衆議院議員・石井紘基刺殺事件の「伊藤白水」とは
石井紘基刺殺事件
石井紘基刺殺事件(いしいこうきしさつじけん)もしくは石井紘基議員暗殺事件は、2002年10月に発生した、民主党所属の衆議院議員・石井紘基が殺害された事件である。
石井紘基議員について
石井議員は中央大法学部を卒業後、モスクワ大学大学院に進み、帰国後は『社会新報』記者、議員秘書などを歴任。1993年衆院選に日本新党から出馬して初当選し、新党さきがけなどを経て96年、民主党結党に参加した。「政・官・業」の癒着を暴くことを政治活動の中心に据え、99年には「政治と行政の不正を監視する民主党有志の会(通称・国会Gメン)」の室長に就任。2002年4月の衆院内閣委員会で、北海道別海町などの国道工事をめぐり受注企業の7~8割が鈴木宗男衆院議員に政治献金していた実態を暴いたり、防衛庁の会計検査院報告書偽造問題で、中谷元長官(当時)から「閣僚給与返上」の答弁を引き出すなど、党の論戦の柱でもあった。
ライフワークである道路公団や特殊法人の無駄遣いについては一貫して政府与党の姿勢を厳しく追及し、「民間の不良債権ばかりが問題にされているが、特殊法人や公的金融機関が抱える不良債権は350兆円にものぼる。しかも、その特殊法人に毎年10兆円以上の税金が流れ込んでいる。これらの組織をすべて解体して、公権力による民業圧迫をなくせば、市場は必ずよみがえる」と持論を展開していた。
またオウム問題にも取り組んでいた。(著書に立風書房「オウム事件は終わらない」がある)地元である宗教団体の進出計画が浮上したことがあり、反対運動が巻き起こると、その先頭に立った。その際、「殺してやる」などと脅迫状が舞い込んだことがあった。
01年9月、石井議員は「免許取り消し」の処分を受けている。石井代議士は、議員にしては珍しく、マイカーで移動していたのだが、この処分によって運転手を雇うようになった。
伊藤白水
世田谷区生まれ。1985年、“一人一党”で「守皇塾」を旗揚げ。事件直前は、目立った活動歴は見られないものの、民族派の活動家の間では「一匹狼的な武闘派」(右翼団体関係者)としてそこそこ知られていた。
88年1月、伊藤は登山ナイフを持って共産党本部に抗議に行き、銃刀法違反で現行犯逮捕された。
93年に初当選する前からの知り合いで「石井は俺が当選させてやった」などと話していた。また別の議員の秘書には「石井には貸しがある」などと話していた。また伊藤は石井議員の事務所だけでなく、小杉隆氏(平成 8年11月 7日~平成 9年 9月11日文部大臣) の事務所にも、過去出入りをしていた事がわかった。
1998年から世田谷区奥沢のアパートに住んでいたが、3年間で家賃約200万円を滞納し、2002年6月下旬、家主から強制退去の申し立てをされていた。石井議員に家賃の肩代わりを頼んだが断られ、10月17日に退去となって以降、東京・新宿で寝泊まりしていたという。
石井議員の関係者によると、伊藤は殺害の数年前から、石井議員の秘書に日本酒や書籍を売りつけ、1999年頃からは石井議員に「車代」などとして金銭を要求していた
石井議員と伊藤白水の関係
石井議員と伊藤のつながりについては「週刊文春 04年9月2日号」の伊藤の獄中手記に詳しいので引用する。ただ「死人に口なし」ということで実際のところは不明である。
私が石井と知り合ったのは平成二、三年頃と記憶している。ちょうど世田谷区議選の年で、ある候補者の事務書を尋ねたところ、そこにいたのが石井だった。(中略)石井は学生時代、全学連の左翼学生であり六十年安保を経験した一人だが、私が話す憂国政治運動にも理解を示していたし、偏った正義を振り上げた話をするわけではなかった。「次の衆議院選挙も出馬するのだろう」と聞くと、「もちろんです」と答えるので、私も、「応援してやる」と約束して知人達に声を掛けて食事会や励ます会を開き、票につながる努力をした。平成五年の話だ。この年の七月に衆議院選挙があり、石井は日本新党から出馬して十一万票を集めて当選した。当選後も石井との付き合いは続いた。石井から「政界に顔が利く大物を知らないか。知っていたら紹介してくれ」と頼まれたので、「歴代総理の指南役と言われている人で四元義隆(※)という人がいる」と話すと、「是非、紹介してくれ」と頼むので、紹介の労を取ってやった。四元氏を紹介するために築地四丁目にある三幸建設工業に石井と一緒に衆議院の車で出かけた。
