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青酸化合物による保険金殺人「波崎事件」とは

青酸化合物による保険金殺人「波崎事件」とは

Author:
sicsic
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青酸化合物による保険金殺人「波崎事件」とは
波崎事件(はさきじけん)とは茨城県波崎町(現在は神栖市)で発生した青酸化合物による保険金殺人事件である。

1963(昭和38)年8月26日0:15頃、茨城・鹿島郡波崎町の農業・石橋康雄さん(36)が同町の魚類・野菜を入れる木箱の販売業(箱屋)・富山常喜(46)宅から帰宅後、急に苦しみだしたため石橋さんの妻が救急隊に通報。波崎済生会病院に運ばれたが1:30に死亡。死因に不審な点が見られることから同日14:00から司法解剖を実施。茨城県警は胃の内容物を科学警察研究所に鑑定依頼をだした。その結果、10月18日「胃内容物に青酸反応を認める」という鑑定が出た。

石橋さんが、帰宅後苦しみ出したとき妻に「薬を飲まされた。箱屋にだまされた」と言っている事、富山が石橋さんに保険を掛けていることなどから茨城県警は10月23日、富山を別件逮捕。11月9日、石橋さんの殺人容疑で逮捕した。
富山は犯行を終始否認。無罪を主張したが、石橋さんの妻の証言と状況証拠のみで「本人の自白も無いまま」1966(昭和41)年12月24日、水戸地裁で死刑判決。1973(昭和48)年7月6日、東京高裁は控訴棄却。1976(昭和51)年4月1日、最高裁は上告棄却で富山に死刑が確定した。


富山は1949(昭和24)年にシベリアから復員。茨城・那珂湊市で箱屋とラジオ修理業を始めた。商売柄、隣町の波崎町に通ううち同町に住むM子さんと知り合い内妻となる。M子さんの従弟にあたるのが石橋さんであった。石橋さんは大規模な田畑・山林を所有していたが博打にのめり込み数百万円の借金を抱えていた。富山も博打仲間として石橋さんと金銭の貸し借りを行っていた。このため、石橋さんの妻は「夫が博打にのめり込んだのは富山のせいだ」と思っていた。

この頃、石橋さんは無免許で車やオートバイを乗り回していた。事故を起こした時、無免許がバレるのを恐れた石橋さんが富山に身代わりを依頼している。このような背景で富山は石橋さんに25万円を貸していたこともあり、「万一のことを考えて石橋さんに保険を掛けた」。
一方、石橋さんは博打の借金返済のため方々に金を借りるため出歩いていた。事件1日前の8月25日、石橋さんは富山の大家にオートバイを担保に金を借りることを交渉した。その後、石橋さんは担保のつもりだったのが、大家はオートバイを転売してしまった。これに激怒した石橋さんは富山宅で怒りをぶちまける。そこで富山は鎮静剤だと言って青酸化合物入りのカプセルを飲ませた(富山は、そんなことはしていないと終始一貫無実を主張している)とされた。

出典:波崎事件

	
	

略歴

1963. 8.26---石橋さん急死 
10.23---富山常喜さん別件(私文書偽造等)で逮捕される 
11.09---一旦釈放後に殺人容疑で再逮捕 
11.30---殺人罪等で起訴 
12.21---「ハワイ屋事件」の殺人未遂罪等で追起訴 
1966.12.24---第一審判決(水戸地裁)・・・ 死刑 
1973. 7. 6---控訴審判決(東京高裁)・・・ 死刑 
(「ハワイ屋事件」は無罪)
1976. 4. 1---上告審判決(最高裁) ・・・ 上告棄却 
1980. 4. 9---第1次再審請求 ==> 棄却 
1987.11. 4---第2次再審請求 
2003. 9. 3---逝去  

出典:e_hasaki

	

弁護側の主張

被疑者は一貫して無罪を主張しており、その主張は次のとおりである。


有罪の根拠は、被害者が死ぬ直前に「薬を飲まされた。H(男性の屋号)だ」と発言したという被害者の妻の証言と、帰宅前の被害者に最後に接触して毒物を飲ませることができた可能性が最も高い人物であるとの状況証拠だけである。

毒物の入手先を検察側は実証していない。

毒物の鑑定方法にも疑問がある。

出典:波崎事件 - Wikipedia

	

無実・ポイント?【1】

警察は鑑定結果から、石橋さんの死因を青酸化合物による毒物死としています。石橋さんが冨山さん宅を退室する直前に毒入りカプセルを手渡し、車を運転中に毒の影響で交通事故死させることを計画したというのが警察のストーリーです。青酸化合物の特徴は、それを飲むと一瞬の内に言葉がしゃべれなくなることであり、数分間で死に至ることです。
 冨山さん宅から亡くなった石橋さん宅までの距離は、両側に民家がある幅約四メートルの狭い一本道で、約一・三キロメートル。車で約三分(時速三〇キロメートル走行)のところです。冨山さんは、石橋さんが午後一一時四五分頃に退室したと証言しています。N子さん(石橋さんの妻)の証言によれば、石橋さんが帰宅したのは午前〇時二〇分頃であり、苦しみ出したのは、その二、三分後です。このことから、警察は逆算をして、石橋さんが冨山さん宅を退室した時刻を午前○時一五分頃と推定しています。
 退室時刻は何が問題かというと、冨山さんの主張する退室時刻ならば、カプセルの溶解時間は日本薬局方では一〇分以内と規定されているため、一一時四五分 + 一〇分=十一時五五分頃に、石橋さんは苦しみ出すことになり、警察の認定する犯行は成立しません。ところが、実際は〇時二二、三分頃に苦しみ出したのですから、冨山さんが飲ませていないことは確実であり、権利書の行方問題と関連して、石橋さんは権利書を預けるために立ち寄った先で飲まされたか、自宅に帰って自分で飲んだか、また飲まされたと考える方が合理的です。冨山さんの主張する一一時四五分頃という証言は、当初、冨山さんの奥さんも同じように述べていました。なお、カ.フセルの溶解時間の平均五分説は、弁護団や支援者が第二次再審の時の証拠として、東邦医大で実験した結果によるものです。

