ってもらい降車。その後、旧友の山田を鵜の巣断崖に呼び出し自殺をほのめかすも山田は帰宅。このとき小原は千葉刑事と携帯で話していたと山田は言うが、小原は午前10時半ごろの弟への電話を最後に忽然と姿を消した。山田は小原勝幸を見た最後の人物となった。
小原が残した遺留品は翌7月3日午後3時半ごろ、たまたま鵜の巣断崖を清掃していた役場職員に発見された。だが、この経緯はどこにも報じられていない。殺人の容疑者が逃走したら真っ先に報じるのが普通だ。情報を集め二次被害を防ぐために。
しかし、当然行われるであろう検問もなく、小原の捜索は翌日に回され、警察犬を使わず、消防団への捜索要請もなかった。特筆すべきは、被害者の身元が判明する12時間前の7月2日午前5時頃、宮古署の警察官を名乗る男性から、「お嬢さんは生きてますか?」との電話が梢Aの自宅にかかってきたことだ。梢Aの自宅を知る警察官はいない。唯一いるとするならば、恐喝の被害届けを受理した久慈署の千葉警部補である。
7月29日、警察は小原勝幸を佐藤梢Bさん殺害の犯人として指名手配した。だが、梢Bさん殺害の動機は依然として謎のままであり、小原が梢Bさんを殺害したとする確定的証拠はない。だが警察庁は事件発覚からわずか4か月後の11月1日小原に懸賞金を懸けた。小原を脅し殺人に絡んだ張本人Hは、今ものうのうと過ごしている。
何度も岩手県警にH情報を提出した人物によると、県警は動かず、やむなく岩手県公安委員会に苦情を提出したが、警察はそれでも動かず、公安委員会もまともな回答を出そうとはしなかったという。更に、田野畑村村民の約54パーセントの署名を集め岩手県知事に提出したが、達増知事は、所管外を理由に一蹴されたという。
こうした状況を報じるマスコミは無いに等しく、あえて言うならば、まともなのは、毎日新聞と、署名提出を報じた岩手放送とIBCだけで、地元紙の岩手日報、河北新報、他全国紙は軒並み報じず、共同通信は配信さえしなかったという。
警察庁が全国に情報提供を呼び掛ける懸賞金事件が、なぜ報道されないのか。なぜ配信されないのか。危険を覚悟で実名顔出しで署名を提出した市民のニュースが、なぜローカル以下なのか。事件を握りつぶそうとする何物かの力がはたらいているようだ。
小原への脅迫事件
2006年10月頃に小原は、東北地方沿岸部に住む男性Z(当時30歳代)の紹介で関東地方にある就職先を斡旋してもらったが、小原は数日で仕事場から逃亡した。2007年5月1日夕方、小原は紹介された就職先に対してメンツが潰されたことを理由に男性Zから迷惑料を要求される。男性Zは小原に日本刀を咥えさせ、「迷惑料が払えないなら、指を置いていけ」と指詰めを示唆する言動で脅し、120万円の借用書を書かせた。この時、Xは交際中の女性A(1年3ヶ月後に発生する殺人事件の被害女性Bと同姓同名で高校時代の同級生)を保証人とした120万円の支払いを約束させられ、女性Aの名前と携帯番号をその場で書かされた。
しかし、小原は120万を払わずに男性Zから逃亡。男性Zは携帯サイトに小原の実名と身体特徴と顔写真を添付して「金を払わず逃げ回っているとんでもないやつ」として携帯サイトに書き込みをした(携帯サイトは殺人事件から間もない2008年7月15日付けで閉鎖されている)。
2008年6月3日、小原は男性Zを被疑者とする恐喝事件の被害届を提出。殺人事件が起こる直前の6月28日昼過ぎを境に小原は被害届の取り下げを主張(被害届自体は最終的に取り下げはされていない)。そして、当日午後10時30分頃に小原は前述の女性Bを呼び出し、3日後の7月1日に女性Bが他殺体で発見された。
男性Zは恐喝事件について、自分は日本刀を所持しておらず指詰めも迫っていないと恐喝を否定。金額も120万円ではなく10万円であり、ネットへの書き込みは自分が思うことを書き込んだだけと主張している。く10万円であり、ネットへの書き込みは自分が思うことを書き込んだだけと主張している。
小原への指名手配への疑問
指名手配された小原の家族は「小原を殺人犯と断定した指名手配は納得できない」として、人権救済の申し立てを起こしている。小原は小指と薬指にケガをして事件2日前の6月29日夜7時頃に病院に診察に訪れて右手の握力が無く右手全体が動かない状態だと診断されており、殺害時期において被害女性Bの首を絞めて一人で遺体を投げ捨てることは不可能としている。2010年6月30日に指名手配されている容疑者の父親が、国や県に対して指名手配の差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こした。
