未成年による異常犯罪まとめ
平成12年(2000).6.21〔高3が金属バットで母親殺害〕
岡山金属バット母親殺害事件(おかやまきんぞくバットははおやさつがいじけん)とは、少年が母親を金属バットで撲殺した事件。殺人の動機としては、高等学校の部活動でいじめを受けていたのが背景にあるといわれている。2000年(平成12年)6月21日、岡山県内の公立学校の野球部員の少年(当時17歳・高校3年生)(以下、少年A)が練習中に突然そばにいた部員4人をバットで殴り逃走。少年Aは自宅に戻った後、居間でテレビを見ていた母親(当時42歳)をバットで殴打し逃亡。母親はほぼ即死状態だった。
少年Aは去年の秋から日常的に後輩集団に自身の動作のまねをされたり、所属の野球部でからかわれるなどのいじめを受けていた。事件当日は雨天のため高校の武道場で部活を行っていた。少年Aは、普段から自身をからかうなどしていた後輩ら四人をバットで殴打し、重軽傷を負わせた。その後、自宅において別のバットで母親を殴打し殺害した。これらの犯行は、いじめにより蓄積された怒りで突然キレたことが原因ではないかと一部報道等[誰?]では推測された。また母親を殴打・殺害したのは、自分が野球部員の少年を殺して殺人者になったと早合点し、そのまま母親が生きていれば不憫であると思ったためであるという。
午後5時40分ごろに学校から殴打事件の知らせを受けて帰宅した父(当時46歳)が、頭を殴られて倒れている母親を見つけた。近くに血のついた金属バットと、男子生徒が着ていたユニホームが脱ぎ捨てられていた。母親は病院に運ばれたが既に死亡していた。
少年Aはその後、携帯ゲーム機・ゲームソフト・ゲームの攻略本・B5判の家計簿・カードゲームおよび現金20万円を持ち、高校の修学旅行で行った北海道へ自転車で逃走しようとした。事件から16日後の7月6日に秋田県本荘市で発見され、身柄を確保された。少年は8月に特別少年院送致の保護処分が確定した。
平成12年(2000).5.12〔高2が電車内で金づち通り魔〕
横浜市のJR根岸線の電車内で今年5月、私立高校2年の男子生 徒(17)がハンマーで無職男性(48)の頭を殴打した殺人未遂事件で、横浜家裁は20日、男子生徒を医療少年院送致とする保護 処分を決定した。精神鑑定の結果、男子生徒は「事件当時、心神耗 弱状態だった」とされており、医療措置が必要などと判断した。調べでは、少年は同日午前5時ごろ横浜市のJR根岸線港南台 駅から本郷台駅間を走行中の普通電車(東神奈川発大船行き)内で、 寝ていた乗客の無職男性(48)の頭をハンマー(全長23センチ)で 2回殴った疑い。男性は3週間のけが。少年は「親父からだれ かを殺せと指示された。ハンマーは親父が買ってくれた」などと供述している。
平成12年(2000).5.5〔17歳が高速バス乗っ取り、1人殺害〕
2000年5月3日午後0時56分、佐賀駅バスセンターから出発した福岡・天神行きの西日本鉄道高速バス「わかくす号」が、17歳の少年に乗っとられた。東に向かって走りつづけるバスの中で、少年は3人の女性客を切りつけ、1人を殺害した。2000年5月3日午後0時56分、佐賀駅バスセンターから福岡・天神行きの西日本鉄道高速バス「わかくす号」が出発した。乗客をは15~16人ほど。ゴールデンウィークということもあり、祖父母に会いに初めての1人旅をする少女、買い物に行こうとする若者、法事を終えて福岡に帰る人などがいた。
「天神には行くな。このバスを乗っ取ります」
午後1時30分、九州自動車道大宰府インター付近に差しかかった頃、運転手の真後ろの席に座っていた少年が突然立ち上がり、落ちついた声でそう言った。手には刃渡り30cmほどの牛刀を持っており、平野忠運転手(当時56歳)に突き付け、東に向かって走りつづけるように指示した。
「言うことを聞かないと、殺します」
少年は続いて、21人の乗客(途中で5人が乗りこんできた)の荷物を前に集めるように言い、全員を後ろの席に下がらせた。この時、真ん中の方の座席で、少年に気づかず眠り続けている女性がいた。東京在住の高取千佳さん(当時34歳)である
少年は高取さんの方に近づいていって、「あなたはふて腐れていますねえ」と言うと、その首筋に牛刀を突き立てた。
「あなたたちが行くのは、天神ではなく地獄です」
少年の指示は続き、荷物から携帯電話などをかき集め、カーテンの窓も閉めさせたうえ、女性客を前に、男性客を後ろにまわした。さらに座席の間の補助席を倒すようにも指示し、腕力のある男性客が少年を取り押さえようとしても、すぐには前方に来られないようにした。
平野運転手は「1人で乗ってきた少女がいるので、この子だけでも降ろしてやって欲しい」と提案してみたが、少年はあっさり却下した。
バスは走りつづけ、本州・山口に渡る関門橋が目前に迫った頃、少年は乗客に向かってトイレに行くことを許可した。バスを路肩に停めさせ、「逃げたりしたら、残っている乗客を全員殺します」と脅したうえで1人ずつ降ろした。
1人目は小型犬を抱いた女性(当時40歳)だった。少年はバスの昇降口から身を乗り出し、様子を伺っていたが、女性は戻っては来なかった。
「あいつ、帰ってこない。裏切りやがった。許さない。絶対に殺してやる」
少年は初めて興奮した様子を見せ、平野運転手にバスを発車するように命じた。
