中川智正の生い立ち【元オウム真理教幹部】

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中川智正

中川智正(なかがわ ともまさ、1962年10月25日 - )は、元オウム真理教幹部。確定死刑囚。岡山県出身。ホーリーネームはヴァジラ・ティッサ。麻原彰晃の主治医。


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人物像

1977年3月岡山大学教育学部附属中学校、1980年3月岡山県立岡山朝日高等学校、1988年3月京都府立医科大学医学部医学科卒業。大学では柔道部に所属し大学祭の実行委員長を務めるなど、明るく温厚で実直な人柄から交友関係は広かった。1988年2月にオウム真理教に入信。オウムとの出会いは、医師国家試験合格から就職までの空いた期間に、ほんの興味本位で麻原のヨガ道場を覘いたことが発端となっている。

1988年5月に医師免許を取得し、研修医として一年ほど勤めた後の1989年8月末、周囲の反対を押し切り退職し出家。

1995年8月22日、自ら申請して医師免許取消処分。自ら申請というのは前例はなかった。

出典:中川智正 - Wikipedia

	

関連した事件

坂本弁護士一家殺人事件、元信者殺人事件、弁護士サリン襲撃事件、松本サリン事件、VX殺人事件及び同未遂2事件、目黒公証役場事務長拉致監禁事件、地下鉄サリン事件、新宿青酸ガス発生事件、都知事爆破物郵送事件他

坂本弁護士一家殺人事件

坂本堤弁護士一家殺害事件(さかもとつつみべんごしいっかさつがいじけん)は、1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士、坂本堤(当時33歳)と家族の3人を殺害した事件である。遺体が容疑者によって隠匿されたため、1995年9月に遺体が発見されるまでは失踪事件として扱われていた。

現場にオウム真理教のバッジが落ちていたが、神奈川県警察は「事件性なし」として、捜査を行わなかった。犯行が明るみに出たのは、1995年(平成7年)9月、実行犯の一人、宮前一明が自供したことによる。


「横浜法律事務所」に所属していた坂本堤弁護士は、江川紹子からの紹介で、出家信者の母親から息子のオウム真理教脱会について相談されたことがきっかけとなり、1989年(平成元年)5月からオウム真理教の反社会性を批判・追及していた。同年10月下旬にオウム真理教幹部との話し合いが決裂し、坂本はオウム真理教の宗教法人の認可取り消しなどの民事訴訟の準備に入った。

そのため、オウム真理教代表者麻原彰晃(松本智津夫)は「坂本弁護士の活動は、真理党からの出馬を予定している翌年(1990年)の総選挙や、今後の教団の発展の障害となる」と考え、信徒に彼の殺害を命じたとされる。


熊本県在住の在家信徒の弁護士から坂本の住所を聞きだすと、11月3日、オウム真理教幹部である村井秀夫・早川紀代秀・宮前一明・新実智光・端本悟・中川智正が、坂本が通勤で利用する横浜市の洋光台駅付近で坂本を待ち伏せし、自動車に連れ込み塩化カリウムを注射して殺害し、遺体をそのまま運び去ろうと計画していたが、この日は祝日であったため坂本は現れなかった。

このため、麻原の指示により坂本の自宅に向かい、翌11月4日未明に自宅に侵入。端本が坂本堤に馬乗りになり、宮前が絞殺、新実が坂本の妻(当時29歳)を絞殺、中川が坂本の長男(当時1歳)の口をふさいで殺害した。


坂本一家が失踪した直後の1989年(平成元年)11月21日には弁護士有志の団体として「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」が結成され、1995年(平成7年)9月に遺体が発見されるまでの間、坂本一家を救うべく、日本全国規模でチラシ等の配布やキャラバン活動が展開された。

坂本の遺体は新潟県名立町(現・上越市)の山中に、妻は富山県魚津市別又の林道別又僧ヶ岳線脇に、長男は長野県大町市日向山の山中に埋められた。

出典:坂本堤弁護士一家殺害事件 - Wikipedia

	

薬剤師リンチ殺人事件

薬剤師リンチ殺人事件(やくざいしりんちさつじんじけん)とは、被害者である薬剤師(当時29歳)がオウム真理教の富士山総本部で治療を受けていた女性を救出しようとして失敗し、被害者が麻原彰晃らに殺害された事件。麻原が起訴された殺人事件の中で唯一、殺害現場に立ち会った事件である。1994年1月30日に発生した。

