川端町事件(マルヨ無線強盗放火殺人事件)とは
川端町事件(かわばたちょうじけん)とは1966年(昭和41年)12月5日に福岡県で発生した強盗事件。容疑者の一人は1970年に強盗傷害罪の他に殺人罪と放火罪で有罪となって最高裁で死刑確定するが、現在も殺人と放火のみ冤罪を訴えて再審請求中。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。マルヨ無線強盗放火事件とも呼ばれている。
川端町事件(マルヨ無線強盗放火殺人事件)概要
昭和41年12月5日福岡県福岡市下川端町のマルヨ無線川端店に整備工・尾田信夫(当時20歳)と少年A(当時17歳)が強盗目的で押入った。2人は、宿直で店員のBさん、Cさんに「金を出せ」とハンマーで殴りつけ、意識がもうろうとしている隙に金庫から現金25万7000円と腕時計2個を強取し同店にあった石油ストーブを倒して放火、逃走した。その結果、店員のBさんは焼死、Cさんが加療5ヶ月間を要する重傷を負った。尾田は高校卒業後、同電気店に就職したが販売に関するトラブルから店のラジオを盗み質入をしたことが会社に露呈、窃盗容疑で逮捕され少年院に2年間入所していた。この時、少年院で知り合ったのがA少年であった。
尾田は逮捕された恨みと少年院に入所中に同電気店の店長が勝手に自分のアパートから月賦で買ったステレオを持っていったことに腹をたてAを誘って同電気店に強盗することを計画した。
尾田信夫
公判
冤罪を訴える
尾田被告は放火を否認し、自力で4度再審請求したが、いずれも棄却。日弁連が尾田再審事件委員会を作って支援し、1979年2月、福岡地裁へ第五次再審請求。福岡地裁は当時の警察官、消防士らの証人調べをし、当時の福岡市消防局員が「ストーブが人為的に倒され、燃え上がった形跡はない」と証言したが、1988年10月に請求を棄却した。
弁護団は高裁に即時抗告し、ストーブの検証や共犯者の証人尋問などを求めて1990年11月に意見書を、1993年4月には上申書を提出した。福岡高裁刑事二部(池田憲義裁判長)は1994年6月1日、7月18日の2度に渡って、争点となっている反射式石油ストーブの検証を行い、蹴っても倒れないか、蹴ったらストーブは消えることが判明した。
1995年3月28日、福岡高裁は福岡地裁の棄却決定を支持、抗告を棄却した。決定では、検証実験の結果から「ストーブを蹴っても横転することはない」と認めたものの、確定判決の「蹴って横転させた」という放火方法との矛盾については、「一審で被告らが放火方法について争わなかったため認定されたにすぎず、ストーブが倒れた状態だったという共犯の少年の供述は信用できる」と述べた。また、ストーブの扉に付着していた部品の痕跡などから、火災発生時のストーブの状態を「横倒しの状態だった」と認定。さらに「ストーブを両手で支えて横倒しにすることも十分可能だった」とし、「ストーブは直立状態だった」とする弁護側主張を退けた。
弁護団は最高裁に特別抗告。最高裁第三小法廷(金谷利広裁判長)は1998年10月29日までに特別抗告を棄却する決定をした。
決定で同小法廷はまず、最も重い罪について新証拠がなくても、場合によっては再審理由が認められるという新基準を示した。そして尾田死刑囚の場合は、強盗殺人や同未遂について新証拠が無いものの、放火について確定判決に疑いが生じれば、再審を開始できると判断した。その上で、同小法廷は、放火について再審開始の理由があるかどうかを検討。福岡高裁が行った検証の結果、ストーブを足でけっても転倒しなかったことなどから、「犯行方法についての事実認定には疑いがある」と認めた。しかし、同小法廷は「犯行方法の一部について確定判決に事実誤認があることが判明しても、犯罪事実の存在そのものに疑いを生じさせるに至らない限り、再審理由にはならない」と判断。もし尾田死刑囚がストーブをけり倒していなかったとしても、ストーブを動かして室内の机に燃え移らせたことは動かし難いとし、結論として再審開始を認めなかった福岡高裁の決定を支持した。
犯罪事実の一部だけに新証拠が見つかった場合でも、再審の道を開くべきだとする初判断を示したものである。
出典:oda"