家族の感動する話 泣ける話 実話

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家族に関する感動する話や泣ける話をまとめています。

おそらく、すべて実話です。

号泣必至ですが、中には家族が亡くなってしまう描写なども、ございます。

人によっては、悲しい話だと感じてしまうこともあるかもしれませんので、その点はご注意ください。

母への感謝

「私を大学に通わせてくれた母へ」

 

あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね

私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね

私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね

借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね

保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね

小学校の給食費を払えない月もありましたね

修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね

中学の制服は親戚のおさがりでしたね

高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね

無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね

ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね

お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね

センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね

センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね

前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね

あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね

私もあなたにずっと謝り続けましたね

そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね

あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね

でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね

医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね

私がただただ泣き続けている時にあなたは

「この体の傷や癌の一つ一つが

 あなたを育てあげた立派な勲章なのよ」

と微笑みながら言いましたね

あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね

今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ

あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから

私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど

あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ

ありがとう、お母さん

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娘が欲しがるクリスマスプレゼント

6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。


「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」


夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw


昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。


朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。


早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って


「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」


っていって、夫に薬を飲ませた。


夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、


「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」


……っていうと


夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。


私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。


夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。


その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。


お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。

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その後、この母子はどうなったのか気になります。

幸せになっていてほしいですね。

腹違いの兄貴

腹違いの兄貴が居る。

俺小学5年、兄貴大学生の時に子連れ同士の再婚。

一回り近く年が離れていたせいか、何だか打ち解けられないまま。

大学入試の時、入学金の事親に言えないでいたら、兄貴が知らない内に払っていた。

俺「気を遣わないでよ。いざとなれば働けば…」


兄貴「馬鹿野郎。俺はお前の兄ちゃんだ。」

後でちょっと泣いた。

姪っ子が大怪我した時、限界まで輸血した。

兄貴「もういい止めろ。死んでしまう」


俺「うるさい。俺は○子の叔父さんだ」

義姉共々泣かした。


お返しだ。ザマミロ。

姪っ子の結婚式の時、

「私にはお父さんとお母さんと、叔父さんの血が流れています」

って言われて図らずも号泣。

兄貴夫婦以上に号泣。大恥かいた。

○子綺麗だったなあ…。

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グレてた息子の親孝行

おれは中学・高校と結構ぐれていた。


そんなおれもついに社会人!


そして初めて迎えたお母さんの誕生日。

「いつもありがとう」ってプレゼントを渡したかったんだけど照れくさいし、もし選んだプレゼントが気に入ってもらえないと怖かったからデパートへ連れて行った。


「何でもいいから好きなの買えよ」と言うと、「高いエプロンだけどいいの?」とおずおずと見せに来て、値札見たらたった3000円だったんだ。

「こんな安物かよ」と後ろ向いて、泣きそうな顔を見られないようにレジに走ったおれ・・・・。


ブランドでもバックでも何でもあるだろ、財布の中に給料全部入れてきたんだから・・・。

涙が出たけど、トイレで急いで顔洗って、知らぬ顔で袋をお母さんに渡した。


しかもお母さんがうれしそうにそれを抱きしめたのを見て、また泣きそうになったんだ。


今でも実家帰るたびにそのエプロンつけてご飯作ってくれて、ありがとうな。

ほんと美味いよ。

いつも素直になれなくてごめんね。

マザコンとよばれてもいい!お母さん大好きだ。


本当にいつもありがとう!