被害者は明治薬科大学を卒業後に出家し、東京都中野区のオウム真理教附属医院に薬剤師として勤めていた元信者であったが、パーキンソン病を罹患し入院していた女性への治療法に疑問を持ち、教団からの救出を決意。女性は当初、栃木県内の病院で治療を受けていたが、在家信徒であった息子や越川真一から「オウムに入信して付属病院で治療を受ければ病気が治る」と説明を受け、それに従ったが病状は好転しなかった。1993年12月頃、第6サティアンに移り治療を受け続けるとともに、PSIとよばれる修行を行うようになった。

そこで被害者は、事件当時はすでに脱会していた女性の夫と息子であるH.Yに協力を依頼。被害者とH.Yが第6サティアンに入り、救出しようとするが、失敗して取り押さえられ、第2サティアンに連行される。そこに駆けつけた麻原はH.Yに「被害者を殺せば命を助ける」と言って被害者を殺させた。

松本知子・杉本繁郎・中川智正・井上嘉浩・新実智光・村井秀夫・越川・H.Yが殺害に関与し、北村浩一・後藤誠・丸山美智麿が遺体の処理に関わったとされ、刺殺された村井以外が起訴され、H.Yは第一審で懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受け、控訴せず確定した。

出典:薬剤師リンチ殺人事件 - Wikipedia

	
弁護士サリン襲撃事件


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麻原彰晃(本名松本智津夫)被告は、中川智正ら4被告、19歳の女性信者と共謀、1994年5月9日、教団相手の民事訴訟に出席するため甲府地裁を訪れた「オウム真理教被害対策弁護団」メンバーの弁護士(39)を殺害しようと、弁護士の乗用車のフロントガラス付近にサリンを垂らし、中毒症を負わせた。
松本サリン事件

出典:松本サリン事件 - Wikipedia

松本サリン事件(まつもとサリンじけん)とは、1994年(平成6年)6月27日に、日本の長野県松本市で、猛毒のサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した事件。戦争状態にない国で、一般市民に対して初めて化学兵器が使用されたテロ事件であり、ずさん極まる捜査を実施した警察とマスコミのなれ合いの果て、無実の人間を犯人にでっち上げた冤罪[1]・報道被害事件でもある。なお、警察庁における事件の正式名称は「松本市内における毒物使用多数殺人事件」である。

1994年6月27日の夕方から翌日6月28日の早朝にかけて、長野県松本市北深志の住宅街に、化学兵器として使用される神経ガスのサリンが散布され、7人が死亡、660人が負傷した(なお、刑事事件の裁判では迅速化のため、訴因変更によって重傷者は4名のみに絞られている。事件から14年後の2008年8月5日、本事件による負傷の加療中であった第一通報者の妻が死亡したためこの事件による死者は8人となった)。

元信者リンチ殺人事件


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1994年7月10日 元信者のTさんをリンチの末、首をロープで絞めて殺害。遺体を教団施設内にて焼却した。

VX殺人事件及び同未遂2事件

麻原彰晃(本名松本智津夫)被告は、教団信者の知人だった大阪市の会社員(当時28)を「警察のスパイ」と決めつけ、新実、中川らに「ポアしろ。サリンより強力なアレを使え」などと、VXガスによる殺害を指示。新実らは1994年12月12日、出勤途中の会社員にVXガスを吹き掛け、殺害した。他別の会社員2名にも吹きかけ、殺害しようとしたが失敗した。

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目黒公証役場事務長拉致監禁事件

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1995年(平成7年)2月28日午後4時半ごろ、東京都品川区上大崎の路上で、目黒公証役場から出てきたこの職員を信徒らがワゴン車に連れ込んで拉致、山梨県西八代郡上九一色村(現:南都留郡富士河口湖町)のサティアンに連れ込んだ。