四元氏の秘書でA(手記では実名)から、「代議士の第一秘書になりたい男がいるが、誰か知り合いの代議士に口を利いて欲しい」との話で、「OKなら土産をつける」というので、「どのくらいですか」と問うと、「一千万円」と言った。私が「ニ、三千万円何とかなりますか」と言うと、「いいですよ」と言うので、「わかりました。聞いてみましょう」と返事をした。私はすぐに四元氏に気をまわして、仕事にかこつけて私の面子が石井に立つように取り計らってくれたと理解した。
三千万円の金は、衆議院第一議員会館三階の石井の執務室に、最初の一千万円と、一週間後に一千七百万円、合計で二千七百万円が届けられた。三百万円足りないのは届けた人間が使ったか、落としたかは私のあずかり知らぬところだ。平成八年の七月から九月の話である。私は後日、議員会館に石井を訪ねた際、石井が「伊藤さんにこれ」と言って茶封筒を渡すので、「なんだこれ」と言うと、「お礼だよ」と言うので、「いくらだ」と問うと、指を二本見せたので「ああそうかい」と言って受け取り、鞄に入れて、石井に「うまくやれよ」と声をかけて別れた。
石井の議員生活も丸八年が過ぎた平成十三年春頃、三幸建設が業績不振になり危ないとAに聞いた。その旨を石井に話し、「お前は選挙の時に四元氏にお世話になったのだから恩を返す番が来たぞ」と言って、「何か三幸に建設の仕事でも回してやれ」と伝えて帰った。
数ヶ月過ぎても、石井が何も動こうとしないので、私が怒ると、石井は「俺の知り合いで神田にあるB社にCというのがいるから、行けば分かるように話をしてある」というので、私は営業部長になっていた四元氏の秘書のAを伴ってB社を訪ねた。C氏と会い、Aを紹介し、C氏に「石井からお聞きと思いますが、どんな仕事がありますか」と問うと、「三幸建設がとりたい都の公共事業を言ってください。その仕事がとれるように都に口を利きますよ」と言い出したので、私は「ちょっと待ってくださいよ」と遮り、「話が違うようですね。私が石井に頼んだのは民間の仕事で、公共事業の仕事ではありませんよ」と話し、「どうも石井に乗せられたようです。後日改めて電話します」と言って、Aと二人でB社を後にした。Aと別れた後、私は議員会館の石井の執務室に電話を入れ、「おい、話が全然違うじゃないか」と怒りつけて電話を切った。
私は石井と知り合った頃から、真面目な選挙浪人だと思い、信頼して応援してやったつもりである。三回目の選挙で当選してからは、私との面会の約束も破るようになったし、平気で嘘もつくようになった。私の信頼を裏切り、約束を破り共産党に私を陥れる悪口を言いふらす。これが応援してやった私に対する態度とは、薄汚い野郎だ。こんな下劣な野郎を信用して国政に送る手伝いをした自分に腹が立ち、これは私の責任で石井に始末を付けなければと決断する。私は自分自身の軽率を恥じ石井紘基に鉄槌を下すテロを行うことを誓う・・・・。
四元氏の秘書Aは公判の検察側証人として呼ばれ、石井議員と四元氏の間の金銭授受について「全くございません」と証言した。さらに2人の面識だけでなく、四元氏と伊藤の面識も否定した。
殺害
2002年10月25日午前10時半過ぎ、石井議員は迎えの車に乗るために東京都世田谷区代沢の自宅玄関を出たところを、公用車の後ろで待ちかまえていた伊藤が襲いかかった。石井議員が車に乗ろうとして伊藤に気付き「何するんだよ」と逃げたが、うつぶせに転んだところを伊藤が左肩に手をかけ、仰向けにされ、馬乗りになり胸を柳刃包丁(刃渡り20cm)で左胸を刺された。伊藤は終始は無言で、逃走した。石井議員はすぐに病院に搬送されたが、肺につながる血管を断ち切られ、心臓マッサージをしようにも、心臓内には血が一滴も残っていなかったという。あごの骨も刃物の一撃で砕かれていた。
翌26日朝、伊藤は霞ヶ関の警視庁本部に出頭し、逮捕された。
実は事件直後から、伊藤の名前は捜査線上に浮上していた。伊藤は石井議員と面識があり、最近、周囲に「石井議員と金銭トラブルになっている」と漏らしていた。加えて、石井議員を刺した男は頭にバンダナを巻いていたが、伊藤もバンダナに作務衣というのが定番の外出姿だったからである。
石井紘基が追っていたもの