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娘がママになってくれた

もう10年も前の話妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。


妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。


実際私も、妻の面影を追う毎日であった。

寂しさが家中を包み込んでいるようだった。


そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。

出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。

2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。


そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。

“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。

こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・


「まぁ、行くよ♪」、娘だった。

息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。

一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。


隣に座っていた母がこう言った。


あなたがこの間、九州へ行っていた時に、正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。

そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、


「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」

「本当はパパだってとってもさみしいの」

「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」

「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」

「だから、だいじょうぶだよね?」

「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」


そう言っていたのよ。


何ということだ。

娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。

場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。


10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。

来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

君に今、どうしても伝えたいことがある。


支えてくれてありがとう。

君は最高のママだったよ。私にとっても、正樹にとっても。


ありがとう。

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花屋に来た一人の少女

6年ほど前の今頃は、花屋に勤めていた。

毎日エプロンをつけて店先に立っていた。


ある日、小学校1年生ぐらいの女の子がひとりで花を買いに来た。

淡いベージュのセーターにピンクのチェックのスカート。

肩の辺りで切り揃えた髪が、動くたびに揺れて愛らしい。


フラワーキーパーの前に立ち止まり、真剣な面持ちで花を選んでいる。

母の日でもないし、クリスマスでもないし、

「何のプレゼントかなぁ。」

と思って、しばらく様子を見ていた。

あっちを見たりこっちを見たり、あまりにも一生懸命でなかなか決まらない様子だったので、


「誰かにプレゼントするの?お誕生日?」


と声をかけてみた。

少女は首を横に振る。

「お母さんにあげる。」

と言う。


「お母さんお花が好きなん?」


と聞くと、今度は首を縦に振る。

こんなおっさんが相手したら緊張して言葉にならないかなと思って、ニコニコ笑顔を頑張ってみた。

しかし、少女の口から思いがけない言葉を聞いて、胸がつまった。


「パパが死んじゃったの。ママ元気ないの。だからお花あげるの。」


そんな言葉を口にしながら、一生懸命お花を選んでいる。

泣きたい気持ちで爆発しそうになった。


「そっかぁ。。。お母さんきっと喜ぶねぇ。」


笑顔を頑張れなくなってきた。

それから色々話を聞いてみると、つい最近お父さんが亡くなったこと、お母さんが時々泣いているのを見かけること、おばあちゃんに、お母さんがどうしたら元気になるか聞いたら、お花がいいよって教えてもらったことが分かった。


