東大技官タリウム事件とは

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東大技官タリウム事件


東大医学部付属動物実験施設の技官が重金属中毒の症状で死亡。被害者が使用していたコーヒー豆の缶に毒物のタリウムが混入されているのを発見。翌年、職場の同僚が容疑者として逮捕される。

ある技官の死

91年2月14日午後5時59分、東京大学医学部付属動物実験施設(文京区)の技官Nさん(38歳)が、病院で腎不全のため死亡した。

 Nさんは前年12月13日に、仕事を休んで府中市の整形外科の診察を受けていた。

 Nさんが訴えるには、両手足の痺れがひどく、身体が激しく痛むというらしく、医師は多発性神経炎と診断した。

 Nさんはその後都立神経病院に転院したが、年が明けて容体が悪化していた。重金属中毒の症状を起こしていたのである。


 Nさんが「毒を飲まされたようだ」と言い残していたこともあって、医師は念の為警察に通報。司法解剖されたNさんの臓器からタリウム化合物が検出された。


 タリウムは1861年にイギリスのウィリアム・クルークスとラミーによって、硫酸工場の鉛室の泥中で発見された。

 重金属の毒で、鉛や水銀に近いが毒性はさらに強い。色は銀白色であるが空気にふれるとすぐ酸化されて灰色となる。致死量は0.2~1g。無味無臭で水に溶けやすい。飲んでもすぐには症状は出ず、だいたい数日から10日後に、手足に痺れや痛みを生じさせる。また神経炎、神経痛、肺炎、発疹チフス、アルコール中毒などと間違われやすいという恐るべき毒物である。

 かつて日本では硫酸タリウムを砂糖、でん粉、グリセリン、水でこねて殺鼠剤に使われた。また女性の除毛剤としても売られていたこともある。

 70年代に欧米で使用禁止となったタリウムは、日本でも日常的に使われることはなくなり、現在では医局の試薬、特殊ガラス・人工宝石の製造などに使われる。


 Nさんは農業科の高校から、動物飼育会社を経て、この施設に勤務していた。技官と言っても、仕事の内容は犬100匹の世話と、実験の後片付けである。最初はアルバイトだったが、動物好きのNさんにとっては良い仕事で、後で正式に採用された。


 勤めていた実験動物施設では、以前にもコーヒーの缶にタリウムが混入されるということがあった。この施設では滅菌用に常備されていたのだ。さらに酢酸タリウム1瓶25g入り)が紛失していることもわかった。

 職場はNさんの他にもう1人動物の世話をする技官がおり、事務職、研究職、施設長(教授)、アルバイトを含め十数人が出入りしていた。内部の人間なら誰でもタリウムを混入するチャンスはあったのだが、当初はNさんの自殺自演という噂もあった。Nさんが「入退院を繰り返せば入院保険金が入る」と話していたことから、保険金目当てで飲むうちに、量を間違えたのではないのかというのだ。

出典:東大技官タリウム事件

	

タリウム

ウィリアム・クルックス (W.Crookes) によって硫酸工場の残留物から1861年に発見され、1862年にクルックスおよびクロード・オーギュスト・ラミー (C.A.Lamy) により単体分離された。名前の由来はギリシア語の「緑の小枝」を表す thallos で、これは、原子スペクトルが緑色のためである。

タリウムの特徴


単体は常温では銀白色の柔らかい金属として存在し、六方最密充填構造(αタリウム)が最安定であるが、約230 °C以上では体心立方構造(βタリウム)が最安定となる。比重11.85、融点302.5 °C、沸点1473 °C。13族の元素であるがイオンは1価 (Tl+) が安定である(不活性電子対効果を参照のこと)。

硫化鉱物(硫化バナジウムや黄鉄鉱)中に微量に存在する。重金属の中でも特に強い毒性を持ち、摂取すると神経障害を起こす。

出典:タリウム - Wikipedia

	

タリウム中毒の症状


摂取から1~2日後に症状が発現します。嘔吐、食欲不振、口内炎、結膜炎、顔面腫脹、便秘、筋肉痛、頭痛が出現します。口内炎、視力障害、知覚異常、下痢、腹痛、消化管出血、高血圧、不整脈、脱力感、運動失調、腎不全、痙攣、昏睡、呼吸麻痺、爪の萎縮、毛根部黒色色素沈着、発汗、脱毛などがみられます。

出典:

	

憎しみは毒に込めて

事件から2年半。93年7月22日、同僚のI技官(当時44歳)が殺人容疑で逮捕された。鑑定に出していた施設保管のタリウムと、遺体から検出されたタリウムの成分比が一致したことを受けての逮捕だった。

