「恋愛問題のもつれ。。。」恵庭OL殺人事件とは

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恵庭OL殺人事件とは?


恵庭OL殺人事件(えにわオーエルさつじんじけん)は、2000年3月、北海道恵庭市で発生した殺人事件。
事件発生場所 北海道恵庭市近辺

事件発生日時 2000年3月16日21時30分ごろ-23時5分ごろ


犯人 大越美奈子(当時29歳)日本通運契約社員 早来町栄町109在住

被害者 橋向香(当時24歳)日本通運契約社員 苫小牧市美沢102在住


手段 被害者の頸部を何らかの方法で圧迫し窒息死させ、路上で死体に灯油をかけて焼損

動機 交際していた男性が被害者に心移りして交際を始めたのを逆恨みしたため

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事件関係者


板持貢 日本通運社員。加害者、被害者双方の同僚であり交際相手。事件当夜は残業していてアリバイがある

多田政拓 早来町議会議員、自宅に隣接した喫茶店「とれいる」を夫婦で経営(現在は廃業)

多田律子 「恵庭冤罪事件被害者支援会」代表、多田政拓の妻、書道教室を開いており大越は彼女の生徒、大越とは子供の頃からの付き合い

伊東秀子 大越の主任弁護人、元衆議院議員の大物弁護士。一審判決時は北海道知事選出馬の関係か、主任弁護人ではない

遠藤和正 一審の裁判長裁判官

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事件概要


2000年3月17日午前8時頃、北海道恵庭市の人気のない農道の路上に焼死体があるのを幼稚園バスの運転手が発見した。遺体はタオルのようなもので目隠しされ、後ろ手に縛られており完全に炭化していた。死因は頚部圧迫による窒息死で、絞殺後に灯油をかけられたものと見られた(確定判決では、犯行時刻は3月16日の午後9時半から11時5分頃とされている)。

この焼死体は苫小牧市在住で千歳市に勤務する女性従業員(当時24歳)の遺体と判明。女性従業員は3月16日に同僚と退社して午後8時半頃に自宅に電話した後は行方不明となっていた。女性従業員の家族によって3月17日午後1時頃に捜索願が出され、同日午後3時頃に勤務先2階の女子更衣室ロッカーから女性従業員の携帯電話が見つかっていた。

同年5月、恋愛問題のもつれによる犯行として、同僚の女が逮捕・起訴された。

以下の状況証拠をどう判断するかが焦点となった(札幌高等裁判所判決参照)。

出典:恵庭OL殺人事件 - Wikipedia

	
被害者が容疑者の恋人と交際を始めた後から被害者への度重なる無言電話の受信記録があったが、事件直後に無言電話にまつわる受信記録が無くなったのは事件直前に容疑者の恋人が被害者と交際を始めたのを妬んだ容疑者による可能性が高いこと

容疑者は被害者の電話番号について「知らない」と供述していたが容疑者のアパートで被害者宛の電話番号が書かれたメモが発見されたために嘘が発覚したこと


被害者のロッカーの鍵が容疑者の車内で発見されたこと


死亡後も生存偽装工作目的で勤務先と恋人宛てに発信されていた被害者の携帯電話の電波発信記録が容疑者の足取りにほぼ一致する一方で他の従業員の足取りでは該当者がいないこと

出典:恵庭OL殺人事件 - Wikipedia

	
死亡後も発信されていた被害者の携帯電話が部外者の入りにくい会社2階女子更衣室内のネームプレートがない被害者のロッカーに戻されたのは会社の女性従業員である可能性が高いこと


容疑者が事件当日にタンク入り灯油10リットル分を購入して事件後に再び灯油を購入していること


再び灯油を購入した理由に関する容疑者の証言が父親や同僚の証言と食い違うとその都度証言が変遷したこと


容疑者の車の左前輪タイヤに高熱の物体に触れて溶けた跡があったこと


容疑者の車の助手席のマットに灯油の成分があること

犯行現場とされる容疑者の車内に被害者の血痕や毛髪が確認されなかったこと


遺体発見現場で容疑者の靴跡やタイヤ痕は見つかっていないこと


遺体の状態が男性による強姦殺人の可能性を示唆する要素があると弁護団が主張していたところ、検死における司法解剖で強姦の有無を調べられなかったこと

出典:恵庭OL殺人事件 - Wikipedia

	