レジの後ろへ駆け込んで、しゃがみこんで急いで涙を拭いて、パンッパンッと頬っぺたを叩いて気合いを入れなおした。


「どれにしよっか?お母さん何が好きかなぁ?」

「これがいい。」


指の先にはチューリップ。

鮮やかな明るいオレンジ色。


「うん、チューリップかわいいね。じゃあ、リボンつけるからちょっと待ってて。」


女の子は大人しくじっと見ている。


「お母さん早く元気になるといいね。」

「うん。」


出来上がった花束を大事そうに抱えて、ニッコリ笑ってくれた。


「ありがとう。」

「気をつけてね。バイバイ。」


と言って手を振った。

元気よく手を振りかえしてくれると思ったら、ぺこりとおじぎをした。

小さな女の子が頭を下げる姿を見て、限界に来た。

どしゃぶりの雨のように涙が溢れて止まらなくなった。


もっと他に言ってあげられることはなかったか、してあげられることはなかったか。


そんな時に限って何にも出てこない。


急に思い立って、駆けていく少女を追いかけた。


「ちょっと待って!」


振り返ってきょとんとしている。


「ちょっとだけ待ってて。」


店に入ってきたばかりの小さな小さなチューリップの鉢植えを急いでラッピングして、メッセージカードに


「はやくげんきになりますように。」


とひらがなで書いた。

その時初めて名前を聞いた。


「みかより」


と書き添えた。


「これも一緒にプレゼントしてあげな。これは親指姫っていう名前のチューリップやねん。かわいいでしょ?」

「うん。ありがとう。」


もう一度、さっきより、もっといい顔をしてくれた。


「バイバイ。ありがとうね。」

「バイバーイ。」


花よりも何よりも輝くように明るい笑顔だった。


後日、お母さんと、おばあちゃんと、みかちゃんが店にやってきた。

わざわざお礼を言いに来て下さったのだ。

ピンクのチューリップで花束を注文して下さった。


「この子はピンクが好きなんです。私がオレンジ色が好きなものですから、こないだはオレンジを選んでくれたみたいで。」


みかちゃんはただニコニコしている。

花束を本当に嬉しそうに抱えながら、お母さんとおばあちゃんを交互に見上げる。


「よかったね。」


おばあちゃんが頭をなぜる。

お母さんは優しい顔で見ている。


「うん!」


お母さんはきっと元気になられたことだろう。

小さな小さなみかちゃんの笑顔は、今も明るく輝いていることだろう。

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それ、知ってたよ

結婚したい子が出来た、とオヤジに言ったら数日後「大事な話がある」と言われ家族会議になった。

今までにない、真剣な顔で

父「実は、俺と…俺と、お前は血のつながりがないんだ」

俺「…うん、知っ…」

父「でもな! でも! 父さんは、いつだってお前を本当のムスコと思ってきた!」

俺「いや、うん。だから、知っ…」

父「お前は、俺のムスコだぁぁぁぁ!」

父、涙目。

母、号泣。

俺、呆然。

父「うん、わかるよ、いきなりこんな事言われたら… 混乱するよな… 黙ってて悪かった。うん。父さんが悪かっ…」

俺「知ってるよね?俺」

父「うん、そうだよな……… あ?」

俺「いや、だから俺。それ知ってるよ」

父「え?」

俺「え?」

嘘みたいだけど、本当の会話。リアルで 「え?」を言い合うとは思ってもみなかったw

オヤジは、母親と結婚する前うちの隣に住んでた。

3才くらいの時、母親に

「たーちゃん(オヤジ)が、パパになったらあっくん(俺)はどう?」

と聞かれたのを覚えてる。

俺は、確か「すごく嬉しい」みたいな事を言ったはず。

それを母親に言ったら、

「だって… あっくん小さかったし。絶対覚えてないと思って…」

と泣かれた。

オヤジは、そっか。知ってたか。

知ってて一緒にいてくれたのか。と泣いた。

危うく俺も泣きそうになったw

