中川智正の生い立ち【元オウム真理教幹部】
中川智正
人物像
1977年3月岡山大学教育学部附属中学校、1980年3月岡山県立岡山朝日高等学校、1988年3月京都府立医科大学医学部医学科卒業。大学では柔道部に所属し大学祭の実行委員長を務めるなど、明るく温厚で実直な人柄から交友関係は広かった。1988年2月にオウム真理教に入信。オウムとの出会いは、医師国家試験合格から就職までの空いた期間に、ほんの興味本位で麻原のヨガ道場を覘いたことが発端となっている。1988年5月に医師免許を取得し、研修医として一年ほど勤めた後の1989年8月末、周囲の反対を押し切り退職し出家。
1995年8月22日、自ら申請して医師免許取消処分。自ら申請というのは前例はなかった。
関連した事件
坂本弁護士一家殺人事件、元信者殺人事件、弁護士サリン襲撃事件、松本サリン事件、VX殺人事件及び同未遂2事件、目黒公証役場事務長拉致監禁事件、地下鉄サリン事件、新宿青酸ガス発生事件、都知事爆破物郵送事件他
坂本弁護士一家殺人事件
坂本堤弁護士一家殺害事件(さかもとつつみべんごしいっかさつがいじけん)は、1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士、坂本堤(当時33歳)と家族の3人を殺害した事件である。遺体が容疑者によって隠匿されたため、1995年9月に遺体が発見されるまでは失踪事件として扱われていた。現場にオウム真理教のバッジが落ちていたが、神奈川県警察は「事件性なし」として、捜査を行わなかった。犯行が明るみに出たのは、1995年(平成7年)9月、実行犯の一人、宮前一明が自供したことによる。
「横浜法律事務所」に所属していた坂本堤弁護士は、江川紹子からの紹介で、出家信者の母親から息子のオウム真理教脱会について相談されたことがきっかけとなり、1989年(平成元年)5月からオウム真理教の反社会性を批判・追及していた。同年10月下旬にオウム真理教幹部との話し合いが決裂し、坂本はオウム真理教の宗教法人の認可取り消しなどの民事訴訟の準備に入った。
そのため、オウム真理教代表者麻原彰晃(松本智津夫)は「坂本弁護士の活動は、真理党からの出馬を予定している翌年(1990年)の総選挙や、今後の教団の発展の障害となる」と考え、信徒に彼の殺害を命じたとされる。
熊本県在住の在家信徒の弁護士から坂本の住所を聞きだすと、11月3日、オウム真理教幹部である村井秀夫・早川紀代秀・宮前一明・新実智光・端本悟・中川智正が、坂本が通勤で利用する横浜市の洋光台駅付近で坂本を待ち伏せし、自動車に連れ込み塩化カリウムを注射して殺害し、遺体をそのまま運び去ろうと計画していたが、この日は祝日であったため坂本は現れなかった。
このため、麻原の指示により坂本の自宅に向かい、翌11月4日未明に自宅に侵入。端本が坂本堤に馬乗りになり、宮前が絞殺、新実が坂本の妻(当時29歳)を絞殺、中川が坂本の長男(当時1歳)の口をふさいで殺害した。
坂本一家が失踪した直後の1989年(平成元年)11月21日には弁護士有志の団体として「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」が結成され、1995年(平成7年)9月に遺体が発見されるまでの間、坂本一家を救うべく、日本全国規模でチラシ等の配布やキャラバン活動が展開された。
坂本の遺体は新潟県名立町(現・上越市)の山中に、妻は富山県魚津市別又の林道別又僧ヶ岳線脇に、長男は長野県大町市日向山の山中に埋められた。
薬剤師リンチ殺人事件
薬剤師リンチ殺人事件(やくざいしりんちさつじんじけん)とは、被害者である薬剤師(当時29歳)がオウム真理教の富士山総本部で治療を受けていた女性を救出しようとして失敗し、被害者が麻原彰晃らに殺害された事件。麻原が起訴された殺人事件の中で唯一、殺害現場に立ち会った事件である。1994年1月30日に発生した。被害者は明治薬科大学を卒業後に出家し、東京都中野区のオウム真理教附属医院に薬剤師として勤めていた元信者であったが、パーキンソン病を罹患し入院していた女性への治療法に疑問を持ち、教団からの救出を決意。女性は当初、栃木県内の病院で治療を受けていたが、在家信徒であった息子や越川真一から「オウムに入信して付属病院で治療を受ければ病気が治る」と説明を受け、それに従ったが病状は好転しなかった。1993年12月頃、第6サティアンに移り治療を受け続けるとともに、PSIとよばれる修行を行うようになった。
そこで被害者は、事件当時はすでに脱会していた女性の夫と息子であるH.Yに協力を依頼。被害者とH.Yが第6サティアンに入り、救出しようとするが、失敗して取り押さえられ、第2サティアンに連行される。そこに駆けつけた麻原はH.Yに「被害者を殺せば命を助ける」と言って被害者を殺させた。
松本知子・杉本繁郎・中川智正・井上嘉浩・新実智光・村井秀夫・越川・H.Yが殺害に関与し、北村浩一・後藤誠・丸山美智麿が遺体の処理に関わったとされ、刺殺された村井以外が起訴され、H.Yは第一審で懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受け、控訴せず確定した。
弁護士サリン襲撃事件
出典:nakagawat"
麻原彰晃(本名松本智津夫)被告は、中川智正ら4被告、19歳の女性信者と共謀、1994年5月9日、教団相手の民事訴訟に出席するため甲府地裁を訪れた「オウム真理教被害対策弁護団」メンバーの弁護士(39)を殺害しようと、弁護士の乗用車のフロントガラス付近にサリンを垂らし、中毒症を負わせた。