ギネスに短時間大量殺人犯として認定された男「禹範坤(ウ・ポムゴン)」とは

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禹範坤

禹 範坤(ウ・ポムゴン、우범곤, 1955年2月24日 - 1982年4月27日)は、1982年4月26日から翌日にかけて、韓国南部の慶尚南道宜寧郡宮柳面で57人(55人、56人、61人などの説もある)を殺害、35人に重軽傷を負わせた事件を起こした犯罪者である。

それまでの記録を保持していた津山事件を抜いて世界最大の短時間大量殺人犯としてギネス・ワールド・レコーズに認定された(アンネシュ・ベーリング・ブレイビクが2011年に記録更新)。

出典:

	

禹範坤(ウ・ポムゴン)

			

禹範坤による事件

1982年4月26日、警察官である禹範坤は酒に酔って帰宅したところ、同棲していた女性が禹の胸に止まったハエを取るために叩いたことがきっかけとなって口論になり、宜寧警察署宮柳支署(現在の宮柳治安センター)へ戻るなり武器庫に入り込んでウイスキーを多量に飲み泥酔状態となった。そして午後9時30分頃、武器庫からM2カービン銃2丁と実弾180発、手榴弾7発を持ち出した。

禹範坤は、まず警察署の近くにある郵便局に押し入って電話交換手3人をカービン銃で射殺した。その後に路上に飛び出して近隣の5つの集落の家々を次々に回り、手当たり次第に家人に対してカービン銃を乱射し、また閉店前の市場など人の集まる場所に手榴弾を投げ込み、爆発で驚いて表へ飛び出してきた人達に対してカービン銃を乱射して次々と村人を射殺した。 結局、禹範坤は翌日の午前2時頃まで付近一帯をカービン銃を乱射して回り、虐殺の限りを尽くして5集落合計56名の人々を殺害した。


禹範坤がまず最初に郵便局に押し入って電話交換手をカービン銃で射殺したのは外部との連絡を絶つ為であり、これにより、この無差別大量殺人の一報が外部に伝わったのは、事件発生後1時間以上も経った午後10時40分だった。そして武装警官が被害の発生した現場へ到着したのは、さらに遅れて午後11時50分頃となったが、この時には既に禹範坤は付近の集落での殺人をほぼ終えた後であり、警察の対応は完全に後手に回ったかたちとなってしまった。

武装警察隊が到着したのち禹範坤は武装警官により山に追い込まれた。日付が変わって4月27日午前5時30分頃、禹範坤は残りの手榴弾2発の安全ピンを抜くと、最後の犠牲者となった人質3名を抱きかかえて自爆した。


出典:禹範坤 - Wikipedia

	
現職警官が犯したワールド・レコードの大量殺人。ノーガードだった武器庫。おまけに事件当夜、当直警官が遊興で不在等、問題は山積みで、チョン・ドゥファン政権を揺るがす騒ぎにまで発展した。最終的に時の内務長官は辞任を余儀なくされ、その後釜に据わったのが次期大統領のノ・テウである。

註:ウ・ポムゴンの大量殺人ワールド・レコードは、2011年7月22日にノルウェーのアンネシュブレイビクにより更新された。

出典:殺人博物館〜ウ・ポムゴン

	

禹範坤事件(ウ・ポムゴン事件)

死亡者57人 重軽傷者35人

大韓民国(南部)慶尚南道宣寧郡

禹範坤(ウ・ポムゴン、当時27歳)

1982年4月26日午後-27日未明(約10時間)

:火病(韓国人)

事件による影響

現職の警察官による大量殺人、宜寧警察署長が遊興で不在による初動の遅れなどで、韓国国内では全斗煥大統領や内閣の総辞職を求める声も上がった。最終的に徐廷和内務部長官が辞任し、後任として盧泰愚が就任した。

出典:

	

2011年7月22日にノルウェーのアンネシュブレイビクによりギネス更新

世界最大の犠牲者を出した事件となった。犯人は2つの事件を連続して起こした。1つめはオスロにある政府機関ビルに対する爆弾テロ、2つめは小島にキャンプで集まっていた若者に対する銃乱射事件である。2つの事件を合わせた犠牲者数は死者77、負傷者96だが、このランキングの定義上爆弾テロは外して考え、銃乱射による死者69、負傷者66のみを本事件の記録とする。しかし、それでも史上最悪の事件である。

出典:世界大量殺人ランキング

	

アンネシュブレイビク

年:2011

名称:ノルウェー連続攻撃事件

死者数:69 (77)

負傷者数:66 (96)

場所:ノルウェー

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