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涙腺崩壊のビデオメッセージ

先日、友達の女の子の結婚式に招待された時の話。


本人から聞いたのか、共通の友人から聞いたのかあやふやだけど、その子は物心つく前にお母さんが亡くなっていて、父親に育てられたみたいな話は耳にした事があった。


式後に聞いた話だけど、何かの映画か小説かであった、余命を知った母親がまだ小さい子供のためにビデオメッセージを残すみたいな事を、その子の母親もやってたそうだ。

と言っても何百本もって訳じゃなく、絵本を読み聞かせるビデオや、小学校卒業ぐらいまでの毎年の誕生日メッセージぐらいだったらしい。


その中にひとつ、「娘が結婚したら一緒に見て」と父親が渡されていたビデオがあったそうだ。


思い出して辛いのか、友人の父親はあまりビデオを見たがらず、祝福してくれる皆とならって事で、結婚式でそのビデオが流れる事になった。

2人もそのビデオを見るのは初めてだったそうだ。


そんな説明を少し司会者がしてたものの、旧友との話に花が咲き、お酒も入って軽く聞き流してた所でビデオが流れ始めた。

自分と変わらないぐらいの年の綺麗な女性が映り、「○○ちゃんおめでとー!」ってクラッカーをパーン!と鳴らす。

「○○ちゃんは何歳で結婚したんだろう?きっとママに似た素敵な女性になってるんだろうねー。」と、アットホームなホームビデオって感じで、ほのぼのVTRが流れる。

時折冗談を交えて、しんみりする雰囲気じゃなく、新婦も招待された人達も笑顔で見てた。


5分くらいメッセージが続き、ビデオの中の女性は言葉を探すようになり、そろそろ終わりかなと思った頃、「後・・・」と少し間が空いて、

「最後に、○○君(新婦の父親)、○○ちゃんを立派にお嫁に出してくれてありがとう。」


娘に宛てたメッセージとはまた違う、凄い優しい笑顔になって、メッセージは続く。

「○○君の事を愛してます。」

「きっと、お腹が出ちゃってる○○君を、もしかすると頭が寂しくなってるかもしれない○○君を、今でも愛してます。」

「いつかおじいちゃんになる○○君も、ずっと愛してます。」

少し俯いた後、照れくさそうな顔をして画面に手を伸ばす女性が映り、ビデオは終わった。


ほのぼの雰囲気だったのが一変、式場は静まり返って、みんなプルプルし始める。

そんな中、堪えきれなくなったんだろう、突然新婦の父がテーブルに突っ伏し、口を手で塞いで嗚咽を漏らしだす。

新婦も涙で顔をくしゃくしゃにして駆け寄り、突っ伏した父親を抱きしめて大号泣。


つられてほとんど全員と言っていいぐらいの女性客が泣き始め、男性客も涙こらえるのに必死。

妙な雰囲気に子供が大声で泣き出し、まるで葬式のクライマックスみたいなカオスな状況にw


そんな状況をまずいと思ったのか、司会者が「本当に素敵なメッセージでしたー。引き続きお食事をお楽しみくださーい。」と〆にかかる。

暫くお通夜状態だったものの、徐々に平穏を取り戻し、ようやく元の結婚式らしい雰囲気に戻った所で新婦父の挨拶に。


新婦の父は明るいガテン系って感じで、あまり人前で泣くようなキャラじゃないんだろう、失態を見せてしまったと思ったのか、妙にテンション高いスピーチを始める。

最後は「私も○○(新婦母)を愛してまーす!」と新日の棚橋パフォーマンス(知らない人ごめんなさい)で若干会場を引かせたものの、照れ隠しに無理してテンション高く振る舞ってるのを皆分かってて、何とも言えない良い雰囲気で式は終わった。


ずっと鳴り止まない拍手と、新婦より幸せそうな新婦父が印象的だった。

色々あってちょっと疲れたけど、この結婚式は一生忘れないと思う。

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このビデオメッセージは、新婦さんにとっても、新婦の父親の方にとっても、一緒の宝物になること間違いなしですね。