「消えた書類」は整理回収機構の不正関連 石井紘基氏刺殺事件で金融専門家が証言 当日「国会質問の最終準備を予定」(日刊ベリタ スクープ 2005年12月22日)特殊法人をめぐる税金の流れなど国の不正を追求し続けた民主党の故石井紘基議員(当時61)が刺殺されてから、3年以上が経過した。事件現場である自宅玄関前で石井氏が持っていたカバンの中身は空っぽだった。今回、筆者はカバンに「入っていたはず」の書類の作成に携わった金融専門家のA氏と接触した。A氏は、その書類内容とは、国策会社「整理回収機構(RCC)をめぐる不正を示すものだった」と証言した。(佐々木敬一)
山田洋行オーナーによる資産隠し疑惑 (Wikiより抜粋)
山田洋行の代表取締役社長は長年、秋山と懇意だった東京相和銀行(現・東京スター銀行)の長田庄一の大番頭だった山田正志が務め、後に息子の山田真嗣が代表取締役に就任している。山田洋行の95%の株式は山田グループの不動産会社である弥生不動産が保有している。加えて弥生不動産社長でもある山田真嗣も約3%所有する。
多額の負債を抱えた山田洋行の親会社「弥生不動産」の債務回収は東京相和銀行から「整理回収機構」(RCC)に移行されている。当時、融資の担保になっていたのは銀座にあるクラブが入居しているビルなどである。通常、整理回収機構はこうした担保物件を別会社等に売却して資金回収をするが、現在もこれらビルは弥生不動産所有のままで、整理回収機構の担保設定は解除されている。
しかしながら、整理回収機構側は弥生不動産の不良債権(113億円)処理に際し、一時金37億円の支払い、2016年までの12年間に30億円の分割払い(計67億円)、残り46億円の債権を整理回収機構が放棄するという弁済案で2004年3月に終結したものの、現在も不動産・グループ企業多数を所有しているため、資産の過少申告や整理回収機構との裏取引があったのではないかとの報道がある。
山田正志は、田村秀昭元参院議員や、宮崎元専務から飲食接待を受けた久間章生元防衛相と懇意だったとされる。
石井紘基とオウムと統一教会
『オウム事件は終わらない』 (石井議員 談)僕の地元の成城で、最近統一教会が建物を借りて改装工事を始めたのです。それで地域住民はこぞってピケをはり、統一教会が建物の中に入れないようにしていますが、こんなことにしても、始まってから何ヶ月経っても政治家はさっぱり表に出てこないんですね。いろいろアプローチしていくと、どうも統一教会の息のかかった政治家というのが随分といるようだと、地元の人も言っていました。
未来に向けて社会をどのように改革していくか、ということを政治家が真剣に考えないものだから、その間に経済活動や政治活動を通じて宗教団体にどんどん侵食されているという面がありますね。
錦織:「ともかく私には、オウムは統一教会をラジカルにしたものだという感じがするのです。オウムの原型というのは、つまりオウムの初期の活動形態は、統一教会がやってきたことときわめて類似しているのです。」
石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。
石井:捜査についてですが、日本ではオウムの全容が明らかにされません。オウム事件というのは、いったいどういうことだったのか。僕は、岡崎さんがおっしゃったように、オウム真理教は、宗教法人制度をうまく利用してアンダーグラウンドで儲けようという要素を非常に強く持っていたのだと思います。それが暴力団と結びつき、国際的に密貿易をしたり、薬物を流したりしたのはいったい何のためだったのか。
遺族の不審
(※石井議員の家族の証言によると、事件前後、不審な点が多かったと言う)・石井議員は殺害される直前、ナターシャさんに「近々、日本がひっくり返るほどの重大なことを発表する」と語っていた。
・事件から6日前の10月19日、石井議員は「車に追われている」と言って知人のところへ駆け込んでいた。ちなみに伊藤は原付バイクのみ所有。
・また同月23日、石井議員が何者かにリンチに遭った様子で帰ってきた、と妻が話している。
・事件前日午前9時ごろ、石井宅に植木業者の営業マンが訪れた。娘のターニャさんが断っている。
・石井議員が病院へ運ばれる時、妻が救急車に乗せてもらえなかった。
