土田邸・日石・ピース缶爆弾事件とは

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土田邸・日石・ピース缶爆弾事件

土田・日石・ピース缶爆弾事件(つちだ・にっせき・ピースかんばくだんじけん)とは、1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)にかけて、東京都内で発生した4件の爆破殺傷事件(未遂を含む)の総称。2件についてはピース(たばこ)の缶を使用した爆弾が、残りの2件については小包爆弾が使用されており、両事件を互いに無関係とする説もある。


18名が逮捕、起訴されたが、全員が無罪になった事件でもある(1人のみ別件微罪で有罪)。なお、4件中3件が未解決事件(公訴時効は成立)。

相次ぐ爆弾事件


1969年10月24日午後7時頃、新宿区若松町の警視庁第8、9機動隊舎正門に手製爆弾が投げこまれた。爆弾は不発だった。爆弾は煙草の缶入りピースの空き缶の中に、2つの切ったダイナマイト4本とパチンコ玉10数個を詰めたものだった。

 さらに11月1日午後1時15分頃、港区永田町の山王グランドビル内「アメリカ資料センター」(通称・アメリカ文化センター)のカウンター上に、段ボール箱に入れられた時限発火装置付きピース缶爆弾が置かれた。爆発で局員1人が右腕などに3週間のヤケドを負った。この荷物を持ってきたのは女性2人組だったという。


 1971年10月18日午前10時40分頃、東京・港区西新橋の日本石油本館内の地下郵便局で、2個の小包爆弾が爆破。小包の宛名は当時警察庁長官だった「後藤田正晴」、当時の新東京国際空港公団総裁「今井栄文」となっていた。


 以上の3件はいずれも、警察、米国施設などを狙っていたため、過激派による犯行と見られた。

出典:土田邸・日石・ピース缶爆弾事件

	

土田邸爆破事件

同年12月18日午前11時24分、東京・豊島区雑司ヶ谷の警視庁警務部長(当時)・土田国保(当時49歳)方で、小包郵便物が爆発し、民子夫人(47歳)が死亡、学習院中等科1年の四男(当時13歳)が顔や手にヤケド、足に金属片が刺さるなどの重傷を負った。さらに2階から駆け降りてきた早稲田大生の二男(当時22歳)も右手にかすり傷を受けた。

 四男によると、民子さんと居間で小包を開けていたところ、突然爆発したという。その爆発の威力はすさまじく、民子さんは肩から半分がもぎ取られ、室内のガラスも粉々に砕け散り、床には直径60cmの大穴があいていた。この小包は当日朝10時半頃に郵便局員が届けてきた。これは前日に神田の南神保町郵便局に女が持ちこんできて、ここから発送されたものとされている。差出人は知人の名前だったので、民子さんは何の疑いも持たず、この小包を開けていた。


 この18日は京浜安保共闘3人による「志村署上赤塚派出所襲撃事件」の1周年にあたり、この事件ではメンバー柴野春彦(24歳)が警官に射殺されていることから、警視庁は過激派によるテロ事件と見て捜査を開始した。土田氏がこの派出所襲撃事件に対して、「警察官の拳銃使用は正当防衛であり、何の問題もなかった」旨の発言をしたことの報復のためと見られる。

 土田邸から約500m離れた雑司ヶ谷墓地の中で、3人連れのヘルメットをかぶった学生風の男が、紙袋を持ってたむろしているという目撃証言もあった。


 同日夕方、目白署で記者会見に応じた土田警務部長は次のように話した。

「治安維持の一旦を担う者として、かねて覚悟していたというと大げさかもしれないが、あるいはこんなことがあるかもしれない、とは思っていた」

「だが、ひとりの人間としてこのような事件はこれで終わりにしてもらいたい。2度と繰り返してくれるな。わたしは犯人に向かって叫びたい。君は卑怯だ。みずから責任を負うことはできないだろう。一片の良心があるなら世の人の嘆きや悲しみに思いやりがあるなら凶行は今回限りでやめてほしい」


 一方、板橋区民会館では、100人ほどの学生、労務者が集まって「12・18記念集会」が開かれており、「上赤塚につづいて、さらに遊撃戦を展開しよう」と宣言した。さらに上赤塚事件で射殺された柴野春彦の報復を誓い、射殺したA巡査長の名前を挙げ、「人殺しをさがし出せ。どこかの警察にいるはずだ」と気勢をあげていた。


 12月20日、土田夫人の葬儀。首相夫人、最高裁長官、竹下官房長官、中曾根康弘氏など参列者7000人。

出典:土田邸・日石・ピース缶爆弾事件

	

爆破直後の土田邸

			
私は犯人に言う。君等は卑怯だ。家内に何の罪もない。家内の死が一線で働いている警察官の身代わりと思えば・・・二度とこんなことは起こしてほしくない。君等に一片の良心があるならば


出典:ERROR!!