やっと素直になれた

私が4歳の時、父と母は離婚した。

祖父母と同居していたため父が私を引き取った。

母は出て行く日に私を実家に連れて行った。

家具や荷物がいっぱい置いてあって叔母の結婚の時と同じだったので

「わぁ、嫁入り道具みたいだねー」

と嬉しそうに言ったのを覚えている。

家に戻ると母はドアの所で

「おばあちゃんちに又行かなきゃいけないの」

そう言った。

「いつ帰ってくるの?」

と聞くと困った顔をして少し黙り

「日曜日かな?」

と答えた。

疑いもせずに私は笑顔で手を振って送り出した。

日曜日がいつかも知らなかった。

それから私は祖母に日曜日がいつかを聞いては、玄関で待つ日々が続いた。

何回か繰り返したある日、母以外の家族全員が揃う夕食の時間に私は聞いてみた。

「あのね、ママが帰ってくる日曜日っていつだか知ってる?」

食卓が凍り付いた。それまでの笑顔が全く消えてみなが押し黙って目を伏せた。

「私、うっかり聞くのを忘れちゃったのよー」

と笑いかけたが、誰1人笑ってはくれなかった。

それ以来、私はママの話しは絶対にしないようにして・・もう30年が経つ。結婚式にも呼ぼうとはしなかった。

今では1歳の娘と5歳の息子がいる。

先日、5歳の息子が

「ねぇ、妹と僕を産んだのはお母さんだよね?」

と聞いてきた。

「パパを産んだのはばぁばだよね? ママを産んだのは誰?」

「おばあちゃんよ、でもどこにいるかわかんないから会えないのよ」

「僕会いたいなぁ」

「どうして?」

そこまでは平気な受け答えだった。

「ママを産んでくれてありがとうって言わなきゃ!」

(うん、会いたいねぇ)と言うはずだったのに涙が止らなくなってしまった。

ずっとずっと封印してきた言葉。

育てられないなら産まなきゃいいのにって思ったこともあった。

ありがとう息子。私はやっと素直になれそうだ。

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バカ兄貴

半年ちょい前の俺へ

そっちは午前4時だな。

部活で疲れてぐっすりだと思うが、頑張って起きろ

今から言う事をやってくれ。頼む、お前の為だから。しくじるなよ。

音をたてないようにしろ、気づかれるから。

まず、1階に降りて台所から包丁を持ってこい。

そしてお前のバカ兄貴の部屋の前に行き

ドアを開けて部屋に駆け込み一撃でぶった切れ。

バカ兄貴が首を吊ろうとしてる、その柔道の帯で作った輪っかをな。

そうしないとバカ兄貴が首吊って死んじまうぞ。

発見した時の光景と母さんの悲鳴はたぶん一生お前の頭から離れなくなる。

前日まで普通に相談に乗ってもらってた兄貴が次の日には死んでんだぞ

いなくなるんだ

あと兄貴に言ってやれ。

「さんざんアンタをバカにしてきたが、学校じゃ自慢しまくるくらい好きなんだよ。」って

頼む。頼むよ。

頼むからこの文を半年前の俺に送らせてくれよ。

頼むよ。お願いします

「おやすみ。また明日な。」

って言ってたじゃねえか

バカ兄貴。

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最高のお兄ちゃん

両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。

俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。

両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、 兄は母方の祖父母と住んでいた。

それから一年くらいたって、久しぶりに兄から電話があった。 そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。

俺はびっくりした。 兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。

俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は 「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」なんて事を言ってた。

俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、親戚中は反対してたが、 俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから 頼み込んで許してもらい、晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。

それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。俺らが貧乏なんて感じることないようにと、 ずっと皆一緒に暮らすんだと、昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。 そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった・・・

葬式で俺も妹も泣きじゃくった。。 葬式も一通り片付き皆が帰った後、別室にいた俺と妹のところに、 叔母が夕飯をもってきてくれて、その際、俺らは兄について衝撃の事実を知ることになった。

両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。 兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。 京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。

・・・それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。立てんかった・・・ 色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。 小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた・・・ 強くておもろくてやさしかった・・・ 自分の小遣いからお菓子買ってくれてた・・・ 俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った・・・ いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった・・・ 自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった・・・ おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、 がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった・・・ 俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声をおしころして泣いてたの知ってたよ・・・

やべえ思い出して・・・もうこれ以上書けねえわ 何もできんかったわ・・・ ホントなんも・・・

最後に言わせて。 最強最高の兄ちゃん!!!あんたに負けんこと俺がんばるけん! 妹のことも心配せんでいいけんね。ありがとう。ありがとう!!!