教団は、麻酔薬のチオペンタールを投与することで、被害者の妹の居所を自白させようとしたが果たせなかった。そこで麻原彰晃は、拉致実行犯の一人に被害者を絞殺させることとし、「(被害者を)ポアさせることによって(実行者)に徳を積ませる」と称し、東京からサティアンに呼び戻すことになった。その間、被害者は麻酔薬を過剰に投与されたため、3月1日午前中に死亡した。午後になって麻原指名の実行者が到着し、既に死亡したことを知らせずに被害者の首を絞めさせた。遺体は中川智正ら数名がマイクロウェーブを応用した焼却炉で焼却し、灰は本栖湖に流して死体遺棄をし、証拠を隠滅した。麻原は中川らに報酬として、おはぎとオレンジジュースを渡した。

地下鉄サリン事件

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目黒公証役場事務長(当時68)拉致事件などでオウム真理教への強制捜査が迫っていることに危機感を抱いた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時40)は、首都中心部を大混乱に陥れて警察の目先を変えさせるとともに、警察組織に打撃を与える目的で、事件の二日前にサリン散布を村井秀夫(当時36)に発案。遠藤誠一(当時34)、土谷正実(当時30)、中川智正(当時32)らが生成したサリンを使用し、村井が選んだ林泰男(当時37)、広瀬健一(当時30)、横山真人(当時31)、豊田亨(当時27)と麻原被告が指名した林郁夫(当時48)の5人の実行メンバーに、連絡調整役の井上嘉浩(当時25)、運転手の新実智光(当時31)、杉本繁郎(当時35)、北村浩一(当時27)、外崎清隆(当時31)、高橋克也(当時37)を加えた総勢11人でチームを編成。1995年3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄日比谷線築地駅に到着した電車など計5台の電車でサリンを散布し、死者12人、重軽傷者5500人の被害者を出した。
新宿青酸ガス発生事件

出典:新宿駅青酸ガス事件 - Wikipedia

新宿駅青酸ガス事件(しんじゅくえきせいさんガスじけん)は1995年4月30日、5月3日、5月5日の三回にわたって、オウム真理教が東京都の新宿駅地下トイレに毒ガスである青酸ガスの発生装置を仕掛けたテロ未遂事件、特に5月5日の事件をいう。別名として新宿駅地下トイレ青酸ガス事件、新宿青酸ナトリウム装置事件などとも呼ばれる。

前二回は発生装置の故障によってガスが発生せず、また三回目となる5月5日の事件でも装置は作動したものの清掃作業員によって装置が発見・移動されたことから、ガスが発生する前に駅員によって処理され、大事には至らなかった。

麻原彰晃から「石油コンビナートを破壊するなどのテロを起こして捜査を攪乱しろ」と指示を受けた井上嘉浩が計画したが、青酸ガス散布については麻原から具体的指示や同意が確認できなかったため、裁判では井上が首謀者とされた。

事件後実行犯として特定された信者の八木澤善次(戦前の同名の著述家とは別人である)、松下悟史は同年11月9日付けで殺人未遂容疑で全国に特別指名手配され、両名の似顔絵と写真が掲載されたポスターが各地の地下鉄駅などに張り出された。八木澤は1996年11月14日、埼玉県警所沢警察署に出頭して逮捕され、松下も11月24日、同署に逮捕された。八木澤の出頭時の様子はワイドショーでも報道され、大声で名乗りながら出頭してきたなどと状況が詳しく語られた。

都知事爆破物郵送事件

出典:nakagawat"

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1995年5月、東京都知事に爆発物を郵送し、都職員に重傷を負わせた。

中川智正死刑囚の生い立ち【元オウム真理教幹部】

罪に問われている事件では、松本被告の13事件に次いで多い。中川被告が関与した事件では計25人が死亡しており、松本被告、新実被告に次ぐ。

水道橋博士が語る「同級生だった中川智正死刑囚に関する戦慄体験」

2010年4月2日に放送されたTBSラジオ「小島慶子 キラキラ」にて浅草キッドの水道橋博士がオウム真理教の麻原彰晃の主治医として死刑囚になった中川智正(なかがわともまさ)について語っていた。なんでも、その中川智正と博士は中学生時代の同級生だったそうで、地下鉄サリン事件の後に中川智正が指名手配された際には背筋が凍るような体験をしたんだそうです。
■会話をしている人

水道橋博士(お笑いコンビ「浅草キッド」)

小島慶子(ラジオパーソナリティ)


博士 ちょっとディープですけど、これ笑い話ではなく本当の話なんですよ?あのー、1995年に、あのー、オウムのサリン事件があったじゃないですか


小島 はい


博士 その時に、まぁ、麻原彰晃の主治医として、こうニュースになってた中川智正っていたんですね


小島 はい、はい


博士 まぁ死刑囚になりましたけども、彼は中学時代の同級生だったんですよ


小島 わぁ!


