北九州監禁殺人事件の犯人「松永太・緒方純子」とは
北九州監禁殺人事件
北九州監禁殺人事件(きたきゅうしゅうかんきんさつじんじけん)は、2002年(平成14年)3月に北九州市小倉北区で発覚した監禁、殺人事件である。
事件の概要
地裁・判決文
監禁事件現場
〒802-0064北九州市小倉北区片野 1丁目6−5 メイン芳華303号室
事件日時
平成8年から10年(96年~98年)松永36歳、純子35歳の頃。
この事件の重要なキーワード「通電」とは
この事件の重要なキーワード。100V30A家庭用交流電源(俗に言うコンセント)から電線を裸にしてワニクリップで性器、乳首や顔に電気を流す行為。身体が痙攣(けいれん)し、脳に直撃して頭の中が真っ白になる。スタンガンと同じ効果。
加害者
【松永 太】
・1961年生まれ。98年逮捕時37歳。2010年現在49歳。
・この事件の最重要人物。暗示的な言葉で殺人を強要した。直接、手を下さず殺人を実行した。
・表の顔は人当たりが良く、口が達者である(中学一年生で上級生を抑え校内弁論大会優勝)
・雄弁さを発揮して、学生の頃から教師を言い負かせた。
・流暢にウソを創作できる才能がある。
・裏の顔は鬼畜。モンスター。金銭欲が強く、冷酷で残虐。支配欲が強い。支配した人は奴隷以下の待遇にしても心が痛まない。そのための心理学を独学。
・相手が気が小さいとみると大声を張り上げ威嚇する。
・肩書きの高い人でも自由にコントロールしていた。
発覚
2002年3月6日、17歳の少女が小倉北区にあるマンションの一室から逃げ出し、祖父母宅へ助けを求めに駆け込んだ。少女は怯えながら、
「お父さんが殺された。私もずっと監禁されていた」
と語った。少女の右足の親指は生爪が剥がれており、
「ペンチを渡されて、『自分で爪を剥げ』と言われたので剥がした」
とのことであった。
それまでの経緯などもあり、祖父は少女をともなって門司警察署へ監禁の被害届を出しに行くことになる。しかし彼女が供述した事実は監禁致傷にとどまらず、連続殺人――それも類を見ないほどの一家殲滅とも言える大量殺人であった。
連絡を受けて現れた小倉北署員がこれ以後事情聴取を行なうことになり、そうして少しずつ、この事件の全貌が語られていくことになる。
松永太と緒方純子
松永は畳屋を営む両親の元に生まれ、何不自由なく育ちやがて19歳で結婚、翌年には子供を設ける。その後、訪問販売で粗悪品の布団を売る詐欺まがいの会社を設立し経営し始める。
そこでは成績の悪い従業員には暴力をふるうなどの行為が行われていた。
緒方純子とは高校の同級生であったが、高校当時は特に付き合いもなかったという。
しかし20歳の時2人は関係を持つ。以前2度程松永から誘われてその時は断っていたが、
3度目で純子は松永と肉体関係に。その時純子は初めての経験だったという。
それ以後、不倫関係に後ろめたさを感じつつも、次第に純子は松永にのめり込んでいってしまう。
しかし松永はやがて純子に暴力をふるい始める。純子が以前交際していた男性がいると知ると、
その男性をホテルに連れ出し、従業員にリンチさせるなどもしていた。
また松永は純子の右胸にタバコで焼印を、太腿の付け根に安全ピンと墨汁で刺青を
それぞれ「太」と入れさせることを強要していた。
そうして純子は松永にマインドコントロールされていく。
純子の両親に松永との交際が発覚し反対されるが、松永は好青年を演じ、
『婚約確認書』なるものを提出して婿養子を約束する松永を、
両親はすっかり気に入ってしまった。
(この書面で約束する/させる手段は松永がよく取る手である)
この前後で松永は交際に反対する純子の母静美(当時44歳)を呼び出し、
言葉巧みにラブホテルに連れ込んで関係を強要していたという。
暴力でコントロールされ自己嫌悪に苛まされた純子はある時自殺騒動を起こす。
自殺未遂後は松永が純子と家族とを引き離し2人で生活するようになる。
その頃純子は松永の会社を手伝っていて、松永の妻も純子と会っていた。
(妻はやがて松永から逃げ出し、平成4(1992)年に離婚が成立している)