一方、女性は高速道路沿いにある非常電話から、バスが乗っ取られたことを道路公団に通報している(午後2時47分)。道路公団は「わかくす号」がまだ福岡に着いていないことを確認、すぐさま福岡県警に通報した。連絡を受けた山口県警が緊急配備を敷いたのは3時9分のことだった。
「僕は約束は守ります。見せしめです。1人殺します」
少年は山口由美子さん(50歳)の席に近づき、首めがけて牛刀で何度も刺した。山口さんはおびただしい血を流しながら通路に倒れこんだ。少年が足でつついて、「生きてるか?」と確認したところ、山口さんは「はい・・・」と答えた。
「連帯責任なんだから、逃げようと思うなよ。逃げるたびに刺すぞ」
少年はそう言った。
午後3時35分、中国自動車道を走る「わかくす号」を確認した警察は追尾を開始。
同じ頃、乗客の女性(当時30歳)が、走行中のバスの窓を開け、飛び降りた。この女性は右足骨折の重傷を負ったが、バス内ですでに2人が犯人に刺されたという情報を伝えている。
少年は女性が窓から逃げたことにはしばらく気がついていなかった。だが、窓が開いているのを見つけると、近くに座っていた塚本達子さん(68歳)に「逃げようとしているんですが」と、首を牛刀で刺した。牛刀はネックレスに触れたことから、刃こぼれしていた。少年はそのことを気にして、全員にネックレスをはずさせた。
3時45分、少年はなぜか携帯電話から自分で110番している。ヤマダと名乗り、「こっちには人質がいる」と忠告した。
4時9分には、山口県警に「拳銃を用意してください」という要求をしている。
この頃、少年は1人で乗っていた少女・Y子ちゃん(当時6歳)を近くに座らせ、盾にし始めるようになっていた。
4時18分、NHKが初めてこの事件の第一報を報道、各メディアも続いた。この時は犯人について「高校生風の若い男」と報じられていた。
上空には報道機関のヘリ10数機が、バスを探して追い始めた。
バスは山口県の下松SAに近づいていたが、先ではコーンと、県警のパトカー7台が道路をふさぐかたちで停められていた。バスは一旦停まり、パトカーとにらみ合う形となったが、警察はすぐに封鎖を解除、目の前を通過された。
4時21分、バスが走り始めた直後、後ろに座っていた男性(当時52歳)が窓から飛び降り、軽傷を負った。
すでに3人に逃げられた少年は、すでに弱っていた塚本さんの首に再び牛刀を振り落とした。塚本さんはしばらく息が荒い状態が続いた後、それも聞こえなくなり、出血も止まった。誰もがこの女性の死を悟った。少年はさらに2人連れの女性客(ともに当時18歳)に向かって「次はあなただ。その次はあなた」と殺人予告までしている。
5時24分、広島県の武田山トンネル内で、少年は平野運転手にバスを停めさせた。男性客4人を全員降ろしたのである。男性が降りる間は少年はずっとY子ちゃんの首に牛刀を突きつけていた。男性客の中には妻と一緒だった人もいて、妻を残して降りるのは辛いことだったが、すでに3人が殺されている(ように見えた)、下手に逆らうことはできなかった。
この頃には、すでに容疑者を「佐賀県在住の、通院歴のある17歳」と報道するメディアもあった。警察も少年の自宅に電話し、確認している。
5時50分頃、広島県警は「わかくす号」を山陽自動車道・奥屋PAに誘導し、バスは警察車両に取り囲まれるかたちで停車した。
警察の交渉が始まると、少年は拳銃と防弾チョッキとスタンガンを差し入れることを要求した。交換条件で、少年は負傷していた山口さんと高取さん、そして塚本さんを解放し、防刃チョッキを受け取った。
搬送された3人のうち、塚本さんの死亡が確認され、高取さんは首に、山口さんは顔や頭部など数ヶ所に傷があり、ともに重傷だった。
少年と警察の間では3時間半ほど膠着状態が続いていたが、午後9時37分、バスはパトカーに先導されて再び走り始めた。
少年によると、「東京・霞ヶ関に行きたい」らしく、燃料の補充を要求した。このためバスは給油のために、小谷SAに入った。
10時34分、最高齢の女性客を解放。この女性客は「おねがいだから、子ども(Y子ちゃん)も一緒に出してあげて」と頼んだが、少年は聞こうとはしなかった。
バスの外には駆けつけてきた少年の両親と担当医がいた。だが、母親の方は「説得する自信がない・・・」と泣き崩れる。代わって医師が説得するも、少年は興奮するばかりだった。
日付が変わってまもなく、まくらと食料が差し入れられた。少年は女性客におにぎりやウーロン茶を配らせたが、それを口にしようとする人は少なかった。
午前5時頃、特殊急襲部隊「SAT」は少年がY子ちゃんと離れた瞬間を狙い、左右の窓をわり、「フラッシュバン(閃光手投げ弾)」を投げ入れ、取り押さえた。救出の際に1人が負傷したものの、当時乗っていた人は全員無事だった。
平成12年(2000).5.1〔高3が「人を殺す経験したかった」と主婦殺害〕
2000.5.1.愛知県豊川市の主婦(65)が刺殺される。現場に残されていた通学用のかばんなどから近くの私立高校に通う3年生の男子生徒(17)が容疑者とされ、5.2.この生徒が交番に出頭したため、殺人容疑で逮捕された。被害者は頭と顔を中心に約40カ所、刺し傷や切り傷などを負っていた。まず金槌で殴って抵抗力を奪った後で刺殺したと見られる。
生徒は動機について「人を殺す経験をしたかった」と供述している。
動機
報道によると、彼は殺人を犯したときに「興奮した」と言っているようです。これが性的な興奮であれば、「快楽殺人」になりますが、現在の状況からはそのようには考えられません。