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祖父が鎮痛剤を使わなかった理由

三年前死んだ祖父は末期になっても、一切治療を拒み医者や看護婦が顔を歪める ほどの苦痛に耐えながら死んだ。

体中癌が転移し、せめて痛みを和らげる治療(非延命)をと、息子(父)や娘たち (伯母)が懇願しても絶対に首を縦に振らなかった。

葬式の後、親しかったご近所の将棋仲間が家族に宛てた祖父の手紙を渡してくれた。 祖父が生前用意していた物だそうだ。

手紙の中には自分が家族を悲しませ、苦しませるのを承知で苦しみながら死んだ理由が書かれていた。

20年近く前、孫の一人が生存率20%を切る難病で闘病していたとき、祖父は神様に誓った のだそうだ。

自分は今後どんな病気や怪我になろうとも、絶対に医者にもかからないし薬も飲まない。 だから孫を助けてくれと願を掛けたのだそうだ。

幸いその孫は無事手術も成功し、成長して成人もした。 孫の成長を見届けること画できたのだからもう思い残すことはない。

あとは神様との約束を果たすだけだ。 だから家族は悲しまないで欲しい。自分は満足して一生を終えるのだから。

そう綴られていた。

孫は当時一歳にもならない赤ん坊で、病気だったことも覚えていない。

祖父は自分の決意を貫いて一生を終えた。

その孫である兄は葬儀でわんわん泣いていた。

もちろん、兄弟もみな泣いた。

うまく書けないのが悔しいなあ。本当に祖父はすごい人だったんだよ。

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不細工なお弁当

この前息子の通う保育園で遠足があった。

弁当持参だったのだが、嫁が出産のため入院していたので俺が作ることに。

飯炊くぐらいしかしたことないのに、弁当なんて無理!

嫁にアドバイス貰ったり、弁当の本を買い朝5時から弁当つくりをした。

案の定不細工な弁当が出来上がった。

申し訳ないと思いながらもそのまま持たせた。

夕方子供を迎えに行くと空になった弁当箱と手紙を渡された。

字は書けないはずなのに

「とうちゃんありがとう」

俺の似顔絵付きで。

先生が言うには、午後の外遊びの時間に

教室にこもって手紙をずっと書いていたんだと。

帰りの車中で「なんか食べに行こうか?」と尋ねると「とうちゃんのたまご焼き食べたい!」と。

涙堪えるの必死だったよ。

出典:

技術はなくても、心がこもっていたのでしょう。

息子さんにそれが伝わったのですね。

ミスドで見かけた親子

日曜に、ミスド行った時の話。若いお父さんと3歳くらいの、目がくりくりした可愛い子が席についた。

お父さんと私は背中合わせ。以下、肩越しに聞いた会話(ちょっとうろ覚え)


子「どーなつ、おいしいねぇ」

父「ん、おいしいね」

子「おかーちゃんにも、あげたいねぇ」

父「そだね」

子「おかーちゃん、いつおっき?」

父「んー、お母ちゃんはとっても疲れてるから。いつ起きるか分かんないな」

子「そっかあ」


子「○○(自分の名前)、ゆーえんち!」

父「ん?」

子「ゆーえんちいって、かんらんしゃ!おかーちゃんいっしょ!」

父「そだね。お母ちゃんと行きたいね、三人で。お母ちゃんがおっきしたら・・・」


子「おとーちゃん?だいじょうぶ?えーんえーん?」

父「大丈夫。えーんえーんしてないよ。お父ちゃんは大丈夫だから」

もう涙堪えるのに必死でした。

この親子になにがあったのかは推し量ることしかできませんが、やさしいぼくちゃんと、まだ若いお父さんに幸あれ。

出典:

この子のお母さん、病気で寝たきりなのでしょうか?

それとも、亡くなってしまったのを、お父さんがまだ話せずにいるのでしょうか?

今でも父子仲良くしていてほしいですね。

ママを忘れるビデオ

サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。 

その時、サキちゃんはまだ2歳。


「あなた、サキのためにビデオを3本残します。 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。

2本目は小学校の入学式に。 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」

まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。


そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。

(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)


「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。でもママはね、テレビの中に引っ越したの。 だから、こうやってしか会えない。パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」


サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。

「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」


そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。


新しいママが来た日のサキちゃんに


そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。

3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。

なつかしいママの顔が映し出された。


「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。…… サキちゃん。今日で本当にお別れです。 ……サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る) ママ、もっと生きたい…。 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。あなたの成長を見つめていたい…。じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。それは、『ママを忘れる魔法』です。ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」


そこでビデオは終わった。


しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。 パパと、新しいママにも効かなかった。

ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。


そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。

天国のママに見てもらうために

出典:

	
続きのページ。

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Sharetube