博士 で、その1995年にニュースを見てたらサリン事件が起きて、それで『今逃亡中』って出て『中川智正』って出たときに『あっ、俺と同い年。えっ!ひょっとして、中川智正って俺のあの同級生の!?』って思った時の僕のこの戦慄な思い?・・


小島 ええ


博士 と共にですね、僕の共通の友人のK君っていう人から電話がかかってきて「今ニュース見ているか?」って。『いや連日連日すごいじゃないか』って


小島 うん


博士 その人も久しぶりなんですよ。中学出てからずっと会っていなくて


小島 ええ


博士 「お前、芸能人なんかやっているわけだから、何とか中川をかばってやってくれ」みたいな話があって


小島 ああ


博士 『でもそんな今サリンだの何だのって言っているのに、そんなこと出来る訳ないじゃない』つって。『まさか中川智正・・』その、あだ名が『ケツ』って言ったんですね、中学時代のあだ名


小島 ええ


博士 『でもケツがまさかこんな事になるとは』って言ったとたん、そのK君が「失礼なことを言うな!中川智正はケツではない!ボージサットバ・バジラディッサ師だ!」って


小島 うわ!!


博士 ホーリーネームをスラスラスラって言ったんです。


小島 あっ、同じ学年に信者さんがもう一人いたんだ


博士 ええ。で、それでかばってくれっていう電話だったという


小島 なな、なるほど


博士 物凄く衝撃的でしょ?


小島 衝撃的ですし、ちょっと、あのー、ねぇ。ちょっと自分の、み、身がどうなるか怖い感じがしますね。


博士 ええ。まぁ、あのう、ね。こういう事件ですから不謹慎なことを言っているつもりはなくて事実そのものとして言っているんですけど


小島 ええ、ええ


博士 だから自分の周に起きたね事件の中で同級生が絡んで、これだけ社会的な大きなねぇ。まぁ反社会的な行為をしてと。それに自分自身がこう同級生の中に巻き込まれていく感じ。


小島 それはあの、中学生時代とか思い出すんでしょ?どんな子だったっけなぁ?


博士 いや思い出しますよぉー。


小島 うん


博士 本当に二十世紀少年のワンシーンみたいですよ、まさに。


小島 あー。時間が巻き戻って。


博士 『あの同級生の何々が』って。あの遊んだ時の思い出が、全部が蘇りながら。


小島 うーん


博士 で、ずっとまだ逃亡してて。


小島 でも会っていない時間が長いと、その間に、お互いに、自分もだし相手もだし、もう全く変わってしまっていることなんてある訳ですからねぇ。いくら思い出を手繰ってみて、『まさかあいつが』とか『そういえばあの頃から』なんて思ってみても、もう会っていない時間の方が長ければ全く知らない人と同じぐらいに遠くなって・・


博士 一種のミッシングリンクなんですよ。そこでずっと培ってきた少年時代があり、そっから消えた、その間を思いを馳せながら『何があったんだ彼に』ってことを思いつつね


小島 うーーん


博士 それをずっとニュースを・・・そして同時代を生きていって、まぁ彼は死刑囚になるわけだけど。


小島 はい


博士 まぁ同級生の中で減刑嘆願書みたいなのを書くのもあるし、でもその彼がやったことに対する社会的な罪をね、罰を背負うべきだと、そう思う気持ちもありね


小島 うんうん


博士 また同級生ってのは色んなことを思わせられますよ


と語っていた。

出典:水道橋博士が語る「同級生だった中川智正死刑囚に関する戦慄...

