猫の感動する話 泣ける話 実話【動物】②
大事な家族
俺18歳なんだが今年で18年目になる飼い猫がいる つまり俺と同い年なわけだどんなに記憶を遡ってもそいつがいる
本当に兄弟のように一緒に育った
布団の中に入ってくるし、寝るときに部屋に連れて行かないと廊下で入れろと鳴く
餌は好き嫌いが多いし、甘えてきても腹がいっぱいになれば呼んでもうるさそうに振り向くだけ
でもそんなとこも妙に可愛い
でもそいつもこの数ヶ月で急に衰え始めた
餌が食えない 階段が登れない 一度横になるとなかなか立ち上がれない
病院に連れて行ったら老衰だった
覚悟をしていて下さいと言われた
胸が苦しい 言葉がでない
半年前なら外に連れ出せばすぐに走ってどこかに行こうとしたのに今は腕の中で丸くなってるだけ
こんなに軽かったっけ?こんなに細かったっけ?
事故で死んだりするのとは違ってゆっくりと確実に終わりに近づいていく
こんなに悲しいなら飼わなければよかった
だけどこいつがいなきゃ嫌だ
死んでほしくない
あと20年ぐらい生きてほしい
神様お願いだよ
家族を連れて行かないで…
猫が最後に会いたい人
オレは東京の大学に合格し上京した夏休みと冬休みは実家に帰り家で飼っている猫と遊んだ
その猫はオレが小学生の頃に、母親の知り合いのところで猫が子供を生んだからと言うので
母ちゃんと一緒に見に行って、その中で一番可愛い奴を貰ってきた猫
仔猫の時は箱にタオルを敷いて中に入れ、オレのベッドの枕元に置いて寝かせていた
大きくなるとオレの布団に入ったり、上に乗ったりして寝ていた
オレが東京に行くと、猫は母ちゃんの布団で寝るようになったそうだ
でもオレが実家に帰るとオレの布団に入ってくる
そんなある日、実家から電話が入った
猫が母ちゃんの布団に来なくてオレのベッドの上で泣いていると
それが毎日のことなので一度帰ってきてあげて・・・
オレは金曜日の授業が終わるとそのまま東京駅に行き新幹線で帰省した
家に着くと猫は大喜びでオレに擦り寄ってきた
でも昔ほど元気はない、もう10才くらいになるから
その夜、猫はいつものようにオレの布団に入ってきて、オレにぴったりくっついて添い寝をし
嬉しそうににゃーにゃー鳴いていた
翌朝、目を覚ますと布団の中で猫は息を引き取っていた
あまりに急なことでオレはしばらく声も出なかった
ただ涙だけが止めどもなく溢れてきた
その後、家族に猫の死を知らせに行った
小学校の頃、クラスの友人が手から血を流していたのでティッシュを渡してあげた。どうしたんだ?と聞いた所、ムカつく猫がいたので捕まえて水の入ったポリバケツに放り込んだ際に引っかかれた。との事。
彼は捕まえたその状況をさも誇らしげに武勇伝の如くクラスの仲間に話し、仲間数人で猫がどうなったかを今から見に行こう。って事になった。
現場に着くと、前日迄の雨で半分ほど水の入った業務用のポリバケツの中で、体の半分以上が水に浸かり、小刻みに震える弱々しい子猫が今にも死にそうにしてた。
友人がバケツを足で蹴り倒し取り出した猫に
「こいつ爆竹の刑にしない?」
と笑いながら皆に言った瞬間、普段温厚な自分の中で何かがはじけ、気がつくと俺は落ちているポリバケツを拾い、思いっきりそいつの頭に投げつけてました。
更に、そばの用水路にそいつを蹴り落とす暴挙までやってしまった。
あっけにとられる他の友人達と、腰まで用水路に浸かり半泣きのそいつに
「お前、そこから上がったら爆竹の刑だから」と言い放つと、弱って震える子猫を体操服でくるみ、自宅に連れ帰りました。