殺人自体を楽しむ「純粋殺人」といったことも考えられますが、やはりよくわかりません。殺人を犯すときには、だれでも興奮はするので、その程度の意味かもしれません。
「人を殺す経験をしてみたかった」 一般の私たちには理解のできない言葉です。まだ何も分からない段階ですが、テレビに出演していた福島章先生は「観念殺人」という可能性を語っていました。
頭の良い(良すぎる)彼が、殺人について観念的に考えるうちに、観念の世界だけでは収まらなくなり、現実に殺人を犯してしまったというわけです。
何十カ所も人を指すという行為ですが、いかにも残虐な犯罪と感じますが、多くの場合、恐怖心に基づく行動です。刃物を使い慣れ、腰のすわった犯人であれば一突きでしとめます。そうでない場合、反撃への恐怖や、相手が死なないことへの恐怖のために無我夢中になって刃物を刺すわけです。
今回の場合は、状況がまだ分かりませんが、あるいはもっと冷静に刃物を刺し続けたのかもしれません。
いずれにせよ、普通の意味での殺人動機はなかったようですが、彼の心を理解することは大変困難です。
5.4.になり、彼は初めて謝罪と後悔の発言をしています。
「亡くなった人、けがをさせたおじいさん、家族や学校に非常に迷惑をかけ、申し訳なかった」
平成12年(2000).4.28〔高2が「人肉を食べたくて」教師を殺人未遂〕
広島県広島市の県立高校で、定時制2年生(16歳)が、教師(30歳)から授業態度を注意されたことに逆上して、殺害しようと出刃包丁で腕を突き刺し、他の教諭に取り押さえられた。「人の肉を食べたくて、機会をうかがっていた」と自供。精神鑑定にかけられたが責任能力ありとなり、少年院に収容された。
6.30に大分県中津市の初等少年院のソフトボール大会で、高2生は突然、主審である教官(29)の頭部を金属バットで殴って頭蓋骨骨折の重体とさせた。
平成12年(2000).4.25〔中3らが5千万円恐喝〕
愛知県名古屋市の中学3年生(15歳)ら10数人は、同級生(15歳)から、9ヶ月間、約130回にわたり現金約5,000万円を恐喝して捕まった。殴って肋骨を折るなどしており、母親が亡き父親の生命保険金などを出していたもの。
平成11年(1999).4.14〔18歳が強姦目的で母子殺害〕
山口県光市 母子殺人屍姦事件事件とは、1999年4月14日の午後2時半頃、当時18歳の福田孝行が山口県光市の社宅アパートに強姦目的で押し入り、排水検査を装って居間に侵入した福田孝行は、女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしましたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意し、頸部を圧迫して窒息死させます。
さらに、少年は女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘(11ケ月)を床にたたきつけ、首にひもを巻きつけて窒息死させました。 そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走。
少年は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり、友達の家に寄るなどしていましたが、事件から4日後の4月18日に逮捕された事件です。
兵庫県西宮市で、無職少年(19)が、通りがかった小学1年生(6)を死ぬかどうか試すため、マンション6階から1階植え込み付近に投げ落として傷害を負わせ、殺人未遂で逮捕された。
平成10年(1998).5.14〔19歳が主婦を殺人未遂〕
平成10年(1998).1.8〔19歳シンナー常習者が通り魔殺人〕
平成9年(1997).3.16〔中3が通り魔殺人と首切断 酒鬼薔薇聖斗事件〕
神戸連続児童殺傷事件(こうべれんぞくじどうさっしょうじけん)は、1997年(平成9年)に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生(以下「少年」と称す)による連続殺傷事件。別名『酒鬼薔薇事件』『酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)事件』とも呼ばれる。この事件で、2名が死亡し、3名が重軽傷を負った。数ヶ月にわたり、複数の小学生が殺傷された事件である。通り魔的犯行や遺体の損壊が伴なった点、特に被害者の頭部が「声明文」とともに中学校の正門前に置かれた点、地元新聞社に「挑戦状」が郵送された点など、強い暴力性が伴なう特異な事件であった。また、犯人がいわゆる「普通の中学生」であった点も社会に衝撃を与えた。
兵庫県警察は聞き込み捜査の結果、少年が動物虐待行為をたびたびおこなっていたという情報や、被害者男児と顔見知りである点などから、比較的早期から彼に対する嫌疑を深めていたが、対象が中学生であるため、極めて慎重に捜査は進められた。
第一の事件
1997年(平成9年)2月10日午後4時ごろ、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人がゴムのショックレス・ハンマーで殴られ、1人が重傷を負った。
