<沖縄米軍基地レイプ事件> レイプ被害を受けた場合、まず警察に行きます。私もそうしました。でもそれが間違いでした

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日本の警察は私をあたかも犯罪者のように扱いました。私を拘束し、病院に行きたいという訴えも聞き入れてくれなかったのです。私が病院に連れて行かれたのはようやく翌朝になってからでした。2002年当時、日本の警察はレイプ後に行なわねばならないテスト(精液採取など)に必要なものは何も備えていませんでした。日本におけるレイプ捜査の最大の問題は警察に知識も準備も必要な設備もなかったことでした

日本在住の豪州女性キャサリン・フィッシャー氏・・・日本での米軍兵のレイプ被害者でその辛い体験をどう乗り越えたか

今年5月20日、日本の警察は32歳の米海兵ケンネット・フランクリンを逮捕。フランクリンには島袋里奈さん(20)の殺人、遺棄の嫌疑が掛けられている。この事件の直後、同じく沖縄で米軍兵の飲酒運転が原因で2名もの人命が失われた。この2つの事件は広範な社会の反応を呼んだ。

抗議市民の多くは手に、米軍基地が日本にある限り、犯罪は続くと書かれたプラカードをもって参加し、米軍基地の沖縄からの撤退の請願書に署名し、米軍兵の犯罪について自分たちへの公式的な謝罪要求を掲げている。


現在、沖縄には2万6千人の米軍兵がいるが、いくつかの資料によれば1972年から現在までに日本で行なわれた米軍兵による犯罪件数はほぼ6千件にも及ぶ。しかもそうした犯罪が常にしかるべき方法で捜査されるわけではない。


スプートニクはこの問題について日本在住の豪州女性キャサリン・フィッシャー氏と話し合った。フィッシャー氏も日本での米軍兵のレイプ被害者でその辛い体験をどう乗り越えたかを『私がキャサリン・ジェーンです』(邦題『涙のあとは乾く』)に著している。キャサリンさんはスプートニクからのインタビューに対し、事件を乗り越えるのに米軍と日本の司法を相手に12年間に渡る長い闘争を語ってくれた。

出典:米軍兵レイプ被害者が語る米軍と日本政権との闘争ー独占インタビュー

	

レイプ被害を受けた場合、まず警察に行きます。私もそうしました。でもそれが間違いでした

日本の警察は私をあたかも犯罪者のように扱いました。私を拘束し、病院に行きたいという訴えも聞き入れてくれなかったのです。私が病院に連れて行かれたのはようやく翌朝になってからでした。2002年当時、日本の警察はレイプ後に行なわねばならないテスト(精液採取など)に必要なものは何も備えていませんでした。日本におけるレイプ捜査の最大の問題は警察に知識も準備も必要な設備もなかったことでした。


しかも私の場合、レイプ犯人は米軍兵士で裁判が行なわれているにもかかわらず、日本を出国する機会が与えられたのです。これは私にとってはあまりにも不当な扱いでした。

私は日本政府に支援を求めました。ところが政府は何も出来ないといったのです。このため私は自力で10年もかけてレイプ犯を探さざるをえませんでした。なんとこの人間は他の犯罪を犯した罪で服役中だったのです。


私は日本の役人らに訴え、犯人を見つけたから今度は私の訴訟を米国の裁判所で続けられるよう求めました。答えはノーでした。なんと日本の米軍基地の地位についての合意では米軍兵は日本の法律を尊重するだけでよく、それに遵守しなくてもよいのです。私は役人らに対し、ということはレイプ被害者を全く擁護できないような米軍人の地位についての合意は改正するときが来たということだといいました。」

出典:米軍兵レイプ被害者が語る米軍と日本政権との闘争ー独占インタビュー

	