土田警務部長、事件当日の午後4時の記者会見より

時系列

昭和44・10・24日、機動隊隊舎にピース缶爆弾。

 昭和44・11・1日、アメリカ文化センターにピース缶爆弾。


 昭和46・8・7日、総監公舎爆破未遂事件。


 昭和46・10・18日、日石本館地下郵便局に、警察庁長官宛、空港公団総裁宛小包爆弾、局内で爆発。

出典:まりのねっと

	

土田邸・日石・ピース缶爆弾事件

			

土田邸・日石・ピース缶爆弾事件

			

18人の被告


土田邸事件が起こってまもないクリスマス・イヴ、新宿の「伊勢丹」交差点、追分派出所横に、買い物袋に入れられた高さ50cmほどのクリスマスツリーに偽装された爆弾が置かれ、この爆発で警官、通行人7人が重軽傷を負った。この爆破事件に関しては黒ヘルグループのリーダーが出頭し、事件の全容が明らかにされている。

 1972年9月10日、赤軍派系の活動家で、「東薬大事件」で指名手配されていたM(当時27歳)が、凶器準備集合、毒劇物取締法違反容疑で逮捕された。Mはその後、法政大学で図書を窃盗した容疑で再逮捕され、翌年1月までに他3人が同容疑で逮捕された。


 1973年1月、すでに逮捕した4人を「アメリカ文化センター事件」に関与したとして再逮捕。2月には機動隊舎爆破事件に関しても逮捕された。

 この後、「日石」「土田」両事件に関与したとして、あらたに女性を含む10数人を逮捕、Mらも再逮捕された。合わせて18人がこの一連の爆破事件に関与したとして逮捕されたのである。


 彼らは法政大学の「レーニン主義研究会」(社学同ブント系)で、校舎に近い河田町のアパートを借り、被告人のうち11人がピース缶爆弾10数個を製造したものとされた。機動隊舎事件では6人が投擲し、アメリカ文化センター事件では4人、日石では前述したように女性2人の他、運搬役に男3人が関わり、土田邸事件では製造から発送まで9人がん関与したものとされた。


 一連の事件と18人を結びつける物証は全くなかった。河田町のアパートの塵をひとつ残らず集めても、爆弾材料の破片ひとつ出てこなかった。


 一審ではMに死刑が言い渡された他、それぞれに無期、懲役3~15年の有罪判決が下された。


 しかし1979年4月、元赤軍派メンバー・若宮正則が、弁護人証人として出廷し、「機動隊宿舎にピース缶爆弾を投げたのは私だ」と証言した。

 さらに1982年5月、牧田吉明が「われわれのグループがピース缶爆弾を製造し、赤軍派などに配った」と名乗り出たのである。

 この証言によると、大学生であった牧田ら5人は1969年9月頃に奥多摩へ行き、日原川沿いの林道工事現場から、ダイナマイト1箱(100g225本)、導火線用の輪1巻、工業用雷管100個、電気雷管20個を盗み出した。その後、9月から10月にかけて、爆弾教本「栄養分析表」を参考にしてピース缶爆弾100個を製造し、その大半を関西系の某武闘派、赤軍派中央、共産同革派の活動家に配った。残った分やダイナマイトは多摩川に投げ捨てたのだという。

出典:土田邸・日石・ピース缶爆弾事件

	
1979.4月、元赤軍派メンバー・若宮正則が、弁護人証人として出廷し、「機動隊宿舎にピース缶爆弾を投げたのは私だ」と証言した。


 1982.5月、牧田吉明が「われわれのグループがピース缶爆弾を製造し、赤軍派などに配った」と名乗り出た。この証言によると、大学生であった牧田ら5名は1969年9月頃に奥多摩へ行き、日原川沿いの林道工事現場から、ダイナマイト1箱(100g225本)、導火線用の輪1巻、工業用雷管100個、電気雷管20個を盗み出した。その後、9月から10月にかけて、爆弾教本「栄養分析表」を参考にしてピース缶爆弾100個を製造し、その大半を関西系の某武闘派、赤軍派中央、共産同革派の活動家に配った。残った分やダイナマイトは多摩川に投げ捨てたのだという。