黒木昭雄氏の不可解な死
黒木昭雄氏は元警察官の警察ジャーナリストである。1999年に退職し、以後、捜査するジャーナリストとして、警察内部の問題や世間を騒がせた事件などを独自捜査していた。
2010年11月2日 千葉県市原市で、駐車した車の中で死亡しているのが発見された。
駐車した車両の助手席に横たわった状態で、後部座席には練炭が置かれていた。自殺として扱われた。
尚、当初の報道時、朝日の記事では「ここ数日、所在が分からず、家族が探していたという。」という文章があったが、即、この部分は削除された。
死亡しているのが発見される前日、2010年11月1日、黒木昭雄氏はツイッターでツイートをしている。
元警視庁の警察官で、ジャーナリストの黒木昭雄氏(53)=千葉県市原市=が遺体で見つかった事件。千葉県警市原署は現場の状況などから自殺と断定し、遺体は4日、荼毘に付された。だが、「岩手の未解決事件を追うなかで、何者かに消された可能性もある」との物騒な声も根強い。(夕刊フジ)
黒木氏は2日午前11時10分ごろ、市原市内にある寺に停めてあったワゴン車助手席でぐったりしているのを長男に発見され、救急隊員が死亡を確認した。
車内後方には、燃えた練炭が置かれていた。市原署は早い段階で自殺と判断。司法解剖は行わず、遺体は同日遺族に引き渡された。
関係者によると、黒木氏は1日に「打ち合わせに行く」と言い残して出かけた。2日朝、黒木氏は家族に「墓参りに行く」とメールを送信。遠隔地に住む長男がたまたま仕事が休みで、寺に様子を見に行くと車を発見した。
裏金問題を現役警察官として告発した元愛媛県警巡査部長、仙波敏郎氏(現鹿児島県阿久根市副市長)は「岩手の事件ではかなり真相に迫っていた。7月に話した際、ホンボシ(真犯人)にたどり着いたと聞いた。『1人で大丈夫か?』と伝えたが、私も阿久根におるので手伝うことができなかった。私の感覚だと完全に殺されたと思う。警察は解剖すべきだった」と悔やむ。
岩手の事件とは2008年7月、岩手県川井村で当時17歳の少女が絞殺体で発見され、知人の男(30)が三陸海岸の断崖に遺留品を残し、飛び降り自殺を偽装し、逃げたとされるもの。
黒木氏はこれまでの取材で、容疑者の男を脅迫していた別の人物を突き止めていた。指名手配犯はその人物によってすでに消され、容疑者の“身代わり”となった可能性を複数の証言や証拠をもとに指摘している。
黒木氏と親しかった交通ジャーナリストの今井亮一氏は「事件にのめり込んでいた。あそこまでやるジャーナリストはいないでしょう。今月1日は、事件の報奨金が100万円から300万円に上がった。のめり込んでいたからこそ、矢折れ力尽きたのか…。経済的に困っている様子もなく、『今度、飲みに行きましょうね』という話もしていた」と話す。
一方、元警視庁刑事の北芝健氏は「練炭自殺と見せかけることは簡単。血液を分析して睡眠薬成分などを調べるべきだった。ただ、黒木氏は生活に困窮していたとも聞いている。私も援助を考える矢先の出来事だった」とコメント。
「近い関係にあった反権力陣営や仲の良かったメディア関係者が彼の困窮を知りながら、なぜ救えなかったのか? いまはただただご冥福をお祈りするのみです」と話している。
◇
黒木氏は偶然にも、(6日既報の)警視庁に痴漢容疑の取り調べを受けた後に自殺した原田信助さん=当時(25)=の母、尚美さん(54)と同日午後4時ごろ、電話で話していた。
尚美さんは「私が(新宿駅の)現場近くで目撃者捜しを続けていたところ、駅員がその様子を写真に収めてきた。そのことを黒木さんに伝えると『駅側が構内の目撃者捜しをやめさせるため、偽計業務妨害の証拠として撮影した可能性が高い。しばらくは駅構内での活動は自粛した方が安全です』と親身にアドバ イスしてくれた」と明かす。
黒木氏は、死亡する前夜も全面的なバックアップを約束していたという。それだけに「翌日に自殺するなど、到底信じられない」と尚美さんは驚きを隠さない。
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