純子は松永の命令で親族・知人を詐欺商法に巻き込んで人間関係を破綻させていき、
ますます松永に依存するようになっていくのである。
虎谷父娘監禁・殺人
平成4(1992)年に会社での脅迫・器物損壊・詐欺容疑で松永と緒方は指名手配され逃亡。逃亡生活で金に困った2人は1人残った従業員の親から送金させていたがそれも続かず(従業員は逃亡)、
結婚詐欺を思いつき以前交際のあった子持ちの既婚女性と連絡を取り、結婚を餌に金を無心する。
その後彼女を離婚させ、親や前夫から養育費金を送らせるなどして金を貢がせていた。
その女性はやがて別府湾に飛び込み自殺をしてしまう。また子供のうち1人も不審死を遂げている。
(松永の犯行も疑われたが立件されなかった)
平成5(1993)年には純子は松永との間に男子を出産。小倉に移る。
ここで住居を探すために赴いた不動産屋で担当の虎谷久美雄(34)に出会う。
この虎谷こそ事件発覚のきっかけとなったA子の父親である。
松永は虎谷に競馬予想ビジネスを持ちかけ近づき親しくなっていく。
松永と付き合うようになって生活が荒んでいった虎谷は、やがて内縁の妻と別居、まだ幼いA子を引き取る。
松永はA子の世話を有料ですると持ちかけ、虎谷は引き受けてしまう。
A子を預かることでなかば人質を得た松永はやがて、
虎谷が過去に会社の金(ごく小額)を着服したことを聞き出すと、とそれを執拗に責めたてたり、
A子に父親から性的いたずらをされたと嘘の証言をさせて、その事を記載した『事実関係証明書』を書かせた。
この証明書等で弱みを握られた虎谷は以後松永達と同居するようになり、松永の奴隷状態になってしまう。
そして虐待が始まり、方々から借金をさせられ松永に貢いでいくことに。
松永の虐待で象徴的なのは「通電」である。
裸にした電気コードの先にクリップをつけ身体に挟み、そんきょの姿勢をとらされ通電するのである。
衝撃で尻餅をつくと罰として再度通電。松永はその様子を酒の肴にして楽しんだりもしていた。
虐待はその他に、常にそんきょの姿勢を取らされたり、真冬でも薄着で過ごさせる。
寝床を台所から玄関へ移され、やがては檻と称してスノコで囲いその中で体育座りで寝させられたり、
鍵のついた浴室で布団もなく寝かせられた。食事は1日2回で基本ご飯と生卵のみ。
そんきょの姿勢で食事させられ、制限時間以内に食べないと通電された。
真冬でも水のシャワーしか許されず、トイレも制限され、大便を漏らすとそれを食わされた。
また小学5年だった娘のA子に歯型がつくほど父親を噛ませている。
(A子も虐待を受けながら小学校には通っていた)
そうして衰弱していった虎谷はやがて言動がおかしくなり、平成8(1996)年2月に死亡した。
松永はA子に「お前がつけた歯型のことがあるから、お父さんを病院へ連れていけなかった。
病院へ連れていったらお前が殺したことがすぐにわかって警察に捕まってしまうからな」と脅し、
「私は、殺意をもって実父を殺したことを証明します」という内容の『事実証明書』を書かせた。
この証明書がA子を長く縛り付けることになり、松永と緒方やその子どもの世話をさせらていく。
松永は純子とA子に遺体の処理を命じる。2人は遺体をのこぎり等で解体。
内臓等はミキサーで液状化して公園の公衆便所に流し、肉や骨は鍋で煮込みフェリーから海中に投棄させた。
この解体直後、純子は第2子を出産している。驚くことに臨月状態で遺体の解体を行っていたのである。
主婦監禁
次の金ヅルとして松永は虎谷の友人の妻・B子を選ぶ。京都大卒のエリートと嘘をついて近づき、と言葉巧みに誘惑して、
B子さんを松永に夢中にさせ、結婚を約束して夫と離婚させる。
しかし、その後金を貢がせるようになり、一緒にアパートに住み始めてから引き取った次女を、
人質とすることで彼女の自由を制限し、虐待を始めるようになる。(B子は外で働いていた)
B子にも通電などの虐待をしていたが、B子はやがて窓から飛び降りて逃げ出すことで死という難を逃れた。
松永が預かっていた次女は、松永がB子の前夫宅の玄関前に置き去りにしている。
