小林:あれでわしは、テレビ朝日を信用できなくなった。
田原:それは相当誤解している。そもそも客席については客席担当のディレクターに任せて、その彼は自民党の区議だということを知っていたんだけど、そのことをチーフディレクターに伝えなかった。当然、僕も知らなかった。単なるスタッフ間のコミュニケーション不足だったんです。
小林:いや、そもそも偏見の始まりは、テレビ朝日の社長が安倍さんと飯を食ってるということなんです。
田原:読売の渡邉(恒雄)さんも、産経の社長も食ってる。朝日新聞も食べているかな(編集部注・新聞報道によれば、前社長・木村伊量氏との会食の記録あり)。
小林:安倍さんはアメとムチを使ってマスコミを懐柔しているわけですよ。
田原:僕は田中角栄以後の総理大臣に全員会ってますけど、誰とも飯を食ったことはない。最近は、もうみんなわかってるから誘ってもこない。僕はオフレコの会話もしませんから。ただ、中には飯を食わなきゃ仕事にならないという記者もいるわけだ。
小林:でも、飯を食ってしまったら厳しいことを言えなくなる。フリーのジャーナリストだって安倍さんから直接電話がかかってきたらファンになっちゃって、擁護ばっかりし始める。わしだって、3.11震災の直前に安倍さんと飯を食ったけどね。
田原:彼は人懐っこい男だからね。首相を辞めて、野党の期間が長かった。その頃、やたらと人に会ってましたね。
小林:それでもわしは言動がおかしいと思ったら批判しちゃう。でも、それをできない人の方が圧倒的に多い。そんなことだから『報ステ』だって、元通産官僚の古賀茂明が官邸から圧力をかけられてるっていう風に言ってコメンテーターを辞めちゃう。そもそもテレ朝全体が安倍政権に汚染されているんじゃないの。
田原:古舘伊知郎も辞めるし、(TBSの)『NEWS23』の岸井成格も(アンカーを)辞めちゃった。
小林:やっぱり萎縮はしてるんですよ。
田原:岸井さんの問題で言えば、読売や産経が一面で岸井さんを名指しで批判する意見広告(*注)を載せましたね。僕はあんな広告が出たらTBSは意地でも降ろさないと思った。だから意外だったんですよ。
【*注/「NEWS23」(2015年9月16日)における岸井氏の「メディアとして(安全保障関連法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という発言を、「放送法遵守を求める視聴者の会」(よびかけ人・すぎやまこういち氏)が問題視。「私達は、違法な報道を見逃しません」との1ページ大の意見広告を産経・読売両紙に掲載した】
小林:そんな広告を新聞がよく載せますよね。その感覚は、尋常じゃないよ。新聞もそうだけど、わしはもうテレビにも権力監視のジャーナリズムとしての未来はないと思ってる。
田原:そんなことはない。僕はテレビは三つの条件があれば成り立つと思う。まずは、スポンサーがつくこと。二つ目は視聴率が高いこと。三つ目は、話題になることです。
小林:それ、全部クリアするのは大変ですよ。それを知っているから、ネトウヨとかがスポンサーに圧力をかけるわけじゃないですか。
田原:いや、僕のやっている多くの番組は、僕がスポンサーを連れてきているから。
小林:えっ! そうなの?
田原:テレビ東京にいたときからそう。それが当たり前になってる。僕は、スポンサーにしょっちゅう会ってますよ。そしてスポンサーの意見を聞いた上で説得してる。こういう番組だから提供するのはいいことだと。だから、スポンサーが降りない。
何かあると思ったら、むしろ僕の方から出向く。それは番組をつくっている人間の責任だと思う。実際、タブーなんてないですよ。局内で勝手につくってるだけ。はっきり言って、政治家の圧力なんて知れている。
小林:それは田原さんだからできることでしょう。普通難しいよ。
【プロフィール】田原総一朗:1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所を経て、1964年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。主な著書に『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』など。
【プロフィール】小林よしのり:1953年、福岡県生まれ。1976年、大学在学中に描いたデビュー作『東大一直線』が大ヒット。1992年、「ゴーマニズム宣言」の連載スタート。以後、「ゴー宣」本編のみならず『戦争論』『靖國論』『昭和天皇論』といったスペシャル版もベストセラーに。執筆の傍ら、『朝まで生テレビ!』に出演し、討論を盛り上げた。
※SAPIO2016年5月号
出典:停波問題に田原総一朗氏「政治家の圧力なんて知れてる」│NEWSポストセブン