事件の経過


2000年3月17日午前8時20分頃、北海道恵庭市郊外の人気のない農道で、幼稚園の送迎バス運転手が、走行中に路肩に黒っぽいものがあるのを見つけた。運転手は近くの主婦に確認を依頼し、主婦が車で現場を見に行くと、それは人間の焼死体であることがわかった。

 まもなく遺体は前夜に同僚と退社したまま行方がわからなくなっていた千歳市の「日本通運札幌東支店キリンビール事業所」に勤務するOL・K子さん(24歳)のものとわかった。K子さんの家族はこの日の午後1時頃に捜索願が出されており、午後3時頃に勤務先の女子更衣室ロッカーから彼女の携帯電話が見つかった。


 遺体はタオルのようなもので目隠しされており、後ろ手に縛られていた。完全に炭化しており、肋骨が浮き上がって、全身が骨と炭の状態だった。左足は少し開いて膝が立っており、右足も開いて膝から内側に曲がるなど、開脚状態だった。死因は頚部圧迫による窒息死。絞殺後に灯油をかけられたものと見られる。

 またK子さんが通勤に利用していた車は、18日午後8時19分に会社のすぐ近くにあるJR長都(おさつ)駅南の駐車場脇道路に停められているのが見つかった。


 4月に入って、道警はK子さんと同僚である早来町の大越美奈子(当時29歳)を任意聴取。彼女が浮上したのは、同僚の証言から、K子さんと同僚の男性との間の三角関係が明らかにされたからだった。

大腰に対する任意聴取が始った2日目の4月15日午後4時20分頃、勇払郡早来町の「町民の森」内の道路で、K子さんのバッグが焼かれた状態で見つかった。発見者は「ドングリの会」という自然観察の組織の会員で、大越もこの会員であった。この森は「ドングリの会」のイベントが定期的に行なわれる所だった。発見者はこの時、単なるゴミだと思い、すぐには通報しなかったが、会の代表が話を聞いて現場を見に行き、車の鍵があるのを不審に思って警察に届けたのだという。

 前日16日にK子さんと一緒に会社を出たこと、別れた恋人をめぐってK子さんに嫌がらせのメールを送りつづけていたこと、午後11時頃のアリバイがないことである。さらに事件直前の夜に大量の灯油(10l)を購入していたことが決め手となり、5月23日、殺人・死体損壊・死体遺棄の疑いで逮捕された。


 大越宅の家宅捜索ではK子さんの携帯電話の番号が書かれたメモ、車のグローブボックスからはK子さんのロッカーの鍵が見つかった。

大越は高校卒業後、木材会社、建設会社、地元の役場で臨時職員として働き、98年初め頃から日通にアルバイトとして働き始めた。

 日本通運の営業所は10人前後のこじんまりした事務所だった。大越は同じ工場構内課で働く同い年のIさん(当時29歳)という恋人がいて、採用された年の5月から2年近く付き合っていたが、職場では知られていなかった。


 99年9月、人事異動でK子さんが工場構内課に移って来た。

 K子さんは短大卒業後、自動車販売会社やホテルで働き、98年11月にアルバイトで同社に採用された。とは言え、当初配属されたのは大越やIさんとは別の建物内の自動車営業課だった。


 事件の1ヶ月前の2月頃、Iさんは歓送迎会の二次会で隣りに座ったK子さんに好意を持つようになり、その一週間後、大越に「別れたい」と切り出した。大越はこの時、泣きながら「もう少し考えて」というようなことを言ったという。

 この頃から落ちこんだ様子を見せるようになり、仕事でのミスも目立った。「ちょうど(契約社員としての)契約も切れるから辞めようかな」「どうせみんなから煙たがられるから」などと同僚に洩らした。