 1985年、牧田証言の信憑性の高さから、相次いで被告達の無罪が確定。


 1986.3.25日、3414日間の拘置を強いられたMをはじめとする統一公判組6人は、国と都に対して刑事補償と費用補償1億7200万円を求める請求を東京地裁に提訴した。また全国紙への謝罪文掲載を同時に要求した。


 1995(昭和60)12月13日、東京高裁、「土田邸・日石・ピース缶爆弾事件で殺人罪に問われた増淵利行被告ら6人全員に東京地裁に続き無罪判決。検察上告断念し、12.18日、無罪確定。


 2001年、東京高裁、1人にかぎってのみ、都に100万円を支払うよう賠償命令を下した。


 こうなると、土田邸爆破事件は、誰が何の為に仕掛けたのか、今も分からない闇事件となり迷宮入りしていることになる。

出典:まりのねっと

	

トピックス 『土田国保』

土田国保警務部長は夫人を失って、一躍「悲劇の人」となり有名となった。この事件が起こって、それまで過激派への理解を示すこともあったマスコミも、この事件では「殺人集団」「爆弾狂」「反社会的」などと徹底的に非難した。 

 土田氏は秋田県由利郡矢島町出身。父親は哲学者で旧制成蹊高校の校長を務めた人物で、母親は旧東京女高師校長の令嬢と、言わば名家の生まれである。

 剣道一家で、土田氏も中学の頃から父親に剣道を習い始めた。達人と呼んでも差し支えない腕で、「ワシントン・ポスト 75・4・20付」では、「世界一安全な東京 サムライ・ポリス」という特集記事で、警視庁の道場で竹刀を真剣に振る写真が掲載されている。


 若い頃の土田氏は父や親戚と同じく学者志望だったのだが、「雨宿り」として内務省に入ったのが警察への縁となったという。警察では若い頃から「警視庁のプリンス」と先輩たちから呼ばれていた。


 爆破事件後の土田氏は老いた母親と家事を手分けしながら大学生、高校生の息子4人の世話をし、52歳の誕生日でもあった1974年4月1日、海軍時代からの旧知の女性と再婚した。


 1975年2月1日の警視総監に任命された土田氏の名は、事件・犯罪を扱う書籍でもたびたび登場する。前任の槙野勇氏の知名度が低いので余計にそう感じられるのかもしれない。


 同年5月30日には、グアムから帰還した横井元軍曹らとともに天皇・皇后両陛下主宰の春の園遊会に出席。天皇陛下とは次のような短い問答があった。

陛下「このごろ警察も大変のようですね」

土田「おかげさまで、みんな一生懸命がんばっております」

陛下「爆破事件はだいぶ片づいたらしいのですね」

土田「だいたいメドがつきました。国民のみなさんの協力の賜物です」

陛下「どうか、これからも治安のためにがんばってください」


 だが土田氏の受難は続いた。

 1978年1月、東京・世田谷区で警官の女子大生殺害事件が起こり、減給処分を受けたのである。警視総監の処分はこれが戦後初めてだった。

 同年2月11日には最も信頼する部下であった村上健刑事部長が急逝。土田氏は警視庁葬で葬儀委員長を務めたその翌日警視庁を去った。

 退官してすぐ、土田氏は1人電車に乗って群馬県へ向かった。殺害された女子大生の墓参りと実家の弔問のためである。


 土田氏はその後、防衛大学校長などを務めたが、1999年7月、すい臓ガンのため亡くなった。77歳だった。

出典:土田邸・日石・ピース缶爆弾事件

	

トピックス 若宮正則


若宮は1945年愛媛県宇和島市に、12人兄弟の末っ子として生まれた。水産高校卒業後、上京。大学進学を目指し、働きながら予備校に通った。だが進学をあきらめ、荷役会社に就職。68年には神奈川県反戦青年委員会のデモに参加した。ブントに加盟。分裂後には赤軍派に入り、中央軍の小隊長となる。