同居していたアパートはすぐに引き払って姿をくらました。
緒方一家監禁殺人
B子逃走後、また金に困った松永は純子に金を工面するよう命じる。純子は母親などに頼むが断られたので、自分で稼ぐことにし、次男を親戚に預け(長男はA子が世話)
湯布院のスナックで働くようになる。
しかし純子が逃げ出したと思った松永はまず緒方一家に接触、
過去に犯した殺人等の犯罪を打ち明け、それをすべて純子が主導し実行したと家族に吹き込む。
すっかり信じてしまった緒方一家は負い目を感じて、松永が持ちかけた芝居にのってしまう。
母親の静美が「松永が自殺した」と嘘を言い純子を北九州に呼び出す。
純子が北九州のマンションに着くと松永の遺影が飾られ、線香が焚かれていた。
純子が松永の遺書を読んでいたところ、突然押入れが開き松永が飛び出してきた。
「残念だったな!」松永はそう叫び純子に殴りかかり、緒方一家は飛び掛かり押さえつけた。
こうして純子への激しい虐待が始まる。また中学生になったA子との立場を逆転させ、純子を最下層に置いた。
A子に純子を監視させて逐一様子報告させ、その内容によっては純子に通電を行って責めたてた。
あまりの辛さに純子は逃亡を企てるが、A子が追いかけ未遂に終わる。
逃亡劇によってさらに激しく暴行を受けることになり、
純子は気力を失い松永の支配は確固たるものになっていった。
この「偽葬儀」以後、緒方一家(父:譽(61)、母:静美(58)、妹:理恵子(33))は、
身内の純子が犯罪者という負い目から、松永のいいなりになっていく。
松永は当初純子と別れると告げていたが、子供は松永が引き取るとの条件を聞いた純子が、
子ども可愛さに「松永とは別れない」という意思を純子自ら表明するように誘導。
それではと、松永は家族に純子の逃走資金として金銭を要求。
同意した緒方一家は1千数百万を払い、さらに家を抵当に入れ3000万を農協から借り、それも全額松永に渡した。
さらにマンションの配管工事をさせ、虎谷氏殺害の証拠隠滅に家族も加担させることで逃げ道を無くした。
こうした一連の話し合いは北九州の松永のマンションで行われ、最初は譽・静美・理恵子だけだったが、
途中から理恵子の夫・元警察官で農協職員の主也(38)が加わる。
松永は婿養子で性格のおとなしい主也に弱さや緒方一家への不満があることを感じ取り、
大げさに一家の主扱いをして持ち上げることで信頼を得て、連日酒を飲みながら主也に色々吹き込みはじめる。
土地の名義を未だに主也に移さないことを、婿養子だから馬鹿にされているとプライドを煽り、
妻の理恵子の過去の妊娠・中絶や不倫といった不貞を暴露するなどで主也の一家への不信感を煽っていった。
(これらのことは松永が理恵子から聞きだしていたのである)
主也は妻や義父達に不信感を抱くようになり、松永に言われ妻や義父を責め殴るように。
一方で松永は主也のささいな問題をあげつらい、主也を責めたてたりもした。
松永はまず緒方一家を互いに不信を抱くように持ち込みバラバラ状態にして、
一家が連帯して松永に対抗することを防止する。
そして巧みに聞き出したそれぞれの秘密や弱みを執拗に攻めることで罪悪感を植え付け、
その内容を書面にして心理的拘束の道具として支配を強めていくのである。
やがて主也・理恵子夫婦の子、純子の姪・彩(10)と甥・優貴(5)も小倉に呼び寄せ同居させる。
その頃から緒方家の親戚達は一家の様子を不審に思い、松永に騙されていると譽さん達に諫言するも、
すでに松永支配下にある一家は聞き入れることもないまま、
田んぼも抵当に入れるなどして結局総額6300万あまりを松永に渡してしまった。
親戚も警察に松永の情報を提供するなどして対応するが、
ついに一家は久留米から完全に行方をくらましてしまう。
一家が完全に北九州に移った頃から、虎谷と同じように一家への虐待が始まっていった。
自由な行動が制限され、食事は一日2回でカップラーメン等のみ。
トイレも誰かの監視の元で大便のみ使用が許され小便はペットボトルを使うよう指示された。