 3月4日夜、週末であったため、IさんはK子さんをドライブに誘って、明け方まで室蘭方面に行った。

 その週明け、大越は2人のことに感付いた。職場でのIさんの話し方が違うように感じたのである。大越は以前交際していた男性Xさん(既婚)にそのことを相談する電話をかけている。それによると、大越は偶然K子さんの手帳を見て、Iさんとの交際をうかがわせるような記述を見つけたのだという。

 

 3月8日、大越は自家用車の日産マーチで、Iさんの車を尾行し、K子さんの実家の牧場に入っていくのを確認し、ショックを受けた。大越はまたXさんに電話をかけたが、激しく動揺していたという。この後、千歳市内のコンビニエンスストア前に停めた車の中でIさんと話す機会があったが、彼の気持ちは変わらず、翌日Xさんに「やっぱりダメみたい」と泣いて電話をかけている。

3月11日深夜。この日は友人と会っていた大越だったが、その後1人でドライブしたいと考え、千歳方面に向かった。この途中、JR千歳線長都駅のパーキングで、Iさんの車とK子さんの車が並んで停まっているのを見つけた。大越は一旦走り去り、再びこの駅に戻ってきたが、この時には車は消えていた。後のIさんの証言によると、2人は確かのこの日会っていたのだという。まさにこの時、IさんはK子さんに交際を求めていたというのだ。K子さんも「私で良かったら」と答えていたという。

 一方大越はその直後(午前4時頃)、K子さんの携帯電話に無言電話をかけた。無言電話の回数は事件当日まで続き、それは4日間で実に230回にも及ぶ。K子さんも、これは大越によるものと気づいており、別の同僚の女性に携帯電話で、「大越さんのことで困っている」という内容のメールを送っている。


 3月15日、仕事が終わって、地元の喫茶店で友人と話した後、自宅には戻らず、千歳方面に向かった。

 翌朝午前10時過ぎ、大越は千歳市末広のコンビニエンスストア「セイコーマートふくみや」で灯油9.5lを購入。これは以前家族で住んでいた社宅を片付けるように母親から言われていたのを思い出し、社宅のストーブの灯油が切れているかもしれないと思って購入したのだという。ポリタンクは助手席に置いておいたが、その時蓋がゆるくなっていて漏れた。


 事件当日の午後9時半頃、2人は揃って退社。普段は一緒に帰ることなどなかった。勤務中、業務に追われていた大越は、通常通りの勤務であったK子さんに「私を置いて行かないでね」と声をかけている。K子さんは午後8時半頃に自宅に電話をかけ、「遅くなるけど、何か食べる物ある?」と尋ね、午後10時から放映されるTVドラマ「ブランド」の録画を頼んでいた。これが家族との最後の会話となった。

出典:恵庭OL殺人事件

	

冤罪の可能性?

大越は6月13日に殺人容疑で起訴され、10月27日に札幌地裁において第一回公判が始まった。

 法廷での大越は、泣きじゃくるなど、小柄でひ弱で殺人などが出来そうにない女性に見えた。主任弁護人によれば、取り調べでのPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が見られるという。


 やがて地元を中心に冤罪の声が高まる。

 まず確かな物証がないことである。

 K子さんは車で現場まで運ばれたことは間違いないが、大越の車内からはK子さんの毛髪は発見されておらず、遺体発見現場でも、大越の靴跡やタイヤ痕は見つかっていない。

 大越のアリバイについても、午後11時までに大越がK子さんを窒息死させ、恵庭市内で灯油をかけて焼いたという主張だが、時間的に無理がある、というもの。警察によると、「職場でアリバイがはっきりしないのは大越ただ1人」ということになっていたが、他にも数名アリバイがない人物がいたことが公判開始後に判明した。