キャサリンさんは沖縄駐留米軍人のレイプ被害者の権利を守る活動家へ

レイプ事件後の14年で、キャサリンさんは沖縄駐留米軍人のレイプ被害者の権利を守る活動家へと化した。


「私は14年にわたって闘い続けてきました。この中には日本政府が犯罪犠牲者が訴えることのできる24時間のセンターを作り、それに財政的支援を行う要求も含まれています。ですが私の要請は単に無視され続けています。もし日本政府が犯罪が行なわれる度に適切な措置をとっていれば、この若い女性はおそらく今、亡くなってはおられないんですよ。こんな事件が起きるたびに日本政権は事件に対する不満を表明するだけ。米国の軍人らは安全を守り、軍人に責任ある行動をさせるよう全力をつくすといいます。でも実際には何もそうしたことは行なわれていない。この問題にはもう一つ、別の側面があります。それは、米国人らは私の場合のように、どんな犯罪を犯しても米国に送り返してくれると疑ってもいないことなのです。」

キャサリンさんも6月19日の沖縄での抗議行動に参加した。キャサリンさんは心の底から沖縄県民に同情し、自分の闘争を続ける覚悟を決めている。キャサリンさんの闘争の本質はみんなの人権を守るということにある。


「沖縄の人たちは本当に思いやりのある人たちです。あの島には素晴らしい人たちがいます。唯一彼らに残されているのは静かな暮らしが出来るよう要請することだけです。今、私は展覧会を組織しているのですが、そこで日本の紳士靴を展示することになっています。靴には説明書きとしてこう書かれます。『これはある男性の靴です。このかたは1945年、レイプされそうになった自分の妻を守って、米軍兵に殺された』と。この展覧会を日本中の国民が、世界中の人たちが目にした時、沖縄の人たちがどんな思いでいるかがわかるのではないかと思うのです。」

出典:米軍兵レイプ被害者が語る米軍と日本政権との闘争ー独占インタビュー

	

沖縄県で米国に抗議する大会が行われ、数千人の日本人が参加した。過去20年間で最大規模のものとなった。ロイター通信が報じた

ロイター通信は抗議について、沖縄に関する米日関係が最低水準であることを示しており、沖縄の別の地域に自国の基地を移設する米国の計画を脅かしていると伝えた。

ロイター通信によると、日本人が沖縄で米国人に対してこれほど大規模な抗議を行ったのは、米兵3人が日本人の12歳の少女を連れ去り暴行した事件が起きた20年前にさかのぼるという。


米国と日本は1996年、抗議を背景に人口密度の高い地区にある普天間基地を沖縄の別の地区へ移設することで合意したが、実現されなかった。


沖縄県で5月末、元米海兵隊員で軍属のシンザト・ケネフ・フランクリン容疑者(32)が島袋里奈さん(20)の遺体を遺棄した疑いで逮捕された。島袋さんの遺体は、容疑者の供述に基づき雑木林で発見された。容疑者は取り調べで殺害と強姦を認める供述をしたという。また容疑者の車からは島袋さんの血痕が見つかった。

出典:沖縄で数千人の日本人が米軍基地に抗議

	

1972年の沖縄本土復帰以降、沖縄県で5800件以上の米軍犯罪が起こった

また決議の作成者らは、沖縄県警察の情報を引用し、在日米軍基地が集中する沖縄県では、米国人が関与した凶悪事件が571件起こったと指摘した。


抗議集会は19日に名護市で開かれ、主催者発表で約6万5000人が参加した。参加者たちは「怒りは限界を超えた」と書かれた紙を掲げ、米海兵隊の撤退を求めた。

沖縄では5月に米軍属の男による日本人女性死体遺棄事件が起こり、6月には海軍兵が飲酒運転をして日本人女性2人にケガを負わせて逮捕された。3月には、沖縄県で米兵が日本人女性を暴行したとして逮捕されている。


オバマ米大統領は、G7サミットのため5月末に日本を訪問した際に、在日米軍兵士による犯罪の再発防止措置をとり、米軍の規律を強化することを公に約束した。しかし沖縄県の翁長知事が述べたように、日本人は米兵による犯罪が起こった後、毎回同じような約束を耳にしているものの、状況は変わっていない。


共同通信は、那覇市で行われた抗議集会では、軍事基地外での犯罪に対する米兵への罰の回避を防止するのを可能とするとみられる在日米軍のステータスの変更が再び広く呼びかけられたと指摘した。

出典:米軍犯罪 1972年から沖縄県で5800件以上

	




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Sharetube