 大菩薩峠事件で逮捕され、保釈後には釜ヶ崎へ向かった。「釜共闘」を結成。また労働者や左翼の本や機関紙を置くラーメン屋を開業し、「赤軍派ラーメン店」などとマスコミに書かれたりもしている。


 1972年9月4日には恋人とともに仕掛けた水崎町派出所爆弾事件で逮捕された。獄中では獄中生活者組合を結成。


 1986年5月に出所。

 1990年、ペルーに渡り、ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ」に射殺される。45歳。

出典:土田邸・日石・ピース缶爆弾事件

	

土田・日石・ピース缶冤罪事件国賠判決要旨


2001年12月25日 東京高裁21民事部

 裁判長裁判官 石垣君雄、裁判官 橋本昌純、蓮井俊治


 平成12年(ネ)第176号 損害賠償請求控訴事件


 判決要旨


 【主文】


 1 原判決中控訴人堀秀夫の被控訴人東京都に対する請求を棄却した部分を次のとおり変更する。

  〈1)被控訴人東京都は控訴人堀秀夫に対し、金100万円及びこれに対する昭和60年12月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

  (2)控訴人堀秀夫の被控訴人東京都に対するその余の請求を棄却する。

 2 控訴人堀秀夫の被控訴人国に対する本件控訴並びに控訴人E.R、控訴人榎下一雄及び控訴人M.Nの本件各控訴をいずれも棄却する。

 5 訴訟費用は、控訴人堀秀夫と被控訴人東京都との関係では、第1、2審を通じて50分し、その49を控訴人堀秀夫の負担とし、その余を被控訴人東京都の負担とし、控訴人堀秀夫と被控訴人国との関係並びに控訴人E.R、控訴人榎下一雄及び控訴人M.Nの関係では、控訴費用を控訴人らの負担とする。

 4 この判決は、第1項(1)に限り仮に執行することができる。

【事案の概要】


 本件は、昭和44年から昭和46年ころまでに発生したいわゆるピース缶爆弾事件及び日石・土田邸事件等について、刑事被告人として起訴され無罪判決を受けて確定した者である控訴人ら4名が、被控訴人東京都の公務員である警察官が違法な逮捕状請求等を行い、被控訴人国の公務員である検察官が違法な勾留請求、公訴提起、公判追行、控訴提起等を行ったなどとして、被控訴人東京都及び被控訴人国に対し、国家賠償法(国賠法)に基づき慰謝料等の損害賠償としてそれぞれ金5000万円及びこれに対する不法行為後の日である昭和60年12月28日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、謝罪広告の掲載を求めた事案である。


 原審裁判所は、控訴人らの請求をいずれも理由のないものとして棄却したため,これを不服とする控訴人らが損害賠償の支払を求めて控訴したものである。

【当裁判所の判断】


○ 当裁判所は、控訴人堀の請求は一部理由があり、控訴人E.R、控訴人榎下及び控訴人M.Nの請求はいずれも理由がないと判断するものである。

○ 控訴人堀の8・9機事件の勾留請求

○ 控訴人堀の8・9機事件の公訴提起

○ 控訴人堀、同E.R及び同M.Nのピース缶爆弾製造事件の逮捕状請求

○ 控訴人堀、同E.R及び同M.Nのピース缶爆弾製造事件の勾留請求

○ 控訴人堀、同E.R及び同M.Nのピース缶爆弾製造事件の公訴提起

○ 控訴人堀、同E.R及び同M.Nの日石・土田邸事件の逮捕状請求

○ 控訴人堀、同E.R及び同M.Nの日石・土田邸事件の勾留請求

○ 控訴人榎下の日石・土田邸事件の逮捕状請求

○ 控訴人榎下の日石・土田邸事件の勾留請求

○ 控訴人らの日石事件の公訴提起

○ 控訴人堀及び同E.Rの土田邸事件の公訴提起

○ 控訴人M.N及び同榎下の土田邸事件の公訴提起

  以上のいずれについても国賠法上違法があるとはいえない(原判決引用)。


○ 違法取調べと供述の任意性


 関係者の供述調書中に地刑9部の証拠決定(一部については高刑7部判決)が任意性がないと判断したもの、証拠能力がないと判断したものが含まれており、その判断は当裁判所も基本的に尊重すべきものと解するが、各人に対する取調状況に照らすと、控訴人らに対する各公訴提起等の段階において、検察官が、控訴人らを含む関係者の各供述につき、その任意性、証拠能力等がないとはいえないと判断したことに合理性がないとまではいえない。