・石井議員の手帳と、鞄の中身の資料が押収品目録から消えていること。手帳があったと遺族側から何度も警察に申し出ても、調査してもらえなかった。
・事件の日は、28日に質問する資料を委員長に提出しに行く日だった。その書類の中身は、銀行問題その他政権がひっくり返る重要な資料があったらしいのだが、それが鞄の中から消えていた。
・運転手が、事件後倒れている石井議員の後ろにしゃがんで、自分の携帯電話でどこかへ電話していた。本人は自動車電話から車両部にかけたと言っている。(石井議員の遺族は事件後一度も運転手に面会したことはない)
裁判の経緯
書面審理のみで、2005年11月15日、最高裁判所で、上告が棄却されました。無期懲役が確定しました。
しかし結局、犯行の動機も真相も藪の中です。
控訴審
05.1.25(火) 13:30~ 控訴審第1回公判(725号法廷)
05.3.24(木) 13:30~ 被告人質問(主尋問1時間30分)
05.5.12(木) 11:30~ 結審
05.6.30(木) 11:00~ 判決
原審
02.10.25(金) 事件
02.11.18(月) 起訴
03.01.21(火) 10:00~12:00 第1回公判(425号法廷)
03.2.20(木) 15:00~17:00 第2回公判(425号法廷)
03.4.22(火) 10:00~12:00 第3回公判(425号法廷) 秘書1への尋問
03.5.13(火) 13:30~16:30 第4回公判(425号法廷) 秘書2、被告人が住んでいた賃貸人への尋問
03.6. 9(月) 10:00~12:00 第5回公判(425号法廷)
03.6.26(木) 13:30~16:30 第6回公判(425号法廷)
03.7.18(金) 13:30~16:30 第7回公判(425号法廷) 警察官への尋問、被告人質問
03.9.1(月) 13:30~16:30 第8回公判(425号法廷) 被告人質問
03.09.22(月) 13:30~16:30 第9回公判(425号法廷) 被告人質問(検察側)
03.10.29(水) 10:00~12:00 第10回公判(425号法廷) 被告人質問
03.11.14(金) 13:30~16:30 第11回公判(425号法廷) 取調検事への尋問、被告人質問
03.12.24(水) 10:00~12:00 第12回公判(425号法廷) 被告人質問(弁護側)
04.2.6(金) 10:00~12:00 第13回公判(425号法廷) 証拠物(ビデオテープ)の取調べ、被告人質問(双方)
04.3.5(金) 15:00~15:30 第14回公判(425号法廷) 証拠の取調べ
04.3.24(水) 13:30~16:30 第15回公判(425号法廷) 遺族の意見陳述と、論告求刑(無期懲役が求刑)
04.4.27(火) 13:30~16:30 第16回公判(425号法廷) 弁護側弁論と被告人の意見陳述(結審)
04.6・18(水) 10:00~10:30 第17回公判(425号法廷) 判決(104号法廷) -無期懲役の実刑判決が出ました。
裁判
2004年6月18日 東京地裁・成川洋司裁判長は無期懲役を言い渡す。2005年6月30日、東京高裁・田尾健二郎裁判長は「殺害の動機に関する被告の供述は信用できず、1審判決に事実誤認もない」と一審支持、控訴を棄却。
2005年11月15日、最高裁、伊藤の上告を棄却。無期が確定した。
そして闇へ
整理回収機構に関する政財会の癒着、オウムの覚せい剤製造と、その販売ルートでの暴力団の影、その後明らかになった山田洋行の防衛庁官僚との癒着、内閣府の機密費の闇、厚生省の年金流用疑惑、彼が抱えていた問題と、犯行手口の類似した事件との関連を考えると、この事件が、とち狂った右翼の単独犯とは到底言えない。彼のような本物の政治家が殺されて、本当に残念である。心からご冥福をお祈りする。然しながら、この国のマスコミの対応には、改めて幻滅する。彼らがするべきなのは、誰でも知っている石井氏の足跡をたどる事ではなく、彼がたった一人で集めた六十三箱の遺品となった資料を分析し、今も甘い蜜を吸い続けている、彼が戦っていた者の正体を究明する事である。
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