翌日、そいつが用水路に落ちた際に足を怪我してた事が判り、担任や親からしこたま絞り上げられ、そいつの3歳上の兄貴からも帰り道で待ち伏せに合い殴られた。
クラスでは浮いてしまうし、猫一匹の為にさんざんな目にあってしまった。
あれから12年。
トムという名前を付けたその家族(猫)は、俺の布団の上でまるくなって息を引き取った。
猫で12年生きれば大往生だったと思う。
俺は固く冷たくなったトムに「おつかれさま」とタオルをかけてやると、トムがいつも登っていた庭の桜の樹のそばに、丁重に埋めてあげました。
最初は人間不信で警戒しまくりだったトム。
最後は人間が大好きになってたトム。
そしてトムが大好きだった俺。
毎年春が近づくと近所の桜よりも一足早く、トムの桜が花を咲かせます。
そのたび幼き自分が勇気を出して行った行動を誇りに思う
「俺」さんのやったことは、間違ってないと私は思います。
大切な子を失う悲しい話
子供が外に遊びに行こうと玄関を開けたとたん、みはからっていたのか猫は外に飛び出していってしまいました。そして探して見つけ出した時にはあの子はかわりはてた姿になってしまった。
私はバスタオルにあの子をくるみその場で泣き崩れてしまった。
自転車で通りすぎる人、横を走る車、みんなが止まり
「どうしたの?大丈夫?」
と声をかけてきてくれた。
でも、その声にも答えず私は声をあげてあの子を抱きかかえて泣いた。
まだ体があたたかったことが、悔しかった。
毎朝、あの子はきまった時間にパパを起こし、えさをねだるのが日課であった。
パパの眠い目をこすりながらも、おねだりするあの子にえさをあげてから朝の一服をする。
あの子が死んだ次の日の朝、パパはいつもの時間に起きてきた。
そして、ソファーに座りたばこに火をつけた。今日は足にまとわりついてくるあの子がいない。
パパの背中がさみしそうで、また涙がこみあげた。
あの子はいつも長男と一緒に二階に上がり長男のベットで一緒に寝ていた。
あの子が死んだ時、呆然としていた長男が、ベットで夜泣いていた。
私は声をかけてあげることができなかった。
親として悲しんでる子供をなぐさめてあげなければいけなかった。
でもその長男の姿を見た私は、その場でうずくまって声を殺して泣き崩れてしまった。
食事の用意をしていても、掃除をしていても、涙が勝手にあふれてくる。
泣いている私に息子は、
「次はどこ掃除する?手伝うよ。」
とやさしく声をかけてくれた。
「ママが隊長で、僕は副隊長になって掃除しようっ!」
泣きっぱなしでぶさいくになっている私は、
「隊長ばっかで部下がいないじゃん。」
とぐしゃぐしゃの顔で笑った。
あの子が死んでから初めて笑った。
くよくよしていたらいけないことを息子が教えてくれたようでなさけなかった。
今日で、もう泣くのは終わりにしよう。
あの子とのいっぱいの思い出を胸にしまい、今日からいつものママにもどるからね♪
たま
病弱な母がとても猫好きで、母が寝ているベッドの足元にはいつも猫が丸まっていた。小さな頃は、母の側で寝られる猫がうらやましくて、押しのけては私も母の足元で丸まってた。
「たま」って名前の猫で誰にも懐かず母にだけ懐いていた。
そんな母が、自宅療養では治らないということで入院することになった。
入院してからすぐに、たまきちは家出してしまい、母に「たまどうしてる?」と聞かれると「ちょっと寂しそうだけど元気だよ」と言って、誤魔化していた。
しばらくして母は、入院の甲斐もなく病院で息をひきとった。
私達は母に本当のことを言ったほうがよかったのかなぁ?
