警視庁独身寮爆破事件とは
警察を狙ったテロ。即位の礼と大嘗祭(だいじょうさい)に向けた警備中、新宿区内の独身寮で爆弾が爆発。警察官1人が死亡、7人が負傷。2時間後に世田谷区内の独身寮でも爆弾が発見された。
清和寮事件
1990年11月1日、東京都新宿区の警視庁の独身寮「清和寮」で2発の爆弾が爆発した。最初の爆発で、新宿警察署の署員1人が死亡。さらに爆発音を聞きつけて集まってきた、寮に住む警察官や職員が現場に集まったところで、2発目の爆弾が爆発、7人が重軽傷を負った事件。
2発の時限爆弾は、より多くの人間を殺傷するために、時間をずらして設定していた。
1発目の爆弾の爆発音で駆けつけた人々に、2発目の爆弾で確実に被害を与え、確実に多くの人間を殺傷できるように仕掛けられていた。
誠和寮事件
清和寮事件から2時間後、世田谷区にある警視庁の「誠和寮」でも爆弾が発見された。こちらは、爆発前に爆発物処理班が駆けつけて処理したため、負傷者はなかった。
犯行声明
その後、革労協の「革命軍軍報」が各報道機関に郵送された。この「軍報」には、この事件の事実上の犯行声明が書かれていたことから、公安警察は革労協によるテロ事件と断定した。
わが革命軍は、90年11月1日、午後10時50分および、同10時55分、東京都新宿区北新宿1の36の14、反革命治安警察軍の戒厳部隊出撃拠点たる警視庁統合待機寮「清和寮」に対し、革命的同時爆破攻撃を敢行、反革命戒厳部隊1名を完全打倒し、他7名を重せん滅という輝かしい歴史的大戦果を闘いとった。さらに同月2日午前1時48分、同3時11分、東京都世田谷区下馬2の23の2、反革命治安警察軍の戒厳部隊出撃拠点―警視庁統合待機寮「清和寮」をも攻略・蹂躙し、同時爆破攻撃をもって同警察寮を警視庁爆発物処理隊もろとも爆砕し、日帝国家権力を恐怖のどん底にたたきこんだ。
ついにわが革命軍は、11・1―2戦闘の敢然たる戦取と、かけ値なしの流血の死闘を敵に強制することによって、あまりにも永すぎた戦後階級闘争の微温的屈辱的歴史に革命的ピリオドをうったのである。日帝政治警察=天皇防備兵の革命的爆破戦闘による完全打倒というあらたな歴史的地平は、天皇制打倒―日帝国家権力打倒の蜂起・革命戦争の勝利においてしか止むことをしらない階級闘争の内乱的発展の偉大な一歩である。わが革命軍は、対権力死闘戦に対する日本左翼の怯懦な、歴史的ともいえる日和見主義的精神をおし破りつつ、67年10・8、71年9・16をひきつぎ、革命的断絶的に飛躍した地平において歴史の転換を画す前衛的戦闘を戦取してきた革命派の誇りにかけて、この手に握りしめた管制高地から更なる飛躍をたたかいとるであろう。
わが革命軍の渾身の一撃によって、日帝国家権力そして天皇にとって一世一代の「晴れの日」が見るも無惨な流血を強制され、ズタズタに引き裂かれることによって天皇(制)の「神」としての反革命権威は確かに地に堕ちたのである。それがふたたび労働者階級人民・被差別大衆の頭上に昇ることはもはやない。
2万6千人動員の厳戒体制下、わが革命軍は、戒厳部隊出撃拠点そのものを攻略し、的確無比に反革命部隊員を完全打倒した。警視庁は「パニック状態」(東京新聞)におちいり、天皇即位儀式防衛の「今回の大警備で最大の誤算」(産経)と、その衝撃にうちのめされ茫然自失の態である。
他方、11・1―2戦闘は、天皇即位儀式に反対し天皇制打倒―日帝国家権力打倒闘争に決起したたたかうプロレタリア人民を鼓舞し限りなく力づけた。11月12日、即位式粉砕中央闘争会場の宮下公園で革命軍の本戦闘の軍報をつたえる全学連委員長の演説は、地鳴りにも似た万余の人民の拍手と歓声につつまれ、しばし聞きとれなかったほどであった。
これは、天皇即位式粉砕のために全国の職場・学園・地域からの広範なストライキ決起をかちとり結集した、すべてのたたかうプロレタリア人民の反天皇決起の頂点において炸裂したたたかいが、本戦闘であったことをさし示している。国鉄をはじめとした全国での職場決起、山谷―寄せ場労働者の実力決起、明大・東北大を先頭とした全国学生のストライキ決起、部落解放運動の反天皇・狭山決起、三里塚芝山連合空港反対同盟の家族ぐるみの総決起、こうした広範な日本のたたかう労働者人民・被差別大衆の実力決起と固く結びつき、全世界のプロレタリア人民のたたかいと国際的に連帯して鋭く重々しい対権力武装闘争として本戦闘はたたかわれ勝利したのだ。天皇アキヒトの即位式典は、全国から根こそぎ動員された3万7千余名の治安警察軍に守られてかろうじて挙行された。しかし天皇の反革命権威を誇示するはずの即位式典は完璧に破産した。治安当局は、パレード沿道への動員予測を30万人と公表していた。だが実際に動員されたのは、権力発表でもわずか11万余名であった。京都で強行されたヒロヒトの即位式典には60万人を動員しえたにもかかわらずである。天皇主義ファシスト、神社本庁、遺族会、生長の家等々の天皇主義ファシスト陣営が必死になって動員をかけた結果がこれである。
「奉祝」運動を総破産させた最大の力、それこそ11・1―2戦闘の革命的破壊力である。
アキヒトは、3万7千の治安警察軍、自衛隊の儀仗隊・軍楽隊・砲兵、それに天皇主義民間右翼に守られてしか「皇位の継承」を宣言しえなかったのである。
アキヒトは即位式典で、全世界とりわけアジア諸国の支配階級の代表どもを前にして、「八紘一宇」の思想をあらわすとされる「高御座」にのぼり、ファシスト・ヒロヒトの「遺徳」をたたえ、その継承と天皇制の新たな再確立にむけ、自ら強力に元首化・神格化の道を歩むことを宣言した。
「心から」万歳三唱した土井の社会党は論外にしても、共産党はいっさい反対運動をとりくまぬばかりか、「天皇の赤子」革マルも「挑発者」規定をもってわが革命派の背後からの攻撃・襲撃に熱中した。
11・1―2戦闘こそが、11月天皇即位式典―「大嘗祭」粉砕の全人民的高揚を主導しきり、進むべき方向を鮮烈に示したのである。そればかりか11・1―2戦闘は、諸党派を含む実力決起をはるかに凌駕する流血の死闘戦の戦取によって、それらを牽引し秩序づける前衛的戦闘としての責務をはたしきったのである。
この戦闘の勝利を通して、わが軍は日帝国家権力とブルジョアジーの憎悪の的となり、非妥協―実力でたたかうすべてのプロレタリア人民の前衛的革命的武装勢力として、日本階級闘争の革命的発展のたたかいの巨大な前進をはかったのである。
その後
平成21年(2009年)、今上天皇は在位二十年記念式典を機に、本事件等反皇室闘争の名の下に行われた極左テロの犠牲者やその遺族たちにお見舞いの気持ちを伝えたという。
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