睡眠は台所で布団もないまま雑魚寝だった。そして通電。
通電は順位が最下位の者に行うルールになっていて、順位は絶えず変動させられていた。
そのため一家は順位を上げて通電を避けたいという気持ちから、
松永の歓心を買うために家族を裏切り密告するようになっていく。
一家の絆は次々に解体されていった。。
平成9(1997)年12月、松永は純子に譽への通電をさせたが、その時に譽はショックで死んでしまう。松永は一家に話し合わせ遺体を解体するようしむけ実行させた。解体には幼い彩も加わされた。
譽が死ぬと通電は静美に集中した。通電は陰部へも行われ、理恵子と一緒に陰部へ通電されることあった。
やがて静美は「あー」「うー」と奇声を出すようになったので浴室に閉じ込めることになった。
松永は静美を殺すことを決める。暗に殺害を望んでいることを仄めかして、
話し合いをした一家の口から殺害を申しでるようにさせた。
松永は主也に電気コードで首を絞めるよう命じ、理恵子には足を押さえる役を命じた。
平成10(1998)年1月、浴室で静美を殺害。遺体は同じく解体して処分した。
静美解体後は一家を分散して住まわせる。マンションAには松永・純子・子供2人と理恵子・彩。
マンションBにはA子と主也と優貴と分けた。
これは結託することやそれぞれに子供がいることで逃亡を防止させる目的があったと思われる。
また松永は理恵子さんと肉体関係を持っていたと思われ、純子は後に妹は妊娠していたのでは、と証言した。
静美死後、虐待は理恵子に向くようになる。
通電は当たり前で、髪を切ったり上半身裸にして乳首にガムテープを貼っただけの姿で家事をさせたりした。
やがて通電で耳が遠くなってしまい松永の指示を何度も聞き返すようになった理恵子を、
松永は「頭がおかしくなったんじゃないか」と言い、また一家に話し合いさせ殺害を決意させた。
2月、浴室で寝ていた理恵子の元に夫の主也と娘の彩が電気コードを持って向かう。
理恵子は「かずちゃん、私死ぬと?」と夫に言い、主也は「理恵子、すまんな」と言い首を絞めた。
彩は母の足を押さえていた。殺害後主也は「とうとう自分の嫁さんまで殺してしまった」と泣いたという。
理恵子の死後は主也が狙われた。男性器は通電で水膨れになり、
1日にラードを塗った食パン数枚だけの食事は主也をみるみる痩せさせていった。
3月になると主也の体調は極度に悪化。嘔吐や下痢を繰りかえしみるみる衰弱していった。
松永は大便を漏らしたときはその下痢便を主也に食べさせたりもした。
4月のある時、松永は浴室に横たわる主也さんにビールを飲ませる。
ビールを飲み干した主也はその後浴室で息を引き取った。
緒方一家で残るのは純子のほかには幼い姉弟だけとなった。純子は2人を主也の実家に帰すことを主張したが松永に却下され、逆に優貴殺害を認めさせる。
松永は彩を呼び「これからどうするの?」と質問した。
彩は「何も言わないし弟にもしゃべらせないから帰らせてください」と言うが、
しかし松永は「もし弟が警察に話したら彩ちゃんも犯罪をしているから捕まっちゃうよ」と追い込み、
優貴を殺害することを彩にも同意させた。
5月、純子と彩、そしてA子が殺害に向かった。彩は優貴に「お母さんのところに連れていってあげるね」
といって純子とコードで首を絞め、A子は足を押さえた。A子はこの時初めて殺害に加わせられた。
最後に残った彩にも松永は連日通電を行った。
通電されながら「これまでのことを告げ口するんじゃないか?」と松永に責められても
必死に「何も言いません」と訴え続けた。通電は幼い彩への陰部へも行われた。
松永は「あいつは口を割りそうなので処分せんといかん」と言うようになり純子とA子に殺害を命じる。
6月、純子が浴室にいる彩の元へ向かうと、すべてを察知した彩は無言のまま自ら台所へ向かい、
弟が死んだ場所に横たわる。純子たちがコードを首に通そうとすると、彩は自ら首を持ち上げた。
純子とA子は2人で首を絞め、遺体を解体処分した。
彩の解体が終わった時、松永は純子に「お前が湯布院に逃げたから全員を殺すはめになった」
