スナックママ連続殺人の「西川正勝(旧姓・金田正勝)」とは

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スナックママ連続殺人


平成3年12月13日に姫路市、21日に松江市、26、28日に京都市で計4人の女性スナック経営者(45~55歳)が首を絞められたうえ刃物で刺されて死亡。現金などが奪われた。警察は同一犯の犯行と断定、鳥取市生まれの西川正勝・死刑囚を指名手配した。西川死刑囚は翌年1月5日、大阪市天王寺区のアパートで落語家の桂花枝さんを襲い、10日間のけがを負わせたうえ、現金14万円を奪って逃走。7日朝、大阪府警に逮捕された。取り調べに対し一連の犯行を全面自供。公判で全面否認に転じたが、17年6月、最高裁で死刑が確定した。

4人連続殺人

①平成3年12月12日、兵庫県姫路市のスナック経営者・正木久美子さん(当時45歳)を首を絞めたうえ刃物で刺殺。

②同月21日、島根県松江市のスナック経営者・高橋文子さん(当時55歳)を同様に殺害。


③同月26日に京都市のスナック経営者・原田京さん(当時55歳)を同様に殺害。


④同月28日に京都市のスナック経営者・村上紀子さん(当時51歳)を同様に殺害。

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いずれも、深夜に1人で店を開けている小さなスナックで、西川は客がいなくなるのを見計らって犯行におよんだ。警察は、17日間で4人を殺害するという前代未聞の凶悪事件で犯行手口が似ていることから同一犯人と断定し広域重要指定119号に指定した。


捜査本部は、犯行現場のうち姫路のスナックで犯人と思われる指紋を採取した。その指紋を前科者指紋カードと照会したところ、西川であることが判明したため、12月30日に全国に指名手配し行方を追った。

殺されかけた女性落語家、恐怖の体験


午後、自宅にいると、府警旧庁舎2階の産経記者ボックスからポケベル連絡がきた。詰めていたサブキャップが電話の向こうで興奮気味に話す。

 「天王寺でタタキ(強盗事件のこと)が発生した。宿直明けの若手を現場に行かせたら『どうも様子がおかしい。京都や兵庫の捜査員がいる』との連絡や。119号のからみかもしれん。君も現場へ急行してくれ」


 飛び乗ったタクシーの中でいてもたってもいられず、自動車電話をかけまくって情報を集めた。


 自分が到着するまで現場はどんな状況だったのか、当時一番乗りした後輩に思い出してもらった。


 後輩は事件のあったマンションを見ているうち、妙な違和感を覚えたという。「これまで経験したタタキの発生現場と何か違う…」。大阪府警の機動捜査隊員が聞き込みをしたり、所轄署の制服警察官が現場保存の立ち番をしたりしているのはいつもと変わらない。が、その周囲で雰囲気の違う私服刑事が遠慮がちに動き回っていた。


 思い切ってその一人に声をかけると「自分は京都府警のもんや。あっちにおるのは兵庫県警や」と教えてくれたという。


 「ということは…」。通常のタタキで京都府警や兵庫県警が大阪まで出てくる訳がない。みるみる血の気が引くのがわかった。社会部デスクにタクシーの自動車電話から状況を連絡すると、「119かっ!」と電話口で声が震えていたという。


タタキの被害者は意外なことに、女性落語家の桂花枝(現・桂あやめ)=当時(27)=だった。


 西川は「隣に引っ越してきた」と笑顔であいさつに訪れた。「電話を貸してほしい」というので番号を回して受話器を渡したら「ガーッと鬼のように襲ってきた」という。花枝は花瓶を投げつけて抵抗したが、首を絞められて失神。目が覚めたら再び首を絞めてきた。要求に応じて現金を渡すと、驚くほど冷静で優しい態度になり、「二度と罪は重ねない」と手をつきながら謝って立ち去ったという。


 翌日午後、大阪市中央区の吉本興業本社で記者会見した花枝は「目をつぶると襲われた場面が浮かんで怖い。生きていられて本当に良かった」と恐怖の体験を気丈に話した。


 男は再び姿をくらました。潜伏先の手がかりをつかもうと、警察に交じり産経取材班も聞き込み(通称・コミ)を行った。これまでの経験上、コミで犯人の所在がつかめたことは一度もない。それでもやるのは「もし、つかめたら特ダネ」だからだ。事件取材の原動力はこの「もしつかめたら」の期待に負うところが非常に大きい。


 7日朝、西川は花枝のアパートから東へ400メートルほど離れたマンションで、観念したように無抵抗で逮捕された。前日夜からそのマンションの母子2人暮らしの部屋に「親夫婦の仲が悪くて一緒にいられない。しばらく置いてほしい」とうそをついて上がり込んでいた。母親は幼いわが子を守るため徹夜で身の上話を聞き、出頭を促したという。


 西川は幼少時に両親と死別するなどし、母親の姿を日々追い求めたという。そんな中で中年のスナックママに近づいたが、拒絶され…。不幸な生い立ちであったが、あまりに極端な思考形態だった。

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西川正勝の生い立ち


西川は、鳥取県で姉4人の末っ子として出生。9歳の時に母親を失い、父親は土木作業員で出稼ぎに出たまま行方不明になった。中学に入ると非行に走り、養護施設や少年院に送致された。1974(昭和49)年7月、18歳になった西川は鳥取市でスナックのママ(26)の営業態度を勘違いし、いきなり関係を迫って抵抗されたため殺害し松江刑務所に10年間服役した。

松江刑務所を出所した1979(昭和54)年、西川は松江駅前のパチンコ店に就職したが、出所後2ヶ月にして強盗致傷事件を起こし再び刑務所に戻る。結局、懲役7年の刑を受け1991(平成3)年10月に鳥取刑務所を出所。鳥取刑務所を出所してから2ヵ月後の1991(平成3)年12月、姫路のスナック・正木さん殺害から連続4人の殺人が始まったのだった。


18歳以降、刑務所暮らしは17年間で社会にいたのは僅かに5ヶ月間だった。1995(平成7)年9月の大阪地裁、1995(平成13)年6月の大阪高裁はともに西川に対して死刑判決を下している。2005(平成17)年6月7日、最高裁は西川の上告を棄却して死刑が確定した。

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裁判

1995年9月11日、大阪地裁で死刑判決。

2001年6月20日、大阪高裁で控訴棄却。

2005年6月7日、最高裁で上告棄却・死刑確定。

2014年現在、西川は養子縁組によりKという苗字となり、大阪拘置所に収監されている。再審請求中。

出典:スナックママ連続殺人事件 - Wikipedia

	

死刑執行


平成3年に京都や松江などでスナックの女性経営者4人を殺害した罪に問われ、死刑が確定した西川正勝、旧姓・金田正勝死刑囚と、平成23年に岡山市で元同僚の女性を殺害した罪に問われ、死刑が確定した住田紘一死刑囚の死刑が、7月13日午前、執行されました。

出典:NHKオンライン

	

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Sharetube