などと言っていたのだが、母が亡くなって数日後の夜、そのたまがひょこりと帰ってきた。
見る影もなくやつれ果てたたまきちは、母のベッドによろよろとたどり着くと、いつもなら飛び上がって登れるベッドに登れず、私が抱き上げてベッドに乗せてやると、いつもの母の足元の指定席で
丸まって眠ってしまった。
「なんだか疲れ果ててるみたいだねぇ?」
とそのままにして私達も眠ったのだが、次の日の朝見に行ってみると、たまはその場所で冷たくなっていた。
私と父で裏庭に埋めてやったのだが、そのとき父が
「きっと、かーさんが寂しくてたまを呼んだんだろうな」
とぽつりと言った。
そんな父もすでに亡くなり私は今でも猫を飼っている。
この猫は私が呼んだら、来てくれるのだろうか。
膝の上で大きなあくびをしている、私の「たま」や。
雪の舞う日の出会い
彼女を拾ったのは、雪がちらほらと舞う寒い2月の夜。友人数人と飲みにいった居酒屋で、トイレにいった帰り、厨房が騒がしく、『なんだ?』と思ったら、小さな子猫を摘んだバイトが出てきて、窓から表に捨てようとし、慌ててとめてその子猫を引き取った。
友人に訳を話て家に帰ると、とりあえずテッシュの箱に、テッシュを丸めて敷き詰めて、寝床を作ってやった。
温かいミルクをやったが飲まない。
水と猫カンをあげたら、猫カンを少し食べたので、ちょっと安心。
部屋を暖かくして眠りについた。
翌日、獣医さんにみせたら、『よく生きてたね』と言われた。
私は、生後二ヶ月になるかならないかくらいと思っていたから、そりゃそうだと思ったが、先生がいうには
『このコは、生後三ヶ月はたってるよ。多分、親猫からはぐれてから、ほとんど食べてないから育たなかったんだね。でもね、このくらいの時期に親がいなかったら、普通は死んでしまうけど、このコは強運としか言えないよ。寒さと飢えだけじゃなく、ネズミやカラス、雄猫に人間、子猫の敵はたくさんいるから』
もう、居酒屋で出会ったのは運命だ!!とビビッときた。
その日、常連のお店ではなく、たまたま入った初めての居酒屋で、空腹で厨房に迷いこんだこの子猫を、バイト君が捨てようとした場面にでくわしたのは、偶然じゃなく必然、出会うべく出会ったのだ。
(ネコリータにはありがちな思い込みかもだけどねW)
心配した排便も、飼ってから三日後にやっと出た。
先生がいうには、何も食べてなかったから、出るものもなかったらしい。
それから、アパートで猫を飼うわけにもいかず、彼女のために、古いがペットOKの庭付き一戸建ての家を借りた。
そこで、彼女との蜜月は十三年間、続いた。
ありがとう、こはくちゃん。
私を幸福にしてくれて。
また、私のところへ帰ってきてね。
命の恩人
昔話だけど。実家の猫はあかさんの時、目も潰れて放置されて空き地で泣きわめいてたのを保護したんだ。
正直、化け猫みたいで触るのも躊躇するほどの悲惨さだった。
目は病院で治療してもらって開いたけど、命の保証は出来ませんって言われた。
だけどちゃんと育ってくれてね。
本当に毛並みも美しくビックリする程の美猫になったんよ。
ただ、あの空き地で声の限り鳴き続けたせいか声帯が潰れたらしく、鳴かない猫だった。
で、時は流れてさ。
俺が人に裏切られたり人生の辛苦を舐めた時期があってね。
ある日、もうどうしようもない死のうって天井からヒモぶら下げたのさ。
まさにヒモに首通した時だったよ。
猫が窓から部屋に入って来て、俺の足元にまとわりついて
「ニャーニャー」
って鳴き声上げたんだ。
ビックリしてね。こいつの鳴き声なんて一年に一回あるかないか、かすれた小さな声しか聞いた事なかったから。
うちの猫は俺の命の恩人だ。
今でも18年以上長生きしてくれてる最高の猫だ。
白猫の幽霊
小学生の頃、親戚の家に遊びに行ったら痩せてガリガリの子猫が庭にいた。両親にせがんで家に連れて帰り、その猫を飼う事になった。
思い切り可愛がった。
猫は太って元気になり、小学生の私を途中まで迎えに来てくれるようになった。
しっぽをパタンパタンしてくれるのが可愛かった。
いつも一緒に帰っていたけれど、六年生の林間学校に泊りがけで行っているときに車に轢かれて死んでしまった。
もう、猫は飼わないと思った。
年月が過ぎ、私は就職してバス通勤をするようになった。
仕事がうまくいかず、やめようかどうしようか迷っていた。
バスを降りるといつも我慢していた仕事の悩みが噴出して、泣きながら暗い夜道を歩いていた。
そんなある日、バスをおりて歩いていると、少し先に白い猫がいた。
その猫は振り返りながら距離をとって私の前を歩いてく。
坂を上がり、いくつもの曲がり道を曲がって行く。