犯人がブレザー着用、学生鞄を所持していたと聞いた女児の父親は、近隣の中学校に対し犯人がわかるかもしれないので生徒の写真をみせてほしいと要望する。しかし、学校側は警察を通して欲しいとして拒否したため、父親は兵庫県警察に被害届を出して生徒写真の閲覧を再度要求したものの、結局、開示されることはなかった。
この事実により、犯人逮捕後、学校側に対し、「この時点で何らかの対応をしていれば第二・第三の事件は防げたのではないか」、「結果的に犯人をかばっていたことになる」との批判が起こった。
なお、この事件に関しては被害者の家族の要望もあり、非公開とされていた。
第二の事件
3月16日午後0時25分、神戸市須磨区竜が台の公園で、付近にいた小学4年生の女児に手を洗える場所はないかとたずね、学校に案内させた後、「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」(少年の日記より)といい、振り返った女児を八角げんのう(金槌の一種)で殴りつけ逃走した。女児は病院に運ばれたが、3月23日に脳挫傷で死亡した。
さらに、午後0時35分ごろ、別の小学生3年生の女児の腹部を刃渡り13センチの小刀で刺して2週間の怪我を負わせた。ナイフの刃先は胃を貫通して、背中の静脈の一歩手前で止まっていた。仮に静脈まで達していたら、救命は不可能だったという。また、手術の時に、1.8リットルの輸血を要した。
第3の事件
1997/5月24日
5月24日午後、神戸市に住む男児を通称「タンク山」と呼ばれている近所の高台に誘い出し、殺害。
少年Aは人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すために、昼過ぎにママチャリに乗って家を出た。町内を約10分くらいブラブラしながら自転車を走らせた。その後、多井畑小学校の北側を東西に走っている道路の北側の歩道を、東から西に自転車を走らせていたところ、多井畑小学校の北側の歩道上に少年とは反対に、西から東に、1人で歩いてくる男児を偶然みつけた。
男児は同地区に住む放射線科医師の次男で、当時11歳であった。男児は祖父の家に行くといって午後1時40分ごろ、自宅を出ていた。咄嗟に少年Aは「○君ならば、僕より小さいので殺せる」と思った。少年Aが男児を知った時期ははっきりとは覚えてはいないものの、田井畑小学校の5年生ころで同じ小学校のなかに、身体障害者のための「なかよし学級」があり、そのなかに男児がいることを知った。その後、男児が少年の家に遊びに来るようになった。これは少年Aが直接知り合ったわけではなく、少年Aの一番下の弟が同級であったからである。その際に少年Aの家で飼っていたカメに男児が興味を示したことからカメが好きなことを知る。
咄嗟に「土師(はせ)淳君を殺そう」と思い、男児の方へ近づいた。近づきながら、少年Aは殺す場所を考えたが、タンク山が脳裏に浮かんだ。かつ、タンク山のケーブルテレビアンテナ施設のところならば、少年A自身よく知っており、人に見られることもないと考えそこで男児を殺そうと考えた。少年Aは男児に対し「青い色のカメがいる」とタンク山に誘い出し、その場で絞殺して遺体を隠した。
殺害は絞殺であったが、当初は手で締めていたものの、なかなか死なないため腕が疲れ、さまざまな体位で試み、ナイフで殺そうと考えるが、ナイフを忘れたことに気付く。そこで埋まっていた石があったため、撲殺を思いつき石を持とうとするが土中深く埋まっていたため、動かなかった。このため、今度は自らの運動靴の紐で絞殺をしようと考え、左足の運動靴の紐を少しずつ解いていく。それを輪にして首にかけうつ伏せになった男児の腰付近に馬乗りになり、力一杯両手で持ち上げる。一生懸命殺そうとするのになかなか死んでくれない男児に対し、少年Aは腹を立て、男児の顔や頭を踵で蹴ったり顔を殴ったりしている。最後は、仰向けになった男児の腹部に馬乗りになり靴紐を力一杯引く。このとき少年Aの手にはギュッと食い込む手応えがあり、しばらく締め続けたところで呼吸音が止まった。さらに、死んだかどうか分からなかったため、靴紐の端を施設のフェンスか桟に結びつけ、さらに締め続けた。死んだと思った後には男児の左胸に右耳を当て心音を確認している。
殺害の後、少年Aは男児の死体をどうするか考えたが、放置すればすぐにみつかってしまうと考えた。死体は発見されないに越したことはないし、発見されるにしても、できるだけ遅らせたいと考えた。死体が発見された段階で警察の捜査が始まると考えたからである。男児の死体は重いため遠くへは運べないと考え、ケーブルテレビアンテナ施設のなかの鉄の建物の床下が草が茂り、みえにくいと考えたが、施設の入り口には鍵がかかっていたため、咄嗟にその南京錠を壊し、床下へ運び込むとよいと考えた。そのための道具として糸ノコギリを準備しようと考えた。同時に、南京錠を壊しただけでは不審に思われると考え、新たな南京錠に付け替えるとよいと思い、かつて、カメの餌を買ったり、小学校6年当時に同級生仲間と斧、のこ、鎌を万引きしたりしたことがある生活協同組合コープこうべリビングセンター北須磨店(のちに、コーナンに変わったが、現在は万代スーパーになっている)で万引きすることを思い付く。