 もっとも、控訴人堀に対する取調べについては、地刑9部の認定した取調べについての事実関係は、当裁判所もこれを正当として是認すべきである。かかる事実関係を前提とする限り、控訴人堀は、長期間にわたる勾留と連日深夜に及ぶ追及的取調べの結果、肉体的、精神的に疲労を深めるに至ったことが認められ、そこで用いられた取調方法は、控訴人堀の人格権を著しく侵害する態様であったといわざるを得ず、控訴人堀に対する取調べのうち、司法警察員の取調べは国賠法上も違法となる。


 そして、控訴人堀に対する取調べが、国賠法上も違法であると認められる以上、これら取調べに従事した司法警察員には過失が推認される。


 なお、控訴人堀の検察官に対する供述にも任意性がないが、その理由は、検察官の取調べ自体に厳しい追及はなかったが、警察官の取調べを通じて形成された心理状態が検察官に対する供述にも作用したにすぎず、検察官の取調べ自体に慰謝料請求権を発生させるような違法性があるとはいえず,被控訴人国に対し、検察官の取調べ自体についての責任を問うことはできない。


 また、控訴人榎下に対し、犯人隠避による逮捕勾留を利用して日石・土田邸事件の取調べを行い、その間に得られた供述を疎明資料の一つとして日石・土田邸事件の逮捕勾留を行ったことは、一体として違法な捜査方法を形成するが、被控訴人らにこの点についての責任を問うことは困難である。

○ 当審における控訴入らの主張に対する判断


 (1)「総論」について


  控訴人らは、本件は、権力犯罪であり、捜査官の犯罪行為によって無実の人間を罪に落とそうとしたものであると主張するが、本件において、検察官が故意に控訴人らを罪に陥れるために職務行為を行ったことを認めるに足りる証拠はない。また、そのことについて過失もなかった。


 (2)刑事審における自白の証拠能力の判断と国賠法上の違法性との関係


 刑事裁判において、取調べが違法であると判断され、その取調べに係る刑事裁判が無罪として確定したとしても、民事事件を担当する裁判所がこれに当然に拘束されるわけではなく、国賠法上違法か否かは、民事事件を担当する裁判所が独自に証拠により事実を認定して判断すべきである。ただ、地刑9部の証拠決定及び高刑7部判決の事実認定は、本件で提出された証拠に照らしても、正当として是認しうるものであり、これによれば、司法警察員の控訴人堀に対する取調べが不法行為を構成する。


 これに対し、控訴人榎下に対し、犯人隠避による逮捕勾留を利用して日石・土田邸事件の取調べを行い、その間に得られた供述を疎明資料の一つとして日石・土田邸事件の逮捕勾留を行ったことについては、これが一体として違法な捜査方法を形成するとしても、犯人隠避による適法な身柄拘束中にどこまで日石・土田邸事件についての取調べが許されるか、現にそれを逸脱して日石・土田邸事件について取調べが行われた場合に改めて日石・土田邸事件で逮捕勾留することが許されるかは、裁判所間でも判断が分かれ得る微妙な問題であり、捜査官が許される範囲であると判断してこれを行った場合に過失を認めることは困難であり、不法行為が成立しない。


 (3)土田邸事件第1次控訴提起(昭和48年4月4日付け起訴)の適法性


 検察官の公訴提起等の職務行為が国賠法1条の違法に該当する場合とは、職務行為時を基準として、当該行為が検察官の個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反する場合をいい、公訴提起についていえば、公訴提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を判断資料として,有罪判決を期待し得る合理的な理由が欠如しているのに、あえて公訴を提起した場合に限って違法となる。そして、その合理的理由があったか否かの判断に当たっては、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑が存在すると認められるか否かを基準とすべきである。


 公判審理の最終段階になって、被告人らの公判廷における新たな供述等をも総合した上で行われた刑事裁判所の判断においてさえ、相反する結果が生じているのであるから、その自白調書の証拠能力については、少なくとも明らかに任意性のない自白であったと判断し得るものではなかった。