 Iは日本獣医畜産大学卒業、東大医科研、国立予防衛生研などで家畜の微生物の研究を経てこの施設に採用された。以前の施設長に誘われたからで、ここで動物実験施設でマイコプラズマの分離に関する研究プロジェクトに入った。この時にタリウムについて熟達している。だがその教授が退職し、別の教授が赴任すると、Iは次第に研究よりかは実験動物の管理を任されるようになった。

 ちなみにIは75年4月にこの施設に採用されており、Nさんがアルバイトとして入ってきたのはその半年後のことである。


供述

「後輩のくせに、仕事のことでいくら注意しても無視するので、長年、鬱積したものがあった」


 IはNさんの先輩であり、年上でもある。同じ技官という立場だが、獣医であるというプライドもあった。2人とも勤務態度は真面目であったが、Nさんの方は職場の行事には一切参加せず、挨拶もろくにしないことがあるなど、人付き合いの方に問題があった。Iはそうした態度を度々注意していたのだが、そのたび無視されたという。

 またNさんが施設を事務所がわりに中古車の仲介アルバイトをしているのを知り、「公務員の副業は禁じられている」と忠告したが、これもことごとく無視され、結局Iは上司に知らせたのだが、このことで2人の関係はさらに悪化した。


供述

「長年仲が悪く、10年ほどまえからタリウムを飲ませるチャンスを狙っていた」


 Iは85年頃からNさんのタオルにタリウムをふりかけるなどしていた。

 そして90年春頃から、Nさんの飲みかけの茶碗などにタリウムの粉末を入れたが、異臭を気づかれ、ことごとく失敗した。

 同年4月、Nさんは「コーヒー豆の缶に、何か白い粉が入っています」と施設長に見せた。この粉がタリウムとわかって大騒ぎとなったが、誰も通報などはせず、「悪質ないたずら」として片付けられた。


 この一件位後も、Iはタリウム混入を企て続けたが、Nさんの方が疑心暗鬼になり、食事や飲み物にも気を使うようになり、部屋の鍵も取りつけた。


 だが90年12月中旬、今度は巧妙に、タリウムを水に溶かして無味無臭の水溶液を入れた。そしてNさんは欠勤、そのまま入院生活となった。

 Iにとっては、10年来の憎しみがようやくはらされた瞬間だった。さらにタリウム入りのお茶の缶をNさん専用の冷蔵庫にいれておくなど、自殺に見せる偽装工作も行った。


 逮捕まで2年半あったものの、Iは当初から疑われていた。仲が悪かったことも職場の人の知るところであったし、タリウムを扱うのは大抵Iだったからだ。

 東大施設という事件の舞台のわりに、安易な計画、軽々しい動機の犯行だった。

出典:東大技官タリウム事件

	

裁判

95年12月19日、東京地裁、Iに懲役11年の判決。

 96年11月21日、東京高裁、控訴棄却。


 00年6月8日、最高裁、上告棄却。


 02年4月15日、Nさんの遺族が約1億円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁・山名学裁判長は、「東大側の安全管理に過失があった」として、6684万円余を支払うよう命じた。


 05年、静岡県内の女子高生が、母親にタリウムを飲ませるという事件が起こった。日本犯罪史上、福岡大学病院事件、東大技官事件に次いで3例目のタリウム事件だった。

出典:東大技官タリウム事件

	

他のタリウム事件

静岡女子高生母親毒殺未遂事件

出典:アメーバブログ(アメブロ)|Amebaで無料ブログを始めよう

『6月27日  日記を書き始めようと思います。学校の人はこの事を知らないので、嫌な事とかも全て書くつもりです。』

2005年、16歳の女の子の楽天日記は、そのように始まった。

静岡県伊豆の国市の県立高校1年の女子生徒が、母親(47歳)に劇物のタリウムを摂取させ殺人未遂容疑で逮捕された事件。その様子を楽天日記(ブログ)にアップしていた。10月に入り、母親は入院。家族が警察に相談したことから、娘である女子高生の犯行が浮上した。裁判では、女子高生はアスペルガー症候群で、一連の犯行はアスペルガーによる影響が大きいと認定され、医療少年院送致となった。母親は事件により意識不明のこん睡状態。少女の父親は事件発覚まで、少女がアスペルガーだという認識がなかった。

福岡大学病院事件


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福岡大学医学部付属病院の臨床検査部の技師八人がタリウム中毒にかかり、うちのひとりは髪の毛が大量に抜けたり、手足が腫れたりして重症となり、長期の入院を余儀なくされたというものである。やはりこの臨床検査部にも細菌検査用の酢酸タリウムが保管されており、どうやら誰かがお茶やコーヒーに長期に渡ってタリウムを入れていたと見られている。警察もかなり力を入れて犯人を捜索していたが、検査技師のひとりが、自分は犯人を知っているが名は言えないという遺書を残して自殺してしまい、謎は謎のまま残されてしまった。

オススメ書籍

大人のための図鑑 毒と薬

			

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Sharetube