万引きしようと考えたのは、ひとつにはお金がなかったこと、ひとつはお金を出せば店員に顔を覚えられる可能性があったためである。男児をそのままにして少年Aは登ってきた道順と同じ道順でタンク山を降り、ママチャリに乗り、コープリビングセンター北須磨店へ向かった。そこでまず、糸ノコギリを盗む。次いで南京錠を盗んだ。南京錠は形や大きさが大体同じであればよいと考えていたので、正確に大きさを確認してはいない。その後、ふたたびママチャリでタンク山の「チョコレート階段」[1]を登ったりして男児と一緒に上った道順と同じ道順[2][3]でケーブルテレビ施設の前まで戻った。1分くらいかかって南京錠を切断すると、両手を男児の脇の下に入れ、上半身を浮かせて下半身は地面に付けたような感じで後ろ向きに引きずって施設の中へ入れた。
ところが、鉄の建物と施設の入り口との間にアンテナが置いてあったため、男児の死体を建物の床下に入れるには、そのアンテナが邪魔になったため、いったん死体を置き、アンテナをずらしさらに引きずり床下へ死体を蹴り込むような感じで押し込んだ。押し込んだ後で建物付近に男児の運動靴が一個落ちていたため、靴を拾い上げて死体のそばへ置いた。その後、万引きした南京錠を施設の出入り口のフェンスにかけるとタンク山を降りる。
この後、友人とビデオショップVの前で待ち合わせしていたため、万引きした糸ノコギリは邪魔になる上、友達に疑われる可能性があると考え、死体を隠したすぐ側の溝の落ち葉の下に隠した。切断した南京錠はジーパンのポケットに入れて持っていた。男児を殺した時点で待ち合わせ場所へ行っていたならば、午後4時には十分間に合っていたが、コープリビングセンター北須磨店に行ったり、死体を隠す工作のため時間がかかったりして、友達らとの待ち合わせ場所であるビデオショップV前へ着いたのは当日午後4時25分から30分の間であった。その後、友達らと遊んだ後、午後6時過ぎごろに自宅へ帰っている。
家に帰ると、少年Aの母が「土師(はせ)淳君がおらんようになったみたいよ」と言ったが、少年は「ふうーん」と返事をした。その後、少年は2階の自室へ上がっている。その後、疲れた少年Aはベッドで寝てしまったため、夕食はとっていない。少年Aは、早く寝たときはよく夜中に目を覚ましたが、この日も時間は不明ながら目を覚ました。その際に一日のことを振り返った。男児を殺したときの様子を思い出すうちに、南京錠を切るのに使った糸ノコギリを施設内に隠しているのを思い出し、フッと自然にその糸ノコギリで人間の首を切ってみたいという衝動に駆られた。
具体的には、人間の体を支配しているのは頭だから、その司令塔である頭を胴体から切り離してみたい、その時に手に伝わってくる感覚や、切った後の切り口もみてみたいと思った。少年Aはそれまでに何十匹というネコを殺して首を切ったりしたが、ネコだとナイフ1本で簡単に切れるため、もっと大きなもの、しかも、自分と同じ種族である人間を切ってみたいと考えた。この衝動は以前からあったかもしれないが、ずっと忘れていて、この時、急に衝動に駆られたと供述している。
午後8時50分に被害男児の家族より須磨警察署に捜索願が提出された。
1997/5月25日
この日より、警察、PTA、近隣の保護者などが捜索に参加、公開捜査に踏み切る。
少年は10時から12時にかけて起床し、自分でパンを焼いて食べ、昼過ぎ(午後1時から3時の間)に男児の首を切るために自宅を出る。少年は人間の首を切ると大量の血が出ると考えたため、黒色のビニール袋2枚を準備する。首を切った後の糸ノコギリ持ち運ぶため、学校で使用している補助カバンももって出る。さらに、「龍馬」のナイフ3本と出刃包丁1本を持っていたが、「龍馬」のナイフの内、2本は親に取り上げられていたため、その1本をジーパンのポケットか腹に差して持って出た。
この日もママチャリに乗ってタンク山の下へ着いた。殺害日にはあせっていたため、「チョコレート階段」下に自転車を停めたが、この日は余裕があったため、人目に付かぬよう、入り口よりも右側に自転車を停めた。タンクの周りの獣道からケーブルテレビアンテナ施設へ着くと、新たに付け替えた南京錠の鍵を持っていたため、それで南京錠を開ける。この供述を聞いた検事は、当初、少年は「付け替えた南京錠の鍵は5月24日に捨てた」と話していたため、質問をすると少年は「僕の思い違いだったと思います」と答えている。
アンテナ施設の中に入った少年は隠していた糸ノコギリを取り出すと、「局舎」の床下に隠していた男児の死体の肩の服の部分をしゃがみこんで引っ張り、胸から上を床下から引っ張り出し、男児の首が溝の上付近に来るように置いた。このときの少年は特にワクワクするという気持ちはなかったと供述している。男児の首の下にビニール袋を敷くと、糸ノコギリの両端を持ち、一気に左右に2回切る。ノコの歯が細かったため、スムーズに切れ、切り口がのぞく。人間の肉が切れることを確認した少年は左手で男児の額のあたりを押さえながら、右手で首を切っていく。この時、少年は「現実に人間首(ママ)を切っているんだなあ」と思うと、エキサイティングな気持ちになったと供述している。首を切っていく内に、段々と頭の安定が悪くなったため、男児の首の皮が1枚になった時に左手で髪をつかんで上に引っ張り上げ、首の皮を伸ばして一気に首の皮を切った。その後、しばらく地面に置き、鑑賞しながら、「この不可思議な映像は僕が作ったのだ」という満足感にひたった。