と言い放ったという。
こうして緒方一家は文字通り「消滅」したのである…
緒方一家監禁殺人(各々)
監禁被害女性の父事件
父親の男性に(松永らから)過酷な食事や睡眠など動作制限、閉じ込めを含む居場所の制限など日常的な虐待のほか、通電による暴行が執拗(しつよう)に加えられたことは、緒方や監禁被害女性の供述から明らか。松永は死亡直前の男性が大幅にやせたことを認識していた。健康状態の悪い男性に通電したり、自由を制限するなど異常なストレスを与えたりすることが健康状態をさらに悪化させることを理解する能力があった。医療機関に診察、治療を受けさせなければ、早晩生命に危険があると予想できたのに、悪行が知れて指名手配中の容疑で逮捕されるのを恐れ、医療を受けさせなかった。
こうした事実を総合すれば、少なくとも松永に未必的な殺意があったと認められる。
緒方も松永の指示で男性に通電などの暴行を加えた。男性が衰弱した事実、通電など暴行を加えることの肉体的、精神的な衝撃、ひいては死亡する危険性について認識していたと認められるから、殺人の未必的故意などを失わせる事情は見いだし難い。
誉事件
緒方や女性の供述は部分的な食い違いはあるにしても、松永の指示で緒方が通電したことは一致している。緒方が松永の意向に反して通電することは考えられず、松永の指示による緒方との共謀があることに疑いを入れる余地はない。女性によれば、緒方が通電した直後、誉は顔から倒れ、意識を回復することなく死亡したと認められる。従って、松永と緒方の共謀による通電行為と誉の死に因果関係があることは明らか。
確かに緒方は松永の強い影響下で誉への通電を行ったが、緒方が誉の両乳首あるいは唇に通電するという死の危険性の高い暴行を加え、誉が電撃死。傷害致死罪の成立を妨げる要素はうかがわれない。特に緒方は誉に通電する際、心臓に近い部分に通電することになるため怖いと感じ、松永に「大丈夫かな」と尋ねた上で通電しており、「人の枢要部に危険な通電をしてはならない」という規範に直面しながらも、最終的には自らの意思で規範を乗り越えて危険な行為に及んだものと認められる。
静美事件
松永が静美殺害について緒方、主也及び理恵子に指示したことは、信用性のある緒方の供述によって認定できる。松永にとって、すでに緒方一家は利用価値がなくなっており、かえって誉事件や松永の日ごろの言動を熟知している緒方一家の存在は経済的な意味も含めて負担になっていた。松永は誉の通電死、死体の解体、その後の異常な生活や集中的通電などを経て、寡黙となり奇声を発するようになった静美の殺害を決意。緒方、主也、理恵子に「どうにかしろ」と命じ、入院させるなど静美の健康回復を考える緒方らの提案をすべて拒絶した上、静美の処遇について「早くしろ」と命じて結論を急がせ、緒方らを誘導して殺害を決意させている。
松永は自分は誉の死亡に関係がなく、静美を入院させることにさほど不安はなかったが、入院が決まりかけても主也が躊躇(ちゅうちょ)したので、緒方が殺害する方向で理恵子や主也を説得したと述べるが、当時の力関係から見て、松永が静美を入院させると決めれば、緒方一家が反対するはずがない。松永が静美殺害を決意していたことは明らかである。
理恵子事件
松永による理恵子殺害の指示があったことについては、原判決が事実認定の補足説明で詳細に検討しているとおりである。緒方の供述は従前の経緯に照らして不自然さはないこと、緒方及び主也には、松永に指示される以外に理恵子を殺害する動機は見いだせず、緒方が指示がないのに理恵子を殺害することは考えられない。
緒方の供述は女性の供述する状況とも矛盾はなく、高い信用性が認められる。
松永の指示の下、松永、緒方及び主也が共謀の上、松永による暴行、虐待によって意思が完全に抑圧されていた彩に実行行為の一部を分担させて利用することにより殺害目的を遂げたものと認められる。
