【死刑判決】人違いバラバラ殺人事件の「古屋栄雄」とは
人違いバラバラ殺人事件
人違いバラバラ殺人事件(ひとちがいバラバラさつじんじけん)とは1954年(昭和29年)に埼玉県で発生した殺人事件である。この事件では加害者が殺害対象を誤認して無関係の女性を殺害したうえに、身体をバラバラにしたことで有名である。また控訴審では証人として法廷に来た、殺害対象であった女性に対して危害を加えたために逆転死刑判決が出た。
人違い
「人違いだった・・・」1954年11月に埼玉での女性殺しで逮捕された古屋栄雄(当時29歳)はそう供述した。
古屋は1929年生まれ。故郷である山梨県東山梨郡塩山町(現・塩山市)で、7歳下のB子さんという女性と知り合って夢中になり、両親を連れてB子さんの実家に出向き、結婚を申し込んだが、前科者であること、定職がないこと、軽薄な性格であることなどから、断られた。
上京して何とか職についてB子さんの気を引こうとしたが、長続きはしなかった。増えたのは窃盗の前科だけである。
故郷に戻ると、B子さんに会いに行ったが、彼女の方は嫌気がさし、逃れるように東京や埼玉などの旅館で女中として働き始めた。それでも彼女の実家や親戚宅を尋ね歩いて、居場所を聞こうとしたが、教えてもらえなかった。
53年7月、B子さんの両親は「結婚は無理だ」とはっきり明言。娘を姉のいる埼玉にもとに避難させた。古屋は後を追いかけたが、その都度B子さんも転々としていた。
そうした生活に疲れたのか、古屋は約1年間は真面目に働いた。「あんたが真面目に職につかねばB子は出てこない」と彼女の家族に言われていたためで、映画館に勤めて看板描きやビラ貼りの仕事をした。
しかし、B子さんがすでに誰かと結婚しているのを隠しているのではないか、と邪推した古屋は、54年9月1日、町を出てB子さん探しの旅に出た。古屋の行動は、今で言うなら紛れもなくストーカーである。
出典:人違いバラバラ殺人事件
愛するがゆえ
9月5日夜9時ごろ、埼玉県入間郡高階村(現・入間市)の路上を歩いていた古屋は、前方にB子さんらしき女性を見つけた。体つき、歩き方、服装・・・どれをとっても間違いなく思えた。こんなところに嫁に来ていたのか、ひどい奴だ、と憤慨した古屋は、「俺はな、お前を呪ってるんだ。覚悟しろ!」
と叫んで、いきなり女性の首を絞めて畑に引きずりこみ、手拭を首に巻きつけ殺害、ナイフで乳房と陰部を切り取ってから遺棄した。
翌日、古屋は事件を報じる新聞記事を見て、殺害した女性が初めてB子さんでないことに気づいた。彼が殺害したのはA子さん(19歳)という女性で、青年団主催の運動会の帰り道で凶行に遭った。
そうしたことが判っても、古屋に反省の態度は見られなかった。11月18日に逮捕されたが、「殺しはB子さんを愛するが故にやったことだ」と主張した。
出典:人違いバラバラ殺人事件
精神鑑定
のちの精神鑑定で次のように供述している
―― 両足をどうして切ったのか。「死んでも動けないように・・・・・・典子のやつが・・・・・・約束を破ったやつが動けないように」
―― ひざから切るつもりはなかったのか。
「どこからでもいいと思った」
―― どのくらい時間がかかった。
「分かんないな」
―― 血はつかなかったか。
「分かんないな」
―― どこから先に切ったか。
「分かんないな。そういうこと」
―― 腰から切り出したのだろう。どうしてか。
「分かんないな。何だか分かんない」
―― 関節をはずすまで時間がかかったか。
「そんなこと、分かんないな」
―― 足はつけ根にそって切ったのか。
「ええ。そうです」
―― お尻の肉はどうやって切った。
「どちらも、うつ伏せにして切った」
―― 両腕はどうしてとらなかったのか。
「両足をとってから、いやになった」
―― 足の肉はなぜ削ったのか。
「カマスに入らないから。逃げないように」
―― 時間がかかったろう。
(ニヤニヤして答えない)
―― 足を切ったのはどうしてか。
「歩いちゃ困るからですよ」
―― 犯行後はどうした。
「神社の庭に肉をまいて、それからお宮の中に寝ましたよ。朝起きたらなんだかガヤガヤ騒いでましたよ。そして巡査か誰か入ってきたが、気がつかなかった。犬も来たんですよ。でも、吠えないんですよ。あれは、馬鹿ですよ」
精神鑑定の結果は道徳意識が低く、性格異常、軽い精神障害であることが認められたが、犯行時には重い意識の障害はなかったと判断された。
出典:人違いバラバラ殺人事件
法廷内の傷害事件
古屋は新聞で人違い殺人したことに気付いたが、それでもなおB子に会いたいと思っていたという。結局彼女に会えたのは証人として呼ばれた一審の法廷であった。彼女は古屋との関係を全面拒否した。一審の浦和地方裁判所(現在のさいたま地方裁判所)は1956年2月21日、古屋に対し無期懲役を言い渡した。死刑を求刑していた検察側は刑が軽すぎると控訴したが、被告人古屋も愛しているための事件であるのに無期でも重いなどと主張し控訴した。控訴審の最終尋問が8月20日に開かれたが古屋は更なる事件を引き起こした。再び検察側証人として出廷したB子は「勝手に私のことを恋人と思っているだけで、私には関係ない」と断言した。この証言を聞いていた古屋は激怒し、証言台から引き下がろうとしていたB子の胸を、被告人席から隠し持っていた竹べら(前もって房内にあったハエたたきの柄を折って作っていた)で刺した。幸い全治二週間の怪我ですんだが、法曹関係者は「法廷内における証人の保護」について協議する事態になった。
公判
昭和31年2月21日、浦和地裁は古谷に対して無期懲役を言い渡した。検察側は、刑が軽すぎると判断し控訴した。古谷自身も「愛しているための事件だから俺が悪いんじゃない。死刑でなく無期なのは当たり前で、無期でも重い」と控訴した。同年8月20日、控訴審最終尋問に「B子」は出廷した。B子は「古谷は勝手に私のことを恋人と思っているだけで、私には関係ない」と証言した。この証言に激怒した古谷は隠し持っていた竹べらでB子に全治二週間の傷害を負わせてしまった。この事態に判事の態度が硬化。10日後の8月30日に無期を破棄して死刑判決を言い渡した。
翌32年7月19日、最高裁は上告を棄却し死刑が確定。昭和34年5月27日、仙台拘置所で死刑執行(享年34歳)。古谷は、収監中も同囚達にB子がいかに素晴らしい女であったかを、とくとくと語って聞かせていたという。
その後
古屋が獄中で描いた絵はそのときどきの心境を表した地獄絵図から山水花鳥にいたるまで百数十点に及んだ。
出典:人違いバラバラ殺人事件
古屋栄雄の最後の言葉
ふみえーー!もう一度会いたいよぉ・・・・
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