ところが、しばらくすると、男児の目は開いたままで、眠そうにみえ、どこか遠くを眺めているように少年にはみえた。さらに、男児は少年Aの声を借りて、少年に対して、「よくも殺しやがって 苦しかったじゃないか」という文句をいった。それで、少年Aは男児に対し、「君があの時間にあそこにいたから悪いんじゃないか」といい返した。すると、男児の首はさらに文句をいった。少年Aは、これは死体にまだ魂が残っているためだと考え、魂を取り出すため、また、眠たそうな男児の目が気に入らなかったため、「龍馬」のナイフで男児の両目を突き刺し、さらに、両方の瞼を切り裂き、口の方からそれぞれ両耳に向け、切り裂いた。さらに少年Aは男児の首を鑑賞し続けたが、その後は文句をいわなくなった。さらに、「殺人をしている時の興奮をあとで思い出すための記念品」として持ち帰ろうと考え、舌を切り取ろうとしたが、死後硬直でかなわなかった。さらに、ビニール袋に溜まった男児の血を飲むが、金属をなめているような味がしたと述べている。
後に、少年Aは人の気配を感じ、来た方向ではなく、北須磨高校への獣道をたどり入角ノ池へ向かう。この池付近の森は人が来ず、ゆっくりと男児の頭部を鑑賞するのが目的であった。男児の頭部の入った黒いビニール袋を右手に持ったまま町中を歩いたが、特に神経がピリピリすることもなく、ボッーとしたような、しかし、いつもと同じ気持ちで歩いた。
池に向かうまでに、少年Aが多井畑小学校に通学していた当時に見覚えのある女性に出会っているが、少年は多井畑小学校の教職員だと思う。少年Aは女性が男児を探しているのだと考えた。その後、向畑ノ池の横を通り、池の南側の友が丘西公園へ行く。さらに、公園内に入り、公園のフェンス横の出入り口から森に入る。森に入ると道が険しくなったため、少年は糸ノコギリを入れていた補助カバンを腹の中から取り出すと、男児の首の入ったビニール袋を補助カバンに入れ直す。
さらに、右手に持ったまま入角ノ池へ歩き出すが、途中、機動隊と少年が思った3人に出会う。少年が機動隊と考えたのは、少年が知る警察官の格好ではなく、黒っぽい服に前にツバの付いた帽子をかぶり、肩には細い縄を掛け、身長よりも長い棒を持っているためであった。その3人の一人から「君はどこから入って来たんだ」と聞かれた少年は「公園の入口から入って来ました」と答えた。すると、その中の一人が少年に向かって「危ないから帰りや」といった。少年Aの記憶では3人に出会ったのが池へ向かう途中なのか、帰りなのかはっきりしない。検事に機動隊と思われる人たちに出会ったときの気持ちを聞かれ、「別になんとも思わず、平常心でした」と答えている。入角ノ池へは、過去に数回行ったことがあった。
少年Aは池に着くとロープを伝って池の淵へ下りる。男児の首を隠す場所を物色したところ、池付近に木の生えだしたところがあり、木の根元に丁度首の入る位の穴をみつける。そこで補助カバンから男児の首を取り出すと、至近距離からふたたび鑑賞する。少年Aは新たに人のいないところで首を鑑賞すれば、何か新しい感動が得られるのではないかと期待してのことであったが、たいした感動は得られず、「ああ、こんなものか」と思った程度であったと供述している。そのため、2-3分しか鑑賞せず、ビニール袋に入れると穴の中に袋ごと男児の首を押し込んだ。ふたたび来た道を帰り、向畑ノ池で糸ノコギリを投げ捨てた。その後、タンク山下付近に停めた自転車を取りに戻った後、帰宅した。時間は不明である。この夜も、少年Aは目を覚まし、物思いにふけるが、死体が時間とともにどう変化するかに大変興味を持つ。
1997/5月26日
5月26日、少年Aは10時頃に起床し、男児の首を見るため池へ向かう。この日は、5-6分観察する。少年Aの言葉では、鑑賞ではなく観察したという。観察の結果、男児の顔などは色が25日に増して青白くなっていただけで大きな変化はなく、もっと大きな変化があると期待していた少年はがっかりした。変化がなかったことから、興味がなくなり、今度はどこへ隠そうかと考え始めたが、日本の警察ならどこに隠そうと遅かれ早かれ胴体も頭部も発見されるだろうと考え、そうであるなら、むしろ自分からあえてさらすことで、警察の捜査から自分を遠ざけようと考えた。そのために、自分の通う友が丘中学校が警察にとって盲点になると考えた。
少年Aの供述では「友が丘中学校の生徒が、自分が通っている中学校に首を置くはずがないと思うだろうし、そうなれば、捜査の対象が、僕から逸れると考えた」からであった。もう一つの理由として、「僕自身、小さいころから親に、人に罪をなすりつけてはだめだといわれて育ちました」からだという。さらに、「それで、僕は、一方ではそんな僕自身に対して嫌悪感があったので、何とか責任逃れをしたいという気持ちもありました。しかし、人に罪をなすりつける訳にはいかないので、僕自身を納得させるために、学校が○君を殺したものであり、僕が殺したわけではないと思いたかったのです。単に、学校に責任をなすりつけるための理由であり、実際に学校に対する怨みや学校の教育によって、こんな僕ができてしまったと思っていたわけではありません。友が丘中学校に土師(はせ)淳君の首をさらすにしても、どこに置くかと考えましたが、当然、それは一番目立つ場所がよいと思い、そうなれば、当然、友が丘中学校の正門に置くのがよいと考えました。そこで、僕はふたたび土師(はせ)淳君の首を入れているビニール袋の入口を引き上げて、○君の首をビニール袋の中にすっぽりと入れて袋の口を閉じました。