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<・・・信長の最大のライバルは一向一揆だった!> 一向一揆は世界史上最大規模の民主化闘争 <フランス革命に先駆けること300年前に敗れていた>

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<・・・信長の最大のライバルは一向一揆だった!> 一向一揆は世界史上最大規模の民主化闘争 <フランス革命に先駆けること300年前に敗れていた>

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<・・・信長の最大のライバルは一向一揆だった!> 一向一揆は世界史上最大規模の民主化闘争 <フランス革命に先駆けること300年前に敗れていた>

統治機能が衰退し混乱期にあって国撮り物語にまっさきに登場したのが一向一揆かも知れない。加賀では一向宗国が樹立され民主的で平等な社会がフランス革命を遡る300年前に日本で誕生した・・・が、戦国武将の急速な台頭で織田軍団に粉砕された。明治維新は民主革命ではない、単なるクーデターが史実なのだが先駆ける350年前に日本には民衆の手による民衆の王国が誕生した史実がある

日本の国民が従順でおとなしいとかいうのはどんだけ支配者に飼いならされた歴史観かをしるべきだ。1500年代の一向一揆は世界史上最大の被抑圧階級の闘争で、当時最新鋭の武器火縄銃で武装した人民が日本中の各地に「百姓もちたる国」解放区をつくった。平等を掲げたこの闘いは100年続いた
	
福井入りして明くる9日、勝山市の平泉寺白山神社さん(旧・白山平泉寺)へ。中世には200haの境内に四十八社・三十六堂・六千の坊院を誇るも一向一揆により全山焼失し、復興後は10分の1に。明治の神仏分離で白山神社へと改称しました。
	
女子供も混じえて集まり町中で太鼓叩いてお上に楯突くのって、「リベラル」というより、日本土着の民衆運動っぽいのですね。一向一揆とかあんな感じだったんじゃないかと。そう見ると日本の歴史的には正統で健全な存在かも
	
この頃の明治政府は仏教の教えやそれに基づく民衆の生活世界そのものを西欧合理主義の立場から全否定し無理矢理西欧化を強制しようとしてた様だ。まさに米英の手先である。浄土真宗の人々は戦国期の一向一揆の精神を受け継ぎこれに抗戦した
	
余り知られてないが・・・明治新政府が樹立した後、日本各地で様々な反乱の火があがった。それは幕末の理念理想と新政府の方針が余りにも矛盾していたためで、反乱は旧武士のみならず農民からも各地で上がった。この闘争は10年~15年にも及び最終的には西南の役で西郷隆盛が無言のうちにすべてを一人で背負込み没すことで明治初期の反乱は鎮火した・・・それから<富国強兵>が本格的に始動した。死ぬまで働いて金を儲けろ、世界一勇敢な兵士になれ捕まれば自決しろ・・・神社、学校、組長制度で強烈な洗脳が始まり、洗脳のために日本の歴史や文化など無残に書き換えられた。敗戦で兵隊教育が金儲け教育にすり替えられ高度成長期の日本ビジネスマンは世界中からエコノミックアニマルと恐れられた。そして、明治維新の洗脳はいまだに日本社会から覚醒されておらず!
【1488年】加賀の一向一揆。(一向宗の宗徒たちが加賀の守護、富樫政親を自刃に追い込み、約百年間にわたって自治を行った。約百年後、織田信長は柴田勝家に攻めさせ、1580年に滅ぼされた。 )  覚え方:意地ははります一向一揆
	
天草四郎は単純に島原の乱での英雄にとどまらず戦国時代に惨殺され粛清されていった一向一揆の、そのすべての民草の無念を背負って英雄として現界しているとゆうイメージ 「弱者として弾圧された人々」を背負ってそこに在る
	

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