緒方は主也や彩と、松永の言葉や態度の意味について話し合い、理恵子殺害を意味するものであると確信するや、絞殺に使用する電気の延長コードを準備している上、松永の意図に納得の行かない主也に「松永が起きてくるから、終わっておかないとひどい目に遭うし、理恵子も生きていたってつらいだけだし」などと言って、実行行為者である主也に殺害の決意を促したりしており、犯行において極めて重要な役割を果たしている。
主也事件
松永、緒方らが共謀の上、主也に医師による適切な治療を受けさせて生命を保護すべき義務に違反し、確定的殺意をもって殺害したものであることは優に認められる。医療機関の治療を受けなければ、死亡する危険があることも認識できたと考えられる。近隣の病院に搬送することは容易であり、治療を受ければ、救命は十分に可能であった。
にもかかわらず、悪事の発覚を恐れたため、衰弱しきった主也を病院に搬送するなど、適切な方策を講じないまま放置し、その結果、死亡させたことに疑いをいれる余地は全くない。
緒方においても、病院に搬送するなど適切な方策を講ずる義務が生じていたにもかかわらず、なんらその方策を取ろうとせず、松永と共に主也を放置し、その結果、死亡させているのであるから、松永との共謀による不作為犯としての殺人罪が成立することに疑いをいれる余地はない。
優貴事件
緒方の供述と女性の供述とでは、犯行場所と具体的な態様について食い違いがある。しかし、松永の指示で優貴を絞殺することになったこと、松永自身が彩に対し直接、優貴殺害の説得をしたことについては、両者の供述は一致している。優貴殺害に至る経緯及び殺害状況のうち、いくつかの重要な事実において緒方と女性の供述は一致しており、少なくとも、松永の指示によって緒方と彩及び女性がひもまたはコードで優貴の首を絞めて殺害したという限度では、両名の供述の信用性は高いと言える。
犯行場所や態様については供述の対立があり、女性の供述を取るべきか緒方の供述を取るべきかはにわかに断定できず、結局択一的な認定をせざるを得ない。その意味で、女性の供述に依拠して事実認定をしている原判決には誤りがあるが、これが判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認とまでは解されない。
出典:北九州監禁殺人・高裁判決要旨(1) ( メンタルヘルス ) - Blanc aigle Company 〜光に繋がる道〜 - Yahoo!ブログ
彩事件
松永太の死刑確定
松永は一審、二審でも死刑判決を受け上告していたが、2011年12月の最高裁判決の上告審判決で、宮川光治裁判長は「犯行を主導し、刑事責任は重大極まりない」と被告の上告を棄却、死刑が確定した。一方、緒方は一審で死刑判決を受けたが、二審では無期懲役の判決を受けていた。検察側は最高裁に上告したが、最高裁はそれを棄却。犯した罪は重大だが、松永から虐待を受け逆らえない状況だった点や、捜査の途中からは積極的に自白をした点、反省している点などを考慮して「極刑を選択しがたく、無期懲役の量刑が著しく不当だとはいえない」との理由で無期懲役が確定した。
書籍化「消された一家―北九州・連続監禁殺人事件」
これだけの凄惨な殺人事件なのにまったく記憶にないのが不思議だったこともあり興味本位から手にした。しかし、半分くらい読んだところで後悔した。それほど胸糞が悪い事件だった。DVを受けることにより恐怖で支配され心理的に追い込まれ最後には逃げようという気力すら失ってしまう。そこにつけ込んだマインドコントロールで巧みに人の心を操り次々と殺人が行われていった。この事件の怖さは人の心は簡単に操られてしまうということではないだろうか。もう、二度と読みたくない本だ。
もしもこれがフィクションだったとすると、「現実的じゃない」という感想になってしまう。 それくらい残酷で猟奇的な内容だが、恐ろしい事にこれは実際に起きた事件であるという。 何にせよ、本書を読むと胸くそ悪くなるのは間違いない。それはもう半端ではない気分の悪さである。だが、読んでよかった。こういう事が起こりえる、という事実を知れて良かったです。
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