そのビニール袋を持って、入角ノ池から自転車を停めている友が丘西公園まで歩いて行き、そこから土師(はせ)淳君の首を入れたビニール袋を自転車の前カゴに入れて、自転車に乗って家へと帰ったのです。家に帰った時には、家には誰もいませんでした。家に帰る途中、僕は土師(はせ)淳君の首を洗うことを考えました。その理由は2つありました。一つは、殺害場所を特定されないように、頭部に付着している土とか葉っぱを洗い流すためでした。あと一つの理由は、警察の目を誤魔化すための道具になってもらうわけですから、血で土師(はせ)淳君の顔が汚れていたので、「せいぜい警察の目から僕を遠ざけてくれよ、君の初舞台だよ」という意味で顔を綺麗にしてやろうと思ったのです。そこで、家に帰った後、僕は、すぐに1階の台所の奥にある風呂場に土師(はせ)淳君の首を入れたビニール袋を持って行きました。そして、そのビニール袋を床に置き、庭にタライを取りに行きました。そのタライを風呂場に持ってきた後、ビニール袋から○君の首を出し、その首をタライに入れました。」
その後、少年Aは風呂場の水道の蛇口にホースを取り付け、水を出し、そのホースでタライの中に立てて置いた男児の首に水を掛ける。頭に掛けたり、顔に掛けたり、あるいは水を掛けながら手で顔を拭いたり、頭をゴシゴシ洗ったりした。また、首の切り口部分にも泥が残っていたため、そこも洗う。さらに、口を両方に切り裂いた傷口にも水を掛けると、その水がおのずと口の中までを洗った。以上の作業は少年Aの供述によれば、かなり丁寧におこなわれた。ここで、検事は少年Aにこう質問した。
「君は、土師(はせ)淳君の首を切断した時には、土師(はせ)淳君の舌を切り取ろうとしたと話しているが、この時点で舌を切り取ることは考えなかったのか」
これに対して少年Aは
「考えませんでした。それは、僕が土師(はせ)淳君の首を切った時の感動を思い返すためだったのであり、この時点では時間が経ちすぎていて、切り取ったとしても過去の産物になってしまうからです。要するに、この時点で土師(はせ)淳君の舌を切り取ったとしても、切り取った舌を後で見ても、その舌から思い出すのは、土師(はせ)淳君の首を洗っている時のことであり、その様なことを思い出しても意味がないからです」と答えた。
洗い終わると、少年Aは風呂場にあったタオルで男児の顔や髪の毛を拭いた。拭いた後には、男児の髪を洗面所にあった櫛かブラシでとかした。その後、少年Aは首を入れていたビニール袋と血を入れていたビニール袋を風呂場で洗った後、首を入れていたビニール袋に男児の首をあらためて入れた。首は友が丘中学校の正門前にさらすつもりであったが、人目を避け、深夜に持ち運ぶつもりで、その間、自室の天井裏へ隠した。少年の部屋の天井は片隅の天井板が自由に動く構造になっていた。その後、少年Aはベッドに横になり、思いをめぐらすが、男児の首を校門へ置くだけでは警察の目を自分から逸らすには物足りないため、さらに捜査をかく乱する方法を考えた。すぐによい方法は思い浮かばなかったものの、その日の夜までに少年Aが考え付いたのは男児の首に何かを添えればよいということだった。そう考えたとき、男児の口が開いているため、添える物は口にくわえさせようと考えた。加えさせるものは何がよいかと考えていくうちに、手紙が一番だと考えたが、その理由は「偽りの犯人像」を表現するには、手紙が一番表現しやすいと思ったからである。
その日の夕食は家族とともに食べたと思うが、はっきりとは覚えていないと供述(7月10日)している。夜になり、手紙にはどんなことを書くべきか自室で考えた。これまで読んだことのある本の中から覚えている言葉や自分で頭に浮かんだ文章等を思い浮かべたりしたが、さらにインパクトのある表現が必要と考えた。そこで、自室にあった漫画本の内、『瑪羅門の家族』第3巻の目次に「積年の大怨に灼熱の裁きを」という文章が目に入ったが、この文章をみた少年Aは「積年の大怨」ということになれば、長年積もり積もった恨みを持った者の犯行と読んだ人間は思い、そうなればある程度歳のいった者の犯行と思われるのではないかと考えたため、この文章を使うことにした。ただ、「灼熱の裁きを」というところは別に男児の頭を焼いたわけではないので、イメージに合わないと思い、むしろ、血を連想するのがイメージに合うと考え、「流血の裁きを」という表現にしようと考えた。
さらに、1997/7月10日の少年Aの供述はこう続く。
「そして、僕が考えた文章は、今でもよく覚えています。僕が書いた文章については、赤のペンと黒のペンで書きましたので、それぞれのペンを貸してくれれば、僕が書いたとおりに再現することができます」 (このとき、担当検事は、少年Aに対し、白紙とサインペンを渡したところ、任意に文章を作成したので、それを受け取り、資料一として、この調書の末尾に添付することにした)
平成8年(1996).9.6〔17歳女子が警察に捕まるために赤ちゃん殺人〕
宮城県多賀城市で、無職女子(17)が会社員宅に侵入、長男(生後6ヶ月)を連れ出して庭のくみ取り式トイレ便漕に投げ込んで殺害した。この長男の子守をしたことがあり、「警察に捕まりたかった」と自供。
昭和63年(1988)〔女子高生をコンクリートに詰めて死体遺棄事件〕
女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。事件番号は平成2う1058。この事件は、加害者が全て少年(未成年者)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。
