女児を含む5人の女性を殺害!「大阪・連続女性バラバラ殺人事件」鎌田安利とは

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大阪・連続女性バラバラ殺人事件

大阪連続バラバラ殺人事件(おおさかれんぞくバラバラさつじんじけん)とは、1987年11月から1994年3月までのおよそ8年間、大阪市で4人の女性と1人の少女が殺害された事件。少女以外の遺体はすべてバラバラにされた。警察庁広域重要指定122号事件。

出典:大阪連続バラバラ殺人事件 - Wikipedia

	

警察庁広域重要指定事件とは

警察庁広域重要指定事件(けいさつちょうこういきじゅうようしていじけん)とは、全国の日本の警察機構が協力体制を取り、捜査に当たることを指定された事件である。

同一犯による犯行と思われる事件が複数の都道府県で起きた場合、あるいは犯行件数が1件でも、捜査の過程で他の管轄の都道府県警察組織に協力を要請した場合が指定の対象となり、警察庁が決定をする。そのため、複数の都道府県で事件が発生していなくても、指定される事件も稀に存在する。が、基本的に、犯行件数が複数でも、一都道府県内に留まると見込まれる事件(例:大久保清連続殺人事件や佐賀女性7人連続殺人事件、広島タクシー運転手連続殺人事件等)であれば、指定の対象とはならない。


しかしながら、複数の都道府県で発生した、北関東連続幼女誘拐殺人事件[1]や、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件、オウム真理教事件、東京・山梨連続リンチ殺人事件、長野・愛知4連続強盗殺人事件等は、警察庁広域重要指定事件には指定されていない。それゆえに明確な定義はない。

そのうちの横須賀線電車爆破事件は、単独の事件であるが指定の対象になった。また勝田清孝事件は、1982年から1983年に発生した拳銃強盗事件とそれを使った強盗殺傷事件のみが指定の対象となり、それ以外の7件の強盗殺人や、300近い窃盗事件は指定の対象となっていない。勝田は2つの事件でそれぞれ死刑判決が下っている。

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事件

1995(平成7)年4月10日、大阪府警は洋品店の倉庫から紳士用のスラックス78本を盗んだとして大阪市西成区の鎌田安利(54)を逮捕した。ところが、この取り調べで鎌田の指紋が1985(昭和60)年6月に奈良・広陵町の竹やぶでバラバラ死体となって発見された知念みどりさん(19)の殺害犯人から警察に送られてきた「挑戦状」の手紙に付いていた指紋と一致。このため捜査本部は鎌田を厳しく追及した結果、5月12日になって知念さん他5人の殺害を自供した。6月12日、警察庁は「広域重要指定122号」に指定。

鎌田の供述によると、知的障害施設を抜け出し通天閣付近をブラついていた知念さんに声をかけ自宅のアパートに連れ込み関係を持った。その後、知念さんに小遣いとして1万円を渡したところ「少ない」と言われてカッとなった鎌田は知念さんを絞殺し死体をバラバラにして奈良県内で死体を遺棄した。


更に1985(昭和60)年5月、家出中の主婦・東富佐枝さん(46)と飲み屋で知り合い、自宅アパートに連れ込み関係。その後、絞殺して死体をバラバラにして兵庫県西区の雑木林に遺棄した。


1987(昭和62)年1月22日には小学校3年生の辻角公美子さん(9)に大阪・住吉区で道を尋ねるふりをして、いたずら目的でアパートに連れ込み騒がれたため絞殺。死体を大阪・豊能町の山林に遺棄した。さらに、公美子さんの自宅に身代金を要求する電話をかけた。


1993(平成5)年7月にもホステスの須田和枝さん(45)、1994(平成6)年3月には飲食業の中野喜美子さん(38)もそれぞれ自宅アパートで絞殺し死体をバラバラにして遺棄した。この結果、鎌田は5人の女性を連続殺害していたことが判明した。


鎌田は死体をバラバラにした理由を「運搬に楽だったから」と供述し、隠ぺいする目的ではなかったことが判明した。その証拠に、バラバラ死体を遺棄する場合、各所・各場所に別々に遺棄するのが通常であるのに対して、鎌田は全て一ヶ所にまとめて遺棄していた。

出典:鎌田安利事件

	

鎌田安利

鎌田は愛媛県大州市で生まれた。実家は旅館などに割り箸を納入する商売をしていたが、本人は「有名旅館の跡取だ」などと言っていた。

 父親が亡くなったのを機に高校を2年で中退。大阪へ出て板前修業をするが、20歳の時に地元に戻って結婚した。一男一女をもうけているが、妻と死別。


 それからは奈良県大和高田市の靴下製造工場に勤務したあと、職を転々とするが、子どもを連れて大阪市西成区に移った。ここでは飲み屋の女性と再婚して、子ども達もこの女性を慕っていたが、カッとしやすい鎌田はたびたび妻の首を絞めるなどして子どもに止められていた。結局、安田は外に女をつくり家を出て、妻が子どもの面倒を見た。わずか数ヶ月の結婚生活だった。


