[ない袖は振れぬ]「中古車で十分」の先に起こる日本の不幸化
「新車なんて買えない。中古車で十分だ」。これが今の日本の消費者のリアルな声だ。そこには日本経済の停滞が大いに関係するのは言うまでもない。
この連載の重要なテーマは日本の自動車産業のゆくえである。クルマが売れる、売れないの話は、日本経済がもっと強くなるためにはどうしたらいいのかという視点で書いているつもりだ。当然それは企業だけが儲かればいいという話ではなく、国民全体が豊かで幸せになることへとつながっている。もちろん読者の個人個人に同じ視点の持ち方を強要するつもりはないから、そこは自由に読んでいただいて構わない。ただ新車の売れ行きの話をすると非常に多く目にするコメントがあり、ちょっと気になっているのだ。
低所得時代のクルマ選び
「新車なんて買えない。中古車で十分だ」それは、日々生きていく中で、高いリアリティを持つ言葉だと思う。正直な話、筆者も個人的に同感なのだ。中古車で十分。というより、それがベターな選択肢だと思う。何よりもない袖は振れない。選択肢がないのだから仕方がない。
会社員として生きていくとしたら、毎年のベースアップが当たり前という時代はもう失われて久しいし、むしろ会社の業績いかんによっては給料が下がる心配をしなくてはならない。転職しようにも、給料が上がるのはどんどん限られた層のものになっている。今や給料が増えるどころか、何かあって会社を辞めざるを得ないとき、経験を生かした転職ができるだけでも恵まれた人だと言える。未来に対する安心材料はいっこうに増えていく気配がない。
「閉塞した状況を打破するためには起業しかない。アニマルスピリットを持ってチャンスをつかめ」という声は常にある。日本という国の活力や競争力を考えたとき、この国には起業家がまったく足りてないというのも事実である。だから起業して成功した人はヒーローのようにもてはやされていたりする。
マツダ ロードスターが2016年「ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー」「ワールド・カー・デザイン・オブ・ザ・イヤー」をダブル受賞!
しかし、実態としてその成功率がどんなものかと言えば、起業1年後の生存率が40%。5年後は15%。10年後は6%。20年後になるとわずか0.3%に過ぎないと言われている。実はこの数字、国税庁の2005年調査だということであちこちで引用されているが、元ソースがどうやっても見つからない。筆者も散々探したが、同じように困っている人が見つかるのみだ。しかしながら、税理士などの現場を見ている人たちの実感として概ね正しそうだという声もあるので、一応信用することにすると、起業した1年後には半分は敗者になっているし、10年後の生存率は1割を割り込む。この数字を見て起業に挑もうとするのは酔狂だ。つまり、収入増をアテにした作戦はどうやっても立てられない。となれば、現実的な対応策は出費を減らす以外にない。企業経営でもそれは同じだ。売り上げアップや高付加価値化は常にミズモノで、成果が出るかどうかはやってみるまで分からない。やれば必ず成果が上がるのはコストダウン、つまり出費の抑制だ。企業も人も、お金を使わないことこそが最も確実な「負けない方法」なのである。だから出費を抑えるという意味で「中古を買うのは正しい」のだ。ギャンブル的要素もあるので、一概には言えないケースもあるが、それはまた別のテーマとして書くことにする。
キーワードは合成の誤謬
さて、節約は堅実な戦法であるとして、皆でやるとどうなるだろうか? 経済の世界には「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」という言葉がある。部分の最適化が全体最適と相容れないケースの話だ。例えば、映画館で火事が起きたとしよう。個人の生存を考えればできるだけ早く逃げ出すことが正しい。最初に脱出するのと、最後に脱出するのではリスクが違う。だから個人の最良の選択肢は「誰よりも先に逃げ出す」ことになる。しかし、全員が同じことを考えれば、狭い出口に人が殺到し、将棋倒しになって誰一人助からないということも起きかねない。こうした場合に全体最適化をするためには退出順序を決め、全体の効率を上げて「最後の人を最も早く脱出させる」方法を考えることだ。日本人はこういうことが比較的得意である。例えば、電車の乗り降りの際、降りる人を優先して左右に分かれて出口を広く開け、降りる人の退出を最速化することが、結局は乗り込む人が最も早く乗れる方法だということをほとんど誰もが知っていて、駅員が整理を行わなくても自然にフォーメーションが実行されている。世界的にも恐らくは希なことだと思う。仮に単語としては知らなくても、日本人は合成の誤謬を実践レベルで知っているのだ。
「マツダ ロードスター」を選出された理由として、「原点回帰をして、運転する楽しさ、良いデザイン、信頼性、アフォーダブルな価格を維持している事が最大の理由」
こうした合成の誤謬の観点から冒頭に記した中古車購入の話を見たらどうなるか? それはもう言うまでもないだろう。新車が売れなくなってメーカーの業績が下がる。業績が下がるからサプライヤーを含めた自動車産業従事者の給料が下がる。労働人口の10%を占めると言われる自動車産業従事者の所得低下は消費を押し下げてほかの産業の業績も下げることになる。こうして国民大部分の給料が下落すれば、より中古車指向が強まっていき、そのスパイラルは再度日本を深いデフレの淵へ飲み込んでいく可能性があるのだ。個人の判断としては正しい「消費の抑制」が、合成の誤謬によってさらなる個人経済の悪化に循環的につながってしまうのである。ここで「だから個人がお金を使わなくてはいけない。新車を買え」という結論を出すのは短絡的に過ぎる。全員がそうすれば確実に状況は変わるが、気の早い人だけが頑張って新車を買ったとしても、多数派が追随しない限り結果は変わらない。結果として全体最適化につながらなければ、個人的判断の間違いになるだけのことだ。