誘拐の経緯は、バイト帰りの女子高生の自転車を少年が蹴り、少年Aが親切な素振りで近づき、「お前はヤクザに狙われている」「俺が助けてやる」と言い、ホテルに連れ込んで女子高校生をレイプし事件の現場となった家の自宅2階の居室に監禁した。少女を帰そうとせず、集団によるレイプ、裸踊りや自慰行為の強要、タバコを2本一度に吸わせる、シンナーを吸わせたりした。少女は少年らの隙をついて警察に通報したのだが少年Aに見つかり阻止され、その腹いせに足にライターのオイルをかけて火で何度もあぶるという暴力行為し、彼女の焼け焦げた足の腐臭を疎ましく思いレイプの対象から暴力へと変貌し、1m以上上から鉄棒を腹に落とす、トイレにも行かせず飲料用紙コップに排尿させその尿を飲ませる、1.6kgの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打したり、被害者の脇腹部、脚部等を多数回にわたって手拳で殴打し、全身が血だらけになり目の位置がわからなくなるほど顔を膨れ上がる程の殴る蹴るなどの行為を繰り返し、少年Bが「なんだお前でっけえ顔になったな」と笑う、真冬の時にベランダに裸で放置、顔面に蝋をたらす、などの苛烈な行為を41日間にわたり行った。
女子高生を監禁していた家の両親は女子高生の存在を認知しており、一度1階で一緒に食事を摂ったりした。その折、女子高生に「早く帰りなさい」と促し、一時は家を出たのだが、加害者の少年の一人が連れ戻したので、結局監禁は続いて行われた。
1989年(昭和64年)1月4日、「ギャンブルに負けた」という理由で、自力では立てなくなりほとんど動けなくなった被害者を2時間にわたって殴る蹴る、足をライターオイルで焼く、鉄の棒で殴るなどのリンチを加え放置し、その結果被害者は死亡した。翌日、被害者の死亡に気づき死体の処理に困った加害者たちは、遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。
同年(平成元年)3月29日、別の事件で逮捕された際の取調中の加害者の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。
昭和63年(1988)〔アベックを狙った強盗殺人・集団強姦事件〕
名古屋アベック殺人事件(なごやアベックさつじんじけん)とは、1988年2月23日から25日にかけて愛知県名古屋市緑区で起きた、強盗殺人・集団強姦事件。被害者が襲撃された場所の名前から「大高緑地公園アベック殺人事件」(おおだかりょくちこうえんアベックさつじんじけん)とも呼ばれる。人間が行ったとは思えない残忍な手口と身勝手な犯行動機で、日本中を震撼させた。犯人グループ計6名の大半が未成年であったことから、少年法改正に多大な影響を与えた事件である。1988年2月23日午前4時半頃、名古屋市緑区の県営大高緑地公園駐車場で、デート中で車の中にいた理容師・Xさん(19歳)と同僚の理容師見習い・Y子さん(20歳)が、車2台に分乗してきた男女に突然襲われた。
男たちは木刀や鉄パイプを持ってXさんの車を取り囲み、バールなどでフロントガラスを割り、Xさんを引っ張り出して木刀でメッタ打ちにした。
女たちははY子さんを車から引きずり下ろし、「裸になれ」と命じ、上半身裸にさせたうえで木刀で殴りつけた。
この後、男達はY子さんを藪の中へ連れこみ、集団でレイプした。その間、女は車内を荒らし、Y子さんの所持品であるぬいぐるみを奪っている。
再び、駐車場に連れ戻されたY子さんは男女らにタバコの火を全身に押しつけられた。Y子さんが許しを請うと、女は「ばかやろう。ぶりっ子するんじゃない」と殴った。
「警察に行かれると困るので、連れて行こう」
午前6時ごろになって、車の通行も目立ち始めたため、1人の男がそう提案した。XさんとY子さんを車に乗せ拉致した。
翌24日午前4時30分頃、愛知郡長久手町の公園墓地で降ろされたXさんは正座させられ、洗濯用ロープを首に巻きつけられ殺害された。男達はふざけながら、「タバコを吸い終わるまで」と綱引きのように両方から絞めたのである。
一味はXさんの遺体を車のトランクに積みこんだ後もY子さんを連れまわし、名古屋埠頭に来た。ここでY子さんが「外に出たい」と言ったので、見張られながら下車したが、海に飛び込んで死のうとしたところを掴まり、車に連れ戻された。
その夜は男のアパートに戻り、ここでも男がY子さんを強姦する。
25日午前2時ごろ、Y子さんを乗せた車は三重県大山田村に到着。男達は遺体を埋めるための穴を掘り始めた。そしてY子さんは、Xさんと同じように殺害された。
公判中、Aは「少年なので死刑判決は受けない」とうそぶく。
89年6月28日、名古屋地裁、裁判長は「その冷血非情さには、一片の情状酌量の余地もない」とAに死刑を言い渡す。永山則夫以来10年ぶりの少年への死刑判決だった。また他のメンバーも無期懲役、懲役5~17年の判決。AとBは控訴。
96年12月26日、名古屋高裁、一審を破棄。Aに無期懲役を言い渡し、Bも懲役17年から同13年に減刑。刑は確定した。
出典:名古屋アベック殺人
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