下関駅放火事件とは
下関駅放火事件
2006年1月7日(土)未明、常習犯による衝撃的な「下関駅舎放火焼失事件」が起こった。火災発生から鎮火まで3時間。
今では珍しい木造の三角屋根を失い、山陽線、山陰線は終日不通となった。
急遽、バス会社6社による代行輸送が行われ、駅員、乗務員、乗客は混乱した。
概要
1月7日午前1時50分ごろ、下関駅構内のプレハブ倉庫から出火、駅舎に延焼した。木造平屋建ての駅舎東口が全焼。同建物(1942年建築)は特徴的な三角屋根を持ち、下関のシンボル的な存在だった。また下関乗務員センターや出火元の倉庫も全焼、焼失面積は延べ約3840平方メートルに及んだ。人的被害はなく、高架上にあるホームや線路、架線にも被害はなかった。
同日、現場近くにいた74歳の無職の男が放火の容疑で下関警察署に逮捕された。男は2001年(平成13年)にも福岡県内で放火未遂事件を起こし逮捕されており、前月12月に刑務所を出たばかりだった。男は過去10回にわたって服役を繰り返してきた知的障害者、いわゆる「累犯障害者」だった。事件の半日前には北九州内の区役所に生活保護を申請しに行き、「刑務所から出てきたばかりで住むところがない」というと「住所がないと駄目だ」と相手にされず、そこで下関行きの切符を一枚もらったのだという。動機は「刑務所に戻りたかったから」(『累犯障害者』山本譲司著より)。男は1月27日、山口地方裁判所下関支部に起訴された。
2008年(平成20年)3月26日、山口地方裁判所で本事件の判決が言い渡され、山本恵三裁判長は「本件による駅の被害額が5億円にも昇り、列車運行に大変な支障を来たした罪は重い」として男に懲役10年の実刑判決を言い渡した。
2014年現在、山口刑務所に受刑者として収監されている。
列車運行への影響
駅機能への影響は改札口や名店街などの駅ホーム下の構内は焼損しておらず、レールはほぼ無傷であった。しかし、この火災で、緊急時に列車と連絡を取る無線や信号設備を制御する通信ケーブルが焼損した。また、運転手が携帯する時刻表やブレーキハンドルなど220~230人分も焼損したため、山陽線「小月~門司」間と山陰線「長門市~下関」間(夕方、「長門市~滝部」間は復旧)の運転を取止め、サンデン交通、JR中国バス、構内、西鉄、JR九州バス等によるバス代行が終日続いた。また、寝台特急2本は厚狭駅と徳山駅で運行を取り止め、乗客は山陽新幹線に乗り換えて目的地へ向かった。
(補足)
下関駅の1日平均本数:山陽線(九州方面含む)221本、山陰線55本、貨物69本が運行。
改札口周辺は火の気が回らなかったものの消火作業で水浸した。
駅前の下関大丸は店舗周辺が焦げ臭かったため午前8時から2時間、空調設備を全開にして喚気を行う。
当日、海峡メッセ下関で予定されていた「出初め式」は一部の行事は中止されたが、鎮火したことで予定どおり行われた。しかし、消防関係者の半数が欠席ということでした。
全焼した駅舎内の14店舗と銀行4行
動機
火災拡大の原因
東口の駅舎は高い三角屋根と、吹き抜けになったコンコースを持ち、風の流入で火勢が強くなりやすい構造だったにもかかわらず、耐火構造になっていなかった。この日の下関市は冬型の気圧配置が続き、時折雪を伴った北西からの強風が吹いており、気象台からは風雪注意報が発表されていた。また、スプリンクラー設備も、消防法で設置が義務付けられる基準に達していなかったため、駅舎に備え付けられていなかった。こうした要因が複合して、延焼が拡大したと指摘されている。
出典:Wikipedia
天候 … 乾燥に強風重なる気温2.2度、湿度49%注意報がでるほどではなかったが「比較的乾燥した状態」で、7.2mの風がその時間、市内に吹いており駅周辺ではビル風や火災で起きる火災旋風などが合わさり、炎をあおった可能性がある。
三角屋根 … 空洞部に炎集中か?
築60年以上の木造で、シンボルだった三角屋根で内部が空洞で煙や炎が集まりやすかった。
防火 … 自動消火設備なし
駅周辺は防火地域で、建築基準法上は木造建築が許されていない。しかし、戦前に建築されいたため駅舎は適用外となっていた。スプリンクラーなども消防法の対象外で未設置だった。
(設置義務の対象となる販売店や飲食店、ゲームセンターなど計2918平方mでわずかに設置基準を下回っていた)
また、駅舎は午前0時から4時までガラス戸を閉め無人となる。駅舎の外を見回る態勢は経済的に難しかった。
事件の余波
事件後の1月11日、JR西日本は管内にある他の駅の防火対策を強化する意向を表明。特に、木造駅舎の防火設備の設置状況が適正かどうか精査するとした。駅舎の建て替えをめぐっては、既に2004年(平成16年)より、下関市とJR西日本、民間金融機関が協議会を設置、具体的な建て替え案の策定作業に入っており、2005年度(平成17年度)末には新駅ビル建設を含む建て替えの基本コンセプトを公表している。事件を受け、下関市やJR西日本などでは今後のスケジュールの前倒しを行うかどうか検討することにしていたが、2009年からの5年計画で駅舎再築に着手、2014年3月に新しい駅舎が完成した。
その他
事件後、下関駅に保存されてきた「振鈴」が一時行方不明になった。振鈴とは列車の発車時刻を知らせたハンドベルで、下関駅では明治時代から大正時代にかけ使用されていた。振鈴は1月10日になって、駅長室の焼け跡から発見された。木箱や柄の部分は焼失したが、鐘本体に異状はなく音色はそのままの状態に残されており、焼けた部分は三角屋根の焼け残った柱の一部を切り出して加工・修復し、事件の資料として下関駅にて保管されている。
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