出典:銚子の話題:波崎事件 ― 『司法殺人―「波崎事件」と冤罪を...

	

無実・ポイント?【2】

石橋さんは事件当日の夜、家と土地の権利書を持って八日市場市の金融業者のところに金策に出かけました。そして、途中どこにも寄らず、冨山さん宅に戻ってきて、その結果報告をすまし、冨山さんから借りた自動車で、途中、どこにも寄らずに帰宅したと認定されています。もし、それが正しいとすると、権利書は石橋さんの自宅か、車の中から発見されなければなりません。しかし、水戸地裁第二十四回公判のSさん(石橋さん宅の近隣在住者)の証言の中で、権利書が自宅になかったことが明らかにされています。さらに、この事実を確認するために、二〇〇一年十月、支援者は石橋さん宅を訪ね、N子さんに会い、直接、本人に尋ねたところ「なかったよ」とハッキリした返事を聞きました。
 この事実をつなぎ合わせると、石橋さんは冨山さん宅を車で出た後、警察の推論に基づく事実認定とは異なり、直接自宅には戻らず、何処かに立寄って権利書を預けてから帰宅していることが明らかになります。冨山さんが自宅で毒入りカプセルを飲ませたという事実認定が完全に崩壊します。

出典:銚子の話題:波崎事件 ― 『司法殺人―「波崎事件」と冤罪を...

	

無実・ポイント?【3】

一審の判決では、冨山さんには事件当時収入がなく経済的に困窮していたという事実認定を行い、殺人の動機を「経済的困窮度からくる保険金殺人」としました。しかし、当時の冨山さんは美容院を開業した際の借入金はありましたが、返済計画は堅実なものであり、美容院の経営も順調でした。また、冨山さんは事件の起こる直前に、京成成田駅近くの山林を京成電鉄(株)に売却する不動産の仲介にほぼ成功しており、高額の手数料が入る予定でした。
 事件が起こる約一ヶ月前に、T生命の保険外交員が契約成立の御礼品を届けに石橋さん宅を訪問していました。水戸地裁第十三回公判での、N子さんへの尋問で、石橋さん本人が承知の上で加入したことが明らかになっています。そのうえ、冨山さんは手続き段階で、「そんなにめんどうなら、契約はしない」と保険外交員に伝えていましたので、契約は成立していないと思い込んでいました。事件後の八月三十日に、保険証券が石橋さん宅に届いたことから、初めて契約が成立していたという事実を知ったということが第十五回公判で明らかになっています。このことは、保険金取得を目的とする計画殺人そのものが成立しないことを意味しています。

出典:銚子の話題:波崎事件 ― 『司法殺人―「波崎事件」と冤罪を...

	

無実・ポイント?【4】

青酸化合物入りのカプセルを手渡したとされる場所は冨山さん宅の六畳問で、その時刻には二十歳の娘がすぐそばで寝ていました。さらに、襖一枚で隔てられた四畳半には内妻のーさんが目を覚ましていて、亡くなった石橋さんと冨山さんとの会話を布団の中で横になったままで聞いていました。また、石橋さんがカプセルを土間にある水道の水で飲み下したと認定しています。しかし、一審の裁判官は「青酸化合物の入手経路、その所持の事実、これを証すべき証人、これを与えたとの目撃者等のいずれもが不明であるが・・」としながら、冨山さんが青酸化合物入りのカプセルを作り、石橋さんに飲ませたのだと認定しています。

出典:銚子の話題:波崎事件 ― 『司法殺人―「波崎事件」と冤罪を...

	

一審

1966年12月24日 水戸地裁土浦支部 田上輝彦裁判長 死刑判決

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控訴審

1973年7月6日 東京高裁 堀義次裁判長 一審破棄 一件(殺人未遂)無罪、一件(殺人)につき死刑判決

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上告審

1976年4月1日 最高裁 藤林益三裁判長 上告棄却 死刑確定

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死去

1審、2審とも死刑が宣告され、最高裁で1976年4月1日に上告が棄却されて刑が確定した。また、1959年に発生した殺人未遂についてはこの後に無罪が確定した。
その後、2度にわたり再審が請求されたが、無罪を証明する明らかな証拠を提出していないために棄却され、3度目の再審請求準備中の2003年9月3日の午前1時48分、慢性腎不全により収容先の東京拘置所にて死亡(享年86)。晩年は慢性腎不全のため輸血や透析の治療を受けながら寝たきりの生活が続いていた。
当時、最高裁判事であった団藤重光は、この裁判を機に死刑廃止論を展開した。

出典:波崎事件 - Wikipedia

	

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