 前述したように午後9時半にK子さんと会社を出た。これは同僚の証言により、確かである。

 大越によると、その後2人はその向いの道路上でそれぞれの車の方へと別れた。会社前から車で7分ほどのところにある書店「ビブロス恵庭店」に立ち寄り、午後11時頃まで時間をつぶした。ただし、この店は防犯カメラもついておらず、ここで彼女の姿を見たという証言者はいない。「ビブロス」は大越の自宅のある早来町とは会社を挟んで逆方面にあり、これが不審に思われることもあった。

 11時過ぎに書店をでた大越は近くのガソリンスタンド「ガソリンキング」で給油。販売記録によると午後11時36分のことである。


 またK子さんは身長160cm体重60kgだったのに対して、大越は147cm・47kgとかなり小柄だ。その体格差は2人が並んで写っている写真を見ても一目瞭然である。さらにK子さんはスポーツが得意で、身体能力も高い。それに比べて大越は運動経験はほとんどない。大越が激しい抵抗も受けずに彼女を殺害して、遺棄現場まで遺体を運ぶということはどうも想像しにくいところがあるのである。


 さらに遺体の状況は、手足が消失していた。わずか9lほどの灯油でここまで焼けるのか。これは弁護側の請求で、豚を使った燃焼実験が行なわれたが、結果は「生焼け」状態だった。


 また4月15日に「町民の森」でK子さんのバッグが見つかったが、14日の大越宅の家宅捜索が行なわれる前に、土地鑑のあるこの場所に捨てたと見られた。だが、わざわざ自分が疑われるような場所に乱暴に捨てるだろうか。定期的に自然観察が行なわれることは、何より大越がよく知っていたのではないだろうか。


 では大越が犯人でないとすれば、誰がK子さんを殺害したのか。

 K子さんは足がやや開いた状態で燃えていた。さらにタオルで目隠しすらされていた。こうしたことから思い浮かぶのは、怨恨殺人ではなく、性犯罪。男、しかもおそらく数人に車で連れ去られ、レイプされたうえ殺害された可能性もある。そうだとすれば、通勤用の車はいつもと同じ長都駅前にあったので、退社して車に乗る間に襲われたことになる。恵庭市の事件現場では16日午後11時頃に炎が燃えるのを近くの人が目撃している。その近くには不審な車が2台(軽とワンボックス)があったという。


 03年3月26日、札幌地裁、大越に懲役16年を言い渡した。


 05年9月29日、札幌高裁、控訴棄却。大越は言い渡しの瞬間よろめき、刑務官2人に両脇を抱え上げられながら上告手続きの説明を聞いた。閉廷後は泣きじゃくっていたという。


 06年9月25日、最高裁・島田仁郎裁判長は上告を棄却。

出典:恵庭OL殺人事件

	

「新潮45」恵庭事件記事訴訟



『新潮45』2002年2月号「恵庭美人OL社内恋愛殺人事件」の記事と、記事を再録した新潮文庫の書籍「殺ったのはおまえだ-修羅となりし者たち、宿命の9事件」について、「虚偽の記載で名誉を傷つけられた」として、服役中の受刑者が発行元の新潮社を名誉毀損で訴えた訴訟。2007年1月23日の東京地裁判決において、受刑者の勤務先で窃盗や放火が相次いだなどと記述した箇所について、「警察や被害者にも取材しておらず、信じるに足りる相当な理由があったとは認められない」と原告の名誉毀損を認定。記載を残したままの増刷や販売の差し止めと、慰謝料220万円の賠償を命じた。新潮社は判決を不服として控訴。現在も係争中。

判決に対する評価としては『販売中の書籍の回収と謝罪記事を認めなかったため不服』とする原告側の意見と、『出版差し止めはやりすぎで、損害賠償で事足りる』とする清水英夫・青山学院大学名誉教授(言論法)の意見がある。

なおこの記事の取材過程において、記事を書いたライターの上條昌史が「警察の捜査は予断に満ちたものであり、冤罪の可能性も含めて検証したい」と恵庭事件冤罪支援会に取材を申し込み、支援会の協力を得たうえで現場取材をしている。そのため、取材目的を偽った『騙し取材ではないか?』と指摘されている。

出典:恵庭OL殺人事件 - Wikipedia

	

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Sharetube