 そして、各公訴提起の段階において、起訴検察官が、各証拠について証拠能力があると判断したことは合理的であって、国賠法上、違法となるものではない。


 また、親崎検事が、関係各被疑者らの供述につき、信用性の有無を検討し,M.S、控訴人堀及び同E.Rには土田邸事件で有罪と認められる嫌疑が存することは明らかであると判断したことに合理的な根拠が欠如しているとはいえない。


 よって、昭和48年4月4日の土田邸事件の第1次公訴提起が国賠法上違法であるとはいえない。


 (4)土田邸事件第2次公訴提起(昭和48年5月2日付け起訴)の適法性について(控訴人榎下、同M.N)


 親崎検事が、控訴人榎下及び同M.Nに対する土田邸事件第2次公訴提起時における証拠資料を総合勘案し、いずれも殺人、同未遂、爆発物取締罰則違反の罪で有罪判決を得るに足る嫌疑があると判断したことに合理性がないとはいえず、この判断が検察官として法的に許容された判断の幅を超え、客観的に違法と評価できる程度の著しくかつ明白な不当があったとは認められない。

(5)日石事件公訴提起の適法性について


 親崎検事は、控訴人らを日石事件で公訴提起する際、各種の証拠資料、特に控訴人榎下及びM.Sら共犯者とされた者らの自白等を詳細に検討し、総合勘案して、合理的な判断過程により、控訴人らが有罪であると認められる嫌疑があると判断して公訴提起したものであり、親崎検事の証拠評価が不合理であるとはいえず、日石事件の公訴提起は適法である。


 (6)日石・土田邸事件及びピース缶爆弾事件の各公訴追行の適法性について


 刑事事件において無罪の判決が確定しただけで直ちに公訴の追行が違法となることはなく、公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば公訴の追行は違法性を欠くと解すべきこと、公訴追行時の検察官は、公訴を提起した検察官の収集した証拠及び心証を引き継いで公訴を追行することになることから、公訴提起が違法でないならば公訴の追行は原則として違法ではなく、公訴提起後、公判において右嫌疑を客観的かつ明白に否定する証拠が提出され、もはや到底有罪判決を期待し得ない状況に至らない限り、公訴の追行が違法とされることはなく、本件各控訴の追行はいずれも違法とはいえない。


 ○ 当審における被控訴人らの主張に対する判断


 控訴人堀に対する取調べ状況については、地刑6部判決は詳細な判断をしてはいないのに対し、地刑9部の証拠決定は、取調べの過程を詳細に認定しているのであって、少なくとも控訴人堀に関する限り、地刑9部の証拠決定における取調べ状況についての事実認定を覆すことは困難である。


 刑事訴訟においては、真実発見の要請と被疑者・被告人の人権保障との調和を図るため、非供述証拠の証拠能力について、単にその収集過程に違法があるだけでは、証拠能力を否定することはなく、令状主義の精神を没却するような重大な違法がある場合に限り、証拠能力を否定するという扱いが一般であるが、このことは、自白の任意性についても同様であって、自白の獲得過程に違法がある場合でも、それが刑事訴訟の人権保障という見地から重大な違法にまでは至っていないと考えられる場合には、任意性は肯定するのが一般である。そうであれば、刑事訴訟において、証拠能力を否定されるような捜査が行われたと判断された場合には、令状主義の精神を没却するような違法があったことを意味するのであって、特段の事情がないにも関わらずこれを国賠法上違法でないということは困難である。

出典:まりのねっと

	

土田邸爆破事件 40年目の真実

土田邸爆破事件 「戦旗派が実行」 関係者が書籍出版(共同通信)


 東京都豊島区の土田国保・警視庁警務部長(当時)宅で71年12月、小包が爆発し妻が死亡した土田邸爆破事件は、過激派の戦旗派元活動家の男らが起こしたとの内容の書籍を、同派関係者が28日までに出版した。

 男は共同通信の取材に「リーダーとして関与した」と説明、同年10月に日本石油本社ビル地下郵便局で小包が爆発した日石事件も「自分たちが実行した」と話した。

 両事件では、赤軍派系活動家とされた11人が73年に殺人罪などで起訴されたが、85年12月までに全員の無罪が確定した。警視庁幹部は「警察としては結論が出ている事件で再検証する考えはない」としている。

(2011年5月28日共同通信)

出典:アメーバブログ(アメブロ)|Amebaで無料ブログを始めよう

	

オススメのまとめ

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Sharetube