	

裁判焦点


中川被告は、弁護士一家殺害事件の実行行為に加わったことは認めたが、多くの事件で殺意や共謀を否認。松本サリン事件では「殺意はなく、傷害致死の幇助にとどまる」と主張。地下鉄サリン事件では、サリン製造にかかわったことは認めたが、「何に使われるか知らなかった」として無罪を主張した。また、「心神喪失に準じる精神状態で、全事件で責任能力を欠いていた」とも訴えた。弁護側は無罪やほう助罪などの適用を主張している。

 判決は、坂本弁護士らの殺害について「それまで坂本弁護士の名前を聞いたこともなかったが、出家した以上は松本被告の指示に従わなければと思い犯行に加わった」と指摘。被告が坂本弁護士の妻の首を着衣で締め付けて殺害し、長男の顔にタオルケットを強く押し付けたと認定した。

 地下鉄、松本両サリン事件については、中川被告らが生成したサリンが使われたと認定した。


 控訴審で弁護側は最終弁論で「教組で特異な存在だった松本智津夫死刑囚(教祖名麻原彰晃)の指示であったからこそ従った」と死刑を回避するよう求めた。

 判決は、罪に問われた11事件のすべてについて、中川被告の関与を認定した。植村裁判長は、「医学の知識を犯行に悪用し厳しい非難を免れない、刑事責任能力もあった」「松本死刑囚がそばにいるような神秘体験が犯行を促す方向に作用した可能性があるとしても責任能力に疑念は生じない。サリンが悲惨極まりない結果を引き起こす毒物と熟知しながら積極的に関与した」「死者が計25人に上るなど事件の極限的な悪さに照らせば、反省や謝罪を前提にしても死刑選択を妨げる特段の事情はない」と述べた。


 2011年9月16日の最高裁弁論で、弁護側は「被告は精神病と同レベルの解離性障害か祈祷性精神病を患っており、完全責任能力はなかった。地下鉄サリン事件については計画を知らず、果たした役割も大きくなかった。被告が犯行に関わったのは精神的な障害が影響しており、死刑は重すぎる」と主張。また絞首刑は残虐性で意見であると訴え、死刑回避を訴えた。検察側は医師の鑑定も考慮に入れたうえで、完全責任能力を認めた二審に間違いはない」と反論。「共犯者が無差別大量殺人を実行すると認識しながらサリンを製造するなど犯行に積極的に関与しており、死刑を当然適用すべき事案」と述べた。

 判決で古田裁判長は、被告側の主張を「上告理由に当たらない」と退け、「法治国家に対する挑戦として組織的、計画的に行われた犯行で、人命軽視も甚だしい。中川被告は一家殺害事件では自ら弁護士の妻や子供の首を絞めて窒息死させ、地下鉄サリン事件では共犯者とともにサリンを合成するなど、重要な役割を積極的に果たした。命を失った被害者は25人に及び、残虐で非人道的な犯行態様と結果の重大性は比べるべき例がない」と述べた。

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死刑確定から死刑執行へ


2018年(平成30年)3月14日までは、中川を含め、オウム真理教事件の死刑囚13人全員が、東京拘置所に収監されていた。しかし、2018年1月、高橋克也の無期懲役確定により、オウム事件の刑事裁判が終結した。

その間、中川は、毒物学の専門家であるアンソニー・トゥーと、度々面会を行った。2018年3月13日、14回目の面会時、中川は、トゥーに対し、身辺整理を始めたことを明かし、「これが最後の面会になるかもしれない」と伝えた。

オウム裁判終結に伴い、同年3月14日、麻原彰晃を除く死刑囚12人のうち、7人について、死刑執行設備を持つほかの5拘置所(宮城刑務所仙台拘置支所・名古屋拘置所・大阪拘置所・広島拘置所・福岡拘置所)への移送が行われた。中川は同日付で、広島拘置所に移送された。トゥーとの面会は広島拘置所移送後の4月が最後となったが、そのときも中川は死刑に対する怖れを見せず、別れ際に「先生もお元気で。これが最後の面会かもしれません。英語の論文では大変お世話になりました」と言い残した。

2018年7月6日、麻原彰晃らと同日、広島拘置所で死刑が執行された。享年55。「自分のことについては誰も恨まず、自分のしたことの結果だと考えています。被害者の方々に心よりおわび申し上げます。施設の方にも、お世話になりました」と言い残した。遺体は執行翌日、家族が引き取っている。

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