ゴミ袋詰め殺人鬼と呼ばれた「パトリック・カーニー」とは

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1970年代、カリフォルニアには男性を殺害後、フリーウェイ(高速道路)の脇や近くに遺棄していた事からフリーウェイ・キラーと呼ばれる3人の同性愛連続殺人鬼がいた。


ランディ・クラフト、ウィリアム・ボーニン、そしてこのパトリック・カーニーである。


ただ、カーニーの場合は遺体をバラバラにして、黒いビニールのゴミ袋に詰めて遺棄してた。

このため、ゴミ袋詰め殺人鬼(トラッシュ・バッグ・キラー)と呼ばれる事も多い。

パトリック・ウェイン・カーニーとは

パトリック・ウェイン・カーニー

1939年9月24日

テキサス州生まれ

1939年9月24日

テキサス州生まれだがダラスともフレンスニーロとも言はれている


一説には1940年生まれといふ説もある


男ばかりの3人兄弟の末っ子で

経済的にかなり安定した家庭に育っている


病的に痩せた子で

学校の弱い者いじめのターゲットになっていた


そしてその事が

彼の初期の人生のトラウマとなった


彼の10代にして引きこもりとなり

人々を殺すことを夢に見る少年だった

出典:黒い天使が舞い降りた : アメリカ カリフォルニア ハイウェイ・キラー=パトリック・カーニー.Patrick Kearney

	

最初の遺体発見

最初の遺体が見つかったのは1975年4月のことである。その後、2年余りに渡って、ロザンゼルスからメキシコ国境へと至るフリーウェイでゴミ袋入りの遺体が間断なく発見された。遺体はいずれもハリウッドやロスの新宿二丁目にたむろする若い青年で、撃たれた上、身体を切り刻まれていた。

出典:殺人博物館〜パトリック・カーニー

	

22体のバラバラ死体

話は4年前の1973年までにさかのぼる。

この頃は丁度ランディ・クラフトが暗躍をしていた時期だが、それとは別にバラバラにされ黒いゴミ袋に詰められた男性の遺体が、LA郊外のフリーウェイの脇の草むらから発見された。


その後もゴミ袋に詰められたバラバラ死体は増え続け、その数はついに22体にまでなった。

被害者は例外なく10代の少年か20代の若者で、ほとんどが同性愛者だった。


捜査当局は必死になって正体不明の『ゴミ袋詰め殺人鬼』の行方を追っていたが、被害者と犯人を結びつける直接の関連がまったくない事、そして手がかりがほとんど無い事から、捜査は行き詰っていた。

出典:世界を驚かせた怪事件・猟奇事件 死体を陵辱し、解体する「ゴミ袋詰め殺人鬼」

	

逮捕

やがて警察はヒューズ・エアクラフト社に勤務する技師、パトリック・カーニーと、その恋人のデヴィッド・ヒルに目星をつけたが、2人はメキシコに逃亡した後だった。しかし、数日後には観念して出頭した。指名手配のポスターを指差して、

「これ、私たちです」

 1977年7月5日のことである。但し、相方のデヴィッド・ヒルは証拠不十分のために釈放されている。


 3件の殺人の容疑で有罪となり、終身刑を云い渡されたカーニーは、死刑にならないことを条件に18件の余罪を認めた。その後、更に11件を認めたので〆て32人である。

出典:殺人博物館〜パトリック・カーニー

	

パトリック・ウェイン・カーニー 指名手配のポスター

パトリック・カーニーと、その恋人のデヴィッド・ヒル

パトリック・カーニーの名言

人を殺す事は究極のスリルと興奮だ。それは他人の生を支配出来る事の快感だ

出典:

	
誰かを完全にコントロールしたかったから殺した。死んでしまえば完全に無抵抗だし、何をしようと思うがままだ。 

いつも被害者のこめかみに銃を押し付けて射殺した。私はサディストでないから被害者を拷問した事はない。

だから絞殺死体や拷問の痕がある死体に関しては私は無関係だ

出典:

	

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Sharetube