 それから鎌田は衣類やアクセサリーを自転車に積んで、飛田新地や釜ヶ崎筋の飲食店の女たちに売り歩くようになる。肩書は衣料品販売だが、それらはすべて盗品で、逮捕されることも度々だった。


 10年間にわたる5人殺害の詳細は次のようなものである。

 殺害されたのは、いずれも知り合ってまもなかったり、通りがかりで出会った女性ばかりである。他人に知られた関係ではないから、容疑者を特定するのは難しかった。


(1)1985年5月中旬、家出中の主婦・C子さん(46歳)と立ち飲み屋で知り合い、自宅アパートで絞殺。鎌田は彼女の名前も知らなかった。流しとトイレしかないアパートだったが、遺体はここでバラバラにして、神戸市西区の雑木林に遺棄した。


(2)その1ヶ月後、富田林市の知的障害者施設を4月に抜け出して通天閣界隈で遊んでいたD子さん(19歳)に声をかけて、寿司屋に入った後アパートに連れんだ。ここで関係を持ったが、お小遣い1万円を渡したところ「少ない」と言われ、殺害。遺体をバラバラにして奈良県広陵町の竹薮に遺棄した。遺体は6月17日に発見された。

 グリコ・森永事件を真似て、「怪人22面相」の署名入りの挑戦状を奈良県警高田署の所長宛てに送っていた。またその1ヶ月後には、行きつけのスナックで聞きこみがあったのを知り、「東京に行っていて犯行は不可能」とする新幹線の使用済み切符を同封した実名つきの釈明状も送りつけた。


(3)1987年1月22日、住吉区内で道を尋ねるふりをして声をかけたそろばん塾帰りの近くに住む小学3年・E子ちゃん(9歳)を車で連れ去り、西成区の自宅アパートに連れこみ、いたずらしようとしたところを騒がれたため絞殺。遺体は豊能町の山林に捨てた。鎌田が遺体をバラバラにしていたのは運搬のためで、体の小さいE子ちゃんに関してはバラバラにしていない。遺体はその年の5月4日に発見された。


(4)1993年7月、西成区のスナックホステスB子さん(45歳)を自宅に連れこむ。B子さんにとって鎌田はいつも札束を持って現れる客であり、誘いに乗って彼のアパートにやって来た。鎌田がB子さんを押し倒そうとすると、B子さんは「金はいくらくれるんや」と金のことを持ち出してきたので首を絞めて殺害した。遺体は風呂場で解体した後、レンタカーで運んで豊能町に捨てた。


(5)鎌田がたびたび盗品の洋服を売るのに出入りしていた中央区の居酒屋で働いていたA子さん(38歳)は、破格の値段の服を購入していた。1994年3月、鎌田はA子さんを誘ってアパートに連れこみ、ここで関係を持ったが、金を払う払わないで口論になり、絞殺。遺体は箕面市の山林に捨てたが、4月に発見された。


 鎌田は強面だが、その反面人が良さそうで、羽振りも良く見えた。特に女性には滅法優しいところがあり、褒めることも忘れなかったのでよくモテたという。そのため誘われて鎌田のアパートまでついて行った女性があとを断たなかった。殺害の動機からは金に細かいことや、カッとしやすい性格が窺える。

出典:大阪・連続女性バラバラ殺人事件

	

鎌田安利

			
鎌田の生計は盗品の衣料や装飾品を自転車に積んで地元の飲食関係の女性達に売り歩いていた。盗品のため価格も安かったことと、太った体型・満面の笑顔・ボロボロのジャンバーにズボンという格好は「愛嬌がある」と女性達には評判で、皆から「鎌ちゃん、鎌ちゃん」と呼ばれていた。

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裁判

鎌田は裁判中、終始一貫して無罪を主張。

1999年3月24日 - 大阪地方裁判所で死刑判決。(5件の殺人事件の間に、2度の窃盗罪で服役しており、確定判決を間に挟んだ罪は併合されないという刑法の規定により、2つの死刑判決が下される)


2001年3月27日 - 大阪高等裁判所で死刑判決。


2005年7月8日 - 最高裁判所で上告棄却され死刑確定。

出典:大阪連続バラバラ殺人事件 - 大阪連続バラバラ殺人事件の概要 - Weblio辞書

	

死刑執行

昭和60年から平成6年にかけて、大阪で小学生を含む5人の女性を相次いで殺害したとして、殺人などの罪で死刑が確定した鎌田安利死刑囚ら、2人の死刑が、25日午前、執行されました。

鎌田死刑囚は、昭和62年に大阪で当時小学3年生だった9歳の女の子を殺害したうえ家族に身代金を要求するなど、昭和60年から平成6年までの9年間に合わせて5人の女性を殺害したとして、殺人などの罪で平成17年に死刑が確定していました。

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関連書籍

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