私の家に向かって。
家の前に出る最後の曲がり角を曲がると、その猫の姿はなかった。
数日そうやって猫に先導されるように家に帰る毎日が過ぎた。
ある日、いつものように待っていてくれる猫を見て気が付いた。
しっぽをぱたん、ぱたんとゆっくり上げて下ろす仕草。
小学生の時に飼っていた猫と同じ。
思わず猫の名を呼んだ。
振り返った猫は一声鳴いて、また家に向かって歩いた。
涙が出てしかたがなかった。
心配して出てきてくれたんだね、ありがとう、ごめんね。
大丈夫だからね、もう、安心して、いるべき所に帰っていいよ・・・。
後ろ姿に向かってつぶやいた。
最後の曲がり角を曲がる前に猫は振り返った。
近づいて撫でたかったけど、近寄ったら消えてしまいそうで、もう一度つぶやいた。
ありがとうね、大丈夫だからね。
そして、猫は曲がり角をまがった。
ふと、後ろが気になって振り返ると白い小さな塊がふっと消えて行く所だった。
そこは林間学校に行って帰らない私を待ち続けて猫が車に轢かれた場所だった。
それからもうその白い猫は二度と姿を見せることはなくなった。
ありがとう
お父さんと大の仲良し
昔うちで飼っていた風有(ふゆ)を思い出しました。
初冬の、風の強い日に拾った猫でした。
足に大怪我してて、ガリガリで、汚れてて…。
とても見捨てる事が出来なかった。
先の飼い猫が亡くなってから、父が
『もう悲しいお別れは嫌だから飼いたくない。』
と言っていたのを思い出し
一瞬戸惑ったが、強行突破しよう!と、着ていた服で抱き抱えて動物病院へ。
処置をしてもらい、恐る恐る家に連れて帰った。
玄関で父とにらめっこ。
ため息とともに
『ご飯の前に体拭いてやんなさい。』
『おまえが世話するんだぞ?父さんは知らないよ?』
…と言っていたのは最初だけで(笑)
寝るのはかならず父と。
外に出るときは父の自転車の籠にクッション付。
お風呂にも一緒。
いつでも一緒。
私は正直妬けました(-ω-
そんな蜜月を何年か過ごし、父が病に倒れ、半年後、帰らぬ人となりました。
葬儀の後、風有は毎日仏間にいました。
夜は父の部屋で、淋しそうに寝ました。
何度私が自分の部屋に招いても、父を探すように、父の部屋に戻ってしまうのです。
そして四十九日の法要後、風有は父の傍に行ってしまいました。
うちの方では、亡くなった人は四十九日の間は家にいて、法要後家を離れると言われてまして…。
寂しがり屋の父だから
我儘言って、風有を連れていったんだねって兄と話しました。
今でも毎年風の強い寒い日は、風有を思い出します。
お父さんと仲良くしてるかな…。
子供たちをよろしく頼みます
Rの実家は猫好きな一家で、野良猫に餌をあげているうちに家中猫だらけになってしまったそうだ。(高校の頃遊びに行ったが、ほんとにそうだった。)
住み着いた猫が仔をつくり、その仔もまた仔をつくる。一時は家庭崩壊しかけたほど猫が増えたそうだ。
そのうちの一匹の猫の話。
その猫も他の猫同様、野良時代に餌をもらい、それが何度か続くうちにRの家に住み着いた。
そして、その猫も仔を宿し、五匹の子猫を生んだ。しかし母猫は病気だった。出産後、餌は食べても吐いてしまうか、もしくはひどい下痢だった。
だが、子供はまだ小さい。母猫はじっと耐えるように五匹の子猫達を守っていた。
あまりにひどそうなので、見かねたRの母親が病院に連れていこうと近寄るが、
母猫は子供を取られると思っているのか、決して触らせようとしない。怒り狂って引っ掻いてくるのだ。
次の日、母猫はついに動けなくなっていた。出産の疲労と病気による衰弱のためであろう。
母猫の周りは、自らの汚物でいっぱいだった。
しかし、母猫はいとおしそうに五匹の仔をまんべんなくなめていた。
こいつは今日死ぬな。。衰弱しきった母猫をみてRはそう思ったそうだ。
そしてその夜、Rの母親が2階の自室で寝ていると、もぞもぞと布団の中で何かが動く。
それは子猫だった。
あれ?と思い電気をつけてみると、他の四匹の子猫たちも自分の布団のまわりにいる。
子猫たちは寒いのか、か細い声で鳴きながら布団に入ろうとしている。
そして、少し離れたところに、あの病気の母猫が静かに横たわっていた。
もう息はしていなかった。
決して子供達に近寄らせようとしなかった母猫は、最後の力を振り絞って一匹一匹わが仔をここまで運んできたのだろう。
死ぬ姿を人に見せないと言われるプライドの高い猫が、寝室の真ん中で死ぬことを選んだのだ。
子供達を託すために。
会えなくなることを理解した猫
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